<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


空虚な廃墟で視る夢は

◇ Introduction ◇
 一枚の依頼書を眺めながら、店のオーナーであるエスメラルダはおもむろにため息を吐いた。
 客足も引き始めた、深夜の酒場での光景だ。
 カウンター席に座っていた男が、無言で疑問符の混じる視線を彼女へ寄越すと、エスメラルダは特有の妖艶な微笑を一つ返してくる。
「どうやら、少し困ったことが起こっているらしいわ」
「困ったことってーと?」
 ジンをロックで割ったものを煽りながら、男が女性へと尋ねた。
 相変わらず、エスメラルダの視線は手の中の依頼書に釘付けだ。
「魂を抜かれるんですって」
「あ?」
「西の方に行った所にある森にね、廃墟があるそうなの。その森に迷い込んだが最後、屋敷の主人である少女が、友達欲しさに迷子の魂を抜き取って自分の元へ連れて行くんですって」
「何だァ? 幽霊騒ぎか?」
「さぁ、どうかしら」
 噂が真実か否か、はたまた人間の仕業かこの世ならぬ者の仕業か。そのようなことは、この女性にとってはどうでも良いことらしい。
 ただ、問題なのは別の部分である。
 つい最近、噂としてまことしやかに流れるその話。
 しかし、噂が瞬く間に広がったことには、相応の訳があった。
 一昨日は、大通りの薬屋の娘が居なくなった。昨日は、裏路地の骨董屋の息子が帰ってこなかった。
 そして今日は、森の木立の入り口に住む老婆が、森へ入ったきり行方知れずということらしい。
 こうなってしまっては、騒ぎの火種も一人歩きし、噂に尾ひれが付こうがお構いなしだ。町中で口にされる騒ぎに、困り果てた町長が出したのがこの依頼書である。
「そんな危険な依頼、引き受ける奴ァ居るのかね?」
「それもわからないわね」
 男の投げやりな呟きに、エスメラルダは肩を竦めて話題を打ち切った。
 少女が魂を連れて行く理由も、どういった方法でそのような手段に打って出るのかも、彼女には何一つわからない。それは事実だ。
 けれど今現在言えることがあるとするならば、この事件に片が付かない限り、町の騒ぎは収まらないだろうという確固たる事実だけだった。

◇ 1 ◇
 サクリ、と霜の降りた草を踏み締めて、リルド・ラーケンは眼前にそびえる建物を見上げた。
 これが依頼された討伐対象の住む廃屋か、と、彼はその外観を見回す。
 まるで木々に隠されるように佇むその邸は、ひとえに言えば裏寂れている。外観は長い間雨風に晒されていたのか、元は白かっただろう外壁も灰色に汚れていた。
 所々小さな亀裂が入っている邸は、今目の前で崩れてしまってもおかしくないように思われる。
 それほどに、危うい条件下で建っているように感じられた。
「さて、どんなバケモノが住んでるんだかな」
 錆びた鎖が最早施錠の役目も果たしていない門をかなぐり開け、男は一人邸へと足を踏み入れた。
 廃墟というくらいなのだから当然だろうが、嘗て荘厳華麗だったろうエントランスホールは朽ち果て、所々が割れた窓ガラスからは昼であるにも関わらず陽も差さない。幽霊屋敷と呼ばれるだけはある。
 おまけに、床を歩けば紅いカーペットに積もった埃が一々舞い上がり、ただでさえ悪い視界を余計鈍らせた。
 ただ現状でわかるのは、生活感の痕跡すら見当たらないということだけだ。幾ら廃墟とは言っても、ここに出入りしている人間が居れば、玄関口に埃が溜まる筈がない。
 こうなれば、問題の魂を抜き取るという少女が人間かどうかも疑わしいものだ。
「チッ、明かりでも持って来りゃ良かったか」
 わざわざ明るい内に来たと言うのに、これでは探索もろくに進まないのではないか。
 青年が嘆息しかけた時だった。
 突如、空気を燃やす勢いでボォッ、と炎の燃える音がした。背後を振り向けば、扉の両脇の燭台に、前触れもなく火が灯されている。
