<東京怪談ノベル(シングル)>
〜歓楽街の猟犬〜
ライター:メビオス零
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陽の落ちた暗い街。夜へと移り変わった街並みの明かりは落とされ、住人達は暖かなベッドの中へと入り込み、静かな眠りに就いている。
しかし、それはあくまで表側の世界の話。
まるで街を覆い隠そうとする暗闇に抗うようにして、歓楽街は店舗の明かりに住人や客達の喧噪に包まれ、賑やかさを増していく。
歓楽街の明かりが落とされるのは、陽が昇り表側の住人達が動き出した頃だ。昼日中の憂さ晴らしにと酒を飲む者、法を犯して表に顔を出せない者、非合法な博打に破滅する者、得体の知れない勧誘をしている金貸し等々、ここには出来ればお近づきにはなりたくないような者達が一斉に集まり、陽が昇るまでの時間を騒々しく過ごしている。
「本当に‥‥‥‥賑やかなこと」
そんな街を羨ましそうに酒場の屋根から見下ろしながら、白神 空は小さな溜息と共に、冷たい寒風に吹かれて感覚を無くしつつある両手を擦り合わせて温めにかかった。
「うぅ‥‥寒い。おばさんも、上着ぐらいは返してくれればいいのに‥‥‥‥」
空は、数時間前に自慢のコートを剥ぎ取った酒場の店主の顔を思い浮かべ、盛大な溜息を吐いた。
‥‥‥‥基本的に、空は日々を過ごす資金をその日その日で稼ぎ、大半を酒代と少女達に変えている。裏社会に顔の利く空に荒事を頼みたいという輩は多く、仕事の内容次第ではあるものの、半日で何十万という報酬を得ることも珍しくない。当然のように懐は潤って‥‥‥‥いる筈なのだが、大抵は稼いだ日銭を惜しみなく使ってしまうため、懐具合は体に吹き付けてくる真冬の寒風のように寒々としている。
その為、うっかり使いすぎて酒代が足りなくなることもしばしばある。そうなった場合は、その日のうちに仕事を引き受けてツケを払う事にしてはいるものの、何年も通っているような行き付けの店では、ついつい何ヶ月もツケを放っておいてしまうことが時折あった。
‥‥しかし、それは大変に危険なことである。
歓楽街は裏社会の息が掛かっている店がほとんどであり、非合法の商売をしている者のみならず、ただの酒場であっても何らかの組織の傘下に入っているのが常識である。組織は傘下に入った店舗から上納金を受け取り、見返りとして店舗に来た客の騒動や、ツケを滞納して逃げようとする者、強請りたかりの輩を追い返す役目を果たしてくれる。
空にはツケを踏み倒すようなつもりはないが、しかしツケがあることを忘れていては支払いなどするはずもない。
数週間ぶりにその店を訪れた空を待っていたのは、過酷な強制労働の時間だった。
‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥
‥‥
〜数時間前〜
〜とある酒場の厨房にて〜
「ほら、次はこれね!」
「はぁい!!」
ガチャガチャと盛大な音を立てて運ばれてくる食器の数々を、空は冷たい水の中に叩き込んで洗っていく。洗剤の染みこんだスポンジで皿を拭い、クルクルと回して汚れを拭き取り水で洗い流す。
残念ながら、この厨房の水道には水を温水に換えるような機能はついておらず、泡を水で流すたびに空の手がズキズキと痛んでいく。怪人としての回復能力の御陰で手が傷を負うようなことはなかったが、冷水の冷たさで手がかじかみ、痛みに眉を顰めている。
そんな思いをしてまで、何故、空が酒場の厨房で皿洗いなどをしているのかというと‥‥‥‥
「べ、別におばちゃんが恐いわけじゃないわよ!!」
「なんだってぇ!? ちゃんと洗ってるのかい?!」
「ひっ! 洗ってます!!」
「溜め込んでるツケ分、しっかり働いて貰うよ!!」
いつの間にか背後で仁王立ちをしていた酒場の店主の言葉に、空は皿を洗う手を加速させる。これまで数々の戦場を駆け抜け、危険な建物に侵入し、マフィアの弾雨を潜り抜けてきた空でもここまで本気になったことはそうはないだろう。
だって恐い。
これまで溜めに溜めたツケがついに七桁後半にまで達してキレた酒場の店主は恐い。
(まぁ、扱き使われてるのも、まだマシな方よね)
