<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


ベルベットクイーンへようこそ 〜Health is better than wealth.〜

 聖都エルザードのメインストリートとも言えるアルマ通りの一角に、その店はひっそりと佇んでいる。
 ベルベットクイーン──通称、“向日葵薬局”。
 曰く、風邪薬から恋の特効薬まで幅広く取り扱っていると噂の薬屋である。
 吐く息を白く染め上げる冬の風が、軒先に咲いた季節外れの向日葵の看板を撫でていく。
 ドアプレートに踊るのは、いつもと変わらない『Open』の文字だ。
 けれども、千獣がそれを目にしたのは今日が初めてだったから、いつもと同じかどうかまでは彼女にはわからなかった。
 だが、自分自身の調子が今日はいつもと違うということは、何となくではあるが彼女にもわかる。
 頭がぼうっとしていて、身体がまるで芯から熱いような、そんな気がする。
 こんな時、彼女は決まって、ひたすらじっとして眠ることでやり過ごしてきた。
 しかし、人間の中に紛れて暮らすようになって、こういう“いつもと違う調子”のことを“病気”と言うのだと知った。
 病気になった時に、それを治してくれる“薬”というものがあるということも、そしてこのベルベットクイーンが、そういった“薬”を取り扱う場所であるということも、今の千獣は知っている。

「……ごめ……ん……くだ、さい……」
「はあい、いらっしゃいませ」
 たどたどしい声を投げかけると、すぐに返事が戻ってきた。
 読んでいたらしい本を、閉じる音。正面奥のカウンターに座る緑髪の娘が、穏やかな笑みを浮かべて千獣を見つめてくる。
「はじめまして、可愛いお嬢さん。ベルベットクイーンへようこそ。フィネよ」
 娘は立ち上がって、カウンターの裏から出てきた。千獣の前で会釈を一つ、胸に手を当て、慣れた調子で淀みなく言葉を紡ぐ。
 フィネと言うのが娘の名前であると、千獣は何となく理解した。
「……千獣……」
 そして、フィネもまた、彼女の口から紡がれたそれが彼女の名前であると、理解したようだった。
「千獣ね、オーケー。……お探しのものは何かしら?」
 眼差しに促され、千獣はゆっくりと店内に視線を巡らせる。
 目に飛び込んでくる、様々なもの──そのどれもが、初めて見るものばかりだった。
 乾いてくすんだ色をしている葉っぱの束が天井から吊るされていたり、やはり乾いた葉っぱを細かく砕いたらしいもの、何かの花びらを液体に漬け込んだらしいものが、瓶に詰められて棚に並べられたりしている。
 カウンターの手前には小さなテーブルが別に置いてあって、白いレースのクロスの上に小さなクマのぬいぐるみや焼き菓子の入った籠が置かれていた。
 ひとしきり店内を見回した後、千獣はぽつりと言った。
「くす……り……」
「うん、お薬」
 何事か考えている様子の千獣に、フィネはしっかりと頷いて、続く言葉を待つ。
「……薬、局……って、人間、が、病気に、なった、とき、とか……薬、くれる、ところ……だよね……?」
 フィネはまた、しっかりと頷いた。
「そうね、病気になった時とかに、お薬をお出しする所だわ。どこか、具合が悪いとか、何か変な感じがするとか、そういうの、ある?」
 その問いかけに、千獣もまた、小さく頷いた。
「……最近、ね……体、熱くて、すごく……だるい……これも、薬、で、治る……?」
「……大丈夫、治るわ。このところ、ずっと冷え込んでいるから……たぶん、風邪を引いてしまったのね。……ちょっといい?」
 そう言うと、フィネは片方の手を己の額に添え、もう片方の手で、そっと千獣の額に触れようとした。
 千獣は少しだけ驚いたように目を瞬かせたが、静かに目を伏せて、フィネの手が触れるに任せた。
「…………」
 包み込むように触れる、手。
 普段はあたたかいだろうそれが、今日はどこか冷たく感じられる。
 何故だろう。その答えを覚束ない思考が紡ぎ出す前に、触れていた手が離れた。
「やっぱり、ちょっと熱があるみたいね。今、お薬を用意するから、座っていて?」
 フィネはあっさりと頷いてそう告げた。彼女の視線が示す先、カウンターの手前に、小さな椅子が拵えられているのが目に入る。
 千獣は促されるままに腰を下ろし、フィネを見た。フィネはもう一度しっかりと頷いてから、棚に並ぶ小瓶をいくつか選んで手に取り、店内の一番奥にある扉の向こうに消えて行った。