 そこから順当に壁を走る公言は、溶けかけの蝋を燃焼しながら空間の隅々までを照らし出した。
「歓迎されてる、ってことか」
 どういった原理で次々と明かりが灯っているのかはわからないが、陰も形も存在すらも掴めないこの邸の主は、リルドを追い返す気はないらしい。
「……寧ろ、次の標的かもな」
 まるで煽られているようだと感じながらも、彼は挑むように天井を見上げる。
「面白いじゃねぇか。後悔しても知らないぜ?」
 青年以外の誰も存在しない空間で、彼は一人そう問いかけると、笑みすらこぼさず邸の奥へと消えていった。

◇ 2 ◇
 コツリと壁を叩いては、二、三度床を爪先で蹴る。
 この邸へ入ってから、幾度その動作を繰り返しただろうか。リルドは部屋の隅から隅まで同じような動作を繰り返して部屋を出た。
 魂を抜かれ、今もこの廃墟に囚われて居ると言われる人間達。彼らを見付け、最終的にその要因となった邸の主へ然るべき処罰を科してほしいというのが、今回黒山羊亭に届けられた依頼内容だ。依頼を請け負ったリルドは単身邸にやってきたわけだが、探索を始めて早二時間、特に有益な情報も依頼者達も、何一つ見つけ出せてはいない。
 等間隔に据え付けられた扉を開けて、青年はまた新しい部屋へと入った。今までの部屋同様埃が被り、天井からは蜘蛛の巣が垂れ下がっている。
 一階は応接間や調理場など、こまごまとした部屋が多いらしく、内装に一貫性がなかった。
 今度の部屋はどうやらリネン室のようで、台や隅に置かれた籠の中にはボロボロにすれて汚れた布が放られている。恐らく選択したそれらをしまっていたのであろう戸棚はすべてが開け放たれ、中身はどれも空っぽだった。盗人でも忍び込んだのだろう。
 布を退かして、他の部屋同様室内を調べていると、構造上入り口からは死角になるような位置に、扉ほどもある大きな鏡を見付けた。
 ご丁寧に、鏡だけ置いて行くとは。一銭の得にもならないほど、粗末な品には見えないのだが。
 興味を惹かれたリルドが試しに外そうとしてみれば、壁に埋め込まれているのかびくともしなかった。ひんやりと冷気を伝える鏡面に触れてから、彼はふとあることに気付いた。
「いや……盗まなかったんじゃねぇな。持って行けなかった、か?」
 鏡越しに空気の流動を感じた気がして、青年は軽く鏡を叩いてみる。案の定、鏡は鈍くも空洞の木箱を叩いたような音を立てた。
 続いて鏡の端の方を押してみた所、それは錆び付いた悲鳴を上げながら半分ほど回転する。
 回転扉の向こうにぽっかりと口を開けるのは、明かりも点らぬ石壁の隠し通路だった。こういった邸には大抵地下室だの抜け穴だのが存在するものだが、この邸も例に漏れず、リルドの予感は的中した。
 青年はリネン室の壁にかけられたランプを手にすると、果ての見えない廊を進んだ。
 一際冷たい空気が肌を刺すのは、暗く石に囲まれた空間であるが故か。それとも――。
「幽霊屋敷、ねぇ」
 リルドはここに来る前に聞いた話を思い出す。町民達の間では、ここは幽霊が住む邸だともっぱらの噂だ。この外観と内装をもってして、その噂を真っ向から否定するつもりはないが、幽霊などという不確かな要素を全面肯定するわけでもない。
 何よりそこに首を突っ込む場合に限り、曖昧な情報を信じることはそのまま危険に繋がることが多い。
 リルドはすぐに思考を振り払って道を急いだ。
 出口――いや、この場合は次の部屋への入り口と言った方が妥当だろうか。それは程なく姿を現した。
 入り口と同じように、ぽっかりと空く石室の口。躊躇いなく中を覗いたリルドは、すぐに眉をひそめた。
 これが一介の人間ならば、悲鳴を上げて卒倒していたに違いない。
「悪趣味な」
 代わりにポツリと吐き捨てた言葉は、室内の異様な光景にそれきり閉口した。
