<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


■コケ豚の捕獲への苦難

「俺の依頼があぁ!!」
 妙に高額な報酬で剣を運ぶだけの依頼を、手放す羽目になったのが。
 クレモナーラ村の近くの荒野で、全身にコケの生えた豚を。
 食べてみたい。と。
 一緒に寝起きしている仲間が言ったからだ。


「で、その豚を俺に狩って来い、と。あの女」
 仲間の男の為にお節介をかくのはいいが、どうせ狩るなら自分で行けというものだ。
 3メートルもあるのであれば、確かに女の柔い腕で持ってくるのは難しいだろうが。
「珍味なんて、1キロあればいいだろう‥‥」
 イノシシのように突っ込んできて、魔法等は使わない豚だ。
 一角獣とかのように、角が一本。‥‥それにもコケが。
 触れるほど近くに寄ると、腐った匂いがするらしい。
「アッシュ‥‥そういう依頼はちょっと」
 他の冒険者達に頼み辛いわ、と。困った微笑を浮かべるエスメラルダ。
「ん」
 仲間の女がアッシュを引き摺って連れて行ったのは道具屋。
 持ってくる為に臭い体臭を遮る為の、ごつい麻の袋。
 縛り上げる縄。コケが生えてるなら湿地にいて、火に弱いだろうから、と。火石。
 押し付けられたそれを眺め。
 アッシュは大きく溜息をついた。
 ちゃりん。
 黒山羊亭のドアが静かに開く。
「ん?」
 ぐったりと、カウンターの上でへばっているアッシュを見て、ジェイドックは首を傾げた。
「なにかあったのか」
「これからある予定なんだ」
 がしっ。
 仕事の報告書を渡そうと、エスメラルダ‥‥もとい、カウンターへと近付くジェイドックの腕を、話を聞いてくれ! とばかりに強く掴むのはアッシュだ。
 少々。というか、かなり強くアザが出来そうな勢いで腕を掴まれている。
 困ったな。と、心の中で呟くジェイドックだが。その思いは誠実そうなその瞳に微かに浮かぶのみ。
 それを見たエスメラルダも、困った表情を浮かべ。
「食事、用意するわよ」
「‥‥おー」
 元気はない返事で。食事に気をとられたようではあり、手の力は緩む。
「話なら聞くが」
 ジェイドックがそう言った途端。
 語る語る語る語る。
 マシンガン状態である。

 ――話は、わかった」
 思案気に、視線を落とし。
「全身コケが生えた豚‥‥ね。その豚はもともと珍味として有名なのか? 世の中、見た目と味が違う代物はいくらでもあるが、あまり食べたいとは思わない見た目だな」
 想像するだけでも、食べれるとは思えない‥‥。
「さて、珍味と美味はイコールか、それともノットイコールか」
 試しに食べてみるのも、また一興か。と。
 呟くジェイドックの腕を、またアッシュは強く引っ掴む。
「あいつは、ゲテモノ食いなんだ。かなりの率でノットイコールなんだ」
「コケ豚を‥‥食べれるというのも。初めて聞いたのよ。ちゃんとした食用じゃないのは確かなの」
 もしかしなくても、変な時に出くわしたのか、と。
 一瞬、眩暈を覚えたジェイドックだが。
 仕方がない。
 乗りかかった船だ。
 ゆっくりと溜息をつく。
「悪いが‥‥ジェイドック。俺と運命を共にしてくれ」
 それは一種の告白に聞こえる。
 エスメラルダは、一瞬ひきつったものの。
 当の、言われた本人も。言った本人も、その事実に気付かず。
「大げさだな」
 笑ったジェイドックは、ふっと、思案気に首を傾げ。
「‥‥そんなに嫌がる依頼か?」
「面倒なのはパス」
 きっぱり、あっさり。
「それなら、俺一人で行くが」
 前回のゴーレムじゃあるまいし、いくら何でも通常の生物なら頭に銃弾を受ければ致命傷になる。
 一人でやって難しい依頼じゃない。
 大きく頷くジェイドックの隣で。
「ツキハに捕まったら、無理矢理連れて行かれる‥‥」
 アッシュはくずくずと、カウンターの上に突っ伏した。
「それで、あいつはいつも高見の見物なんだ。くそー」
 と続けるアッシュは余程いや‥‥嫌なのは、自分の行動を束縛されているからか。
「やっと、今日、逃げてきたのだそうよ」
 肩を竦めるエスメラルダ。
「まさか」
 数日前。黒山羊亭の前で別れたのを思い出す。
「あれから、ずっとか?」
「そー‥‥。その内、きっとツキハに見つかるんだよな。悪い、ジェイドック」
 にぃ、と笑うアッシュ。
 元気出たか。と。ほっとして、エスメラルダが用意してくれた水に手を伸ばすと。
「コケ豚の肉と。俺の護衛ヨロシク」
 ‥‥‥‥。
 ‥‥‥‥‥‥‥‥。
 あの。黒山羊亭であった女性は。そんなにも強敵なのだろうか。


