<東京怪談ノベル(シングル)>
『始まりの冒険』
エルザードで一番賑やかな繁華街、ベルファ通りにある酒場の1つ、黒山羊亭が一番賑わいを見せるのは夕方になってからだ。
黒山羊亭の女主人にして踊り子でもあるエスメラルダは、今夜はワインの様な濃い紅のドレスを纏い、酒場の客に楽しそうな、しかしどこか寂しげな笑顔を見せていた。酒場にいる客のほとんどは、エスメラルダ目当ての男ばかりで、次いで多いのはこの酒場に時々張り出される各依頼人からの、仕事の依頼書を見に来る者達であった。
依頼書には様々な内容の依頼が書かれており、ペットの捜索や子供のお守り、はたまた重要人物の護衛やドラゴン退治まで、数多くのものがあった。
冒険者になるなら、依頼の1つでもこなさなきゃな。そう思い立って、夜の黒山羊亭に足を運んだのは、駆け出しの冒険者、ヒャルゥ(ひゃるぅ)であった。銀色の髪に、不思議な輝きを持つ金色の瞳、そして有翼人特有の鳥の翼を持つヒャルゥは、つい先日、冒険者になる為に故郷の村を飛び出し、このエルザードへとやってきた。
冒険者といっても様々だが、それをまわりに認めてもらう為にも、まずは行動を起こさなくてはならない。エルザードに到着してから、この黒山羊亭に冒険者を対象にした依頼が張り出されていると聞き、人通りの多いこのベルファ通りに入り、そして黒い山羊の看板を探したのであった。
「おい、ここはガキの来る所じゃねーぞ」
店の入り口に一番近いテーブルで酒を飲んでいた大男が、真っ赤な顔をしてヒャルゥに声を投げかけた。近付くだけで酒臭いその男は、フンと鼻を鳴らすと再び酒を飲み始めた。
「そんなの冒険者には関係ないだろ!俺は依頼を探しに来たんだからな!」
ヒャルゥが言い返すと、今度は後ろから声が飛んできた。
「お子ちゃま冒険者が何をするんだい?始めてのおつかいかな、それとも、腰を痛めたばーさんの庭の掃除とか」
背の高い男が、黒髪のやたらに露出度の激しい服を着た女と一緒に、こちらを見て笑っていた。
「俺は冒険者なんだ。冒険者なら、魔物退治に決まってるだろ!ドラゴンとかデビルとかな!」
ヒャルゥが言い返すと、背の高い男はさらに続けた。
「ドラゴンねえ。知ってるか?ドラゴンって尻尾を押さえると、尻尾を切って逃げるんだぜ」
「おいおい、それはドラゴンじゃなくて、トカゲだろうに!」
先ほどの酒臭い男がそう言うと、どっと酒場に笑い声があがった。
「何だよ、バカにしやがって!」
ヒャルゥは男達を睨み付けたが、まるで相手にされなかった。
確かにヒャルゥは、今この場では子供の部類に入るのかもしれないが、冒険者としての誇りは誰よりも持っているつもりであった。
男達は、突然酒場に現れた14歳の「少年」冒険者を馬鹿にしていたが、奥からエスメラルダが現れたとたん、その興味はすっかりヒャルゥから彼女の方へといってしまった。
「相変わらず綺麗だな、エルメラルダ」
「ふふ、有難う。貴方、元気そうね」
綺麗だが、どこか影のある人だ、とヒャルゥは思った。一瞬、自分が成長したら彼女の様になるのだろうか、とも考えた。
それは、実はヒャルゥは女だからなのだ。冒険者になる以上、危険な事や争いになる事も多いと考え、女だからとなめられないよう、男のフリをしており、振る舞いや口調も男を意識していた。
ヒャルゥをからかっていた男達が、すっかりエスメラルダの方へといってしまったので、ヒャルゥは掲示板の元へ行き、張り出されている依頼書を見つめた。依頼の内容よりも、その書式に見とれていたヒャルゥであったが、ふと気づくと、その中の1つに、魔物退治の依頼がある事に気づいた。
「魔物退治!やっぱり、冒険者はこれだよな!」
ヒャルゥは顔を近づけて、その依頼書に目を通した。依頼人は、エルザード郊外に住んでいる女性で、自宅の納屋に魔物が出て困っているのだという。募集項目には経験不要と書いてあるので、初めて依頼を受けるヒャルゥでも問題ない、ということであった。
「その依頼が気になるの?」
突然すぐ横で声が聞こえたので、ヒャルゥは驚いて振り返った。
「小さな冒険者君、その依頼を受けてみる?」
