<東京怪談ノベル(シングル)>


〜力あるモノ〜

ライター:メビオス零



●●

 春‥‥‥‥冬眠していた動物たちが目覚め、花は開花し、新たに成人した若者達が旅立ちを迎える季節である。
冬の寒さが過ぎ去った夜の歓楽街には、そうして表世界で生きる者達が押し寄せてくる。
裏側で生きる者達ならば、それこそ幼少の頃からこの街で過ごしている者達もいるが、暴力と快楽によって支配されている夜の歓楽街には、表世界で生きる者達は踏み込みにくい。歓楽街に並ぶ店舗のほとんどが酒場や娼館であることもあり、未成年ならば尚更である。
もちろん家庭の事情や交友によっては望まずとも遙かに早く入ることになるだろうが、プロの冒険者でも破滅する可能性があるこの場所には、子供でも迂闊には踏み込まない。
‥‥‥‥しかし、だ。
春の陽気がそうさせるのか、それまで押し隠していた好奇心が首をもたげるのか、成人した若者達は一様にしてこの街に足を運んでくる。幼少の頃から入ることの無いようにと言いつけられてきた若者達にとっては、この歓楽街は未踏の土地だ。“大人になったら入れる街”だと思えば、確かに好奇心で踏み込んでしまうのも無理はない。
それは良いだろう。街の者達とて、新参者が来ることは喜ばしいことだ。店にとっては貴重な常連客となりうる人材でもあるし、荒くれ共にとっては‥‥将来有望な“カモ”である。
 そうした貴重な若者達たちに囲まれ、白神 空はうんざりとした風に眉を引きつらせていた。

「良いだろ? これだけ言って、まだついて来てくれないのかよ」
「一緒に楽しもうって言ってるだけじゃんかよ。なぁ?」

 空を取り囲んでいる若者達は、口々に空を口説き落とそうと躍起になって話し掛けてくる。若者達は、街を歩いていた空に声を掛け、一緒に酒場で飲まないかと誘ってきたのだ。
 最初の方は、空も悪い気はしていなかった。この手のナンパには慣れていたが、こうして声を掛けられると言うことは、それだけ自分が魅力的だという証拠でもある。若者達に褒めちぎられるというのも悪くはない。だからこそ、空は若者達の誘いを丁重に断った。何故なら、空はこの時エスメラルダという友人から頼まれ事を引き受けており、とある店に向かうところだったのである。
 自由奔放に生きる空でも、友人から仕事を頼まれている最中に男と酒を飲みに行く程勝手にはなれない。それに、空の男女の好みは“少年”と“少女”のどちらか‥‥‥‥である。いくら顔の良い若者でも、青年となった時点で興味の対象外だ。
‥‥なにより、この若者達は全く可愛くない。

「ふふ、坊や達と一緒に遊ぶのも楽しそうだけど、私は仕事中なのよ。悪いけど、またにしてくれないかしら」
「えー? そんなつれないこと言わないでさぁ」
「仕事しているよりも、俺達と一緒にいる方が楽しいよ?」
「そうはいかないのよ。特に今日は相手のある仕事だから、時間は守らないとね。さ、退いて頂戴」

 空がやんわりと躱そうとしても、まだ空気を読む術を知らないのか、若者達は遠慮もなく空の前に立ち塞がり同行を強制する。強引に腕を掴むようなことはしなかったが、それでも行く手を遮られ空の足が停止する。それを弱気と取ったのか、若者達は詰めよりより一層空への語気を強くした。

「なんだよ。人が奢ってやるって言ってんのに」
「姉さんさぁ、もうちょっと相手を見て言った方が良いよ? 俺は良いけどさ、こいつは口よりも先に手が出るタイプだから」

 集まっていた若者達の一人が、にたりと笑いながら空へと躙り寄る。
 一向に従おうとしない空に業を煮やしているのだろうが、空の華奢な体付きと、助けを呼ぼうとする気配が微塵も感じられないことから強気になっているのだろう。周囲にいる者達も通り過ぎる時にチラチラと視線は寄越すが、誰も空を助けようとはしてこない。これならば邪魔も入らないだろうと踏んでいるのだ。
 ‥‥‥‥しかし、若者達は誤解していた。それは人数を頼りに強引に空を連れて行こうとする若者達を恐れて誰も声を掛けてこないのではなく、若者の囲まれている空を恐れて近付いてこないのだと言うことを、全く気付くことが出来なかった。
 街の荒くれ達は、空の脅しにも表情一つ変えない立ち振る舞いから実力を量り、酒場の店員達は、普段から入り浸っている常連客の実力を知るが故に、若者達の冥福を祈りはしても手助けをしようとはしなかった。