 網。
 ジェイドックの案に嬉々と喜んで購入したのはアッシュだ。
「そうだよな。それがあれば、豚をじかに触らなくてもやっつけれるよな」
 にんまり笑ったアッシュの足取りは軽く。
 軽く。
 ‥‥‥‥。
 コケ豚が生息する、その地に着くまでは。


「‥‥匂いがすごいな」
「目的のモンがなければ、近付きたくもねぇ」
 湿地。
 歩けば、ぬかるんでいてドロがはねる。
「ドロは後で洗えば問題ない」
 淡々、と。そう言って、いつもよりゆっくりではあるものの、しっかりした足取りで歩き出すジェイドック。
 アッシュもジェイドックを見習って歩くのだが。
「匂い、染み付きそうだ」
 うんざりと、溜息をついた。
「そうだな」
 ジェイドックは、淡々と頷いて、微かに笑う。
「目的のものも、あっさり見つかったことだし。さっさと済ませてしまおうか」
 臭い匂いを我慢して30分。
 先頭に立って歩いていたジェイドックが指差した先。
「おう」
 黒く、ドロの色をした湖の周りに、聞いていた通りの外見の豚が。何頭も休んでいた。


 豚を捕らえるための網を、樹と樹の間に張っておく。
 松明に火をつけたアッシュが、にやり。と笑った。
「じゃ、あとは、ヨロシク」
 ばばばばっ
 泥を跳ね上げて走るアッシュ。
 逃げまとうコケ豚。
 1匹に狙いを定め。
 ――火石。
 口の中で弾ける火に。
「ぶもおおおお!」
 吼える豚。
 暗い中、唯一の光‥‥いや。攻撃してきたアッシュを目指して突っ込んでくるコケ豚。
 駆けて駆けて駆けて。
 泥を跳ね、ジェイドックが待機している網がある場所へ。
 網。
 ジャンプして、上の木の枝に掴まる。
 網に角が引っかかり、暴れる豚。
 飛び降りて、長剣で頭の角を切り落とす。
 あらわになった、額。そこに。
 ――ズキュン
「ぶも――――!」
 ジェイドックの銃が、豚の脳を貫いた――――。


 引っくり返った豚の腹。
 剣で切り裂き、その剣で投げるように麻袋の中に放り込む。
 じっと立っているだけで、ずぶずぶ沈む湿地。
 いや、完璧に埋まってしまうことはないだろうが、安全とは言い難く。
 二人は、持っていけない残りの豚の肉が、他の仲間達に食われていくのを後ろ目で見ながら、森を抜けた。


「やっほー!」
 数日前、ジェイドックが黒山羊亭の前で会った女性――ツキハが駆けてくる。
 その後ろには、大型剣2本を背負った大男。
 コケ豚を食べたいと言っている張本人に違いない。


 その日が。その男の誕生日だった。というのは。
 アッシュは思い切り失念していて。
 ツキハに、思い切り大笑いされたのだ。


「このままじゃ、ラークの誕生日に間に合わないからね、直接連れてきたんだ♪」
 その場で野宿、となった4人は‥‥コケ豚を食べることになったのだが。
 実は、いかにもマズそうなコケ豚は、細かく摩り下ろし、軽く火を通し、桜の葉の塩漬けで包んで食べると‥‥そんなにマズイ代物ではなかった。
 知っていて、黙っていたツキハは確信犯だ。
 魚の生臭い味の‥‥珍味である。
 しかし件の男は、そのまま軽く焼いて食べるので、ついつい手を伸ばして食べた3人だったが。
「‥‥‥‥」
 ドロそのものの歯触りに、味。
 硬直して動けなくなったジェイドック。
「‥‥み・水‥‥」
 アッシュは、身悶え、震える手で水に手を伸ばし。
 ツキハは、どこかに飛んでいった。
「その内、この旨さが分かるさ」
 旨い、と。ご機嫌なのは。ラーク一人のみだった。






END


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2948/ジェイドック・ハーヴェイ (じぇいどっく・はーう゛ぇい)/男性/25歳(実年齢25歳)/賞金稼ぎ】

NPC
【NPC0925/アッシュ (あっしゅ)/男性/19歳(実年齢19歳)/賞金稼ぎ】