<東京怪談ノベル(シングル)>


〜騒々閑話〜

ライター:メビオス零



●●

 どんな人間でも、まったく働かずに一生を過ごすと言うことは‥‥‥‥まぁ、無いだろう。
 一部のお金持ち以外は、大抵が手に職を持ち、金銭を得て暮らしている。手に職が無くとも、何とか飲食代だけでもと必死になって働き、それを持って生きている。
当然、そこにはリスクの有無や収入の大小などの差が生まれる。一日で高額報酬を得る者もいれば、雀の涙程の者もいる。少しでも裕福な生活を送りたいが為に高いリスクの中に飛び込み、業火に焼かれて消える者もいる。
普通の生活を送っていれば、そんなリスクなど背負うことなどまず無いだろう。
しかし遊び歩く者にとって、そのリスクと報酬の釣り合いは大事なものだ。自分が生き延びながらも、しかし欲望を満たせるだけの高額報酬の貰える仕事を求めて日々を生きる者達。
中には裏の世界に通じ、無法の道を歩む者も少なくないこの世界‥‥‥‥
さて、今回のお話は‥‥‥‥
表と裏の境界線に生きる女、白神 空。職業、無職。
毎夜の如く遊び歩き、酒と女を買い漁る彼女のお財布事情を探るため、昼間の生活を覗いてみることにしよう。




「ふぁ‥‥」

 太陽がそろそろ折り返し地点に到着するのではないかという正午の少し前、空は欠伸をしながらベルファ通りを歩いていた。
仕事を半ばまで終え、一仕事を終えた者達が食事を取ろうと出て来てごった返すベルファ通りを、のんびりと歩いている。普段から夜遅くまで飲み歩き食べ歩いているために起床が遅く、つい先程目覚めたばかりである。
休日でも無しにそんな時間にまで眠っている空でも、今日はそれなりに早く起きた方だった。何しろ毎晩のように酒を飲み、少女と夜を過ごしている空である。一般人ならば半日どころか丸一日ダウンしていてもおかしくはないだろう。
それ程の疲労をほんの数時間の睡眠で解消してしまう怪人の体には、空は心底感謝していた。少々怪人としての力の使い道を間違えているような気がするが、翌朝を二日酔いのグロッキー状態で迎えずに済むのは空にとってはありがたいことだ。いや、気が付いた時には怪人となっていた空には二日酔いになった記憶など無いのだが、共に酒を飲み明かした者達が次々に倒れていくのを見ていれば自分がお得な特典を持った体だと言うことが良く分かる。相応のリスクは持っているが、それも仕事で解消出来るのだから大した問題では‥‥‥‥ない。

 くきゅるるるるるる‥‥‥‥

「あぅ‥‥お腹が‥‥‥‥」

 空のお腹から小さな声が聞こえ、それと共に空の体が左右に揺れる。普段から外食ばかりの空は、基本的に自宅で朝食を食べることがない。と言うより、あまり帰ることがない。もちろん着替えなどは自宅で行うが、少女と夜を過ごすのはホテル、飲み明かすのは酒場のため、真っ当に自分の部屋で過ごす時間はごく僅かだ。
 今朝は珍しく自室で眠っていたのだが、それが災いして朝から何も食べていない。
 怪人の体は高い身体能力に再生能力、その他諸々の有益な能力があるのだが、リスクの一つに燃費の悪さがある。高い能力を持つ動植物がより多くの栄養を必要とするのは当然で、空の体は、普通の食事ならば数人分はペロリと食べてしまう程だ。
 空は行き付けの酒場の『黒山羊亭』前に到着すると、フラフラになりながら入っていった。

「エスメラルダ‥‥‥‥なんか食べ物頂戴」
「また随分なオーダーの仕方ね。今日はお疲れ?」
「いいえ、寝不足よ。昨日頼まれたことを調べてたから」

 空は、店主でありながら一番奥のカウンターでグラスを傾けていたエスメラルダに声を掛けながら隣に座る。エスメラルダは空の注文にも眉一つ動かさず、店員に食事を持ってくるように言いつけながら、空にチラリと目を向けた。