(ま、その方が好都合だけどね)

 誰も手助けをしてくれない‥‥‥‥そんな状況に、空は返って感謝していた。
 そして、脅しという手段に出た愚かな若者達にも、だ。
 そうまでして行く手を遮るのなら、これから起こることはあくまで正当防衛だ。そもそも一対多数で返り討ちにしたところで、空が責められるような謂われはない。

「そう‥‥それはちょうど良いわ。空気も読めない子供には、そっちの方が手っ取り早いでしょうしね」

 空は溜息混じりにそう言うと、目の前に立つ若者を押し退けようと前に出た。が、その空の肩を後ろにいた者が掴みに掛かる。
 元々、人数と腕っ節を頼り女性に声を掛けてきた若者達だ。狙ったカモが自分達の思い通りに動いてくれないことに、少なからず苛立っていたのだろう。自分達の威圧にも全く動じることなく急ごうとする空に、若者達の一人が実力行使に打って出る。

「ちょっと姉さん。今の台詞は────」

 一体何と言おうとしたのか‥‥‥‥口上ぐらいは聞いてやろうと待ち構えていた空には、結局それは分からなかった。

「はぅっ!」
「ぐへっ!?」

 空の拳が、蹴り足が奔り若者達が次々にノックアウトされていく‥‥前に、若者達は次々に倒れ込み、そして動かなくなっていった。
 空を取り囲んでいた若者達にとっては、訳が分からなかっただろう。何しろ、怪人であり場数を踏んでいる空でさえ、一体何が起こっているのかを察するのに二秒程の時間を要したのだ。素人であり攻撃されている当人達は一瞬でパニックに陥り、どうやって攻撃されているのかも分からなかったはずだ。
 だが、空は見た。
 若者達の顎に、小さな小石のような物がぶつかっていく。それこそまるで弾丸のような勢いで激突したそれは、若者の体を貫くことなく弾き飛ばし、首を支点に頭を揺らして昏倒させていった。怪人である空でも目視することがほとんど出来なかったのだ。若者達など訳が分からなかっただろう。
 空を取り囲んでいた若者達はあっと言う間に倒れ伏し、呻き声を出すこともなく、一人残らず動かなくなった。

「‥‥‥‥死んでない‥‥‥‥わよね」

 血が出ていないからといって、生きているとは限らない。
 空は倒れた若者達の首筋に指を当てて脈があることを確認した。若者達の顎や頬には痣のような物が出来てはいたものの、これと言って目立った外傷はない。痣その物も小さく、一日二日で消えてしまいそうな程に軽いものだった。

「誰かしらね‥‥」

 周りを見渡したとしても、皆が怪訝な表情で空を見ている。
 つまりは、この現象の原因を誰も見ていないと言うことか‥‥‥

(長居はしない方が良いわね)

 空は若者達を打ち据えたであろう物体を地面から拾い上げると、そそくさとその場を後にした。
 誰も何も見ていないならば、あの若者達を気絶させたのは空であると周りは思ったかも知れない。もちろん因縁を付けてきた相手が悪い。周りにいた者達とて、こんな事は日常茶飯事で慣れているため、動揺するようなことはない。むしろ倒れた若者達を店に連れ込み、介抱すると見せかけて金銭を擦り取るぐらいのことは平気でするだろう。
 問題なのは、あの若者達が報復に出た場合だ。何しろ誰が若者達に攻撃を仕掛けてきたのかが分からないのだ。目の前にいた空に火の粉が飛んでくる可能性は十分にある。
 ただでさえ下手なナンパにあって時間を食っているのだ。これ以上のゴタゴタはご免である。

「まったく、余計な時間を食ったわね」

 空は懐からエスメラルダから渡されたメモ用紙を取り出し、これから向かう店の場所を確認した。
 若者達のナンパから逃れるために仕事を持ち出していた空だが、別に嘘を付いていたわけではない。本当に仕事中なのである。
 いつものように借金のカタに‥‥‥‥というわけではない。
ただ、少々訳ありの相手に会ってきて、その様子を見てきて欲しいと頼まれたのだ。
会うことになる相手の詳細な事情は聞かされなかったが、エスメラルダから頼まれた仕事だ。空もエスメラルダが話した以上の事情を詮索しようとはせず、相手の仕事場である娼館へと向かっている道中だった。

