<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


Mission3:配達鞄を取り戻せ!


 きぃっと、かなりおずおずと遠慮するように白山羊亭の扉が開けられる。
「あの…」
 小さな声と共に、開けられた扉から本当におずおずと足を踏み入れたのは、14歳ほどの線の細い美少年だった。
 だがこれはルディアの印象。
「どうしたのかな?」
 中性的な容姿の依頼者――紫苑は、給仕の格好をしているルディアをまず視線で確かめ、そして、問うた。
「ルディアさん、ですか?」
 ルディアがそうだと頷くと、ほっとしたように――困っているのだろうが――ほんわかとした笑顔を浮かべ、ぎゅっと胸の前で手を握り締め、訴える。
「ボクの配達鞄が、盗まれて、しまったんです!」
 配達鞄ということは……なんとなーくルディアにも話が見えてきた。
「最近、蘇芳さんから、聞いて」
 あ、やっぱり蘇芳の友達かぁ。ということは、こんな小さな子も特急配達員? 総合郵便局って人員不足なんだろうか。
「本当は、蘇芳さんに、手伝ってもらおうと、思っていたんですが、今、居なくて、それで―――」
「話に聞いた、ここへ来たわけね」
 確認するようにルディアが聞けば、紫苑は素直に頷く。
「お願いします。ボクの配達鞄を、一緒に、探してください!」
 その側に置いてあった制服も一緒に。
「物盗りに遭われたと。それは災難だった」
 話を小耳に挟みガタッと椅子から立ち上がったのは、アレスディア・ヴォルフリートだった。
「盗まれたものは取り返さねば、送った方にも受け取る方にも申し訳が立たぬ。了解した。協力しよう」
 入り口近くに今だ立ち尽くしたままの紫苑に歩み寄り、その背にあわせるよう軽く膝を折る。
「そうだな。だが、このまま入り口で立ち話をされていては、他のお客にも邪魔になる」
 紫苑の真後ろに立っていたのは、キング=オセロットだった。
「す、すいません」
 紫苑はペコペコと頭を下げて、入り口から数歩ずれる。
「話は後ろで聞いていた。とりあえず中のテーブルに移動しよう」
 誰も座っていないテーブルへと紫苑をつれて、二人は奥へと戻る。
 つかさずルディアは紫苑に尋ねた。
「ホットミルクでもいかが?」
 仕事をこなすような年齢といえど、突然の事態に怯え困惑しているのではないかと思ったから。
 温かいものでも飲んで、少しでも気を休めてほしいと思った。
 紫苑は小さく頷き、ルディアは微笑んでマスターに注文を告げようとカウンターに戻ったのと同じタイミング。
「よう、ルディア。今日は何か面白い依頼とかある?」
 湖泉・遼介が元気一杯白山羊亭に入ってきた。
「面白いかどうかは分からないけど……」
 ちらりと紫苑が座っているテーブルに視線を向ける。何処か所在無さげに肩身が狭そうに縮こまっている小さな背中に、遼介は首をかしげた。
「初めて見る顔だよな」
「蘇芳さんの――同僚の子で、配達鞄を盗まれてしまったそうなの」
 友達と言おうとしたが、年若くても働いているのだからと、ルディアは同僚と口にした。
(って事は、郵便屋か)
 配達人は皆翼を持っていると思っていた遼介は、背中に何もない紫苑に意外だという視線を向ける。
「それは?」
 ルディアのお盆の上に乗ったホットミルクに遼介は首をかしげる。
「あの子にね、飲めば落ち着くかなって」
「じゃ、それ俺が持ってくよ」
 蘇芳には世話になっているし、紫苑が蘇芳の知り合いなら断る理由は無い。
 それに何か切欠があったほうが会話には加わりやすいもの。
