<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
虹色石の円舞曲 opal-waltz
「いやー食った食った。勘定はここに置いておくぞー」
満腹になったことで満足した冒険者が、自分が座っていたテーブルに代金を置いて立ち上がる。
「はーい。ありがとうございましたー!」
ルディアはその声に顔をあげ、お皿を提げるためにお盆を持ってテーブルに向かい。代金をとりあえずエプロンのポケットに入れてお皿をお盆に積み始めた。
「あ、あれ?」
同じ冒険者の困惑したような声が小さく耳に入る。
「どうかしたんですか?」
ルディアはその場から冒険者に向けて声をかけ、軽く首を傾げる。
「いや、扉が開かないんだよ」
両開きの扉が開かないとはどうしたことだろう。
「押して駄目なら引いてみろ! ですよ」
「あ…ああ、そうだよなぁ」
冒険者はルディアの言葉にも生まれた困惑を隠せない口調で返事をし、扉を引く。
「ほら、引いて正解」
にこっと笑うルディアに冒険者は苦笑いを浮かべ、それじゃと手を上げて入り口のドアを潜ろうと―――
「あでっ」
「え?」
して、潜れなかった。
「う、嘘? え?」
冒険者は額を押さえて蹲り、ぎょっと眼を見開いたルディアはその冒険者に駆け寄る。
「な、何だ? 出て行こうとしたら、何かにぶつかったぞ」
ルディアは恐る恐るといった感じで扉に近付き、そっと手を伸ばす。
「壁! 壁があります!」
透明で、眼で見ることは出来ないが、少しの隙間もなく入り口を塞いでいる何か。
裏口はどうだろうかとルディアは走り、確かめてみるが、前の入り口と同じ。見えない壁によって店から出られなくなっていた。
「もしかして私たち、閉じ込められちゃったの…?」
何に、とか、どうして、とかは、分からないが、閉じ込められたという事実だけが本当だった。
神妙な面持ちで戻ってきたルディアに、レイリア・ハモンドは先ほどの冒険者とルディアの会話から裏口からも出れないことを悟る。
レイリア自身が依頼を受けるわけではないが、白山羊亭に寄せられる数々の依頼と言う名の物語を聞くのは大好きだった。
まさかそんな白山羊亭の雰囲気に浸かりたくて来ただけなのに――依頼というものではないが――たった今、憧れの冒険談の最中にいる。
少しだけ。本当に、少しだけ、レイリアはわくわくしていた。
そんなレイリアから程遠くないテーブル。サクリファイスは軽い食事を終え、独り考え込む。
夢魔の存在。それを追うと思われる少年。
彼は結局サクリファイスに答えを示すことなくその場を去ってしまった。
何もかもが分からないことだらけだ。
周りの喧騒がまったく耳に入ってこないほど、悶々と考え込み、かき混ぜすぎたコーヒーは熱を何時もよりも早く奪い、今では生ぬるい。
サクリファイスはそんなコーヒーさえも気に留める節も無く、ぐいっと飲み干すと、
「勘定はここにおいておく」
と、それだけ言い残して、また何事か考えたまま、白山羊亭の入り口へと歩き始めた。
「え、ちょっと、サクリファイスさん!」
ルディアはぎょっとしてサクリファイスの名を呼ぶ。
サクリファイスがその呼びかけは少々遅すぎた。
ゴイ――――ン……
「つぅ…」
サクリファイスは鼻先を押さえてその場に座り込む。
そのまま進んでいれば額をぶつけるだけですんだのだろうが、呼びかけに答えるため顔を上げたため、真正面からぶつかってしまったのだ。
「…大丈夫?」
「……いたた……なんだ、これは……?」
ちゃんと扉は開けたはずなのに外へ出れなかった。
「なんかね、壁があるみたいなの」
閉じ込められちゃったみたいなの。と続く言葉に、サクリファイスは怪訝そうな面持ちで目の前の入り口に顔を近づける。あまり近づけるとまたぶつけるため、ほどほどに、だが。
「壁……? 壁と言ってみても……何も見えないが……しかし」
手を伸ばし、そこに何か物理的な障壁が存在すると言う感覚が掌に伝わると、妙に納得した面持ち頷く。
「……確かに、壁、だな」
「サクリファイスさんの前にもいたんですけどね」
騒動に気が付かないくらい何か考え事? と、覗き込むルディアに曖昧な笑顔で返す。
(でも、どうして閉じ込められてしまったのかしら)
入り口に近付いたレイリアは、ぺたぺたと確かめるように透明な壁に手を添える。
「誰かの悪戯とかだといいんだけど……」
呟いたルディアにレイリアは視線を上げる。苦笑しているその顔を見るに、過去、何かしら大事には至っていないが類似の事象があったのではないかと思わせた。
レイリアは透明な壁に視線を戻す。
気になる。
例え誰かの悪戯だとしても、何かしら理由や原因があるはずだ。
レイリアは白山羊亭の中を見回す。何かしら、そう、原因だと思えるような人、物がないか探ってみることにした。
きょろきょろと白山羊亭を見回しながら歩き回る。
実年齢はどうあれレイリアの見た目は子供だ。何か探すように歩き回っていても、この状況に吃驚して落ち着き無くウロウロしている程度にしか思われないに違いない。
現に、
