＜聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記＞
『オウガストのスモーキークォーツ』
＜オープニング＞
黒山羊亭に酒を飲みに来た詩人のオウガストは、エスメラルダに突発的に仕事を頼まれた。依頼者がいるからよろしくと言う。
青年は、時々店のテーブルを借りて、客にカードを引かせ言葉を選び、その言葉を織り込んだ夢を見せるという商売をしていた。
今夜はカードもないし、大きな水晶もない。今、身につけているのは左手中指のスモーキークォーツぐらいだ。だが、自分を覚えていてくれて、リクエストを貰えるのは嬉しかった。
「わかった。
観客無しで、二人一組、好きな言葉を二つ選んでもらう。但し、この『黒山羊亭』の店内に有るもの。“テーブル”とか、“酔っぱらい”とか。自分の持ち物でもいい」
「ありがとう、オウガスト。さっそくお客様を呼んでくるわ」
＊ ＊ ＊ ＊
「また、夢・・・お願いして、いい？」
頭にも服にも包帯を巻き付けた少女が、おずおずとした口調で申し出た。包帯の模様に見えるのは、呪符の文字だそうだ。これで内にある千の獣を制御しているとのこと。千の獣の娘、千獣（せんじゅ）。獣に育てられた故か言葉が拙い。彼女の事情を聞き出すのには辛抱強く言葉を待たねばならない。オウガストが知ったプロフィールは、黒山羊亭に集まる仲間やエスメラルダから聞いたものだ。
「言葉・・・ちゃんと、決めて来たの」
前回、言葉選びに時間がかかったからだろう。思い出してオウガストが苦笑すると、千獣も口許をゆるませた。
「“銀貨”と・・・ええと。・・・ええと」
二つ目の言葉をど忘れしたらしい。じっとテーブルに目を凝らし思い出そうとしている。オウガストは辛抱強く待った。
「・・・“氷”」
いたいけな唇がやっと開いた。テーブルの飲物が目に入ったのか。
「はじめまして。僕はエル・クローク。クロークと呼んでいただけると嬉しい」
もう一つの席に座ったのは、黒いインバネスに身を包んだ華奢な青年だ。いや、それとも長身の女性なのか。外見だけでは性の区別がわからない。
「言葉は“ピアノ”と“空き瓶”でいいだろうか？
先に言っておくけれど、僕は香りで夢を見せる仕事をしている。自分の勉強になればと参加したのだけれど・・・僕は眠ることがないんだ。千獣嬢の夢を見せてもらうことは可能かな？」
仕事上のライバルであった。ここでオウガストは意地でも「できない」とは言いたくなかった。
「魔女のダヌがカウンターで飲んでいるのを見かけたので、大玉のクォーツを借りて来ます。そこに千獣さんの夢を映し出せますが・・・・いいかな、千獣さん？」
＜ ＊ ＞
千獣にまた新たな友達ができた。夢で物語を紡いでくれたオウガストと、一緒に夢を楽しんだクロークと、クォーツを貸してくれた魔女のダヌと。
今日は、ダヌのおつかいで、早速クロークの店へ紅茶を買いに来たところだ。クロークの店は香水やお香等を置くが、紅茶もある。
木枠が黒くくすんだ扉、曇り硝子の向こうの店内は暗い。ショウウインドウも無い間口の狭い店の、重い扉を押す。
「やあ、千客万来だな」
クロークは苦笑まじりに言った。「一人しか居ないのに千客か？」と振り向いたローブ姿の青年は、オウガストだった。彼は香水の棚のところで、あれこれと手に取っては戻してを繰り返した。
「紅茶、ください。ダヌに、頼まれたの、で」
千獣は左手にしっかりと握っていた＜銀貨＞をクロークの前のトレイに置いた。ほかほかと湯気が出ていそうだった。
「了解。いつものでいいんだよね」
「そう。・・・『いつもの』」
「オウガストの方は決まった？」
オウガストは肩をすくめる。女性へのプレゼントらしいのだが、彼は香水の知識は乏しく、瓶の群れを眺めて途方に暮れていた。テスターも、素人が違いを嗅ぎ分けられるのは三個目位までだろう。以降は鼻孔に残る香りと記憶に残る香りが攪拌されて混乱するだけだ。
「贈る相手や事情を教えてくれれば、アドバイスできるよ？」
クラブで＜ピアノ＞を弾く美女。歳はたぶん二十代半ばだが、話したことがないのでよくわからないそうだ。今まで遠くから憧れていたが、一発奮起して直接プレゼントを手渡してアピールするのだとか。彼女の髪はストレートで、白や淡い水色などの清楚な色のドレスが多いとのこと。