「配達鞄盗まれたんだってな」
「は、はい」
 突然後ろからかけられた声に紫苑はビックリしたような声を上げ、それでも問いかけに肯定の返事を返す。
 テーブルに同席していた顔見知りに軽く挨拶して、遼介はホットミルクを紫苑に渡して、にっと微笑む。
「困ってるんだろ? 良いぜ。俺も引き受ける」
「ありがとうございます」
 遼介は空いている席に腰掛け、どれだけ話しが進んだのか聞くと、どうも絶妙なタイミングだったらしく、まだぜんぜん話は進んでいなかった。
「とりあえず、何が起こり、ここへ来るに至ったのか話してもらえるかな?」
 盗まれた! だけでは、手がかりが無さ過ぎる。例えば配達鞄の中に高価なモノが入っていただとか、そういった手がかりが欲しい。
「あ、はい…。本当は、エルザードに戻って直ぐに、おかしいな、とは、思ったんです」
「おかしいと言うと?」
「はい……」
 久しぶりの聖都に帰ってきて、他の国からの配達物を配送していたとき、なぜか刺さるような視線を感じたのが始まり。
「それが、1日目か…」
 紫苑が頷く。そして、言葉を続ける。
 その次の日に、突然誰かに突撃され、肩からかけている配達鞄を引っ張られ捕られそうになった。
 幸い、斜め掛けで鞄をかけていたため、捕られることはなかったが、紫苑は盛大に困惑することとなった。
 なぜならば、その捕ろうとした相手が、自分と同じくらいの見た目の子どもだったから。
 紫苑を襲った相手が子どもだと告げられ、アレスディアの顔が少しだけ苦くなる。
 実行犯が子どもというのが複雑な気分だったからだ。
 また次の朝、眼が覚めたら制服ごと配達鞄がなくなっていた、と。
「日を跨いで執拗に狙う。宿にまで手を伸ばす。服まで拝借する。……ただのかっぱらいではなさそうだ」
 ただのかっぱらいではないのなら、どんなかっぱらいだろう。何故そうしたのだろうという予想まではつかず、オセロットはしばし考える。
「探索系の魔法でも使えれば、一発なんだけどな」
 言ってみたものの、遼介にも、いや―――アレスディアやオセロットにもその類の力はない。
「なあ、届け物を狙うような奴って何か心当たりとかあるか?」
 遼介の問いに、紫苑は首を振り「特には」と小さく答える。
「犯人は、紫苑の鞄の中身を知っていた訳だろ? 郵便局の人とか依頼人とかの周辺が怪しいんじゃないかな」
「そんな事はっ……!」
 ばっと紫苑が顔を上げる。そうだろう、紫苑からしてみれば同僚を疑うことになってしまうのだ。
「配達物が金目のものに見えた可能性もある。配達物は一般人から見て一目で金目のものとわかるものなのだろうか?」
「配達物は、定形外だと割り増しなので、規定の箱に入れることが多い、です。だから、中身までは、分かりません」
 だとすると、傍目から観てそれが金目かそうでないかは分かりにくい。
 たぶん、怪しむべきは二日目に直接紫苑から鞄をとろうとした子どもなのだろう。
 客の入れ替わりは当たり前のため、ガタっと小さな音を立てて椅子から立ち上がった一人の少女が、テーブルへと近づいてくるのを誰も気がつかなかった。
「その……二日、目、鞄、取られ、そうに、なった、とき、相手の、子、と、もみあった、り、しなかった……?」
 話を聞きつつ、ずっと自分なりに考えを纏めていたらしい千獣は、解決の糸口に出来そうな、自分なりのアプローチに思い至り、話しかける。
 千獣は軽くその場に居る、アレスディアやオセロット、遼介に挨拶して、紫苑に向き直った。
「鞄を、挟んでなら」