 彼が目の当たりにしたのは、倉庫のような部屋に鎮座する骸、骸、骸の山だった。
 壁を覆うようにびっちりと並べられている白骨は、それとは対照的な真新しい服に包まれ、床から壁にかけて幾つも設置された台座に座らされている。
 まるで店の陳列台に飾られた、食品や日用品のようだ。
 一種独特の光景は、まるでそれが何でもないことのようにそこにある。背筋を悪寒が通り抜け、口の中には苦いものが広がった。
 それでも何らかの手がかりはないかと骸の間を掻き分けた時、不意に白骨の間から小さな光が飛び出した。
「何だ!?」
『ニン……ゲン…? 違ウ、混ザ……リモノ、カ』
 思わず後ずさり、咄嗟に腰に差した短刀を抜く。殆ど条件反射のようなものだったが、光はそのままリルドへぶつかることもなく、彼の目の前でピタリと止まるった。危害を加えるつもりはないらしい。
 形も不安定に揺らめく光は、声ではなく、脳に語り掛けるような音でそう呟いた。
 今にも消え失せそうなか細い音は、けれどそれでもしっかりと聞こえる。
「混ざり物で悪いか。そういうアンタは何なんだ? 精霊でも、霊でもねぇな」
『俺、ハ……タマシイ』
「魂、だと?」
『ウツワ、取ラレ、タ……タマ、シイ、箱ニ…入レ、ラレ……』
「あァ? 箱って何だ?」
『箱……ハコ…筺、はこ……アァ…見ツカラナイ』
 片言の言葉は、まるで壊れた音声再生機のようにうわごとを繰り返す。そのどれもが青年には理解不能なものだったが、彼の問いに明確に答える声が聞こえた。
「箱は箱。魂を閉じこめておくのさ」
 唐突に、幼い少年ほどの声が聞こえてリルドは振り返る。そこには、入り口に手を当てながら真っ直ぐにリルドを見つめる少年の姿があった。いつの間にそこに立っていたのか、気配も足音すらもなく、どうやってそこへ現れたのか。
 まるで降って湧いたような少年を、青年は猜疑の眼差しでまじまじと眺める。
 真っ白な髪に、真っ白な肌。極めて白に近い、灰色の目。色素という色素の見当たらない十歳ほどの少年は、一目見ても明らかに人間ではあり得ない。全体的に仄かな光を発している少年は、すっと上げた指でたった一つ繋がる通路を示した。
「魂は、長い時間を器から離れれば、やがて消滅するしかなくなるんだよ。その魂は運良く逃げ出せたんだろうけど、別の箱の中に入ってしまったんだね。もうじき消えそう。彼女が必要なのは、器なんだ。魂はやがて彼女と同じ箱に入れられて、行き場を失った魂は、苦しみの中で彼女と一つになる」
「次から次へと、妙なモンが出てくるな」
 案外、幽霊屋敷というのは的を射た噂かもしれない。
「彼女ってのは何だ? この騒ぎの元凶か」
 訝りの眼で突然の闖入者を睨み付けたリルドは、けれど探るように尋ねた。
 この邸を見た時と同じだ。少年を見れば見るほど、危うい砂上に建つ塔のように朧気な印象を抱いてしまう。
 けれど少年は彼が感じたよりも余程しっかりとした声で、こくりと頷いた。
「彼女を、彼らを――僕を、解放して」

◇ 3 ◇
「彼女は、邸の奥の奥に居るよ。多分、一番奥」
 邸の廊下を歩きながら、少年は後ろからついてくるリルドにそう語り掛けた。
 前を行く少年は足音一つ響かせず、慣れた様子で廊下を折れ曲がっては幾つもある扉の中から目的地への通路を選んでいく。
 彼女を、彼らを、僕を解放して。そう言った少年に、リルドが返したのは否の言葉だった。

『俺は騒動を起こしてる奴への処罰を依頼されてここまで来たんだ。説得の余地がねぇなら、切り捨ててでも依頼を片付ける』
 情けをかけるなどという考えは、はなから頭にはない。だが、青年の言葉に少年の出した結論は意外な答えだった。
『それでいいよ。それしか、方法はないだろうから』

 少年の声音は驚くほどに冷静で、その様子からは、彼が何を考えているのか想像すらできなかった。