「きっと、爽やかな香りが好きそうだね。シトラス系はどうかな？
そうそう、贈り物なら、こちらの飾り瓶はいかが。綺麗な物がたくさんあるんだ」
綺麗という言葉を聞いて、千獣も＜空き瓶＞の並ぶ棚を覗き込んだ。これが硝子瓶なのかと驚く、まるで彫刻のように繊細な女神像や天使像。愛らしい猫や兎を模った物、薔薇や蘭の花束型、男性向けの剣や銃の形の物もあった。千獣の赤い瞳がルビーのようにキラキラ輝くのは、決して硝子の反射のせいだけではないだろう。千獣は何段もある商品を全て見たいのか、腰を曲げ、最後には床に膝をついてまで熱心に物色した。
「オウガスト。・・・これが、いいよね？・・・ピアノ、だね」
最下段で埃を被っていたグランドピアノ型の飾り瓶を、みごとに見つけ出した。
＜ ＊ ＊ ＞
「二人には感謝している。でもなんで、ここまで付いて来る？」
オウガストは憮然として、安っぽい革ソファにどすんと音をたてて座った。クッションも骨組みも悪いのか、千獣とクロークが静かに座っても軋んで音をたてた。
クラブと言ってもグランドキャバレーのような造りの店だ。大理石に似せた、そこらへんの石に色付けした床。意匠に趣の無いシャンデリア。正面には、ケバ立ったような古い羅紗緞帳が下がる小さなステージ。ステージ近くの席は遠目でもソファもテーブルも上等で、出入口近くのここの席と違って高い席料を取られる。
「僕が選んだ香り、本当にその女性に似合うか心配なのでね。本人を見ずに、あなたの話だけで判断したからね」
「私は・・・来たかった、から」
友達になったオウガスト。好きなひとを見てみたいし。うまくいくといいなと思うから、付いて行きたい。ただ、千獣は、この想いを上手に告げるすべを持たない。
きっと、クロークも、本当は私と似た気持ちで付いて来たのだと思う。でもそれも、言葉にはできないふわふわと温かい感情としてだけ胸に漂う。
「僕は飲物は受け付けないので。よかったら僕の酒もどうぞ」
クロークが水割りのグラスをオウガストの方へと押し出した。この店は、飲みたくなくてもオーダーはしなくてはいけないのだ。
オウガストはかなりの酒好きと聞いている。「私のも、飲む？」
「ありがとう。でも、今夜は酔っぱらうとマズいから」
見ると、彼は自分の酒にも口をつけていない。グラス周りの水滴がテーブルに滴り落ちて、テーブルに小さな水溜まりを作った。＜氷＞はすでに溶けきり、琥珀色が薄まって水と変わらぬ色になっていた。
やっと幕が上がり、ステージのグランドピアノにスポットライトが当たった。オウガストは肩が揺れるほど力を入れて拍手するが、他の客達の拍手はパラパラとまばらだ。どのテーブル席も、ソファが幾つかステージを背にして置いてある。この店はステージはお飾りで、ピアノはＢＧＭに過ぎない。
ピアニストの女性はほっそりとした体を白いドレスに包み、既にピアノの前に座っていた。客席に特に礼もなく、おもむろに弾き始める。ブロンドのストレートヘア、つんとすました高い鼻に綺麗な額。確かに清楚で清涼感のある美女だが、冷たそうな感じだ。
冷たそう？ いや・・・。
千獣が感じる違和感。これは何だろう。ステージからは、体温が・・・生きる者の息吹が感じられないのだ。演奏にグルーブがないとか、その手のことではない。まるで死人が弾いているような・・・。
不安に駆られ、千獣は同行者らを振り返る。オウガストは夢見るような瞳で、子供のように少し唇を開いてステージに釘付けになっているが。クロークは千獣の反応に、『気付いた？』とでも言うように眉をしかめた。いや、もしかしたら、『オウガスト氏には高嶺の花だね』か、『香水のイメージ、失敗したかな』という意味なのかもしれない。死人が弾いているなんて、あり得ない。彼女の指が鍵盤を踊るのは見えるし、腕も肩も滑らかにループを描く。
５曲演奏が終わるとスポットライトが消え、緞帳がするすると降りた。客たちの気のない拍手。
「なるほど」と、クロークは感情の無い声で呟いた。『なるほど』の意味は、千獣には計れなかった。
「綺麗なひとだろう？
