<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


冬の寒さとあったか笑顔



 朝起きて、換気のために窓を開ける。流れ込んでくる空気が肌に刺激を与えてくる。
「うわ‥‥」
 夜着のままの自分をかき抱くとともに、つい漏れた呟き。そして白い息。
 寒いのも仕方ない。世間はもう、冬に片足突っ込んでいるのだから。

 ◆

 通りを歩いていても冷たい風が撫でていく。体と心はぬくもりを求め、心地よい程度に暖められたその場所へ、足を向けさせる。
 白山羊亭。聖都エルザードを訪れる人の殆どが一度は訪れるといわれる酒場だ。評判を呼んでいるのは、看板ウェイトレスのルディアと美味しい料理。いつ行っても温かくて美味しいものが食べられるとくれば、店内がより賑わうのも必然だろう。
「ぃらっしゃーい」
 ウェイトレスとしてバイト中のイクスティナ・エジェンが忙しなく動き回っていると、扉がキィと鳴った。空になった皿をさげる合間に戸口を確認する。一見して冒険者とわかる出で立ちの数名が入店していた。
 白山羊亭はただ酒と料理を楽しめるだけの場所ではない。様々な情報や依頼を提供する、冒険者御用達の仲介施設でもある。
 店主と依頼に関する話を始めた冒険者達に、イクスは心中でため息をつく。自分だって本来はそっち側なのに、と。
 一攫千金や価値ある品を求めて依頼を受けたい。しかし路銀すらおぼつかない。だからバイト三昧の毎日。自分が何のために働いているのかすらも時折忘れてしまうほど、がっつりばっちり働いている。
「なのに、なんで金が貯まらないんだ?」
「なんでだろうねぇ?」
 首をかしげるイクス。そのすぐ横では、同じように首を傾げる妖精がひとり。
 妖精がトンボに似た羽を震わせれば、栗色の短い髪も揺れる。名前はルュ・ルフェ・メグ・メール、でも言いづらいのでルルフェと皆からは呼ばれる少年だ。
 ルルフェの存在に気付いたイクスは、瞬時に体を強張らせた。が、即座に慣れた手つきでルルフェの頭部をつまみあげる。
「‥‥おい、その口の周り。クリームだらけじゃねぇか」
「ダメだなぁイクスは。眉間にそんなしわ寄せたら、お客さんが怖がっちゃうじゃない。ほら、笑顔笑顔」
「笑えるかぁっ! 今度はどこで何を買い食いしてきやがった!?」
「いつものケーキ屋さんで季節限定の新作が出てたんだー♪」
 聞かれたとおりの内容を素直に答えるルルフェ。だがイクスが言いたいのはそういうことではない。どれだけ働いても一向に金が貯まる気配がないのは、こんな風にルルフェが無駄遣いをしているからなのだ。何度言い含めても聞きゃしない。
 ルルフェが手を出すのは食べ物だけではなく、日用品からアクセサリーまで幅広い。金は貯まるどころか減る一方。苛立ちは募るばかりだが、ルルフェはイクスが喜ぶと信じて買ってくるわけで、どうしても憎めない。
 かといって大人しく引き下がるのではイクスの気がおさまらない。よってルルフェは毎度毎度怒られる。口元を乱暴に拭かれても楽しそうに笑うから、尚更怒られる。
「そろそろ離してあげてください、イクスさん。ルルフェさんが苦しそうにしてますよ」
「大丈夫だって。こいつはそんなヤワじゃねぇから」
 そんな二人のやり取りにルディア・カナーズが仲裁に入るのも、白山羊亭の常連にはだいぶ見慣れた光景となっていた。平和の象徴みたいなものだ。
 だが、平和なんて脆く儚い。
 ルルフェの顔に押し付けている布巾越しに、尋常でない熱さがイクスの手に伝わってきた。
「おまえ、熱があるのか!?」
「ちょっとごめんなさい。‥‥あら」
「え〜?」
 驚くイクスに続いてルディアもルルフェのおでこに手を当てる。さぞ辛いだろう高熱のように思えるのだが、本人は特にどうという事もない様子。
 と思いきや、ぽてっと床に落ちた。



 問答無用で寝床への連行そして医師の診察を受けたルルフェだが、恐らく風邪でしょう、とのことだった。今期は高い熱の出る風邪がはやっているとかで、暖かくして十分な栄養と睡眠をとっていれば数日で治るようだ。
 医師を見送った後、イクスは頭の中でざっと計算した。睡眠はともかく、栄養のつくものを食べさせるには、幾ばくかの金を使う必要があるだろう。暖炉に一日中火を入れておくとなると薪の消費も激しいだろうが、それは自分がバイトの前後に森に入ればどうにかなる。というか、どうにかする。しなければいけないだろう。
(俺が食費削ればいいか‥‥)
 イクスが部屋に戻ってくると、ルルフェは上半身を起こして窓の外を眺めていた。
「起きてて大丈夫なのか?」
「‥‥ボク、もうダメなのかな‥‥?」
「はっ」
 イクスはつい鼻で笑ってしまった。らしくない気弱な発言だ。ただの風邪だと医者も言っているのに、どこに感傷的になる必要があるのか。
「あーあ‥‥一度でいいから食べてみたかったなぁ‥‥イクスくらいもある大きなケーキ」
「んなモンひとりじゃ食えねぇだろうが」
「ひとりじゃないよ。イクスも一緒に食べるんだよ」
 ルルフェはずっと窓の外を見つめたまま。冬の風に誘われて、一枚の葉が街路樹から離れて散っていった。
「‥‥」
「なんてねっ! あーでもやっぱり大きなケーキは食べたいなぁー。ケーキのことを思うとボク、胸が痛くなってきちゃうよ。あれ、どうしたの、その手は何?」
「なんでもねぇっ!!」
 つい伸ばしてしまっていた手の行き場が失われた矢先。イクスの視界に茶色っぽいものが映った。ルルフェのすぐそば、寝具で隠すように。
 即座にその茶色へ手を伸ばした。ルルフェが体を張って止めようとするが、どうということはない。押しのけて寝具をめくると、食べかけのビスケットだった。
「病人のくせに何食べてんだおまえはあああっ!!」
「ああっ!? せっかく近所のおねーさんにもらったのに!?」
 すかさず取り上げて自分の口の中へ。予想以上に美味しかった。
 指先の粉を舐めとる間によくよく見てみれば、ルルフェの寝床の周囲にはお菓子の山ができている。お見舞い品だと言うが当然、すべて没収である。
「ううっ‥‥イクスのばかぁ‥‥」
「馬鹿はおまえだ。せっかく落ち着いてるのに、また熱上がるじゃねぇか。菓子食うくらいならメシ食え、メシ」
 いつものルルフェならば元気に飛び回って不平を並べたてるところだが、今の彼にその余力はない。頭まで布団をかぶってさめざめと泣くばかり。高熱のなせる業だとはわかっていてもうっとうしく感じられて、イクスは早々に白山羊亭へと戻った。



