<東京怪談ノベル(シングル)>
● かぐわしき足の匂い臭い
とんでもない匂いで目が覚めた。
「うおおおお、これはっこれはぁっ!」
大声を出さずにいられなかったガイは飛び起きて、そのままの勢いで立ち上がった。
轟音が生じて、ガイの巨体のせいで床が揺れた。
「何だよ、ガイ、どうしたんだ」
寝ぼけている男の声が聞こえてきて、そこでようやくガイは現状を思い出した。ガイは何度か採石所で働いたことがあった。その経験を評価されて、再度採石所のバイトを依頼されたのだ。
ガイが声のしたほうを向くと、そこには巨大な男の体があった。彼は砕石所で仲良くしている作業員だ。
彼の頭から足の先まで見て、目を見開く。
「これだ!」
は? と怪訝な声を出して、いまだ眠たそうにしている作業員のほうへと屈みこんで、肩を何度も叩いた。
「俺の恩人だ!」
「いや、だから、何だ、ガイ」
「そうだな、違う! 俺の恩足だ!」
「おんあし? 何だそれは?」
「おまえの足の裏だ!」
「はぁ? 何を言っているんだ」
「そうだな、違うな! おまえの足の裏の匂いだ!!」
ガイは興奮している。輝きを増した瞳で作業員の顔を覗きこんだ。
「お、俺の足の裏の匂いがどうしたんだ」
さすがの作業員も、ガイの興奮ぶりに戸惑いを覚えてきたようだ。困惑した表情を向けてくる。
「おまえの足の匂いのおかげで、俺は目覚めることができたんだ! よく時間を確認してみると……やはりな! もう起きる時間じゃないか! ありがとう! おまえのおかげだ! そしておまえの足の裏の匂いのおかげだ! 何て凄まじい匂いなんだ! 俺もおまえのような匂いを目指してみたいと思うぞ!」
「朝からテンション高いな。俺もおまえのおかげで目が覚めたよ。しかし、ちっとも嫌味に聞こえないのがガイらしいな」
「何だ? 何か言ったか?」
「いや、何でもない」
「おまえも起きたのなら、早速仕事場に行こう! 飯の前に、まずは今日行う作業の確認をしないとな! そして今日の飯は何かな!」
作業員とガイは起き上がり、まだ寝ている仲間たちを起こしにかかった。
ガイは腰布をたなびかせて、眉根を寄せて、目の前で困っている作業員を眺めていた。どうやら、大量の石材の発注が入ったようだ。それ自体は問題ないのだが、人手が足らない。大量の石材を作業場に運び込む人員が、どう計算を行って圧倒的に不足している。
「どうしようか、ガイ」
作業員の一人がガイに話しかけてきた。彼もまた、顔をしかめている。皺だらけの顔に、より一層皺が深まる。
「確かに困ったな」
「そうだろう? こんなに大量に石材が発注されるなんて聞いていない。最初に聞いていたのと10倍だぞ? 2倍くらいならまだ許容範囲だが」
「確かに皆、困っている」
「そうだよ。こんなの聞いていない。どうすればいいんだ」
「俺は、皆がこんなに困っている顔を見てしまうのに、困っている」
「……何を言っているんだ? 石材の対処方法を考えないと、どうしようも」
「石材を全部運び込むことができれば、皆困らないのか?」
ガイの言葉に、作業員は数度瞬きした。彼の言葉が理解できなかったらしい。ぎこちない動きで、ガイに歩み寄ってくる。
「それは、確かに。そうだが。その方法が思いつかないから、皆困っているんだ」
「何だ、それで皆笑ってくれるのか!」
ガイは満面の笑みを浮かべた。声を弾ませて、言葉を続けた。
「俺は皆の笑顔が好きだ。俺はその笑顔に囲まれて働くのが好きだ。俺は皆の笑い声が好きだ。ひっきりなしに、笑い声が絶えないこの場所が好きだ。自然に笑うことのできるこの場所が好きだ。皆も自然に笑えることができるこの仕事場が好きだ。俺は、その笑顔と、笑い声に囲まれたこの場所を護り続けたい。……だから、皆がこうして、困っている顔をしているのが嫌だったんだ」
「ガイ、おまえ」
「皆が笑うことができるこの場所、この仕事場、皆の声、皆の顔。俺は、これ以上、皆の困っている顔は絶対に、見たくはないんだ!」
「何か良い案があるのか!」
ガイの言葉に希望を取り戻したのか、作業員の顔に笑顔が戻ってくる。
「さすが、ガイだ。俺たち、本当にどうすればいいかわからなかったから」
「俺に任せてくれ。そして、皆も協力してくれ。俺たちで、この困難な状況を乗り越えよう!」
ガイの力が篭った言葉に、作業員たちは活気を取り戻していく。皆、ガイを見て、満足そうに頷いていた。
大量の石材は、ガイの腕輪の力と気の力を、ガイがうまく用いることで解決できた。作業員も、皆、ガイのために協力してくれて、想像していた時間よりも、ずっと早く作業を終えることができたのだ。
作業員の寝室は、いつも通りのすし詰め状態だ。今日はよく働いた、とガイは眠っている作業員たちの顔を眺めて笑顔を浮かべる。
そして、汗と男の匂いがたちこめる部屋を気にせず、ガイも眠りに落ちた。
「うお、おおおお、おお!」
とんでもない匂いで目が覚めた。
「これは、すごい、素晴らしい匂いだ!」
「……何だ、ガイ、どうしたんだ」
頭上のほうで寝ていた作業員が身動ぎしながら声を上げる。
「匂いだ、これは凄い匂いだぞ! 俺はいっぺんで目が覚めた!」
「……それは良かったな。だが、まだ寝かせてくれ」
「駄目だ! 起きろ! さぁ、今日も仕事だ! 飯だ!」
ガイの明るい声が部屋に響きわたって、今日も一日が始まるのだ。
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