<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


爺は意外と足が速い


[0]天使の広場

 ソーンの中心地、天使の広場。そこにある噴水の傍に、一人の老人が座り込んでいた。
 顔に深い皺を刻んだ老人は、どこか困っているようにも見えたし、疲れきって途方に暮れているようにも見えた。視線に気付いたのか、老人は緩慢とした動きでこちらを向くと、にこにこと笑った。
「何かお困りですか?」
 老人は何も答えず、ただにこにこと笑って震える手を差し出した。どうやら、手を出せ、という事らしい。
 手を出すと老人は両手でこちらの手を包み、握り込ませるように何かを渡して来た。
 訝しく思いながら手の中を見ると――
「……亀?」
 小さな、茶色の甲羅を持つ亀である。
「お爺さま、これ――あら?」
 老人は先程までの、失礼な話だがお迎えが近いんじゃないかと思うような動作とは打って変わって、猛スピードで広場を駆け抜けて行く。
 呆気に取られてしまい、追いかける事も忘れてスーパーお爺ちゃんの背中が遠ざかるのをぼんやり眺めていた。はっと我に返った時には老人の姿はどこにも見当たらず、手の上には亀がちょこんと乗ったままだ。
「……まあ、足のお速い……」シルフェは手の上の亀を見やる。「……とりあえず、お探ししましょうか」
 お散歩をかねまして、と呟いて彼女はゆっくりと歩き出した。



[1]アルマ通り

 シルフェがまず向かったのはアルマ通り。ソーンの中心的通りであり、その両脇には様々な店が並んでいる。中心だけあって多くの人々で賑わう、活気に満ちた通りだ。
 今日は天気もよく、澄み渡った空からは穏やかな陽の光が降り注いでいる。チュンチュン、という小鳥のさえずりが耳に心地好い、絶好のお散歩日和である。
 シルフェも絶賛お散歩中である……亀という不思議なゲストと共に。
「それにしても」シルフェは亀の甲羅を撫でながら呟く。「急に亀さんを渡して走り去るなんて、事情があるのでしたら伺いますのに」
 と、言うか――
 もしシルフェが声を掛けなければ、まだ広場に座っていたのだろうか。
 もしや、誰かに構ってほしかったとか?
 しかし、それで逃げてしまうのも不思議な話だ。
 ふふ、とシルフェは彼女特有のおっとりとした笑みをもらす。そんなシルフェに、彼女を呼び止める声がかかった。
「シルフェさん」
 声の主は、白山羊亭のウェイトレス・ルディアだった。こんにちは、と微笑む彼女は買い出しにでも行ってきたのか、紙袋を抱えていた。
「ルディアさん、こんにちは」
「お買い物ですか?」
「いいえ、お散歩です」
「……亀を連れて?」
 シルフェの手の上に亀が乗っている事に気が付いたルディアは、不思議そうな顔で亀を凝視した。うふふ、と笑いながら経緯を説明すると、変なお爺さんですね、とルディアは少し気味悪そうに言った。
「じゃあ、もしそのお爺さんを見つけたら引き止めておきますね!」
「まあ、ありがとうございます」
 微笑んだシルフェだが、彼女としてはあの老人が見つからなくても別に構わなかった。散歩のついでに見つかれば良いな、程度なのである。
 ルディアと別れたシルフェはアルマ通りを更に進み、そのままエルザード城に向かった。