 けれど、彼はこの迷宮に似た邸内を、迷いもせずに進んでいく。それも複数あるらしい隠し部屋や階段を抜けて、屍の積まれた部屋を幾つも通り過ぎながら。
 奥へ進む度に、段々重く暗い気配が濃くなっていくのを感じる。
 異様な気配が増していく都度、リルドは目の前の少年を何度疑ったか知れない。手を貸すふりをして陥れようとしているわけではない、などと、誰が証明できるだろう。
 何せ邸に入ってこの方、彼以外でまともに喋ることのできる者に会ってはいないのだから。
「本当にこの先に居るんだろうな?」
「居るよ。こんな不穏な場所だもの。懐疑的になるのは仕方ないけど、こればかりは信じてもらうしかないから」
 肩を竦める少年が、そう言いながらも扉を開いていく。まったくもって、少年の反応はとても見た目通りの年齢のものには見えなかった。
 最初はリネン室と同じ鏡の回転扉。次は脇にあった花瓶をずらすと開く仕組みで、更に奥には本棚で隠された入り口があった。そしてたった今少年が首の向きを変えた胸像は、四つ目の扉の鍵だったようだ。
 まるで何年も開かれることのなかった扉が軋むように、低い位置で取り付けられた巨大な絵画が額縁ごと横へスライドした。
 軽い身のこなしで奥から現れた入り口へと入って行った少年に、リルドは続いてその奥へ飛び込む。だが床へと着地した青年は、感じた違和感に息を詰まらせた。
「……胸クソ悪ぃくらい、変なモンが溜まってるな」
「あぁ、わかる? お兄さんは、普通の人間じゃないからかな」
「――テメェ……何モンだ」
 涼しい顔でリルドを見上げながら、少年は進めていた足をピタと止めた。
 どうしようもない不快感がせり上がってきて、青年は自然、剣の柄を握る手に力を込める。剣を抜くが早いか、ほぼ同時に背後の絵画が元の位置へと戻る音が聞こえた。
「!? 畜生、やっぱりハメやがったな」
「人聞きが悪いなぁ……。言ったでしょう。彼女を助けて、って」
 リルドは剣を構えると、閉じた壁を背に仄白く発光する少年を睨め付けた。それが合図かのように、真っ暗だった辺りに突如炎の灯りが次々と点される。当然だが、少年がランプへ火を入れて回っているわけではない。文字通り、何もない筈の場所から火が点ったのだ。
 何かの能力だろうか。赤々と輝く炎から少年へ視線を戻そうとして、青年は剣呑な様子で目を眇めた。少年の肩に、置かれた手が一つ。それから少年の腹に這う腕が一本。
 暗闇から生まれ出でたかのように、手の置かれている肩の反対側から、少年に瓜二つの幼い少女の顔が覗いていた。
 艶やかな黒髪に、強烈な印象を残す赤い瞳。まるで古めかしいドレス姿の人形のような少女が、少年を背後から絡め取るように抱擁している。色素的な違いはあれど、顔のパーツの並び方から背丈、体型までまるでそっくりだった。少年の方は表情をなくし、少女の方はそれはもうご機嫌な様子で微笑んでいる。
「また、お客さまを案内してくれたの?」
 少女が薄い笑みを浮かべて、クスクスと笑った。上品に笑っている筈なのに、その光景はどこか薄ら寒い。
「違うよ、ミリー。僕はもう、終わらせたいんだ」
「あら、ミリーじゃないわ。半身、でしょう? あなたはわたし、わたしはあなた」
 会話の内容は、事情を知らないリルドにはおよそ理解不能なものだった。だが、箍が外れたように小さく笑い続ける少女が異常だと言うことは傍目にもわかる。
「ゴチャゴチャうるせぇ。アンタがこの騒ぎの火種か。人間達の魂を抜いてるってのは、どうやら冗談じゃねぇようだな」
「魂? ほしいの? いいわよ、あげる。だってみんな、これがあるとわたしの元から離れていっちゃうんだもの」
「……何だと?」
「うふふ。魂がなければ、みんなわたしから離れていかないの。ずっとここにいてくれる。たとえ意識が消えても、思念だけが残っても」
 するりと少年から手を離した少女が、ドレスの裾を翻しながら踵を返す。