「…………」
 フィネの姿が見えなくなると、店内はまるで時間が止まってしまったかのようにしんと静まり返る。
 千獣は、その静けさにつられたかのように、息を潜めてじっとしていた。

 ──静かな世界に、ひとりきり。
 決して広くはない店内とは言え、ひとりきりであることに、変わりはない。
「…………」
 ひとりでいることには、慣れていたはずだった。
 何故なら自分は、そうやって永い時を生きてきたのだから。
 けれど、今は──
「……どうして、だろう……」
 ぽつりと落とした声にも、答えは返らない。

 どうしてだろう。
 千獣は、心の中で繰り返す。

 ──どうしてだろう。

 こんなにも、ひとりでいることが寂しいと思ってしまうのは。

「お待たせ!」
 やがて、閉まった扉がまた開いて、フィネが姿を見せた。その手に持ったトレイには、湯気の立つカップが二つ載せられていて、静けさの中にふっと息を吹き込む。
「……フィネ」
 先程聞いたばかりの名を、千獣は、小さな声でなぞった。
「うん、なあに? あ、お薬、今奥で作ってるから、出来るまでちょっと待っていてね」
 フィネはくすりと笑い目を細めて、おそらくは彼女にとっての定位置なのだろう、カウンター裏の席についた。カウンターを挟んで、ちょうど千獣と向かい合わせになる。
「よかったら、これ、どうぞ。寒い時には、身体をあたためてあげるのがいちばんだから……お口に合うといいのだけど」
 目の前に差し出されたカップは、蜜色の液体で満たされていた。鼻を近づけると、やわらかくて甘い香りがする。知っている花のそれに似ているような気もしたけれど、それ以上に何か、色々なものが混ざっているような、そんな香りだった。
 千獣は手を伸ばし、そっとカップに口をつけた。鼻腔をくすぐったほのかな甘さと同じ、やわらかくて甘い味が、口の中に広がる。
「……おい……しい……」
「よかった」
 千獣の一言に、フィネは安堵の息をついた。そうして、ゆっくりと口を開く。
「……風邪を引くのもね、ある意味、大事なことではあるのよ」
 まるで御伽噺か何かを語り聞かせるような、穏やかな声音を紡いでゆく。
「だいじ……?」
 きょとんと首を傾げる千獣に、フィネはしっかりと頷いてみせる。
「そう、大事。大切なこと。身体がおやすみしたいって言ってるの。だから、ちょっと普段と違うなーって思った時は、身体を休ませてあげるのがいちばんなのよ」
「からだ、が、言う……の……?」
 千獣は黙って自分の身体を見下ろした。まるで、己が内から語りかける声を聞かんとしているかのように、そのまま動かずに呼吸だけを繰り返す。
 無論、身体のどこかで声が上がるとすれば、今は真横に引き結ばれている彼女の口に他ならないのだけれど。
 その様子にフィネは緩く目を瞬かせてから、小さく笑った。言葉を探すように視線と思考をさまよわせて、
「もちろん、こうやって私達が喋っているみたいに、休みたいんだー!って、直接言ってくるわけじゃないけれどね」
 まずそのことについて、悪戯めいた口調で簡単に触れておく。
「声に出して言えない代わりに、そうやって伝えようとするんじゃないかなって、私は思ってる。……それに、頭がくらくらしたり、ぼんやりしたり、思うように身体が動かせなかったりすると、元気が足りてないな、って、思ったりしない?」
「げんき……」
 呟いて、千獣は少し考え込む。
「……静か、なの、は……こころ、ぎゅうって、なる……思った……」
 フィネの言わんとするところとは少し違うかもしれないけれど、千獣は、浮かんだ言葉をそのまま言葉にして、小さく首を縦に振った。胸の辺りに手を添え、軽く握り締めるように動かす。
「そうね、寂しくなるのかもしれない」
「さびしい……?」
