<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>
『黒曜の髑髏』〜夢売り道化の闇〜
フィオーラが伸ばした手を、山本建一(やまもと・けんいち)はそっと押しとどめた。
「焦ることは、ありませんよ。足の無い黒曜の髑髏は、逃げも隠れもしないでしょうし」
軽く言って、微笑んでみせる。
「それに、少し疲れました。貴女は、疲れていませんか?」
「疲れなんて、忘れていたわ」
「思い出したって、顔ですね」
健一は、くすりと笑った。
ダンジョンの奥深く、目の前には人の一命をもって呪いを施す魔具がある。
とてつもなく非日常に満ちたこの場所で、他愛ない会話をする一瞬が、いとおしかった。
「疲れたときは、休みましょう」
返事を聞かずに、松明を碑文の脇にたてかける。荷物――杖や竪琴――を下ろし、マントを床の上に広げた。マントの上、腰を下ろすと半分空けた場所へ誘うようにフィオーラを手招く。
「もう、何をするんだか」
戸惑いながら、フィオーラも荷を下ろした。
「いいんですよ。僕たちは、終点に辿りついたんです。ちょっと休憩したところで、陛下もみんなも許してくれますよ」
傍らへフィオーラが腰を下ろすと、
「最後の晩餐、ってほど何もありませんけど……お祝い、しましょう」
健一は、水筒と携帯食糧を取り出した。
そう、ここが終点だ。
つまりは、二人ですごす最後の時であり場所。
そう思えば、ひとときもフィオーラから視線が外せなかった。
「な、何? 私の顔、何かついてる? ……あれだけ戦ってきたんだもの、もう汚れきっちゃって、ついてるどころじゃないかな」
「綺麗ですよ」
何のてらいも無く、そう返した。
本心だったからこそ、構えもせずに。
むしろ口にして、相手の反応を見てから自分の言葉の内容に気付いたといってもよく。
「……も、もう、何、言ってるんだか」
フィオーラが目をそらした。
松明の灯りでは彼女の顔色は判然としないが、想像することは容易で。
その様を見れば、まだ今は秘めておくべき想いに、しっかりとかけてある筈の鍵が、外れそうになる。
自身を抑えようと思えば、かえって饒舌になった。
「ワインもドレスもありませんが、こんな晩餐会も乙でしょう? ダンスでもいたしましょうか、お姫様?」
冗談めかした言葉と、いたずらっぽい笑みで吐露しかけた想いをぼかす。
「疲れて休もうってときに、踊ってどうするの」
フィオーラが笑った。花のような笑顔。
「ほんとですね」
健一も笑った。心の底から。フィオーラの笑顔が、嬉しくて。
ひとしきり笑いあった後、フィオーラがぽつりと言った。
「お願い、してもいい?」
小さく、うなずき返す。
「僕に、できることなら」
「聞かせて、ほしいの」
フィオーラの視線の先に、水竜の琴。
「仰せのままに。どんな調べを御所望です?」
手を伸ばして、水竜の琴を引き寄せる。
「健一の奏でるものなら、何だっていい。貴方の音が、聞きたい」
「じゃあ……」
柔らかな調べが、流れ出した。
それは故国の子守唄だった。
この曲には、安らかに眠る子供の、幸福と将来を願う歌詞がある。
フィオーラが、そっと寄りそってくる。
そのぬくもりを、守りたい。
歌いはせずに、ただ歌詞と同じ想いを込めた。
想いとともに、密やかに、調べに魔力を織り込んでゆく。
眠りの魔力が、ゆっくりと力を及ぼしてゆき……やがて。
寄り添うフィオーラの頭が、健一の肩にことりと落ちた。
琴を置き、眠りに落ちたフィオーラの体を、マントの上に横たえてやる。
安らかな寝顔を見つめながら、手紙をしたためる。
健一ははなから自分が呪うつもりだった。呪わずには、いられない。
かといって、フィオーラを死なせたくはない。犠牲になど、できない。しかも、フィオーラ無き世界で、一人どう生きろというのか。
フィオーラの身を思ってのことであるのも真実。
けれど。
わがままでは、あるのだろう。
想いを伝えあったわけではないけれど、言葉にせずとも伝わってくるものを信じるならば。
一人残されて生きる辛さは、彼女とて同じだろうから。
それでも、こうすることが最良の選択であるように思えた。
彼女には、生き残ってほしい。
健一や、死んでいった同胞の記憶とともに。
そして酷く勝手な願いではあるけれど。
願わくば――貴女が幸福でありますように。
そんな想いを、書き綴った。
書き終えた手紙を、眠るフィオーラの傍らに置く。
「すみません。僕は……」
言いさして、止める。想いは、綴りきっている。
今はただ、静寂があればいい。
いや、もう一つ。
――闇の中で、目覚めるのはあまりに寂しすぎますね。
ずいぶん消耗していたが、松明の炎に力を与える程度の魔力は残っている。何より、あとは髑髏に身をゆだねるだけなのだ。出し惜しみすることもない。
残った力を、松明の炎へと注ぎこんだ。
