<東京怪談ノベル(シングル)>


夢の入り口


 ジュディ・マクドガルは鉄製の門の前に立ち、とある館を見上げていた。街外れにあるその館には、普段は足を踏み入れる機会が無かった。
 しかし今日は特別なのだ。

 元気でおてんばなジュディに対しての、家での躾けは普段はとても厳しい。しかし数日前に母にも褒められてから、最近はミスもなく上々にうまくできていた。
 母親は今日はさらに、ジュディに特別なご褒美をくれた。それは「ガルガンドの館」で本を読んでも良いというものだった。
 その館の図書室には、様々な冒険や勇者の記録があるという。ジュディはわくわくしながら館へ向かったのだ。

 そしてたどり着いた街外れの館。ガルガンドの館。
 ジュディはこの館の中で本を読む事をとても楽しみにしていた。しかし、いざ目の前にしてみると、館の独特の雰囲気に足がすくんだ。この館の主は女性らしい。ジュディはまだ会ったことがないので少し緊張していた。どんな人なんだろう…。
 ジュディはドキドキしながら鉄製の門に手を触れた。ひんやりと冷たい感触が手の平に伝わる。門を開けて、敷地内に入った。恐る恐るドアに手を伸ばし、ジュディはドアをノックした。
 しばらくして、ドアが内側から開かれる。館の中から姿を現したのは一人の女性だった。
 ジュディはその姿を見て、はっと息をのんだ。
 紫の髪、紫の瞳。色白の肌。豊満な身体。
 美しいドレスに身を包んだ美しい女性は、ジュディを見て優しく微笑んだ。
「こんにちは」
 女性が言う。その美しさに見とれていたジュディは、はっと我に返る。
「あ、こんにちは!あたし、ジュディ・マクドガルです」
「ようこそ、ジュディ。あなたの訪問を歓迎するわ。わたくしはディアナ・ガルガンド」
 ディアナは首元にかかる長い髪を手の甲で払うと、
「あなたの母親から連絡は受けているわ。さあ、どうぞ」
 ディアナはジュディを館に招き入れると、くるりと背を向けて廊下を歩き出した。すっと伸びた背筋、美しい後姿が廊下の曲がり角に消えそうになった。ジュディは慌てて後を追う。

 ジュディは図書室に通された。
 その広さ、そして膨大な書物の数に圧倒される。天井まで届きそうな高さのある書架がいくつも並び、その全てにびっしりと本が詰まっている。図書室の中をぐるりと見回して、ジュディは感嘆のため息をついた。
「遠慮しなくていいのよ。どれでもお好きな本を手にとってね」
「……」
 ジュディはもう一度図書室の中を見回した。これだけの数の本を目の前にしたのは初めてだった。いったいどれを読めばいいのか、ジュディは迷っていた。早く選ばなくちゃ。そう思えば思うほど焦ってしまう。

 くすくすと笑う声が聞こえて、ジュディは驚いてディアナを振り返った。
「この館には様々な冒険や勇者たちの記録がある…あなたが求めるものもきっと…どうぞ、ごゆっくりご覧になってね」
 女主人は口元に笑みを残したまま、図書室を出て行った。

 ジュディはとりあえず書架の間を歩いてみることにした。上の段から下の段までびっしりと本が並んでいる。めまいがしそうだ。
 きょろきょろしながら歩いていたジュディは、一冊の本に目をとめた。赤茶色の背表紙に細い金色の文字でタイトルが書かれていた。
 ジュディは何故かその本が気になった。抜き取り、手に取ってみる。
 少し読んでみようかな。難しそうだったら、また別の本を選べばいいんだし。
 少しだけ読んでみようと思って本を開いたジュディは、すぐにその本の内容に引き込まれた。
 図書室の中には本を読むための椅子と机もあったのだが、ジュディは椅子のあるところまで移動する時間も惜しくて、その場に座り込んだ。

 その本の主人公は女性の冒険者だった。年齢はジュディより上。大人の女性だ。
 女性なので腕力では男にはかなわないのだが、頭の回転が速く、機転が素晴らしい。豊富な知識と好奇心と勇気で、数々の冒険を成し遂げていた。
 しかし主人公は恐れを知らない人間ではなかった。怯え、恐怖を感じる瞬間もあった。しかし逃げる事は恥ずべき事と思っているようだった。

 ジュディは主人公のピンチの場面では、涙が出そうなほどはらはらしながら応援していた。
 主人公は何度もピンチに陥りながらも、けして諦めることはしなかった。そして自分の力で活路を見出すのだ。

 憧れる。
 本を読み進めるにつれて、ジュディはその主人公に憧れを抱くようになっていた。
 いつか、自分もこんな冒険者になれるだろうか。
 いや、なりたい。
 自分も、いつか…。


 長い物語を読み終えて、ジュディは本を閉じた。ほう、と息をつく。興奮して、頬が紅潮していた。
 本を閉じても主人公の冒険が終わるわけではない。
 もしかしてこのお話には続きがあるんじゃないかな。
 ジュディが本棚を探してみようと思った時、ディアナの声が聞こえた。
「ジュディ、そろそろ夕御飯の時間じゃない?」
「え?」
 ジュディは窓の外を見た。夕暮れの赤が空を染めていた。
「わあ、もうそんな時間!?」
 すっかり時間を忘れて本に没頭していた。ジュディは急いで本を元の場所に戻した。
「探し物は見つかった?」
 ディアナの声に、ジュディは振り返る。
 探し物?読みたい本の事かな。
 はい、と即答しそうになって、ジュディは少し考えた。
 あたしの探し物は…。あたしの夢は…。
 ジュディは胸元に手を当てて、ディアナを見上げた。
「まだはっきりとは分からないけど…でもいつかきっと、あたしはあたしが求めるものを、見つけたいと思います」
 ジュディがそう言うと、
「そう」
 ディアナは満足げに微笑んだ。
「お気を付けてお帰りなさいね」
「はい。ありがとうございました」
 ぺこり、と元気良くお辞儀をすると、ジュディは屋敷を後にした。

 門の外に出て、ふと視線を感じた。振り返ると、窓からこちらを見ているディアナの姿があった。ジュディはぺこりとお辞儀をしてから、走り出した。
 よその母親たちが夕飯の支度をしているのだろう。そこここの家から、美味しそうな匂いが漂っていた。ジュディは急に空腹を思い出した。
 待ち遠しい。
 焼きたてのパン。温かなスープ。
 そして母の顔が見たくなった。
 ずっと感じていた。
 あの本の主人公はどこか母に似ている。

 だからこそジュディはあの本に惹かれ、没頭したのだろうか。
 あの本を手に取ったのも必然なのだろうか。
 まさか、ね。
 偶然だよ、とジュディは思うことにした。

 でも、きっと。
 きっといつか。

 自分も、自分だけの冒険を成し遂げたいと思った。強くて賢くて気高い、でも優しくて温かい、あの主人公のように。自分を誇れるように。頑張ったねって褒めてあげられるように。今よりも強い自分になりたい。いつかきっと、そうなってみせる。

 ジュディは夕焼けの中、屋敷への道のりを走り続けた。