「‥‥‥‥?」

 ふと、目の端に妙な人物を見つけ、眉を顰めた。
 ただでさえ怪しげな人間の多いベルファ通り‥‥多少の変装を施している者など、珍しくもない。しかしその人影は、全身を灰色のローブで覆うことで完全に隠していた。自分の姿こそ隠しているが、返って目立ってしまっている。
 周りにいる者達も、努めて関わらないようにと避けて通っている。或いはそれが狙いなのか‥‥その人影は、空が目を寄越してから数秒と経たない間に雑踏に紛れ、見えなくなった。

(ふぅん‥‥)

 空は、先程地面から拾い上げた弾丸を手の中で転がしながら、しばしの間雑踏の合間を睨み付けていた‥‥‥‥

‥‥‥‥‥‥‥‥

‥‥‥‥‥‥

‥‥‥‥

「ここね‥‥」

 そうして街中での騒動から程なくして、空は指定された娼館へと到着した。
 ベルファ通りの奥に隠されるようにして建っているその建物は、丈夫そうな小さな洋館だった。
年季が入っているらしく、紅い屋根は所々が汚れ、壁も黒い染みのような汚れが目立つ。看板らしい看板もなく、店の名前すらどこにも書いていない。娼館だと知っていなければ、空も一風変わった民家(何せ酒場や娼館に混じって民家が建っているのである。それだけでも変わっていると言えるだろう)だと思うだけで、素通りしてしまっていただろう。
 ある意味特徴のない店だ。周りの店では騒々しく客引きをしているというのに、ここではそれもない。まるで周りの空間から隔絶されている廃屋のようで、子供が夜には肝試しにでも来そうな程に不可思議な雰囲気を纏っていた。

「‥‥‥‥‥‥」

 何となくだったが、空は危うく帰りたいと思ってしまう。
 これまで散々娼館に出入りを繰り返し、多くの人間と夜を共にしてきた空だ。別に恥ずかしいなどとは言わない。しかしこの館は別だ。何か‥‥‥‥そう、様々な修羅場を潜り抜けてきた空の狩人としての勘が、ここには自分を殺せるようなモノがいる‥‥と、ただ静かにそう告げていた。

「ごめんください」

 しかしそれはそれ、これはこれ‥‥‥‥
 多少の危険は察知したとして、だからといって逃げ回るわけにも行かない。それが仕事というものだ。まぁ、もしも万が一にも冗談では済まないような状況に陥ったならば、その時には全力で逃げることにしよう。エスメラルダには正直に事情を話し、この仕事をキャンセルさせて貰おう。出来ればそんなことはしたくないが、空とて命は惜しい。特に娼館で女の子に殺されるなんて‥‥‥‥いや、それはそれで────

「いらっしゃいませ。申し訳ありませんが、本日は‥‥」
「エスメラルダからの紹介できたの。この子はいる?」

 小さな受付に座っていた少女‥‥‥‥灰色のローブに身を包んでいる少女に、空はエスメラルダから渡された紹介状を差し出した。
 少女は僅かな逡巡の後、空の手から紹介状を受け取り、中を改める。
 ローブで表情は窺えなかったが、紹介状の文面を読む間に、僅かに肩が上がったことを空は見逃さなかった。

(今日会う相手は、ちょっと覚悟した方が良いかもしれないわね)

 空はたったそれだけのことで、今日会う相手が、この館から漂ってくる異様な空気の出所なのかも知れないと警戒心を強めた。
 少女の反応を見るに、この受付の少女は紹介状に書いてあった相手に思うところがあったのだろう。推測でしかないが、恐らくは死に至るような状況に立たされたか、もしくはその相手にプレッシャーを与えられるようなことを言われたか‥‥‥‥ 
 隠れている立場なのだから、くだらないゴタゴタは起こさないと思うのだが‥‥‥‥
 エスメラルダから様子を見てくるようにと言われている手前、もしもエスメラルダに害が及ぶような行動を起こしているとしたら、空の方からも何らかのアクションを起こす必要があるだろう。この相手が追っ手に見つかった場合、芋づる式にエスメラルダに危害が及ぶ可能性は十分にある。
 普段からエスメラルダの世話になっている空としては、絶対にそれだけは避けなければならない。

「少々お待ち下さい」

 受付の少女は、そう言うと一度カウンターの奥に引っ込み、今度は一回り大きな体格の女性を連れてきた。やはり頭からローブを被り、全身が隠されている。先程から“女性”として空は見ているが、それはこの館が娼館だからであり、空も自信を持って“目の前の相手は女性である”と断定する自信はなかった。
 ‥‥姿が見えずとも、声で性別は判別できるのでは? そう思う人もいるだろう。
しかし、空はローブで隠されている彼女たちの仕草と雰囲気、そして何より、頭の中で響いている警鐘によって、段々とこの娼館の正体に気が付き始めていた。