 片方の視線だけがリルドへ向いたまま、伏し目がちにその少女は笑った。朧気に浮かぶ部屋の全景を目にした瞬間、リルドは息を呑んだ。
 それはまさに、この世のものとは思えない光景だった。
 仄暗い室内に沈む背景。少女が静かに歩いていく先にあるのは、等身大の人形か。それが一つ二つと飾られているだけだったならば、まだ驚くこともないだろう。
 けれど彼が見たそれは、一つや二つなどではなくて。
「アンタの趣味も大概だな。反吐が出る」
 広いホールの壁を埋めるかのように、何百もの人形が揃えられていた。いずれもが美しい服を着て、様々な髪型のまま座っている。何も言わず、瞬き一つせず、それでいて無機質な眼差しが見下ろすのは、少女か少年か、それとも青年か。
 不自然なほどの整然さ。そう形容するに相応しい光景だった。
「ほら、このこも、そのこも。あのこも。みぃんなわたしを見てくれるのよ。わたしを一人にはしないの」
 ぞくりと脳髄まで到達するほどの寒気が身体を走る。少女が人形の一体に手を触れて、初めて気付いた。
 抱き上げられた人形は、だらりと力なく腕を下げ、まるで少女は重そうに人形の身体を椅子から引き摺り落とす。その指の食い込む肩が、遠目でもわかるほどに青白くて――。
 それが人形ではなく生身の人間なのだと、否応なしに理解させられた。

◇ 4 ◇
「魂を抜いて、身体だけ集めてるってか? 正気の沙汰じゃねぇな。まるで蒐集品じゃねぇか」
「蒐集品じゃないわ。お友達よ。行き場を失った魂は、身体を求めてわたしの中に逃げ込むの。そこでわたしの魂と、一つになる」
 虚ろに翳った瞳で、少女がおかしそうに笑った。何が楽しいのだろうと考えてみても、彼女の思考とリルドのそれではきっと相容れないだろう。
 青年は余計な思考を振り払い、依頼を遂行する為に切っ先を少女へと向けた。
「行方不明者を救出し、幽霊屋敷の主にこの所行をやめさせる。それが俺の請け負った依頼だ。アンタが抜いた魂全部を身体に戻して、今後一切こんなことをしねぇってなら、わざわざ処罰の必要もねぇんだろうが……言って聞くようなタマじゃねぇな」
 そもそも、聞かされた行方不明者の人数はいいとこ四、五人だ。けれどこのおびただしい数の人間の身体は、どうも方々から集めたのではないかというくらいだった。
 もしかすると、森で迷った旅人などの数も、多分に含まれているのかもしれない。
「あら、だって魂を戻したら、みんないなくなっちゃうわ。お友達をつくるのは、いけないことなの?」
「場合と手段に寄るだろうが。テメェのそれは誘拐、拉致、監禁に殺人っつー立派な犯罪だ!」
 きょとんといった表情で、少女は小首を傾げて見せた。それに返答するリルドの声は投げやりだが、時を同じくして駆け出す彼の手には抜き身の剣が一振り。
 気を抜けば、こちらの命も危うい状況だ。気を失わせて警察に突き出すなどという甘い考え方には、到底至れなかった。
 握った剣の刃が、炎の灯りに煌めいて宙を一閃する。空を切り裂く剣が、少女の身体を捕らえたかと思われたが、彼女は涼しい顔でまったく別の場所に立っていた。
「な……っ!?」
「お兄さん、乱暴ね。そんなお友達も、ほしいなって思ってたの。だって、みんなだんまりなんだもの」
 何でもないという風に呟く少女の代わり、彼の剣によって真っ二つになったものが霧散する。
 刃へと反射しながら散った光の粒子は、あのリネン室の隠し部屋で見たものにそっくりだった。
「まさか――」
「そのまさかだよ、お兄さん」
 この部屋に来て以来口数も少なかった少年が、この時になって漸くリルドへ頷き返す。
「この部屋には、沢山の魂が漂ってる。ここにある魂は、ミリーの意のままに動くんだ」
「チッ」
 一つ舌打ちをこぼした青年は、剣が駄目ならばと掌にありったけの精神力を集中させた。それを対象である少女へ向けて、力のままに投げつける。