 確かに鞄よこせ、嫌だの攻防ならば、綱引きのように鞄の引っ張りあいが起こったと考えるのが妥当か。
「あの、どうして、ですか?」
「相手の、子の、匂い……残って、ない、かな、と、思って……一応、匂い、確認、させて……?」
 え? と、眼をぱちくりさせた紫苑に、千獣はすっと顔を――鼻を近づける。
 そして何事かを考えるように口元に手を当てた。
「あら皆様。お集まりになって、何か相談ごとです?」
 白山羊亭を訪れ、見知った顔で構成された1つのテーブルにシルフェはそそっと近づき問いかける。
「鞄を盗まれたそうなのでね。状況を聞いていたのだよ」
 一番シルフェに近い椅子に腰掛けていたオセロットが状況を告げる。
「まあ、それは大変」
 掻い摘んで今までの話をオセロットから聞く。
 蘇芳の知り合いだという紫苑の依頼。先日の蘇芳の依頼の結果に申し訳なさを感じていたシルフェは、今度は役に立てないだろうかと、自分も鞄捜索に加わることにした。
 シルフェは小さくなって座っている紫苑に、身長をあわせるよう腰を折り、
「お任せくださいまし」
 と告げて微笑めば、紫苑の嬉しそうな笑顔が返ってきた。
「それにしても、制服まで持って行ってしまうなんて」
「シルフェもそう思うか?」
 ほうっと頬に手を当てて告げたシルフェに、オセロットはふっと笑う。
 これは宿屋に行ってみる必要が多大にありそうだ。
「その子の、容姿……配達、先、の、住所も、教えて……?」
「それは……」
 一応配達先というのは守秘義務にあたる。紫苑は告げるべきか考えているようだった。
「匂いで、辿ってみるのだな?」
 助け舟を出すように千獣に問うアレスディア。千獣はコクンと頷いた。
 配達先にその子の匂いがあったら、きっと、そこへ向かうと思うから。
 紫苑はそれを聞いて、しぶしぶという節ではあったが、配達先の住所を告げる。
「…………」
 多かった。予想以上に。
「………暗記、してるのか?」
「はい」
「蘇芳も?」
「いえ、蘇芳さんは、してないと思います」
 遼介は頭を抱える。郵便屋にもいろいろいるんだなー。
 そして、次に告げた。子どもの容姿。
「ボサボサの黒髪で、活発そうで、身軽な子でした」
 後、ナイフの扱いが得意。
「まさか刺されそうになったとかは…」
「それは、ない、です」
 ほわっと微笑んで告げた紫苑にほっと胸をなでおろす。
「して、どこをどう歩いてこられたか、どこで襲われたのか教えてくれぬか?」
 襲われた場所は、一般的で言うなれば下町。アットホームではあるのだが、治安も少しだけ悪かったりもする。
 了解した。とアレスディアは頷き、皆に向き直った。
「私は子どもによる物盗りの情報を収集しようと思う」
 紫苑が襲われた辺り周辺で、何かその子どもが他に事件を起こしていないか聞き込みに行くつもりだと告げる。
 そうだな、とオセロットはもたれていた背を持ち上げて、
「私は宿屋から情報収集を始めるつもりだ」
 実際に盗まれた場所に言ってみれば、もっと手がかりをつかめる。まさに現場検分。
「わたくしも、オセロット様と一緒に宿屋へ向かいます」
 同じように気になっていたのだ。シルフェはよろしくお願いしますとオセロットに微笑みかける。
「宿屋、に、行って、泊まった、部屋、見せて、もらう……同じ、匂い、残って、いたら、その子の、匂い、だと、思うから……」
 千獣だけが分かる、匂いに一致が無いかどうか。こうして千獣もまず宿屋に向かうことにした。
「一応俺は、別の線も考えてみるよ」
 もしかしたら結果的に無駄になったとしても、予想が外れたとき、別の手がかりがあれば直ぐに取り掛かれる。
