<東京怪談ノベル(シングル)>


ふりかえる。このまえの。あのひとを。

 夜。
 住処にしている森の中。
 木の上の、枝の上で丸くなる。
 目を閉じる。
 眠ろうと思う。

 なのに、ふっと。
 頭に、浮かぶ。

 浮かんだら。
 気になった。

 …この前に。
 あったこと。
 …あのひとの。
 言っていたこと。



 …初めにあの集落で遇った時には、牙を剥き出した獣のようで。
 なのにこないだ聖都で遇った時には、全然そんな気配はなくて。
 色々と話を聞くことさえ、できた。
 あのひとの、その身の裡にあるもの――土の色した炎の源、獄炎の魔性のこと。

 その、魔性が荒れ狂う理由を知りたい、と言っていたっけ。
 あのひとは――龍樹は、そのために身を委ねている、と。

 身の裡のものが暴れる理由。

 …自分に置き換えて考える。
 自分の場合。
 …考えるまでもない。
 そう。
 …私たちは、簡単。
 わざわざ、委ねる必要はない。
 考えるまでもない。

 ちょっと耳をすませば聞こえてくる獰猛な声。声。声。
 私の血も肉も骨も――魂も、一片残らず喰い尽してやろうと吼える声。
 私の中から聞こえてくる声。
 私の中の、『皆』の声。
 それはただ、生死の境に置かれた命の――魂の、生きると言う本能が剥き出しになっているだけのことで。
 考えるまでもないこと。
 だから、私の身の裡のものは、とてもわかりやすいひとつの目的のために暴れていることになる。
 ただ、生きるために――己自身を生き延びさせるためにだけ、暴れている。

 私の身の裡のものが暴れる理由は。

 私か。
 私の中の獣たちか。
 どちらかが。

 喰うか喰われるか、それだけだから。



 まだ、眠れない。
 まだ、頭に浮かんだことが気になっている。

 …今ここで考えていても、別に答えは出ないこと。
 そうわかってはいるけれど、それでもつらつらと考える。

 ………………あのひとの中の魔性が暴れる理由は、なんだろう。

 私とは、違うことだけは確かだと思う。
 私と同じなら、簡単にわかる筈だから。
 理由を知るために、あんな無茶な方法まで取る必要はないから。
 だからそれだけは、言い切っていいと思う。

 …あの集落で、あのひとに初めて遇った時の様子を思い返してみる。
 たくさん、ひとを殺していた。

 食べるためじゃ、ない。
 身を守るためでも、ない。

 …なら、怒り?
 憎しみ?
 それとも快楽?

 なんだか、それも違う気がする。
 …そんな風じゃ、なかった気がする。
 よくはわからないけれど、少なくとも本能染みた剥き出しの強い感情とか、衝動みたいなものは、あのひとにはなかったから。
 そういう、何かの意志に突き動かされてって感じじゃなくて、何かもっと、そうすることが当然みたいな立ち居振舞いだったように感じた。…何も当然の事なんかじゃないのに。なのに、牙を剥くことそれ自体が、何も特別なことじゃなく、威嚇とか殺意とかみたいな何か意味をこめるでもない、何でもない単なる日常の行動の一環のような、そんな風に見えた。

 …その時点で、私にはわからない。
 私は意味無く牙を剥くことは絶対にしないから。

 ………………あのひとの中の魔性が暴れる理由は、なんだろう。

 わからない。
 二回遇って、少しは話もしたけれど。
 …それでもやっぱり、ほんのちょっとだけあのひとと話をすることができた、それだけでしかなくて。
 その時聞いた話が――その時に見たあのひとの様子が気になっているから、寝ようと思っていた今、不意にこんなことを思い返して考えてしまっている訳だから。

 まだまだ、わからないことの方が多いと思う。



 …そう。
 私にはまだ、わからないことの方が多いけれど。
 でも。

 これだけはわかる。
 あのひとには、あのひとを心配してくれるひとたちがいること。
 聖都の夜道で、あのひと当人と遇うのと前後して私が遇っただけでも三人はいた。他にもいるかもしれない。…いないかもしれない。数は、わからない。
 ただ、どちらにしろ、あのひとを――佐々木龍樹と言う名のあのひとのことを、心配してくれるひとがいることだけは確かで。
 それを知ったら、余計に、思う。

 …私は。
 あのひとが、魔性が暴れる理由を知りたいのなら、それもいいと思う。
 けど。
 あのひとを心配してくれるひとたちの為には、今の方法を続けちゃいけない気がする。

 牙を剥いてひとを殺して。
 辺りにあるもの構わず壊して。
 ただ、荒れ狂うあの姿。
 目の当たりにした、あのひとの姿。
 …本当は、あんな姿じゃないとも聞かされた。
 驚いた。
 …納得もした。
 聖都の静かな夜道で、遇ってからは。
 私にも、二回目に遇ったその姿の方が、このひとの本当なんじゃないかって感じられた。

 その二回、両方の姿。
 思い返して見れば見るほど。
 駄目な気が、する。
 魔性にその身を委ねて、意味なくひとを殺すことも受け入れてしまってる、あの方法では。
 そう思う。

 ………………別の方法はないんだろうか。

 別の方法があれば、あのひとにも他のひとたちにもいい気がする。
 どうしたらいいのか――どんな方法があるかは、今の時点では私にはわからないけれど。
 それでも、別の方法を考えてみても、いいと思う。
 ただ、委ねるんじゃなくて、殺さないで、壊さないですんで――それで、あのひとの知りたいことを、知る方法。

 もしまた遇えたら、会って話すことができれば、そう話してみようか。

 …うん。
 そうしようと、思う。
 そう決めたら、もう眠ってもいいような気がした。
 ちゃんと寝直そうと、少し身じろぎをしてみる。
 何となく、意識がふわっとしてきた。
 それで、頭に浮かんでいたものがようやくとろりと消える。

 …それからやっと、私は眠りに落ちていた。
 次の朝に目覚めるまでの。

【了】