「お待たせいたしました。当館の店主をしているモノです」
「ええ、どうも」

 お互いに名乗りもせず、ただ挨拶だけはしておく。
 素性は知れずとも、このような場所では迂闊に名乗らない方が懸命だろう。この相手とて、お尋ね者を匿ってくれるような店主だ。“客の名を明かさない”と言うルールは守ってくれるだろうが、初対面でそこまで“人間のようなモノ”を信用する程、空はお人好しではない。

「エスメラルダさんから、お話は聞いております。どうぞ、こちらへ‥‥」

 店主が直々に案内してくれると言うらしい。空は小さく頷き、店主の後をついて行った。
 館の中は、古い安ホテル‥‥と言った風情だった。
 清掃はされている。しかしあちこちにガタが来ているのか、絨毯などで床を隠すことは出来ても、壁などに残された小さなヒビや血の跡は隠せない。

(‥‥‥‥帰りたくなってきた)

 行ったことはないが、たぶんお化け屋敷で迷子になった子供は、今の自分と同じような心境に陥るのだろうと空は思う。紅い絨毯を踏み締め、カーテン越しに差し込む薄い夕日に染められ、時折目に跳び込んでくる壁の血痕を見ながら、無言の店主の後をついて行く。いったい何時から自分はホラーの世界に迷い込んでしまったのか。空は入る前から感じていた悪寒が強くなっていくことに身を震わせる。
 ‥‥‥‥そう、空は、今恐怖を感じている。
 これまで数々の修羅場を駆け抜けてきた空は、滅多に恐怖を感じない。感覚が麻痺しているわけではないのだが、怪人としての超能力を持って生まれた空にとって、自分よりも各上の相手と出会うことなど滅多にあることではない。
 ‥‥と言うより、出会ったことなど無い。
 だと言うのに、ここにいる者達は‥‥‥‥‥‥

「お待たせいたしました。こちらの部屋となります」
「‥‥え?」

 突然歩を止めた店主は振り返り、空に道を空けて壁に寄った。空の前には頑丈そうな鉄製の扉が存在し、館の古めかしくも高級そうな調度とは明らかにミスマッチなその扉は、まるで自らの口に入ろうとする獲物を待ち構えるかのように、自信の存在感を強調している。

「紹介状の方は、この中でお待ちしております。本日はこちらの部屋への御客様はおりませんので、どうぞ、ごゆるりとご歓談をお楽しみ下さい」
「‥‥そうね。楽しめれば良いんだけどね」

 空は苦笑を浮かべながら、扉に静かに手を掛けた。
 ガクンと、手に大きな荷重がかかり、微かに油の軋む音が鳴り響く。
 まるで重罪人を閉じこめておくための監獄のようだ。気配もなく後ろに下がる店主に、空は不安を増大させながらゆっくりと、しかし大きく扉を開け放った。

「‥‥‥‥邪魔するわよ」

 空は一言だけ断り、一歩、部屋の中に踏み込んだ。
 室内は薄暗く、斜めに傾いている天井の明かり窓から差し込む夕日だけが光源となっている。ランプは天井からぶら下がっている物が一つ、テーブルの上に一つの計二つあるが、どちらも火が灯されていないために薄暗いのだ。
 慎重に一歩、また一歩と踏み込んでいく空‥‥‥‥と、三歩目を踏み出し、テーブルに近付いた途端に、背後の重い扉が ガチャン! と大きな音を立てて閉まり、空の肩を跳ね上がらせた。

「ちょ、ちょっと! 勝手に閉めないでよ!?」
「そうは言っても、もう外には聞こえませんよ」

 背後の扉に振り返った空に向かって、冷たい声が掛けられる。その声に反応しようとした瞬間、空の体は意思とはまったく無関係に動き、頑丈な扉に背中を預け、声の聞こえてきた薄暗い闇へと体を向けて両手を構えた。
 ただ、声を掛けられただけだというのに、体は反射的に戦闘態勢に入っていた。

「‥‥別になにもしませんよ。楽にして下さい」

 口調は穏やか。殺気が籠もっているわけでもない。
 むしろ構えている空の方が、圧倒的に殺気立っているようにも見えた。
 そんな空を前にして、暗闇にいる相手の声色は、実に穏やかな物だった。
 明かり窓から差し込む夕日は、ちょうど声の主の手前で途切れている。差し込んでいる陽射しはベッドの上を半分程照らしだし、その光の中に、受付嬢や店主と同様にローブで体を包んだ少女(だと思った)が座っていた。

(この子が‥‥‥‥)