 遼介は身内路線で捜査をすることにした。
 それぞれやることを決めると、白山羊亭から目的地に向かって歩き出した。









 訪れた宿屋はこじんまりとして、あまり目立つような宿屋ではなかった。客室もあまり多くない、小さな小さな宿屋。
「先日から紫苑が泊まっている部屋を見せてもらいたい」
 宿屋の主人はオセロットの申し出に渋顔で反したが、事情を告げれば鍵を持って部屋へと案内してくれた。
 オセロットと千獣は部屋の中へと入り、
「どうだ?」
「同じ……」
 短く問うたオセロットに、千獣も短く返す。
 シルフェは案内してくれた主人に振り返ると、
「あの、主人様。紫苑様が泊まっている時に、お子様や怪しい方をお見かけしませんでしたか?」
 と問いかけた。
「いや、怪しいとか、それって昼かい? 夜かい?」
「どちらでもよろしいのですけれど」
 その口ぶりを聞いていると、どうも主人が怪しいと感じているような人物は来ていないように感じる。
 オセロットは振り返り、主人に尋ねる。
「昨夜、誰か紫苑を訪ねてきたりはしていないか?」
 これで、居たと言ってくれればかなり事は簡単に済むのに。
 けれど主人は首を振る。
「では、紫苑の泊まっている部屋について尋ねられたとか」
「部屋を訪ねられたりはしなかったが、紫苑さんについては尋ねられたな」
 紫苑のことを聞いてどうすると言うのだろう。やはり、紫苑も蘇芳同様何かしら特異なのだろうか。
「あんな年の奴でも郵便屋なのかって」
 確かに、どう見ても紫苑は郵便屋としては若すぎる。子どもならば盗みやすいと思われた可能性だって否定できない。
「聞いてきたのも、見た目紫苑さんくらいの子どもだったなあ」
 その子どもは、きっと二日目に紫苑を襲った子どもだ。
「顔見知りとかではないです?」
「いや、ぜんぜん」
 シルフェが主人に疑問を投げかける裏で、オセロットは部屋についている窓に手をかけ、鍵が壊されていないか確認に戻る。
「では、宿屋に入ってきても怪しまれないお子様に心当たりなどは……」
 やはり、泊まっている部屋から荷物を盗むなんて、誰かに怪しまれると思うのに。けれどそれは部屋へ正面から入った場合だ。
「ご主人、シルフェ」
 オセロットが軽くシルフェと主人を呼ぶ。
 二人は疑問符を浮かべ、オセロットが立つ窓へと近づく。
「あああ!!!」
 主人の絶叫が部屋に響く。シルフェは「まあ」と口を押さえた。
「どうやらここから入ったようだな」
 螺子式の鍵は頭だけが鍵穴に入り、その先がすぱっと切れて無くなっていた。
 これならば窓を開けようとしなければ、鍵が壊されているなんて誰も気がつかない。
 ご丁寧に頭が鍵穴から外れない絶妙な位置で切られているのが憎たらしい。
「まさか、いつから!?」
 紫苑が止まる前は別の人が泊まっていたのだろうし、客が変われば節目に掃除もする。
 だとすれば、紫苑が泊まった1日目から狙っていた可能性は高い。
「あいつキッズだったのか!」
 頭を抱えて叫ぶ主人の言葉の中に混ざった新しい存在に、二人は顔を見合わせる。
「「キッズ?」」
 蹲る主人にエコーがかかれば、
「キッズに狙われたなんて、イメージダウンもいいとこだ!」
 どうやら、キッズとは、子どもだけのスリ・窃盗集団のことらしい。
「キッズ…確かに子どもだな」
 名称はそのまんま。子どもなりにチーム名を考え、ボキャブラリーが無くてそうなったという感じか。
「では、そのキッズの誰かが、紫苑様の鞄を?」
 制服と一緒に盗んだ?