どれだけ酷い扱いを受けようと、背後に控えている恐いお兄さん達を呼ばれなかっただけマシである。傘下に入っている店のツケを踏み倒すと言うことは、組織への上納金を踏み倒すのと同意としてみられかねない。組織の方も、本気で狩りに来るだろう。
いくら空が手練れだとしても、街に根を張る裏社会の人間達を敵に回して無事でいられる保証はない。この街から出れば望みもあるが、空の怪人ぶりを見て見ぬ振りしてくれている知人は貴重な存在だ。出来れば手放したくはない。
‥‥‥‥というわけで、空は店主に言われるがまま、全力で雑用をこなしていた。
「ふぅ‥‥洗い物三百七十二枚‥‥‥任務、完了‥‥」
かじかみ感覚をなくした手を擦り、凝り固まった肩を解しに掛かる。
街の中でも特に大きな面構えをしているこの店の来客数は半端ではなく、空の超人的な体力でも追いつかない。数時間の労働の末ようやく獲得した休憩時間を、空は忙しなく走り回り客の要求に応えていく同僚を眺めて過ごしていた。
‥‥しかし、そんな僅かな休憩時間ですら、店主の気紛れにより一瞬で崩壊する。
「ちょっとあんた、外に出てきなさい」
「‥‥‥‥へ?」
休憩に入って数分後‥‥‥‥お客と雑談をしていた店主が、空の方へとやって来た。
「あんたに、お客さんから依頼だよ。あんたのツケを、少しだけ肩代わりしてくれるってさ。ここはいいから、行っといで」
クイクイと店の中を指差し、バーカウンターに座っている客の方を視線で示す。そこでは、上等なスーツに身を包み、サングラスに厳つい面構えといういかにも悪役やってますという風体の男が静かに飲んでいた。
その男の放つ雰囲気は、どう見ても堅気ではない。周りもそれを敏感に察しているのか、お祭りのように騒ぎ立てている酒場の中で、その男の周囲だけは冷水を掛けられたかのように静まりかえっていた。
「‥‥‥‥もしかして、かなり危ない人?」
「滅多なことを言うんじゃないよ。殺されたって知らないからね」
店主はそう言うと、「ふん、まぁ気を付けるんだね」とだけ忠告し、店の仕事へと戻っていった。
「逃げるわけには‥‥いかないわよね」
その背中を見送りながら、空はカウンターで飲んでいる男を盗み見て溜息を吐いた。
この店で働いている空に仕事が来たと言うことは、この店の客であることにも変わりはない。店側が、客からの注文を無下に断るわけにも行かないだろう。下手をしたら店主にまで迷惑が掛かる可能性がある。
それに、あの手の相手からの報酬というのは、一殺何十万、何百万という金額だ。もしかしたら、ツケの一部ではなく全額支払ってくれるかも知れない。
空としては渡りに船だ。慣れない皿洗いよりも、慣れた荒事の方がありがたい。
そうして、空はその男からの依頼を受けることになったのだ。
‥‥‥‥‥‥なったのだが‥‥‥‥‥
逃げた時の保険として、自慢の高級コートを剥ぎ取られたままで冬の深夜、寒空の中に放り出されたのでは堪らないのであった。
「サッサと仕事を済ませて、ぬくぬくしましょ‥‥」
空は呟き、酒場の屋根から跳躍する。組織から渡された情報と情報屋からの情報を照らし合わせ、標的の居場所を推測し、追い詰めに掛かる。
今回、空に与えられた仕事は非合法な金貸し集団を捕らえ、組織へと引き渡すことだった。
聖都にて非常識な金利で金を貸し、それを強引な方法で取り立てるというシンプルな犯罪者達である。この“強引な方法”とは、単純に暴力で訴え、土地を巻き上げ、体を売らせ、それでも足りなければ切り刻む‥‥‥‥というとんでもないものである。
その果てに借りた相手が死亡したとしても、それはそれで次の獲物への脅迫手段へと使えるのだ。借りた後で噂を聞いた者達は、死に物狂いで金を返しに来るだろう。
非常に厄介な手合いではあるが、この手の輩はどこにでも居る。本来なら、空も「そんな所で借りる奴が悪い」と無視する所だが、今回の相手は非合法中の非合法‥‥つまり、組織の傘下に入らず、誰にも上納金を納めていない輩達だった。
たとえ裏社会のことを知らないものでも、聞けば大体の想像はするだろう。こういった裏の組織には、縄張りを明確に決め手の取り決めがある。息の掛かっていない地域など存在せず、どの場所で犯罪行為をするにしても、組織にばれないように細心の注意を払うか多額の上納金を納めなければ生き残るのは難しい。