ヒャルゥが依頼書に夢中になっている間に、エスメラルアがすぐ横まで来ていた。彼女はワイングラスを手に持ち、艶やかな笑みを浮かべて、こちらを見つめていた。
「え、あ。勿論だ、エス、エスメラルダ。俺は冒険者だからな!」
ヒャルゥがそう答えると、エスメラルダは依頼書を壁から剥がし、それを畳んでヒャルゥへと手渡した。
「初めて見る顔ね。ここで依頼を受けるのは初めてなんでしょう?」
「ま、まあな!一人前の冒険者になる為には、これぐらいこなせてないといけないし!」
依頼書を受け取りながら、ヒャルゥが答えた。
「貴方なら大丈夫よ。ここの男達よりも、よっぽどうまく、この依頼を成功させられると信じているわ。頑張ってね」
優しい笑顔を見せたエスメラルダに、ヒャルゥは力強く頷いた。
「勿論さ。頑張って魔物退治して、早く立派な冒険者にならないといけないからな!」
「よくいらして下さいました。まあ、こんな幼い子が来ると思いませんでしたが」
翌日の朝、依頼人の女性は、尋ねてきたヒャルゥを、問題の納屋に案内しながら呟いた。
「ここのところ暖かい日が続いていましたので、魔物が増えてしまいまして」
「魔物が増えた?」
その女性は、この郊外で園芸を営んでいるらしく、庭先から畑まで、ちょうど暖かな陽気であったのもあり、色とりどりの花が咲き乱れていた。白や黄色、青や赤の色を見て、ヒャルゥも何となく心が安らいだ。
「春になると魔物が増えるのか?というか、そんな魔物が増えているのに避難しなくていいのか?」
「避難?何もそこまでする必要はありませんわよ」
女性は細く笑うと、ヒャルゥを連れて茶色の小屋の前で立ち止まった。そして、鍵を取り出すと小屋の扉に差込み、ゆっくりと扉を開いた。
「ここ?」
ヒャルゥは眉を寄せた。魔物が出没したというわりには、破壊されたあともないし、それにやたらに静かである。女性は扉を開くと、すぐにその中へと足を踏み入れた。
「あ、危ない!むやみに魔物のそばに入ったりしたら危ないぞ!」
「危なくなんてないですわよ。何か、勘違いしてますの?」
「勘違い?」
女性が手招きをするので、ヒャルゥも用心しながら納屋の中へと入った。花の種や肥料等を置いておく納屋の様で、壁には棚があり、あちこちに植物の種や肥料が入っていると思われる袋がおかれており、家畜臭い臭いがしていた。
「そこに、駆除道具がありますので、自由にお使い下さい」
そう言って女性が指を指した場所には、平べったく大きなハエタタキや、殺虫剤の入った瓶が置かれていた。
「何十匹いるかわかりませんけれども、ある程度駆除する必要がありますので」
女性がそう言い掛けた時、女性が悲鳴を上げた。
「出ましたわ!あ、あとは頼みますわね!」
恐怖に凍りついた表情で、女性が足元に視線を落とした後、足早に納屋を立ち去っていった。ヒャルゥが視線を足元に落とすと、素早い動きで走り回る、黒いテカリのある6本足の虫が逃げていく姿を見つけた。
「魔物って、これ?」
とたんに、ヒャルゥはがっかりしてしまった。嫌われ者のこの黒い虫を退治するのが、この依頼の内容だったのだ。
「これのどこが魔物なんだよ。害虫退治じゃないか」
この黒い虫を怖がる人は男女問わず多いので、人によっては魔物とも言えるのかもしれないが、それにしても、ドラゴンと戦う自分の姿を想像していたヒャルゥは、いささか拍子抜けしてしまった。
とは言え、依頼には違いない。ヒャルゥは、大げさな告知を載せた女主人にがっかりしながらも、任務を果たすために大きな青色のハエタタキを手に取り、足元にいた黒い虫を思い切り叩いた。ヒャルゥの攻撃は一撃で決まり、黒い虫が動かなくなる。
肥料が置いてあり湿気も多いせいか、黒い虫は次々と姿を見せた。あちこちから出てくるので、人によってはドラゴンの大群よりも強烈なのかもしれない。殺虫剤を振りまくと、そこからまた黒い虫が出てくるので、ヒャルゥはそれを力強く叩いた。翼を使い羽ばたいて、天井近くにまで逃げた虫も退治した。
「こんなの、楽勝だ!」