 今日の相手かと、空は小さな咳払いで緊張を解して戦闘態勢を解除した。
 薄暗い影の中、ローブを着込んでいる少女は静かに空を観察している。
 敵意があるのか無いのか、それすらも読むことが出来ない。それ故に戦闘態勢を崩すことにも若干の抵抗があったのだが、自分が相手と交渉する時、相手が殺気立っていては話にならない。今の場合は空が殺気立ってしまっている。それでは、相手も空に対して不信感しか湧いては来ないだろう。

「あなたが、今日会う相手なのかしら?」
「‥‥何も聞いていないのですか?」
「エスメラルダからは、“ちょっと変わった子”ぐらいにしか聞いていないわね。まぁ、詳しく話したがらない理由も、何だか分かった気がするけど‥‥‥‥」

 空は肩を竦め、テーブルの上に置かれているランプに手を伸ばした。古めかしいランプの横に置いてあったマッチを手に取り、ランプの芯に火を灯す。染みこんでいた油に点いた火はユラユラと揺れ、そして薄暗かった室内を照らし出した。

「‥‥やっぱりね。あなたも、あの店主達も、みんな人間じゃなかったって訳?」
「ここはそう言う店ですよ。あまりお客さんは来ませんけど」

 そう言いながら、少女は顔を覆い隠していたローブを後ろに降ろし、ランプの光の中にさらけ出した。
 ‥‥そこにあったのは、人ならざる緑色の顔。
 いや、人の顔を形作ってはいるものの、よくよく目を凝らしてみると糸のように細い蔓のような物が集合し、その形を象っているだけだった。
 つまりは顔ですらない‥‥‥‥一体どこが脳で、どこが喋っているのか、それすらも分からない。子供が見れば、花のお化けとでも言うかも知れない。しかし目の前にいる相手が、そんな程度で済ませられる程軽い存在ではないことは、空はしっかりと理解していた。

「まさかね‥‥‥‥噂には聞いていたけど、モンスター専門店なんてあったのね」

 物珍しそうに少女を眺める空の視線から逃れるように、少女は体を縮めてベッドの端へと移動した。
 モンスター‥‥本来ならば、聖獣の加護によってソーンに入ることすら出来ないはずの異端の種族。聖都エルザードと対立するアセシナート公国の主力であり、人間と対を成して敵対し続けているモノのことである。
その力、特性、性質はあまりに多種多様であり、もはやどこからどこまでがどの種族であるのか、どのような体内構造をしているのかなども知られておらず、解明も進んでいない。
しかし人食いであるモノが多いことから、このエルザードへの立ち入りなどまず出来ない筈だ。例え知性があろうとも、モンスターと言うだけでも間違いなくアセシナート縁のモノであり、エルザードへ入り込むことなど出来るはずもない。
 ならば何故、そんな者達の集まる店が、このベルファ通りに存在するというのだろうか‥‥‥‥?
 戻ってから、エスメラルダに訊いてみる必要があるかも知れない。
 そんなことを空が考えている時、空の“モンスター”発言に不機嫌になったのか、少女は唇を尖らせて抗議してきた。

「モンスターなんて言わないで下さい。否定はしませんけど、私達にとっては人間達だって十分にモンスターに見えますよ。あなたはそう思わないんですか?」
「まぁ、ね」

 確かに、モンスター側にとっては人間の方がモンスターに見えるかも知れない。
 今更ながらに、空は何故、エスメラルダが空を派遣したのかが良く分かった。
 ただ生存率を引き上げたかったから空を選んだわけではない。空は、人間とモンスターとの中間に存在するような存在だ。エスメラルダがどこまで空のことを理解できているのかは分からないが、しかし他の人間よりかは、ここにいる者達に近い存在だろう。
 自分の存在の曖昧さに苦笑しながら、空は降参するかのように両手を上げて謝罪した。

「そうね。悪かった。私があなた達をモンスター呼ばわりするのも、失礼な話だったわね」
「あなたは‥‥私達とも違うみたいですけど」
「あら、お見通しなのね?」

 エスメラルダが話しているとは思えない。ならば、空が本能で危険を察知しているのと同様に、この少女もモンスターとしての能力か本能で、空が普通の人間ではないことを看破していたのだろう。
 空は「なら遠慮も必要ないわね」と、遠慮も無しに少女のベッドに腰掛けた。
 最初の緊張など、微塵も感じさせない空の仕草に、少女は怪訝そうに眉を顰める。

「最初は警戒して、今度は遠慮もなく近寄ってきて‥‥‥‥あなた、いったい何なんですか?」
「エスメラルダからのお使い‥‥‥‥って、そんな意味じゃないわよね」
「当然です」
「隠す必要もないって分かったんだから、遠慮なんかしないわよ。それに、あなたもエスメラルダに目を掛けられてるぐらい何だから、変なことはしないでしょ?」