 彼女を凍らせることができれば、足止めが出来るだろうと思ったのだが……。
「なぁに? これ。わたしの邪魔、しないで?」
 やはり何とはなしに呟いて、少女はその掌から火炎を放った。火の玉、などと可愛らしいものではない。 真っ赤な熱気は、そのホールに飾り立てられた人間の身体を二、三巻き込みながら煌々とリルドの氷塊を呑み込んだ。
 少女が火の能力を使うと見るや、彼は間髪入れずに水弾を打ち出した。しかしそれすらも、高温の炎の前には一瞬で蒸発してしまう。
「あら、お友達が燃えてしまったじゃないの」
 いかにも青年のせいだと言いたげな様子で、少女は焦げて縮れ切れ切れになった誰かの髪へ視線を落とした。床に倒れて押し付けられた人間の顔は――きっと見られたものではないだろう。
 そんな誰かの身体でさえも、少女は気にすることなく抱き上げて空いている椅子へ座らせた。
 先程から感じる薄ら寒さは、きっと少女のこういう反応が原因なのかもしれない。
 まるで人間の身体を物のように扱い、魂が幾つ消えようが頓着もしない。
 精々道に落ちていた石に躓いた程度の反応しか示さない少女は、最早人間という軌道から逸脱した存在だった。
 生死観念に特別な感慨を持っているわけでもないリルドだったが、彼女のそれは、もっと感覚が麻痺したもののように思う。おまけに下手に攻撃を仕掛けた所で、抜き取られた魂や空っぽになった身体を巻き込んでしまうのでは、足を止める術がない。
 何とか隙を突けないかと、剣を構えたままに少女を見据えた時だった。
「もう、いいんだよ。ミリー」
 少年が呟いて、空っぽの人間を愛でていた少女へ歩み寄る。
 少女は不思議そうな表情を隠そうともせずに、小首を傾げて少年へ振り返った。
「半身?」
「そんなものになってまで、生きる意味はないんだよ、ミリー」
 そう告げた少年が、歩み寄った少女をきつく抱きしめた。
 包み込むと言うよりも、まるで拘束するかのような抱擁をしながら、彼はその瞬間、力の限りに叫んだ。
「お兄さん! 僕ごと彼女を……」
 言うが早いか、リルドは柄を握り直し、強く床のタイルを蹴った。駆け出すリルドの動きなど、少年の胸に視界を遮られた少女にはわからない。
 ただ、空気だけが伝わって――。
 鈍く何かが裂ける音が、三者の耳をつんざいた。
 それほど大きな音ではない。寧ろ小さいとさえ思える音だったにも関わらず鮮明に聞こえたのは、直接身体を伝って響いてきた音だからかもしれない。
「ぁ…、……はん、しん……?」
 少女はか細い声でそう呟くと、少年の身体ごとどさりとその場所に倒れ込んだ。
 溢れる赤。鉄錆の匂いが充満するが、少年はこれ以上にない笑顔で少女の身体を包んでいた。
「これで、すべて。……終わっ……」
 何があったのかすら理解していない様子の少女の瞼を下ろしながら、少年もまた目を閉じる。
 何の感慨もなくその様子を見つめていたリルドは、ゆうるりと瞼を閉じて立ち尽くす場所にくずおれた。

◇ Outro ◇
 初めは、二つ生まれた命だった。
 性は違えど同時に産み落とされた命は、いつも同じ時を過ごしていた。
 同じものを好きになり、同じものを拒絶して。
 けれど考え方に食い違いが出始めるのは、そう遠い未来のことではなかった。
 遠くへ行くことになった双子の弟へ、縋ったのは双子の姉だった。
 離れたくはないと。離れてはいけないのだと。
 いつも一緒に居た二人だからこそ、姉はそう泣いて小さな身体に縋ったのだ。
 しかし弟は、彼女と違うものを見ていた。
 きっといつかは、離れなければならない時がくる。
 それが遅かれ早かれ、双子として生まれた彼らの宿命だったのだ。
 だからその腕をふりほどいた弟は、姉の前を去ろうとした。
 けれど姉は、それを良しとしなかった。