「どうするんだよ! ああ、このまま帰れなかったら、親方に怒られちまう」
1つのテーブルで頭を抱えて突っ伏す若い職人が居たり、サクリファイスと同じように武器を構えて強行突破しようとするのを止められている冒険者が居たり。
レイリア1人の行動なんて目立つものではない。
もしかしたら犯人は、この状況下、客がどんな反応を示すのか面白そうに観察しているかもしれない。
それに、ここまで綺麗にすっぽりと覆うような壁だ。物理的な要因と考える方が間違っている。
ともすれば魔法的な要因によって壁が出来ているわけだし、何かしらの魔法の媒介が白山羊亭に隠されている可能性もあるだろう。
レイリアは辺りを見回しながら、意識を研ぎ澄ませる。
魔石の力を感じ取るときのように、何か感じられないかと思って。
圧迫された空気。感じ取る以上のものが空間を支配していて判断が付けられない。
レイリアはその場で立ち止まり溜め息一つ。
また辺りを見回して、魔法を使いそうな冒険者を見つけると、そのテーブルへと近付いた。
「あなた、魔法使い?」
「まあ。一応はね」
「あの壁、私魔法だと思うの。解くこと、できない?」
「やれるなら、もうやってるわ」
レイリアも分かっていて聞いている。相手に、子供が無邪気に問いかけていると見えればいい。
「そうよね。ごめんなさい」
あからさまに気落ちしたフリをして、レイリアは肩を落とす。
魔法使いはそんなレイリアを元気付けようと、優しく言葉をかける。
「ここを被っている結界は、特殊みたい。私が使える魔法系統とは全然違うの。早くお家に帰りたいわよね。力になれなくてごめんなさい」
「ううん。ありがとう」
レイリアは微笑んで魔法使いから離れる。
そして、低い目線を生かして、足元に見覚えの無いモノが落ちてないか見回しながら、また白山羊亭の中を歩く。
突然の出来事、突然の気配、ここまで同じような状況に置かれると、先日のことを思い出してしまう。
今はわざとだけれど、あの時、思いっきり自分を子供扱いした、紅玉の瞳を持った少年――アッシュ。
レイリアが覆われた方陣は触れば爆発するようなものだったけれど、今回のものは触っても何ら害はない。ただ、出られないというだけで。
「……あの子、どうしてるかしら」
あの子というには少々年齢が上だが、真っ直ぐな行動はどこか子供じみていて、レイリアはふと呟くように零す。
(手がかり見つかったのかな、大丈夫かな…)
人間違いをしてしまうほど――しかも、あんなにも攻撃的になるほど――ムマを探している彼。
また誰か他の人に迷惑をかけてなければいいけれど。
レイリアは、閉ざされた白山羊亭の扉についっと視線を向けて、微かに眉根を寄せる。
何もなければ思い出さないのに、どうして今日思い出してしまったのだろう。
繋げる手がかりなんて何も無いのに。
これは、女の勘?
(どちらもで、いいわ)
何時も、何時も、自分とは違う“外”で繰り広げられている冒険を、今日は自分も体験することができたのだから。
でも、もし本当にこの閉じ込め騒ぎの犯人がアッシュだったら、次に遭えた時に叱っておこう。
もちろん、ちゃんと理由も問いただして。
白山羊亭にそのまま取り残されていたお客や冒険者も、閉じ込められているだけという状況になれ、今や穏やかに、普段は係わり合いにならなさそうな人たちと談笑している。
食材さえ無くならなければ、美味しい料理もある白山羊亭は、状況に対して余り危機感を感じていないようだ。
レイリアも原因を探すのを止め、何時ものカウンター席に腰かけて、お茶とお菓子のセットを頼む。
「新しいお客様がこないだけで、余り何時もと変わらない感じね」
ルディアが店の中を見回して、感慨深く呟く。
「そうね。ある意味ではいいお休みになった人もいるかもしれないわ」
温かい紅茶に口をつけ、レイリアは人心地付く。
入れなくなったお客や冒険者によって、白山羊亭が封鎖されてしまったことは、外の人々の耳に入っているだろうから。
「ずっとなら困るけどね」
そうはならないような気がする。
「大丈夫よ」
何故と聞かれたら答えられないけれど、この封鎖も一時だけで、気が付けば解けているような。そんな気がした。
☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆
【3132】
レイリア・ハモンド(12歳・女性)
魔石錬師
【2470】
サクリファイス(22歳・女性)
狂騎士
☆――――――――――ライター通信――――――――――☆
虹色石の円舞曲 opal-waltzにご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
アッシュを気にかけてくださりありがとうございます。冒険者のまねごとしつつ、状況を楽しみつつになりました。余り予定ほどコミカルになりませんでした。
それではまた、レイリア様に出会えることを祈って……
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