 空が少女に近付くことが出来たのは、少女の殺気の無さと、そしてエスメラルダからの紹介であるという二点の御陰である。
 如何に空であろうとも、少女の身体に殺気がないからと言って、不用心に近付くことは出来なかっただろう。頭の中では今でも警鐘が鳴り響き、体は逃げだそうとしている。しかしそれ以上に、エスメラルダはこの少女を信じ、匿っているという事実がある。その事実は空の本能よりも知識よりも遙かに重く、信じるだけの価値があると空は思えたのだ。
 空の答えに、少女は小さく笑っていた。

「そうですね。あの人の期待には、応えたいですからね」

 エスメラルダとどれだけの付き合いがあるのかは知らないが、少女もエスメラルダを慕っているらしい。どんな事情があるのかは知らないが、少女は力のあるモンスターだ。そんな少女をエルザードに匿う辺り、エスメラルダもお人好しというか‥‥‥‥そこまでされると、返って頭が上がらなくなるのかも知れない。
 空は少女と共に笑い、そしてエスメラルダからのお使いを済ませることにした。
 エスメラルダからの仕事は、少女の様子を見てくること‥‥‥‥だが、実際に見ているだけというわけにはいかない。
 空は少女の近況や、エスメラルダへの伝言などを少女から聞いた後、雑談混じりに少女が何故こんな場所で過ごしているのかを問いかけてみた。

「私のこと‥‥‥‥ですか?」
「そうよ。だって気になるじゃない? あなた、かなり強いでしょ。何でエルザードに出て来たの? アセシナートなら、結構な暮らしが出来たんじゃない?」

 空が、この少女を見た時から思っていたことである。
 手合わせしたことはないが、少女は空でも脅威を感じる程の力を持っている。いや、実際に見るような状況になったら、恐らくは勝てないだろうと踏んでいる。
 少女の身体が小さな植物の集合体のような物で構成されていることは分かったが、攻略法は持ち得ていない。この手のモンスターは、まず生命力が強く、すぐに再生するのがよくいるタイプだ。どれだけ優れた能力を持っているとしても、肉弾戦を主体とする空とは相性が悪い。
 そんな相性の悪さを差し引いたとしても、少女の力は本物だろう。戦闘向きの性格とも思えないが、それでもエルザードとの争いに熱心なアセシナートにとっては、それなりの地位を得ることも自由を得ることも出来たのではないかと空は思っていた。
 ‥‥‥‥しかし、そこまで現実は優しい物ではない。
だからこそ、この少女はここにいるのだ。