「一度、紫苑様が襲われた辺りに行ってみます」
「入れ違いにならないようにな」
「はい。アレス様が見当たりませんでしたら、戻ってきます」
 紫苑が襲われたという場所には現在アレスディアが向かっている。バラバラで尋ねては怪しまれる可能性もあるため、合流できなければ白山羊亭に一度戻ると言うことになった。
 紫苑が襲われたという下町で、シルフェはアレスディア以上に浮く。
 エレメンタリスが下町に来ることなどほとんどないからだ。
 シルフェはアレスディアの姿を探してきょろきょろと辺りを見回す。
 そして、何かを見定めるように見つめているアレスディアを見つめ、少しだけ早足で近づいた。
「アレス様」
 顔を上げたアレスディアは、シルフェを見る。
「宿屋の主人様からお話を聞いて、来てみたほうがいいと思いまして」
 そして、教えてもらったキッズのことをアレスディアに話す。
「そちらでも、その名が出たのか」
「では、こちらでも?」
 アレスディアはシルフェの問いに、静かに頷く。
 そして、下町の女性から聞いたキッズのことをシルフェに話した。
「親がいないお子様方ですか……」
 そして、悪事を働きすぎて見捨てられた子ども達。
 ただ―――女性は言っていた。一人だけ見捨てていない大人がいることも。
 それがどう関係するかは分からないが、実行犯はこのキッズの誰かと推測して間違いはない気がする。やはりどうしてという気持ちはぬぐえないが。
「紫苑様にお話をすることもなく無理矢理に鞄を持って行こうというのは、人様に話せない事情があったのかもしれませんね」
 例えば、配達物を盗めば大金をくれる。だとか。
「それならば用済みの鞄は捨てられてしまう可能性が高いと思うのだ」
 けれど、鞄が捨てられていたような形跡は無い。
 配達に使用する鞄なだけに、つくりは頑丈だろうし、物は一杯入るだろう。捨てて、誰かが拾った可能性もあるだろうが、それならば制服も一緒に捨てられていそうな気はする。
「制服を盗む理由が分かりません」
 ほんと、この盗人の目的はなんだろうか。
「話しを聞きたいところがあるのだが、一緒に行かぬか?」
「はい」
 まだ昼間とはいえ、自分たちはこの下町で浮きまくっている。
 一緒に行動したほうがいいだろうと、二人は歩き始めた。








 たどり着いたのは、下町でこじんまりと構えられた診療所だった。
 郵便屋の少年が一人、コンコンと診療所の扉を叩いている。
「ちょうど配達みたいですね」
「紫苑殿から聞いた特徴に良く似ている」
 そう言えばとよくよく見れば、頭はボサボサで、活発というか勝気そうな顔つきをしている。
 もしかしたら本物かも知れないため、暫く様子を伺ってみることにした。
「あら」
 路地の先にはオセロットと千獣の姿が。
 配達先と住所を辿ってここに来たのならば、やはり彼が。
 向こうもアレスディアとシルフェに気がつき、わざと彼の後ろを通り越して、歩いてきた。
 背中越し、軽く診療所に視線を向けて、千獣がぼそりと零す。
「……自分、で、届け、た、かった、ん、だね」
「それならば、素直に頼めばいいと思わないか?」
 確かにその通りだ。何か別の理由でもあるのだろうか。
「はーい」
 診療所の中から返事の声が聞こえる。
 4人は少し聞き耳を立ててみることにした。


 診療所の中から出てきたのは、どこか貧乏くさそうな青年医師。
 青年医師は少年を見るなり顔を綻ばせた。
「久しぶりじゃないか! 最近どうしてたんだい? ホームの方にも帰って無かったみたいだし」
「ん、まぁな」
 少年はどこか照れるように、鼻の頭をかいて、
「でもさ、見てくれよ!」
「え? ちょ、郵便屋の制服じゃないか! 凄いじゃないか!」
 青年医師は少年の格好を見て、落ちそうなくらい驚きで眼を見開いた後、感激にぎゅっと少年を抱きしめた。
「お前キッズの中で誰も勝てないくらい足速かったもんな。なんか嬉しいな。郵便屋かぁ」
「へへ」
 少年の顔は真っ赤だ。


「何、してんだ?」
 こそこそっと大の大人(?)が三人も――千獣は、その三人を見ていた――伺うように顔を出している姿を突っ込んだのは、
「あら、遼介様」
 だった。
「この先に何があるんだよ?」
 ひょいっと路地先を覗き込むと、遼介はすぐさま顔色を変えて、びしっと指差した。
「あ―――っ!!?」
 あいつ! と、叫ぼうとした遼介の口が塞がれる。
「あの子にも事情があったらしい」
 もう少し様子を見たいとオセロットはもがく遼介を宥める。
「……でも、嘘、良く、ない」
 きっと世話になった青年医師に、自分は立派になったのだと――その姿を見せたかったのだろう。
 けれど、どんな理由であれ盗んでしまった事実には変わりないし、今嘘で乗り切ったとしてもいつかはばれてしまう。そうなった時、今と同じままでいられるとは限らない。
「あのような理由であれば、紫苑殿も貸してくれただろうに」
 少年の後姿を遠めに見つめ、アレスディアは小さく言葉を漏らす。
「出来ません」
 すっぱりと切り捨てられた返答に、アレスディアは振り返る。
 遼介の後をゆっくりと着いてきていた紫苑は、すっと皆の横をすり抜け、診療所の入り口で話す、青年医師と少年のそばへ歩み出た。
「こんにちは」
 そしてあのほっとするようなゆるい微笑を浮かべる。
 慌てて追いかけた。
「あなた、方は?」
 瞳を困惑の色に染めて青年医師が一同を見る。
 当事者である少年は、事がばれる前にその場を去ろうとすっと身を引く。
「……待って」
 だが、逃げようとした足は、千獣によって止められてしまった。
「あーもう! チクショウ!!」
 盗んだ相手である紫苑がいては、配達だから放せという嘘もできない。
 千獣に首根っこをつかまれ、少年は叫ぶ。
 青年医師には少年が叫ぶ理由が分からずに、右往左往していた。
「始めまして。総合郵便局エルザード支店配達局長、紫苑、と、申します」
 え?