 彼の心臓を一突きに、弟の息の根を止めた少女は、たった一つ残った弟の思念に縋り、尚も「行かないで」と言った。
 肉体を失った少年の思念は、とうとう邸を離れることができなくなった。
 それは終わりだったのか、それとも始まりだったのか。
 寂しがり屋の小さな少女は、初めは肉体を壊すことで、後に魂だけを抜き取る術を身に付けて、《お友達》を増やしていった。
 何人も、何人も。エスカレートしていく姉の奇行に、思念だけの残った弟は恐怖を抱いた。
 早く、早く。誰か。彼女を、僕を。この邸に招かれる者達を。
 タスケテ――。
 悲願の声はやがて風精の耳に届き、悲痛な叫びに涙した精霊は、遠くに近くに話を伝えた。
 可哀相な少女と、憐れな少年の呪いじみた楔を断ち切る者を求めて。

 ふ、と瞼を震わせた青年は、青い左目で視界に広がる空を見つめた。
 夢うつつから目覚めて、起きあがった拍子に頭痛を覚える。
「俺は……寝てたのか?」
 訝しそうに辺りを見回したリルドだったが、その見覚えのある光景に更に眉宇をひそめた。
 木々が重なり、軒のように連なる緑。鬱蒼と暗く沈んだ森の中は、彼がここへ訪れた際に見た光景そのままだ。
 けれど、おかしい。ある筈のないものが、忽然と姿を消している。
 蔦が這い、施錠の目的を放棄した鎖が、適当にかけられたあの門も、ひび割れた外壁の元は白かっただろう邸も、今はどこにも見当たらない。
「幻か……いや」
 そう思いかけたリルドは、しかし遠くの木陰に何人もの人々が地に伏し倒れている様子を目の当たりにした。その内の数人が身を起こしているところからして、彼らは生きているようだった。あの邸に捕らえられていた人間達ならば、少なくとも、すべての者の命が失われたわけではないのだろう。
 どれほど眠っていたのかは定かではないが、青年はふと、夢に見た光景を思い出しながら立ち上がる。
 朧気に覚えている内容は、もしかするとあの少年の記憶だったのか。
「どっちにしろ、俺の知ったことじゃねぇな」
 手にした剣を鞘に収めながら、差し込む微かな陽光へ目を細める。
 少しだけ苦いものを残して、それでも完了した依頼の報告を携え、リルドは己が帰るべき場所へと進路を取った。

◇ Fine ◇
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3544 / リルド・ラーケン / 男性 / 19歳 / 冒険者】

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■         ライター通信          ■
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 リルド・ラーケン様。
 初めまして、こんにちは。
 この度は、「空虚な廃墟で視る夢は」への参加依頼ありがとうございます。
 ご依頼からお届けまで、大分お待たせしてしまいすみません。
 お……おまけにお話の路線がひたすらダークな方へ……;
 やたらとお礼やら謝罪やらを重ねたい作品になってしまいました……が……悔いはないです。
 当初このオープニングを作成した際、友情フラグか切り捨てフラグのどちらかにする予定でした。
 結構皆様お優しいPC様が多くて、やっぱりこれも友情フラグになってしまうのかと思っていた矢先、リルド様からの受注を頂きまして「これは切り捨てフラグに行くしかない!」とこういう形になりました。
 仄暗い邸でのエピソード、如何でしたでしょうか?
「やけに噂は忠実なものだったな」とか、「少年と少女に一体何があったの」とか、他人の事情に首を突っ込むタイプのPC様ではないようでしたので、今回は終章で少年の残留思念が視せた夢、という形で補足しました。
 リルド様のお気に召す作品になっていれば幸いです。