「良い情報は見つかったかしら?」
「ええ。奴らのアジトの見当は付いたから、今日のうちに片付けるわ」

 空はカウンターに上体を預けてグッタリと体を休ませながら、エスメラルダに依頼状況を報告した。
 先日、数軒の酒場からツケの取り立てにあった空は、やむを得ずエスメラルダに高額報酬の仕事を回して貰っていた。依頼内容は、最近郊外の各所を荒らし回っている盗賊団の壊滅である。盗賊団としての練度は並の上と言った所らしいが、周到に準備を行ってから襲撃を行うため、自警団の類でも手も足も出ないらしい。
 まぁ、要するに頭の良い強盗集団である。
 直接対決に持ち込めば、空ならば十分に撃退出来る相手だろう。しかしこの盗賊団は、自分達が撤収する時に痕跡を消しながら逃走しているために足取りが思うように掴めず、エスメラルダから依頼が来た時にはアジトに関しての情報がなかった。
 その為、空はアジトの場所を探るために地道な情報収集を行わなければならなかったのだ。襲撃する時に出向いて撃退するという手もあるのだが、この盗賊は襲うポイントがまちまちなために襲撃ポイントが読めず、これまでこの盗賊団に関わった者から情報を得て探す以外になかったのである。
 幸い、空には表と裏の両方に多くのコネがある。あちこちで聞き込みを行い情報収集を頼み、たったの一日で大まかな場所までは割り込めた。あとは現地を回って探すだけである。

「アジトの捜索に往復六時間前後、倒すのに十分ぐらいかしらね。証拠品は何が良い?」
「そうね‥‥‥‥腕の一本でも取ってきて貰おうかしら。それとも生首?」

 エスメラルダは口元に怪しい笑みを浮かべながら、空に試すように問いかける。
 私はどちらでも構わないけど、あなたはそっちの方が良いかしら? と言う問いかけだ。
 空を試すかのような問い。しかし空は、破壊衝動を持ち合わせてはいるものの残虐な嗜好は持ち合わせてはいない。破壊衝動も殺戮衝動もストレスにこそなれど、外道の道に落ちないようにと常に自分に言い聞かせながら生きている。
 空は頭痛を抑えるように額に指を当てて考えてから、現場に到着してから判断することにした。

「‥‥‥‥適当に見繕ってくるわ。盗難品の回収は?」
「仕留めてから場所を教えて頂戴。あとで人を回すから」
「了解」

 空が頷き、そして微かにやましい気持ちが過ぎっていく。
 盗難品の回収が後日ならば、ルール違反ではあるがちょっとした小遣い稼ぎが出来る。
別に盗賊団を倒す時には、監視員の類は付かない。ならば現場に残っている盗難品を別の場所に隠し、ほとぼりが冷めてから売り払えば、それなりの稼ぎになるだろう。盗賊団というだけあって、強奪していく物にはそれなりにこだわっている。食料品や武器、そして何より宝石などの貴重品を持っている公算は高い。
 問題があるとすれば‥‥‥‥

「ああ。言い忘れてたけど、依頼人は組織絡みだから。下手は踏まないでね?」
「もちろん。負けたりなんてしませんよ」

 冷や汗を流しながら、笑いかけてきたエスメラルダに答える空。胸中には僅かに動揺が渦巻いていたが、表にはおくびにも出さずに封印する。
 組織絡みの盗難品を横流しでもしようものなら、すぐに捕まってしまうだろう。盗賊団の類は、そういった事情もあって盗んだ物をすぐに売り払うようなことはない。まずは足がつかないように念入りに間をおいてから売り払うのだ。‥‥が、その組織から依頼を受けた空が盗難品を横から攫うような真似をすれば、この街では生きていけなくなる。やろうと思えばばれないようにも出来るだろうが、リスクを考えれば大人しく仕事だけをこなしているのが無難だろう。
 空は、これまでの経験から早々に脳裏を過ぎった疚しい考えを捨て去った。
 普段から遊び回っている空は、損得勘定の計算は速い。元より、金銭に対しての執着はないのだ。御陰でツケの払いも満足に出来ていないのだが、余計な欲を出して破滅に突っ込んでいくような趣味はない。

「お待たせしました」
「はいはい。待ってました」

 そうこうしているうちに、注文した食事を店員が運んでくる。空はそれまで報告に集中することによって必死になって忘れていた空腹感を呼び戻し、運ばれてきた食事を一気に片付けに掛かる。
 エスメラルダはそんな空を気のない風に眺めながら、騒がしくなっていく店内に耳を傾ける。食事時なだけあり店内の活気も増していき、喧噪は店のBGMとして段々と音量を引き上げていっていた。
 ‥‥‥‥しかし、そんな人々でごった返す昼間の酒場。食事処としても活動するその店で、奥のカウンターに近付こうとする者はなかなかいない。
 裏道に入り込める入り口のカウンター。冒険と命知らずの仕事を紹介する裏の斡旋所‥‥‥‥
 空はそこに堂々と身を晒し、ただ狩りのための力を身に付ける。
 そこに誰も近付こうとしないのは、空に飢えた獣の匂いを嗅ぎ取ったからなのかも知れない‥‥‥‥