‥‥今回の相手はそれを怠った。恐らく懐に舞い込む大金に目が眩み、上納金を納めることを惜しんだのだろうが、それが命を失う理由になるとは思わなかったのだろう。
だが、組織は殺す。確実に、空に「捕らえろ」と命令をしてきたものの、必ず自分達の手で殺しに掛かるだろう。
裏社会とはそういうものだ。自分達を裏切る行為を罰するために殺すのではなく、二度と組織を舐めてかかる者が出ないように、見せしめのために殺すのだ。
(‥‥‥‥私が殺ってあげた方が、本人達のためになるかもしれないわね‥‥‥‥)
見せしめのために捕まるのならば、確実に死よりも恐ろしい目に遭うだろう。それを思えば、サクッと空に仕留められた方が本人達のためにもなるだろう。
(でも、それをすると私がお仕置きされるわよね)
しかし、犯罪者のために積みを背負う程、空はお人好しではない。
やはり組織を敵に回さないためにも、そして自分のツケを少しでも減らすためにも、確実に依頼を完遂することに集中する。
「‥‥‥‥いた」
店の屋根から屋根へと跳躍し、飛び移る。滞空中に人混みを見回し、路地裏を真上から確認し、超人の目と勘を持って標的を見定める。
「ふふ‥‥困ってる困ってる♪」
空が発見した犯罪者達は、歓楽街の端の路地裏に潜んでいた。
人数は五人。うち四人が手に大きな鞄を持っている。恐らくはこの街で稼いだ金が詰まっているのだろうが、素人丸出しのそのスタイルに、空は半ば呆れながら屋根の上から観察した。
立ち振る舞いから、練度は並みの下といった所か。そもそも自分達の真上にいる空に気付いた素振りすらないなど、明らかに格下だ。
それに、手に未だ現金を持っているのも頂けない。手に現物を持っているのでは、捕まった時の言い訳が出来ない。それに、街のどこかに現物を隠し、ほとぼりが冷めてから回収に来るという手もある。まずは逃げるのが先決‥‥‥‥という状況で、未だに金を手放せないなど、空が相手にしてきた凄腕達に比べれば下の下、ただの雑兵のレベルである。
(歓楽街は、組織の人達が包囲してるから、逃げられる心配はないわね‥‥‥‥騒ぎになっても向こうで処理してくれるでしょうし)
緊張に固まっていた体を解し、空は周囲の状況を確認した。
真下には犯罪者、数十メートル程離れた場所には、組織の構成員が逃走する犯罪者を捕らえるために待ち構えている。真下の犯罪者達が、隠れているのはその為だ。
いずれは巡回にした構成員達に見つかりそうだが、それでは空が仕事を果たしたことにはならない。報酬減額の口実になるため、そうなる前に捕まえるのが一番だろう。
そう判断し、空は躊躇うことなく一歩を踏み出した。その先に足場はない。空の体は、音も立てずに路地裏へと落下を始め‥‥‥‥
落下先にいた一人の後頭部に、猛烈な肘打ちを喰らわせていた。
「ぶほっ!」
打たれた一人が倒れ込む。狙ったのは後頭部と首の付け根‥‥と言った所だ。その場所を殴られると、脳が大きく振動し、簡単に脳震盪を引き起こす。危ないので真似してはいけない。
「てめっ!」
「手加減はしてあげるから、大人しくしてなさい!!」
一人目を気絶させ、落下の衝撃を四肢で受け止めた空は、地に這うような態勢から猛烈な回し蹴りを放った。素早くナイフを向けようとした相手の手を弾き、その勢いのまま顎を蹴り上げる。更に体を反転させ、傍にいたもう一人の足を掬い取った。
「うわっ!」
足を掴まれ、ひっくり返る犯罪者。その顔面、鼻の真下(急所です。狙ってはいけません)を踏みつけて悶絶させると、素早く立ち上がり空に向けて銃を抜き放つ相手の手を掴み、捻り上げた。
「いてててててて!!!」
「最後の一人なら、これで済ませてあげるんだけど‥‥!!」
ボキッ! と鈍い音が鳴り響き、手を捻られていた犯罪者が叫びをあげる。手首を荒っぽく折られ、痛みに倒れ込み痙攣する。
これで戦闘不能に陥った者は三人。顎を蹴り上げた者はすぐに復活してくるだろうが、昏倒させられた者と急所を踏みつけられた者、手首を折られた者の戦闘復帰は無理だろう。
空と対峙した最後の一人は、空に銃を向けながらジリジリと後退した。