 誰もが耳を疑った。
 この形で、蘇芳の一番上の上司!?
 という事は、もしや実年齢と外見年齢が比例していない…と?
 いやいや、そんなことよりも、局長が鞄と制服盗まれてどうする。
「ということは、まさか……」
 青年医師は少年を見る。少年はぷいっと視線をそらせた。
「もう他人のものは盗まないって言ったじゃないか」
 青年医師の言葉は怒るでも貶すでもなく、ただ静かに紡がれる。
「だ、だって! いくら、申し込んでもダメだって! それなのに、こいつみたいなのが郵便屋やってるの見たら、オレ―――!」
 少年は言いかけて言葉を止める。さっき紫苑が自分で局長と名乗ったからだ。
「紫苑殿……」
 沈黙を保ったまま、ただ少年を見つめる紫苑の瞳は冷ややかだ。
「どうしてだよ! アンタが局長って言うなら、何でオレがダメなのか教えてくれよ! オレがキッズだからか? 盗みとかやってきたからなのか!?」
「…………」
 少年の叫びに紫苑はただ沈黙する。採用基準をほいほい告げることは出来ない、そういう理由だろうか。
「何だよ…アンタみたいに体力なさそうなのでも局長やってるのに、オレがダメなんて――チクショウ! チクショウ!!」
 見た目にそぐわぬ冷静な視線で少年を見つめる紫苑の肩を、オセロットは軽く叩く。
「配達員になるには何かしら条件があるのだろう?」
「教えて、あげて……」
 千獣も、お願いというように、じっと紫苑を見つめる。
 このままじゃ、この子はただの窃盗犯で終わってしまう。それじゃ余りにも可愛そうだ。
「盗んだことは悪いことですが、無碍にされた人の気持ちもわたくしは分かりますよ?」
 そして、その無念さも。
 最後のシルフェの言葉を聞いて、紫苑はやっと重たい唇を開いた。
「あなたの経歴は、関係ないのです」
「じゃあ、なんで!?」
「あなたは、外門から城を経由したエルザードの街周を、30秒以内で一周できますか?」
「え……」
 どんな道を辿ってもいい。どんな方法を使ってもいい。ただ30秒以内に外門を出発し、城を経由してまた外門まで辿りつくことが出来るなら。
「手本にはなりませんが、ボクの走りを見せます」
 その言葉と同時に、紫苑の身体がふわりと浮き上がる。
 そして、一陣の風の如くその場から一瞬でいなくなった。
 その間まさに刹那。
 瞬きの後、紫苑の姿は路地の先、視界からギリギリの位置に立っていた。
「そいや紫苑、地面は余り走らないって言ってたな」
 遼介は遠くで手を振る紫苑に視線を送り、ポツリと零す。
 紫苑は手を振るのを止めると、またあの瞬きの刹那でこの場に戻ってきた。
 ペタリと、少年はその場に腰が抜けたように座り込む。
「全然…ダメじゃないか。オレじゃ、ダメじゃん」
 唯人の括りの中で走るのが速いだけの自分では。
 突きつけられた現実。途絶えてしまった夢。
 少年はクシャリと前髪を掴む。泣きの出すのではないかとふと思う。だが、少年は翳りを帯びた瞳で薄ら笑った。
「あんたが郵便屋になりたいのは分かったけど、だからってさ何で盗むなんてしたんだよ」
 泣き崩れた少年を見下ろし、遼介は訪ねる。
 飛び出す前にアレスディアが呟き、紫苑がきっぱりと「出来ないと」告げた事柄ではあるが、この少年はそれを知らない。
「悔しかった……」
 同じ年代に見える紫苑が、自分がなりたいと憧れている郵便屋で、自分はまだ盗みで生計を立てていることに。
 悔しかったから、事情も告げずに行動に走った。
「悔しい、なら、なに、を、しても、いい、の……?」
 こうしている間にも、配達を――手紙を待っている人がいる。