ヒャルゥは軽やかな足どりで地面へと降り立った。魔物退治を始めてから1時間程経過していたが、目に付くところにいた黒い虫は、大体退治出来たように思えた。
「こんなもんかな。あれ?」
ヒャルゥが立っているすぐ横にある木の床の隙間から、何かがもぞもぞと蠢いている事に気づいた。まだ何かがいるのだろうか。ヒャルゥはその床に近付き、目を細めて隙間を見たが何だかわからない。
「今度は動物でもいるのかな?」
変な小動物が紛れていても困るだろうと、ヒャルゥはその木の床の板をずらした。
「土が動いてる!」
黒い土が、もぞもぞと動いているのを目にし、ヒャルゥは目を丸くした。
「や、土じゃない!これは!」
ヒャルゥは恐ろしい光景を見た。それは土ではなく、何百、何千という黒いあの虫の大群だったのだ!床の影になっているせいで土の様に見えたが、そうではない。
ヒャルゥが驚き一歩下がったとたん、外された板の隙間から、その何百何千という黒い虫が噴水の様に噴出した。
「うわーーー!」
ヒャルゥは悲鳴を上げた。その黒い虫が集団で噴出し、まるで1つの怪物の様にも見えた。
確かに、これは間違いなく魔物である。ヒャルゥは慌てて殺虫スプレーを振りまいたが、何せ数が多すぎるのである。黒い集団は絨毯の様に広がっていき、たちまちのうちに地面を埋め尽くしていく。
暖かくなったので、大量繁殖したのだろうか。殺虫剤では間に合わず、だからといって1つ1つ潰していっても拉致があかない。
「こうなったら、しょうがないけど!」
ヒャルゥは神経を集中させると、火を生み出しその炎で虫を焼き払った。一気に炎で包んでしまえば早いのだが、そういうわけにはいかない。何しろここは木の納屋の中であるから、炎を大きくしてしまえば、火がとたんに燃え移り火事になってしまう。
ヒャルゥの魔法の腕は確かであるが、炎を思い切り使わないようコントロールするのは、派手に炎を生み出すよりも大変な事であった。
少しずつ、炎を広げすぎず、虫だけに炎が巻き起こるようにコントロールしながら、ヒャルゥは黒い虫を退治していった。炎を避け、半分弱ぐらいの黒い虫は納屋の外へと逃げてしまった。もともと乾燥を嫌う虫なので、炎が起こりカラカラになった土から黒い虫が逃げ出し、ある程度虫がいなくなったところで、ヒャルゥは先ほどと同じく、1つ1つハエタタキで虫を潰した。
最後の虫を倒し終わる頃には、激しく動いたのと、魔法の使いすぎとで汗だくになり、頭がふらふらしていた。床は倒した黒い虫だらけで、黒く染まってしまっていた。
「はあ、虫退治にこんなにてこずるなんて」
ヒャルゥは依頼人の女性が怖がらないよう、退治した虫を袋に入れた。その袋はすぐにいっぱいになり、腕で抱えられる程の大きさの袋が10個にもなった。
「随分と時間がかかりましたのね。この袋は何ですの?掃除まで、してくれたのですか?」
「開けない方がいいと思うよ」
任務を完了した事を女性に伝えたヒャルゥは、女性と協力して袋を捨てた。女性は最後まで、この袋は何か、何でこんなにあるのかと聞いたが、地下で黒い虫が大量繁殖し、それがぎっしりと詰まっているとも言えず、ヒャルゥは掃除をして葉っぱを沢山入れたと誤魔化した。
魔物退治と、掃除までをもしてくれた事に感謝した女性から、ヒャルゥは依頼書にあったのよりも少し多目の報酬と、土産の菓子まで受け取り、その農園を後にした。
「魔物退治のつもりが、害虫退治になっちゃったなあ。初依頼って、こんなもんなのかな」
虫退治を思い出し、首をかしげたヒャルゥだったが、まだまだこれから多くの冒険が待っているはずだ。
今日の疲れが消えたら、また黒山羊亭に行って今度こそ、本物の魔物退治をしよう。ヒャルゥはそう決意するのであった。(終)
■ライター通信
初めまして、WRの朝霧です。初のシチュノベを発注頂き、有難うございました。
話の流れはわりと王道ですが、害虫といったら、あの黒い虫しかないだろう、ということで、黒虫退治にしてみました。色々な意味で、ドラゴンよりも怖い生き物ではないかと思います。
楽しんで頂ければと思います。それでは、本当に有難うございました。
|
|