「な、なんだよお前は‥‥!」
「組織に雇われてね‥‥まぁ、臨時の猟犬かしら。追い掛けてって、噛み付くのがお仕事よ」
空は突き付けられている銃を恐れず、無造作に手を動かした。
突き付けられている銃を握り、そしてあっさりと奪い取る。空の所作は、男には何も見えなかっただろう。別段空が素早く動いたわけではないが、仲間を目の前で一掃されて恐慌状態に陥った相手の虚を衝くなど、空にとっては容易いことだった。
「怖がるのはまだ先よ。次に起きたら、精々命乞いをする事ね」
空は無慈悲に、犯罪者の腹部に強烈なボディ・ブローを叩き込む。
怪人として、強化に強化を施された空の一撃は強烈だ。細身の体からは想像も付かないような威力に、犯罪者は呆気なく昏倒し、倒れ込んで動かなくなった。
「‥‥‥‥嘘だろ‥‥」
顎を蹴り上げられ、壁にまで叩きつけられた犯罪者は、あっと言う間に倒されてしまった仲間を見下ろしながら、逃げることも出来ずに震えていた。手にした鞄も、武器も取り落とし、ただガクガクと震えて空を見つめている。
空はそんな犯罪者を見返し、歩み寄ってその方を優しく叩いた。
「あなたにだけは聞いておいてあげるわ。私に殺されたい? それとも、見逃して欲しい?」
そんな問いかけ‥‥‥‥その犯罪者は迷わなかった。
「そう‥‥‥‥後悔するわよ」
それが、その犯罪者が聞いた、最後の慈悲の言葉‥‥‥‥‥‥
次の瞬間に叩き込まれたハイキックにより、男の意識はいとも簡単に刈り取られた‥‥‥‥
それから数十分後、空は最初に働いていた酒場のカウンターで、店主と並んで静かに飲んでいた。
「ったく、ようやくツケが無くなったと思ったら、早速ツケで飲むのかい。懲りないねぇ」
「今日は、飲まなきゃやってられないのよ。後味が悪いったらありゃしない‥‥‥‥」
店主に愚痴りながら、空は注がれた酒を一気に飲み干し、カウンターに顔を伏せた。
あの後、犯罪者達は全員揃って組織へと連行された。一人も殺さずに捕らえたことで、空のツケは全てチャラになった。犯罪者達の荒稼ぎした金銭を全て押収した組織にしてみれば、空の報酬などはした金だろう。実に気前の良い支払いだ。
‥‥‥‥が、空の胸中は、決して心地の良いものではなかった。
犯罪者には変わりはない。同情もしない。しかし、自分の手で人を地獄に落としたのだ。同情はしないし自業自得だと分かってはいるが、気持ちは良くない。
「ま、飲んで忘れるわよ。明日には仕事をして払うから、今日は飲み放題コースでお願い」
「絶対後悔するよ、あんた」
店主と並び、空は注がれたお酒を一気に飲み干し、そしてカウンターに倒れ込む。
なかなか酔いの回らない体を呪いながら、空は、静かにお酒を飲み続けた‥‥‥‥
☆☆参加PC☆☆
3708 白神 空
☆☆あとがき☆☆
毎度ありがとう御座います。メビオス零です。
もうそろそろ年末‥‥‥‥もう一年経っちゃった。月日の経つの早いことです。次は‥‥お正月ネタですね。私のお正月は‥‥‥‥考えたくもない。たぶん仕事仕事。あのころに戻りたい‥‥
と言いながらも、仕事は欲しい私でした。なので、今回も頑張って書いてみたのですが‥‥どうでしょうか? 今回は新・白神 空さんの初戦闘です。最後は飲んだくれてますが‥‥どうでしょうか? ソーンは資料が少なくて自信がいまいち持てなかったりします。
裏社会の人達は怖いですよね。リアルでは関わり合いにならないようにしましょう。危ないですから。ホントに。なんでこんな人達まで幻想入りしてるんだか‥‥
では、作品のご指摘、ご感想などが御座いましたら、また送って下さいませ。この前のファンレターもありがとう御座います。本当にありがとう御座います。
既に次のご依頼も頂けているようなので、早々に取りかからせて頂きます。出来れば新年までに‥‥出来るかな? 頑張ってみます。
それでは、改めまして‥‥
今回のご発注、誠にありがとう御座います。
またのご依頼があれば、全力で取りかからせて頂きますので、これからもよろしく御願いします(・_・)(._.)
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