[4]エルザード城城門
 
 聖都エルザードの象徴でもあるエルザード城は、高台からソーンの街を優しく見守っている。城壁内は緑が多く、一般市民の出入りも比較的自由な珍しい城だ。
 アルマ通りを抜け、緩やかな坂道を上りきったシルフェに門番が立ちふさがった。
「ん、貴様、何の用だ」
 私への挑戦か? と問いかけたのは巨人の騎士・レーヴェである。
「いいえ、お散歩です」
 シルフェがおっとりとした笑みを返すと、レーヴェはそうかと言ってあっさり身を引いた。彼は、聖獣王に謁見する際は無礼を働かぬように、とだけ付け加える。平和な証拠だろう。
 城門を抜けると、真正面にエルザード城がどっしりと構えている。冒険者らしき人間が、恐らく王との謁見の為だろう、城の中に入って行くのが見えた。城の周りに根ざす木々は気持ちが良い位青々と茂っており、シルフェは城の周りを歩く事に決めた。
 シルフェはふと思いついて木の根元に座り込んだ。ちょっと一休み、とずっと手の平に乗せていた亀を芝生の上に放した。亀は驚いたように頭を少し引っ込めたが、暫くするとのそのそと動き始めた。
「本当に、良いお天気」
 つい呟きたくなる程の快晴に、シルフェは微笑みながら目を細めた。手を翳して仰ぎ見る空は、シルフェの髪色とは少し違う青色をしている。とても綺麗だとシルフェは思った。同時に、自然物の多いこの世界を、そこに生きている自分を幸せだと感じた。
 ひなたぼっこを一頻り満喫した後シルフェは立ち上がった。亀を探すと、シルフェから然程離れていない所でのんびりしていた。持ち上げると短い手足をばたつかせ、チラと彼女を振り向いた。そんな仕草を見て、シルフェは初めてこの亀を可愛いと思った。



[5]ガルガンドの館

 次にシルフェが向かったのは、ガルガンドの館――古今東西のあらゆる書物があると噂される、膨大な書物が収められている図書館である。ソーンで起きている事はここに来れば全てわかると言っても過言ではない。
 館の中に入ると、どこもかしこも本だらけであった。閲覧用の机と椅子が幾つか用意されているが、人の姿はない。
 シルフェは館内を一通り回ってみた後、亀を椅子の上に置いて一冊の生物図鑑を手に取った。ほんの気紛れで、この亀が何亀なのか調べてみたくなったのだ。
「何か探し物?」
 気配もなく声がした。
 シルフェがゆっくり振り返ると、そこにはディアナ・ガルガンドが立っていた。ここ、ガルガンドの館の女主人だ。
「えぇ、少し」
 シルフェは微笑んで首を傾けながら返した。ディアナは妖艶な笑みを浮かべたまま、そう、と呟く。
 そういえば――
 彼女はガルガンドの館の主。ソーンで発生した事件ならば、なんでも知っているのではないだろうか。
「あの、少しお訊ねしてもよろしいでしょうか」頷いたディアナに、シルフェは続ける。「この亀さん、天使の広場にある噴水でお爺さまに手渡されたのですが、何かご存知ですか?」
 シルフェが椅子の上の茶色い亀を指差すと、ディアナは首を傾げながら亀に視線を落とした。
「聞いた事がないわね……困っているなら誰か紹介しても良くてよ」
 それにその亀、危険なようだったらわたくしが引き取って差し上げるわ、とディアナは何故か嬉しそうに言った。では持ち主が見つからなかったら、とシルフェが答えると、ディアナは酷く残念そうに「持ち主を探すの?」と訊ねてきた。
「えぇ、お散歩のついでに、ですが」
 そう、とまたしても残念そうにしたディアナは、必ず引き取るから遠慮なく持ってくるようにとシルフェに言い含めて去って行った。シルフェも、亀が至って普通の茶亀だという事以外わかりそうにない生物図鑑を棚に戻して、ガルガンドの館を後にした。



[6]王立魔法学院

 ガルガンドの館を出たシルフェは、右に道なりに進んだ先にあるエルザード王立魔法学院の前を通りかかった。
 この学院は、エルザード王自らが創立した由緒正しい学園で、教育機関としても研究機関としても重要な役割を果たしている学院である。
 不意に、手の上の亀が足をばたつかせ始めた。不審に思って立ち止まり、辺りを見回すと、
「あら?」
 今し方通り過ぎた路地から、二つの眼がシルフェを見つめていた。視線が合うとギョッとした眼は陰に隠れた。
 シルフェはゆっくりと道を戻り、路地に入った。
「お爺さま」
 逃げるでもなくそれ以上隠れるでもなく、天使の広場でシルフェに亀を渡した老人が学院の塀を背にして立っていた。