「‥‥‥‥私は、どっちにいても厄介者でしたから」

 少女は顔を俯かせ、小さな溜息を吐いた。
 表情は読めない。しかし、その仕草に滲む深い悲しみを、空は見逃すことは出来なかった。

「あ‥‥ごめん。今のは聞いて言い事じゃなかったわね」
「別に構いませんよ。私も、同僚の人達には話してますから。愚痴も混じってますけど」

 申し訳なさそうに謝る空に、少女はそう言って笑いかけた。

「空さんの言ってることは、確かに合っていますよ。アセシナートの軍にでも入れば、私も私の仲間も、たぶん幸せに暮らせたんでしょうね」

 少女は、そう言って自分が何故こんな暮らしを始めたのか、これまでの経緯をぽつりぽつりと語り始めた。
 ‥‥‥‥今から数ヶ月前、少女の仲間達はアセシナート公国の森に流れ着いた。
 この時の少女達は、自分達がいる場所がアセシナート公国であることも知らず、ただ深い緑に覆われている広大な森の中を彷徨い、それなりに楽しく暮らしていたのだそうだ。
 何しろ、彼女たちは植物のモンスターだ。人里で暮らすよりも、地と草木によって支配されている森の中で過ごしている方が性に合っているし、何よりも森の守護者であるエントに連なる種族(エントとは、巨大な樹木の精霊。でかくて強い)の彼女たちにとっては自分達の住む森を守ることこそ生き甲斐であったのだ。
 ‥‥だが、そこは戦いに生き、好んで邪悪を行う魔の聖地‥‥アセシナート公国である。
 強力な大地の力を持つ彼女たちの存在は間もなく公国の領主達に知れ渡り、傘下に加わるようにとスカウトが来たのだ。
 ‥‥‥‥いや、スカウトなどとは生温い。領主達は是非に自分の部下にと、報酬や領地を提供するのではなく、「森に火を付けるぞ」と言い放ったのだ。
 アセシナートの領主達とて、馬鹿ではない。彼女たちの力をよく知った上で、もっとも効果的な脅しを掛けたのだ。彼女たち森の守護者にとって、森は絶対だ。それを守るために、強大な力を持っている。
そんな彼女たちは、基本的に専守防衛、自ら外に攻め込むことなど有り得ない。森を傷つけられない限りは力を振るうようなこともせず、アセシナートの傘下に加わりエルザードと戦争を行うなど有り得ないことだった。
‥‥‥‥だが、それも森があっての話である。
森は動けない。広大な森を、少人数で守りきることなど出来ない。アセシナートの領地である限り逃げ場はなく、いつでも向こうはこちらを包囲し、消すことの叶わぬ魔法の火を放てるのだ。
 勝ち目など無かった。
 だが、自分達の力で他の者達を傷つけることなどしたくない‥‥‥‥しかしこのままでは、アセシナートの領主達は大喜びで森に火を放ち、少女達を殺しに掛かるだろう。元より邪悪に染まりきった連中だ。自分達の領地に自分達の思い通りにならないモノが住み着いているとなれば、採算を抜きにして殺しに掛かってくるだろう。実際にそんな連中と対峙した少女達は、その事を痛感した。自分達に、逃げ場はないだろう‥‥‥‥と。
 アセシナートにも属することなく、森も傷つけずにいる為の方法となると、もはや少女達がアセシナートの領地から脱出する以外に望みはなかった。傘下に加わらなければ森を燃やすと言っていたが、そこに当人達がいないのでは意味がない。第一、その森はアセシナートにとってもそれなりの有益な資源があるはずだ。多くのモンスター達が住み着いているし、意味もなく燃やすと言うことまではしないだろう。
 そうして、少女達はアセシナート公国から脱出を試みた。しかし地図も無しに彷徨ったところで、逃げ出せる算段は酷く薄い。領地から抜け出すつもりで返って奥深くに行ってしまったり、軍に追いかけ回されたりと散々な目にあった。
 そうして一人、二人と仲間を失い、ようやく辿り着いたエルザード‥‥‥‥‥‥
 しかしここに来ても、少女は敵として認識されたのだ。

「さすがに凹みましたよ。これなら、向こうにいた方が良かったかなって」
「‥‥‥‥」

 少女に掛ける言葉が見つからず、空は押し黙ったままで少女の話を聞いていた。

「でも、もう自棄になって暴れてやろうかって時にマフィアさんの親分さんが保護してくれまして、今ではエスメラルダさんのお世話になっているんです。まぁ、この部屋から一歩も出られないのは辛いですけど」
「ぁ、それは嘘でしょ」
「え‥‥?」

 すかさず突っ込んだ空の言葉に、少女は怪訝そうに顔を上げた。
 そんな少女の反応に、空も頭上に?を浮かべ、ポケットに入れていた物を取り出した。

「これ、あなたの種じゃないの?」

 空が取り出したのは、ここに来る前に若者達から絡まれた時、空を救った弾丸である。
 若者達を打ち据えた弾丸を調べた空は、それが何か、固く、しかし奇妙な弾力を保っている種子であると鑑定した。
 そして、この娼館と道中で見た怪しいローブの人物‥‥‥‥
 この少女ならば、体を解体するなり小さくするなりして、天井の明かり窓からでも外に出ることが出来るだろう。空はてっきり、外へ散歩に出ていた少女が空を助けてくれたものだとばかり思っていたのだが‥‥‥‥
 空から種を手渡された少女は、それをしげしげと眺め、そして突然空に詰め寄ってきた。

「こ、この種はどこで!?」
「ここに来る前に、道で‥‥‥‥あなたみたいにローブ姿を隠している人が撃ってきたんだけど‥‥‥‥あなたじゃないの?」
「私じゃあありません。でも、心当たりがあります」

 少女は「神様!」と種を握り、祈るように手を合わせた。
 本心から喜んでいるのだろう。その瞳には、微かに涙すら浮かべている。

(もしかして‥‥‥‥)

 空も、そこまできて少女が喜ぶ理由に気が付いた。
 その種は、少女の物ではない。では、一体誰が空を助けたのか?