この炎が、彼女の眠りを護るだろう。
体内の魔力が尽きれば、髑髏へと向きなおった。
これから一国を呪おうというのに、不思議と心は平らかだった。
髑髏を手にして、小声で命じた。
フィオーラの眠りを妨げぬよう。
「……僕の全てをもって、アセシナートを呪います」
身から灼熱の炎が噴き上がっても、苦痛の声一つあげず。
呪いは、密やかに成就した。
◆ ◆
どれほどの時がすぎたか。
松明の炎が、健一の残した魔力でまだ周囲をあたたかく照らしている頃合に。
魔法の眠りより目覚めたフィオーラは。
愛しき者の姿を探し、代わりに件の手紙を見つけることになる。
最悪の予感を覚えつつ、手紙を手にした。
視線が文字を追うごとに、予感は実感へと。
「貴方は、気付いてる? 私にも……、私にも呪いをかけたことに。忘れないでほしい? 生きてほしい? 馬鹿言わないでよ。忘れられる……わけがないじゃない。優しい言葉、優しい思い出、優しい記憶、そんなものだけを私に残して、一人で逝ってしまうなんて。独りで生命を繋いで……貴方を思い出す度に、私は独りに気付いてしまう……これが呪いでなくて何?」
胸の前、両の手で、ぎゅっと手紙を握りしめる。
想いをこらえるように目を閉じた姿は、祈る者の姿にも似て。
誰に?
聖獣は動かず、王は果て、愛しき者も逝った。
残されたのは、ただ髑髏の呪いと、小さな灯り。
だから。
彼女はただ、己に誓うしか、なかった。
誓いが、叫びとなって虚空を鳴らす。
「死んでなんて、やらないから! 貴方が公国にかけた呪いの末路を見届けてやる! 生きて生きて生きて生きて、生きる……貴方の……優しい呪いと共に……」
叫びの末路は涙の雫へと変じ、握りしめた手紙を濡らした。
◆ ◆
疫病、地震、数々の災厄を経て、アセシナートが滅んだのは、三年の後だった。
そして世代が移りゆき、人々の記憶からアセシナートの存在そのものが薄れ、歴史の中の記録となりはじめた頃。
かつてドゥ・ルガーという国のあった地域に、小さな新興の村ができていた。
村の高台に一人住む年老いた語り部は、長寿を驚かれる度に、こう語るのが常だった。
『私はね、死ねないんだよ。昔、むかし、にねえ、死ねない呪いをかけられてしまったの。優しい、優しい、呪いをねえ』
この話をする時、語り部はどこか若やいで見え、花のような笑顔を見せたという。
◆ ◆ ◆
いずこともしれぬ闇の中。
夢売り道化フィール・フォールは怪訝な様子で、首をかくりと。
「いかがされた、お客人。何やら心残りがおありの様子で?」
両手を駄目駄目というように、ひらひらと大げさに振り。
「いけませぬなあ」
掲げて振った両手、胸の前へと引き戻し。
十の手指を中程あたり、かくりと折ったのを、手首あわせて獣の顎にでも見立てたかものか、
「夢に心を残しては、夢にがぶうり!」
おどけて噛み付きかかるような仕草。
「食われてしまっても、この道化めには、どうにも致し方なきことにて、ひとおつ、ご忠言」
顎を解いて、人差し指一本ぴんと立て。
「お心残りあるならば、再び夢見るもまた一興、幸いにして……この通り」
にい、と笑うや、人差し指に中指が添えられ、手品のように現れる一枚のカード。
くるりと表返せば、黒曜の髑髏がまたたいている。
「……いずれにしても、お客人」
つば広帽子を取るや、深く一礼。
「此度の夢は、これにて幕切れ。楽しんで頂けたなら、これ幸い」
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0929/山本建一 (やまもとけんいち)/男/19歳(実年齢25歳)/アトランティス帰り(天界、芸能)】
【NPC/フィール・フォール/男/999歳/夢売り道化師】
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■ ライター通信 ■
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発注ありがとうございます、法印堂です。
ギリギリ納品になってしまいまして、随分お待たせいたしました。
今回恋愛風味ということで、眠りの魔法使用のあたりも、折角ですので甘いかけかたにしてみましたら、微糖の予定が激しく甘くなってしまっておりますが、いかがでしたでしょうか。
多少ビターな箇所もありますが、最終的には、健一PC様の優しさの余韻を残せていたらと思っています。
もう一つネタがおありとのことで、お気が向かれましたら、どうぞよろしくお願い致します。
尚、カードの柄が変わらなかったのは、もう一ネタあり記述のせいではありませんので、念のため(笑)。
気に入って頂けますよう祈りつつ 法印堂沙亜羅
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