「‥‥‥‥ああ、やっと見つけたわ。あいつらね」

 空は葉の生い茂る木の上に隠れ、小さな谷間に身を潜めている盗賊団を発見した。
 街を出て数時間が経過し、既に空は半ば以上に傾いている。元々エスメラルダの元を出たのが正午過ぎだ。それから山中を駆け回って盗賊団を探していたのだから、これでもかなり早いほうだろう。普通なら疲労困憊で動けなくなる所だが、特別丈夫な体の空ならば問題はない。
しかし怪人の体力と回復力を持っているにしても、数時間の間走り回ったのでは多少なりとも疲れはする。空は一息つくように休憩がてら、まずは街で得た情報を実際に目で見た情報と照らし合わせ、食事の用意などをしている盗賊団の戦力を推し量る。
 すぐにでも盗賊団の元へと走って一掃することも出来るかもしれないが、街で得た情報と空の直感が警鐘を鳴らし、得体の知れない違和感を与えて突撃にストップを掛けた。空は自分の能力には自信を持っていたが、それでも自惚れて油断するようなことはない。空は自分自身の能力以上に、死線の中で自分を生かしてきた“勘”の方を信頼していた。

「ひぃふぅみぃよぉ‥‥‥‥‥‥十五人に七匹‥‥‥‥か」

 冷静に相手の戦力を数えた空は、予想外の戦力の存在に舌打ちした。
 十五人の盗賊‥‥‥‥これは空にとって、これといった脅威ではない。装備も刀剣の類で、聖獣装具を出さずとも片付けることが出来るだろう。
 問題があるとすれば、盗賊達が肉を与え、水で洗い清めている獣の方だ。
 一見すると、巨大な大蜥蜴のように見える。全長四メートル程の頑強そうな体躯、体色は茶色で黄色い舌をチロチロと踊らせ、盗賊達の持っている餌を器用に巻き取り飲み込んでいく。
 恐らくはドラゴンの下級種、リザード系の魔物だろう。情報にはないが、ただ単純に荷物運搬用に使用しているだけという可能性もある。もしそうならば戦闘用の調教など行っていないだろうが、これが七匹も揃えば脅威となる。どう見ても盗賊達よりも厄介な相手だ。知能は大したことはなくとも、力も体力も人間とは比較にならない。一撃で人間を食いちぎることも出来るだろう。

 くきゅるるるるるる‥‥‥‥

「ふぅん‥‥‥‥」

 空腹の音が鳴る。
 昼間に食べてから、それ程時間は経っていない。しかし数時間にも及ぶ捜索、疲労した筋肉を回復させるために多大に消費した栄養、昼食にそれ程の量を食べなかったのもあるだろうが、空の体が盗賊団と一緒にいる獲物を見ることで、痛みすら伴い空腹感を訴える。

「‥‥‥‥しばらく、これはなかったわね」

 ここしばらくの間、街を離れて“狩り”をすることのなかったために忘れていた感覚。
 体を支配する空腹感と、そして目の前の獲物をただ潰したいという耐え難い欲求に、空の精神が高揚する。
 潰したい。捻りたい。そして、何よりも喰らいたい。
 単純な野生の欲求は、何よりも強い。人が空腹になったら食事を取るように、眠くなったら睡眠を取るように、ただ“必要だから”湧き上がる欲求。空にとっては当然の、常人から見れば異質な欲望が空の理性を奪いに掛かる。

(ああ‥‥‥‥もう、いいかな?)

 ここは誰も居ない森の中。ここにルールはない。止めるような者もいない。空を見る者は、誰一人として存在しない。
 獲物は十分。食べきれないかも知れないが、それはそれで良し。それこそただの肉塊になるまで、気の向くままにやりたいことをすればいい。

「‥‥‥‥‥‥」

 空の体がユラリと動く。
 木の上から脱力したように滑り降りた空の体は、まるで幽鬼のように、トボトボとゆっくりした足取りで盗賊達に向けて歩いていく。

「ああ? なんだお前!」

 見張りをしていた盗賊の一人が、空を発見して声を上げた。
 突然現れた空に向けられる警戒心。武器を片手に、盗賊は空の魅力的な体を不躾に観察し、楽しそうに歩み寄ってくる。
 好色そうな表情。盗賊は、空に対して何一つ警戒をしていない。

「ふふ‥‥ねぇ、あなた達、暇かしら?」

 言葉を紡ぐ空の顔は、まるで髪で顔を隠そうとするかのように伏せられていた。
 脱力している体からは、力どころか気配すらも漂ってこない。そこに確かに存在するのに、目を離してしまえば見失ってしまいそうな程の気配の薄さ。
 ‥‥‥‥そこに異常を感じ取れなかったのは、盗賊にとって人生最大の不運だった。