 本来の飼い主を見つけた所為か、亀は落ち着きなく手足を動かしている。その様子を見て、亀吉、と言いながら老人が手を出した。シルフェは老人と亀が望む通り、老人に亀を手渡す。
「どうしてこの亀をわたくしに?」
 嬉しそうに亀に頬擦りしていた老人に訊ねると、老人はシュンとした様子で肩を落とした。
「儂はもう老い先短い老いぼれじゃて、亀吉よりも先に死ぬじゃろう。残された亀吉はどうする? たった一人で残して逝くのは可哀相で可哀相で……」
 誰か、次の飼い主に相応しい人を探していた所、丁度シルフェが通りかかった。声をかけてくれた優しさ、物腰の柔らかさ、そして――
「アンタはなんとなく水っぽい」
 それが決め手になったのだ、と老人は言った。
「でも、何故逃げてしまわれたのです?」
 それは、と老人は言い淀んだ。暫しの沈黙の後、こんな老いぼれから亀を託されても断られるんじゃないかと心配だった、と悲しそうに言った。
「そんな事ありませんのに」
 老人は、即答したシルフェに顔をくしゃっとさせ、歳を取ると僻みっぽくていかん、と泣きそうな顔で言った。んん、と咳払いをして、老人は改めて口を開いた。
「その……亀吉なんじゃが――」
 言いにくそうに口をもごもごさせた老人が何を言いたいのか、シルフェはすぐにわかった。
「勿論、お返ししますわ」
「本当か? ありがとう、なんて親切な方じゃ」
 何とお礼を言えばいいか、と言う老人に、シルフェは首を振った。
「悪さをしようというのでないのなら、わたくしは構いませんもの」
 人騒がせな老人ではあるが、別段誰かに迷惑をかけようという意図があった訳ではない。ただ、純粋に亀の行く末を案じたのだろう。それだけ愛情を持って接しているのならば、最後まで一緒に暮らして行く方が、老人にとっても亀吉にとっても幸せだ。
 老人は、迷惑をかけて申し訳なかった、と頭を下げた。シルフェはまた首を振って、用があるからこれで、と暇を告げた。
「それでは、ごきげんようお爺さま」
 ごきげんよう亀吉さん。シルフェは老人の手の中に収まっている亀にも声を掛けて歩き始めた。





 無事、老人も見つかり亀も飼い主の元に戻った。一件落着である。
「ふふ」
 思わず溢れた笑みは、先程の老人と亀のやり取りで暖まった所為か、それとも未だ広がる青空の所為か――それは彼女自身にもわからないかもしれない。
 シルフェが向かう先はエルファリア別荘。あそこの中央ロビーでゆっくり紅茶でも飲みながら、空の青と湖の青を眺めるのは最高に気持ちが良さそうだ。シルフェの心は心なしか弾んだ。
「それにしても、良い天気」
 太陽はまだ、優しい光を放っている。
 ゆったりとしたペースで歩みを進めるシルフェは、お散歩の続きに戻ったのであった。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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[PC]
・シルフェ 【2994 / 女性性 / 17歳 / 水操師】

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■         ライター通信          ■
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 シルフェ様

 この度は「爺は意外と足が速い」にご参加いただきましてありがとうございました! はじめまして、ライターのsiiharaです。
 大変お待たせしてしまい申し訳ありませんでした…!
 キャラクターの性格がよくわかるプレイングをありがとうございました。私の想像も加味して書かせていただきましたが、イメージを壊していなければ良いなと願うばかりです。
 今回のお散歩、如何でしたでしょうか。
(因みに、お爺さんの今回の経路は3、5、2、6、4、1です)
 エルザード内の資料があまりなかったため、捏造した部分も多くありますが、気に入っていただければ幸いです。

 それでは、またの機会がありましたら宜しくお願いします。