 ますます繁盛する店内にあっては、ウェイトレスも大忙し。客席と厨房を何度も往復もし、お勘定にも対応し、酔っ払ったおじさんがおイタをすればその対処も必要だ。人手があって困るということはない。むしろもっとほしい。
 そんな状況の中でイクスは活発に働いていた。ルルフェのそばにいなくていいのかとルディアから尋ねられても、放っておけばいいんだとすげなく断る。
 しかし、口ではそう言っていても実際の気持ちは別であることは、イクスの様子を見ていればすぐにわかった。何も無いところでつまづくのはまだ可愛いほう。ぼーっとしたまま歩いて壁に衝突したこともある。皿を下げようと重ねていって気付けば塔が出来上がっていた時は拍手が巻き起こった。
(素直じゃないんだから)
 ふふ、と小さく笑ってから、ルディアはイクスを呼んだ。手渡したのは小さな鍋。熱いからとミトンごと。
「たっぷりの野菜を柔らかく煮込んだスープです。食べさせてあげてください」
「そっか、さすがに自分じゃ用意できないよな。悪いな、ちょっとだけ抜けさせてもらう」
 ウェイトレス姿のまま上着だけ羽織って、イクスは白山羊亭を飛び出していく。
 その直前、ほんの僅かな間だけ足を止めて振り返った彼女は、一言呟いた。
「‥‥ありがとな」
 頬が赤くなっていたのは、きっと、寒さからだけではないだろう。

 ◆

「ボク、ふっかーーーーーーつ!!」
 数日後。医者の言葉どおりにすっかり良くなったルルフェがいた。白山羊亭のテーブル上に。
 時刻は昼過ぎ、おやつの時間よりも少し前。客足もやや落ち着きを見せる時間帯であり、イクスもルディアもそのテーブルの席についている。はれてお菓子にありつけるということで、いくらかのお菓子とお茶が用意されていた。
「そもそもなんで風邪ひいたんだ? 腹出して寝てたのか?」
 この後も引き続きバイトなのでウェイトレスの格好のまま、イクスはケーキに手を伸ばした。
「失礼しちゃうなぁ。ボクの寝相の良さを知らないの?」
「あーはいはい」
 頬を膨らませるルルフェにイクスが適当な相槌を返せば、ルディアが面白そうにくすくすと笑いをこぼしている。
「でも本当、なんで風邪ひいちゃったのかなぁ。あんなに乾布摩擦を頑張ったのに」
「かんぷ、まさつ‥‥?」
 しかし続いてルルフェが発した言葉には、聞いていたふたりの動きがぴたりと止まった。止まったまま、発した当人の顔をじっと見つめている。
 そんなふたりの様子を、乾布摩擦とはなんなのかを知らないからだと考えたルルフェは、えっへんと胸を反らせて解説を始めた。
「寒い日に、外で上半身裸になって、お肌を布でこするんだよ。そうすると、体が刺激されてすっごく丈夫になるんだってー」
 いったいどこの誰から仕入れた知識なのか。好奇心に溢れていて人懐こい彼のことだから、実際に乾布摩擦をしている人を見つけて話を聞いたのかもしれない。あやふやな知識であることから察するに、教えてくれた人もきちんとした内容は知らなかったのだろう。――必ずしも寒いところでやらなくてもいいという事実を。
「要するに。寒い日に寒いカッコしてたってわけか」
「うん、すっごく寒かったぁ〜♪」
「あっはっは。‥‥そんなことすれば一発で風邪ひくに決まってるだろがああっ!!!」
 テーブルをひっくり返さんほどの勢いだった。イクスがカップを叩きつけたせいで中身の茶が飛び散り、ルディアが目をぱちくりとさせた。ルルフェはというと、クッキーを一枚抱え、窓から外へと一目散に飛び出していく。
 だがそれをみすみす見逃してやるイクスではない。スカートの裾や袖のフリルを翻し、追いかけるために立ち上がる。
 人通りの多い街中を行ったり来たりするはめになるだろう。街行く人達に暖かい眼差しを向けられるのではなかろうか。「ああ、このふたりはなんて仲がよいのだろう」と。
「やっぱりあの2人はこうでなくっちゃダメよね」
 戸口の傍。大騒ぎしながら人ごみにまぎれていくふたつの背中を見守るルディアの瞳にも、暖かい笑みの色が浮かんでいた。