「だったらどうしたってんだ? 姉ちゃんが遊んでくれるってのか? ええ?」

 歩み寄る盗賊は、ついに空の体に手を掛けた。手に持っていた刃を空の首に当て、頬にしたまで伸ばしてくる。

「ええ‥‥‥‥そのつもりで来たのよ」
「ぐげっ‥‥?」

 盗賊の体が、ピタリと止まる。
 そして痙攣。まるでスタンガンでも浴びたかのようにビクリと体を跳ね起こした盗賊は、自らの胸元に視線を落とし、ナイフを落とす。

 ────空の手は、盗賊の胸元に深く、深く突き刺さり、そしてその中心にある暖かい心臓を‥‥‥‥

「さぁ、遊びましょう。もっと、もっともっともっともっともっともっとモットモットモット派手に、ネェ?」

空は、その盗賊に笑顔を返した。
 それと同時に断末魔。吹き上がる血飛沫。顔を上げる獣達に、突然の異常に硬直する餌の群‥‥‥‥


 ────惨劇が始まった────



‥‥‥‥‥‥‥‥

‥‥‥‥‥‥

‥‥‥‥


 正気を失う程の高揚感は、僅か十分と掛からずに終わりを告げた。
 昂揚は過ぎ去り、空の体は深い疲労と脱力に襲われる。空はそれに逆らうこともなく、地にペタリと座り込み、まだ高揚感の名残を残して微かな微笑みを湛えている顔で周囲を見渡し、自分自身で呆れながら、深く息を吐き出した。

「ぁ〜‥‥すっきりした」

 虐殺を終えた空の感想は、それだけだった。
 耳に残る悲鳴と断末魔、怒号に罵声。自分の足元にまで流れてくる血の川。周囲に飛び散る肉片。皮を剥がれ肉を喰らわれて絶命した、大蜥蜴の残骸。盗賊達が食事のために用意した焚き火は未だにパチパチと燃え上がり、叩き込まれた死骸の匂いを辺り一帯に撒き散らし、空の鼻を麻痺させようとしてくる。
 しかしそんな中にいて、空の体も、精神も何一つとして不快感を感じるようなことはなかった。むしろ体の深奥に溜め込んでいたストレスを吐き出したかのように、晴れやかな心地ですらある。

(これで、しばらくは保ちそうね)

 夕暮れの空を見上げながら、空は流れてきた血を指で掬い、舐めてみる。
 舌の中に広がる血の味を、不快に感じることはない。しかしうっかり舐めてみた血が引き金となり、既に満腹になるまで食べた筈の体が、新たな栄養が必要だと訴えてくる。

「これ以上食べたら太っちゃうわよ。我慢しなさい、私の体」

 自分の体に向けて、苦笑を浮かべながら笑う空。戦いながらも、笑いながら盗賊団のペットを食い散らかした空の体は満腹感で満たされている。だと言うのにまだまだ足りないと訴える体は、より激しい闘争と殺戮、破壊と虐殺、惨劇を求めている。

(良い感じで狂ってるわね。私も)

 これだけの惨劇を起こしておいて、まだまだ足りないと訴える体も、そしてそれを当然のように受け入れている自分も何かがおかしい。周りの者を見ていればハッキリと分かる。自分は異常だと分かっている。この惨劇とて、何も体から湧き出る破壊衝動に狂わされたために引き起こされたわけではない。
 ‥‥‥‥結局、体の支配権は空にある。
 この惨劇は、紛れもなく空の意志によって行われたものだった。

「ま、便利な体だし、存分に使わせて貰うわよ。これで今晩の酒代もゲットしたし」

 自分の精神が、既に人間とは懸け離れた場所にあると自覚しても、空は動じるようなことは無かった。
 立ち上がり、服の汚れをパンパンと叩いて簡単に落とす。
 ‥‥この恰好で街に入ると面倒なことになりそうだ。
 まずは川でも探して、汚れを落とそう。
 夜になったら街に戻り、部屋で着替えてからエスメラルダに報告。そして酒でも奢って貰うとしよう。

「さぁ〜って‥‥‥‥今夜はどこのカワイコちゃんにしようかしらね!」

 意気揚々と立ち上がった空は、笑みを浮かべながら森の中に舞い戻り、段々と加速しながら街を目指す。
 これから酒場に戻り、酒を飲み、いつも通りに少女達と夜を過ごす。
 その為に何人も殺しているのだ。さぁ、今夜もいつも通りに楽しもう。




 ‥‥‥‥狩りを終えて余計な衝動を発散された体は、いつもよりも軽やかに街への帰路を駆け抜けていた‥‥‥‥






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3708 白神・空