さて、店員に楽屋の場所を聞いて、プレゼントを渡して来るよ」
立ち上がろうとするオウガストのローブを、クロークは引っ張って止めた。
「やめた方がいい。恥をかくよ？」
オウガストはかっとなって声を荒らげた。
「俺がフラれるに決まっているからか！？やってみなけりゃわからないだろっ！」
「あのひと・・・。生きて、ない」
千獣も思い切って言葉に出した。それがどういうことなのか説明できぬまま。
「ひどいことを言うなっ！」
オウガストは激昂した。惚れた女が『生きていない』なんて言われたら怒るのは当然だろう。千獣はその勢いに・・・想いの強さに、思わず体を引いた。
クロークが千獣を庇って腕を出す。
「オート・マタだよ。ソーンでここまでの品を見るのは初めてだ」
「・・・え。」
怒りに震えるオウガウトの表情が固まった。オート・マタ。機械人形？
「っえーーーー！」
二度目にクロークがローブに手を伸ばした時には間に合わなかった。オウガストは脱兎のごとくステージに駆け寄り、力づくで緞帳をめくった。暗転のステージ、ピアノの椅子には、両手を膝においたまま動かない、白い堅い人形が座っていた。
「お客さん！」
そして次の瞬間には従業員に羽交い締めにされ、連行されてドアから放り出された。
「あーあ」
クロークはため息にも感嘆にも聞こえる声を漏らした。笑いが含まれていた。
「笑っては・・・かわいそう」
「・・・そうだね。さて、彼を拾いに行こうか」
店員に叩き出されたオウガストは、蛙の死骸のように平たく路に張り付いていた。殴られたりした様子はなく、恥ずかしさと情けなさから地面に救いを求めているだけのようだ。
千獣がしゃがんでつんつんと指でつついてみる。
「・・・。」
無言の反応とはまさにこのこと。『放っておいてくれ』と『ありがとう』を同時に言ってのけたような無言だった。
「凄く出来のいいからくりだ、遠目で見れば、まあ仕方ない間違いさ」
外見はまだ少年少女の二人に慰められ、外見だけはいい大人のオウガストは不承不承立ち上がった。
「二百年もたてば、あの彼女にも魂が宿るかもしれないよ？」
「その頃は俺が魂だけになってるさ」
オウガストはローブの汚れをはたき落とすと、ウエストサッシュの中から小さな包みを取り出した。リボンも、彼女のイメージでラメ入りの水色だった。解いて中身を確認する。
「よかった。割れていない」
掌で輝く、硝子のピアノ。中にシトラスの香りを閉じ込めた宝石だ。
「いやでなかったら、使ってくれ」と、千獣に手渡した。
「くれる、の・・・？」
わーい！と千獣は香水瓶を両手で包み込んだ。クラブのネオンサインのピンクやブルーが反射して、ピアノは虹色に輝いて、まるで今にも美しい音を奏でそうだった。
＜ ＊ ＊ ＊ ＞
目が醒めた千獣はすぐに掌を見て、「無い！・・・落とし、た？」と、黒山羊亭の床をきょろきょろと眺め回した。
「夢だよ」と隣で座るクロークが笑みを浮かべる。彼はダヌに借りた水晶越しに今の物語を見ていたのだ。
「うちの店に、似た香水瓶は有るけどね。地図をあげるから、今度いらっしゃい？」
「うーん、やっぱり客を取られる気がするなあ」と、オウガストが頭を掻いて苦笑した。
＜ ＥＮＤ ＞
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 外見年齢 ／ 職業】
３０８７ ／千獣（せんじゅ）／女性 ／１７ ／異界職（獣使い）
３５７０ ／エル・クローク ／無性性 ／１８ ／調香師
ＮＰＣ
オウガスト
エスメラルダ
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■ ライター通信 ■
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発注ありがとうございました。
千獣さんの言葉使い、少し柔らかく、女の子らしくしてみました。
私のノベルは、基本、戦闘がないので、戦闘シーンがかっこよさそうな千獣さんに申し訳ないような。
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