 郵便屋になりたというのなら、そういった手紙を待つ人の気持ちも考えなくてはいけない。
 走りだけではなく、この少年にはその心構えさえもできていない。
 千獣の言葉を追いかけるように、オセロットはそっと口を開いた。
「その悔しさを、自らを磨くために使わなければいけなかったな」
 負の方向に向かわせるのではなく、あいつ――紫苑よりも郵便屋にふさわしいと思わせるほどに。
「あなたはまだ幼い。これから機会は幾らでもある。逸ることはない」
 ゆっくり歩けばいいのだと、諭すような微笑を浮かべアレスディアは少年の肩をぽんと叩いた。
「そうでございますよ。余り早く職につくよりも、遊びたいお年頃でしょう?」
 普通の子どもだったら、学校へ行き友達と遊んでいる年頃だ。ただ下町で、親が居ないというだけで、少しだけ大人びて、少しだけ捻くれてしまっただけ。
 シルフェは、少年が信頼しているらしい青年医師に答えを求めよう視線を向ける。
「見ず知らずの方々がこんなにも言ってくれてるんだよ。また頑張ろうよ、ね? メイジー」
 少年――メイジーは真っ赤な顔で青年医師を見上げた。
 メイジーとは、マーガレットの愛称。
 少年は、少年ではなく少女だった。
 余りにビックリ続きで貼り付けた笑顔のまま固まる。
 そんな一同には気がつかず、青年医師はポンポンとメイジーの背中を叩く。メイジーの目じりに始めて大粒の涙が溜まった。
「ごめ、ごめんなさい…! ごめんなさいっ」
 ボロボロと泣く少女をこれ以上責める必要はない。充分反省しているだろう。
 青年医師はメイジーから紫苑に視線を移動させる。
「今回は……」
 許してもらえないかと、青年医師は問う。
 紫苑は朗らかに微笑んだ。
「はい。鞄さえ、返して、もらえれば」
 こうして盗まれた配達鞄(制服)事件は解決したのだった。









「これから配達ですね」
「はい。遅れを、取り戻さないと」
 制服なんて着なおしている暇はない。紫苑は取り返した(?)配達鞄を肩からかけ、ふわりと浮き上がる。
 あの走りを見てしまったのだ。
 きっとそうかからずに配り終えることだろう。
「皆さん、ありがとうございました。後日、総合郵便局に来てくださいね」
 紫苑はそう短く告げると風の中に消えていった。


















☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2919】
アレスディア・ヴォルフリート(18歳・女性)
ルーンアームナイト

【1856】
湖泉・遼介――コイズミ・リョウスケ(15歳・男性)
ヴィジョン使い・武道家

【2872】
キング=オセロット(23歳・女性)
コマンドー

【3087】
千獣――センジュ(17歳・女性)
異界職【獣使い】

【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 Mission3:配達鞄を取り戻せ!にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 今回は此方が用意していた真相と、皆様が用意されたプレイングが結構かみ合いましてかなり書きやすかったのですが、どうしてもNPCに語らせるしかならない部分も出てしまいその塩梅に悩みました。
 宿屋から下町へと移動していますが、実はそこまでシルフェ様には徒歩の機動力はないのではないかとちょっと心配です。今回の尋問(?)担当はシルフェ様だったように思います。地道な情報収集ですね。
 それではまた、シルフェ様に出会えることを祈って……