「うん、寂しい。ひとりでいるのが寂しくなるのも、誰かに側にいて欲しいって思うのも、身体の調子がよくなくて、元気が少し足りていないから。大丈夫、すぐに治るわ。あなたが元気じゃないと、元気がなくなってしまうようなひとも、いるでしょう?」
 言いながら、フィネは千獣の頭を撫でようと手を伸ばす。先程、額に触れられた時と同じで、やはり千獣は少しだけ驚いたように瞬きを繰り返したけれど、その手を拒むことはしなかった。
 流れ落ちる黒髪をやわらかく梳くように、二度、三度、最後にぽん、と、元気づけるように頭の上に手のひらを置いてから、フィネは満足そうに笑ってみせた。
「じゃあ、病気、ならない……ように、する……には、どうすれば……いい……?」
 自分が元気じゃないと、元気がなくなってしまうようなひと。
 いるだろうかとも思ったけれど、自分が思うよりひとは誰かを思ってくれているということも知っていたので、それに結論を宛がうよりも先にまず大事だと思ったことを、千獣は問いの形にする。
「そうねえ、規則正しい生活をすること? 身体を冷やさないこととか、美味しいものをたくさん食べることもそうかな。あとは……手洗いと、うがい?」
「……うがい……?」
「喉を洗うのよ。知らなかったら、やり方、教えてあげる。そろそろ出来ていると思うから、もう少しだけ待っていて」
 フィネは頷いて立ち上がると、再び奥の扉の向こうに消えていった。だが、今度は静けさが場を支配するよりも先に、閉まったばかりの扉がまた開かれる。戻ってきた彼女の手には、小さな紙袋が抱えられていた。
「お待たせしました。……ご飯を食べた後に、包みを一つずつ、その中身を水と一緒に飲んでね。って書いてある紙を、一緒にしまってはあるのだけれど。──それで、うがいだったわよね」
 こっちよ、と、フィネは先程まで彼女だけが潜っていた扉の奥へ千獣を招く。千獣は小さく頷いて、フィネと共に小さな扉の向こうへと姿を消した。
 後には、いつの間にか飲み干されて、空っぽになったカップがふたつ。

 ──それから、喉を洗う方法を聞いたりなんだりして、千獣が店を後にするのはもう少しだけ先の話になるのだけれど。
“帰り道”を辿る千獣の足取りは、“向日葵薬局”に来る時よりも心なしか軽いものだった──とか。



Fin.



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  登場人物(この物語に登場した人物の一覧)

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【整理番号 * PC名 * 性別 * 年齢 * 職業】
【3087 * 千獣(せんじゅ) * 女性 * 17歳(実年齢999歳) * 異界職】
【NPC * フィネ・ヘリアンサス * 女性 * 20歳(実年齢20歳) * 薬屋店員】

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  ライター通信

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初めまして。この度はご依頼及びご来店、まことにありがとうございました。
とても楽しく書かせて頂きました。
千獣嬢のキャラクターをちゃんと掴むことが出来たかどうか、等、諸々の不安要素は尽きませんが…!
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。

それでは、またお逢いする機会に恵まれましたら、その時はどうぞよろしくお願い致します。
2009年が、千獣さま、及び千獣PLさまにとって素敵な一年となりますよう…