「もしかして、お仲間さん?」
「そうです。同胞の種を、私が見間違えるはずがありません」
「‥‥‥‥本当に?」

 空は、信じられないといった面持ちで少女を見つめていた。
 アセシナートの追っ手によって散り散りになり、エルザードに潜伏しながらも再会できるというのか。この街に潜むだけでも困難極まりないというのに、追っ手から逃げ切り、その上で無事にまた会えるというのか‥‥‥‥
 エスメラルダに報告するべきかどうかで思い悩む空の思考は、次の少女の言葉で吹き飛ばされた。

「こうしてはいられません! 今すぐ出ましょう!」
「ちょ、ちょっと!?」
「この種を拾ったところまで案内して下さい! すぐに見つけて見せますから!」

 自信満々に言う少女は、仲間と出会える歓喜で満たされている。
 しかし第三者である空は、そこまで楽観的には事を見ることは出来ない。力のあるモノが街を彷徨いていれば、街の者達も薄々は気付いているはずだ。下手に動けば芋づる式にこちらまで捕らえられる可能性がある。仲間の生存の可能性が出て来たことで冷静さを欠いている少女は、自分の置かれている状況を忘れかけているようにも見えた。

「待って! せめて、明日にしましょう! 下手に動くと、二度と会えなくなるわよ!?」

 空は必死になって少女を止めに掛かる。
 少女は、マフィアに拾われ、エスメラルダの監視下に置かれることで潜伏を成功させている。確かにアセシナート公国からの追っ手は振り切ったかも知れないが、逆にマフィアの監視下に入っているのだ。ここで行方を眩ませれば当然追っ手は掛かり、エスメラルダにも危害が及ぶだろう
 むやみに動けば空も、少女も、少女の仲間も巻き込んでしまう。空の必死の説得に、少女は渋々ながらも折れてくれた。

「‥‥‥‥分かりました。エスメラルダさんにまで、迷惑はかけられませんから」

 さしもの少女も、自分を匿ってくれている者を引き出されると弱くもなる。元々森と仲間を守るために逃げ出してきた少女だ。自分だけならばまだしも、他の者にまで迷惑をかけるような状況は避けたいのだろう。

「そうそう。大丈夫よ。私からエスメラルダに頼んでおくから、ちゃんと外に出られるようにしておくわ」

 空はそう言い、ドンと胸を叩いて笑っていた。
 しかし胸中では、空は僅かに焦っていた。
 明日までに、エスメラルダとマフィアを納得させるだけの理由を揃えなければならない。特にマフィアは、何らかの採算があって少女を匿っているのだろうから厄介な相手である。まさか少女の仲間を売り渡すわけにも行かないし、こうなったらこっそりと少女と仲間を脱出させる準備をしておく必要もあるかも知れない‥‥‥‥

「やったぁ! お姉さんって、良い人なんですね♪」
「アハハハハ‥‥まぁ、お人好しとはよく言われるわ。特に厳しい踊り子さんにね」

 猫のようにじゃれつき、甘えてくる少女の頭を撫でながら、空は乾いた笑いを上げて冷や汗を流した。
 ‥‥‥‥こうなったら乗りかかった船である。
 多少のリスクには目を瞑って、まずはお礼をこの少女に前払いして貰おうではないか。
 空は少女の頭を胸元に抱き寄せながら、エスメラルダへの言い訳を考えるのだった‥‥‥‥







FIN



☆参加PC☆
3708 白神 空


☆あとがき☆
 どこに百合があるのさぁ! ‥‥百合があるのさぁ! ‥‥あるのさぁ!(エコー)
 ついに百合の片鱗すらなくなった、メビオス零です。
 さて、今回のシナリオは‥‥‥‥むぅ、ソフト百合どころか‥‥‥‥そもそもモンスターにも程があるだろう、私。
 本当は少女VS空も考えていたんですけど、時間の都合上カットしました。就職に追われて仕事が来ていることに気が付くのが遅れたのが致命傷。あ、就職先は決まりましたよ。どうでも良いことですが。
 さて、今回の仕事は最後の最後で「続く」みたいな終わり方ですが、残念ながら続きません。続いたとしても大分先のことになると思います。
 なぜなら‥‥‥‥私が活動を休止するからですよ。
 しばらくの間は、仕事に集中します。そもそも以前から、書き物のクオリティとか、ペースとか、色々と思うところがあったのですよ。数年前と比べると腕が落ちてる気がするし、最近本とかも読みあさってない所為か微妙に‥‥‥‥なんだろう。何か大事なモノを忘れている気がするのですよ。
 と言うわけで、しばらくの間は書き物の仕事は休止です。いつ復活かは不明ですが、いつか戻って来れればいいなぁと思っています。戻ってくるつもりは満々です。
 その時はまた、よろしければよろしく御願いいたします(・_・)(._.)



 今回のご発注、誠にありがとう御座いました。
 ご意見、ご感想、ご指摘、ご叱責などが御座いましたら、どうぞ遠慮容赦なくおっしゃって下さいませ。
 今回もこれまでも、度重なるご発注、誠にありがとう御座いました!