<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


宿敵二人、酒の上

 虎王丸は目が覚めたら見知らぬ場所に居た。
 薄暗い、何処かの建物の中…と言うよりそれなりに普請されてはいるが乾いた洞窟か何かのような…実際にはそうでもないのだろうがもう感覚的に息苦しい感じがする部屋。地下空間とでも言われれば…ぴったり来そうな場所ではある。
 が。
 そこまで確認出来たからと言ってやっぱり、虎王丸はそんな場所に覚えは無い。自分は今まで何処に居たのか――目が覚める前、自分が眠りにつく前の状況はどうだったのかを考える。俺は何をしていた。誰かと一緒に居たのかそれとも酒でも呑み過ぎて正体失ってこの場所に転がり込んだのか。…判然としない。
 多分、危険は無い。周辺の空気からそれだけは確認すると、取り敢えず身を起こす。そして虎王丸は実際に自分の目でまた周囲を確認する。一応、身を起こした方が横たわっていた時よりこの場所が何処かを判断する為の情報量は増えるから――と。
 思った途端、この場所が何処かを努力して確かめるまでも無く、ある程度察しが付いた。…まぁ場所自体が何処かわからない上に何故こんな状況になっているのかわからない事はそのままなのだが、今どういう状況にあるのかの見当だけは付いた。
 確認する為周囲を見回そうとしたところで、きょろきょろ見回すまでも無く――見知った奴がすぐ傍らで片膝立てて座り込み、杯片手に一人で呑っていやがった。
 虎王丸が身を起こしたのを見届けて、そいつ――飛猿は手にしていたその杯をちょいと掲げて挨拶するような仕草を見せる。
 それから、にやり。
「よぉ。起きたか?」



 虎王丸は自分の目の前に転がっていた空の杯を取るように促された。
 そう促した飛猿はと言うと、酌をしようとでも言うように、瓢箪の口をこちらに差し出している。
 …あの飛猿が、である。
 反応するまでには少し時間が掛かった。
 虎王丸は訝しげに飛猿の顔を見返す。
「お前…何のつもりだよ」
「見た通りだが?」
 酌。
「…だから何でだよ」
「呑みたくねぇのか?」
「…そういう訳じゃねぇけどよ」
「じゃあいいだろ」
「…」
 飛猿は瓢箪の口をこちらに差し出したまま全く引っ込めそうにない。
 ほら、とばかりに瓢箪の口が更にこちらに突き出される。
 その仕草に今度こそ本当に促され、虎王丸は転がっていた杯を拾う。…実際、嫌いな訳でも無い。拾い上げて持ったところで押し付けるようにその縁に瓢箪の口が付けられ、どぷどぷと遠慮無く中身が注がれる。杯一杯になり零れそうになったところで飛猿は瓢箪の傾きを戻しつつ引っ込める――同時に虎王丸は反射的に慌てて杯に口を付けている。折角の酒が零れてしまっては勿体無いと反射的に思う自分が居る。例えそれがこの飛猿に注がれたものであっても――酒自体に罪は無い。…と言うか今の間ではそこまで考えてもいなかったのだが。後付けでそこまで自分に言い訳をしておく。
 で、結局、そのままぐいっと杯を干す。
 そんな虎王丸を見て、飛猿は、ふっ、と力を抜くように笑って見せる。
「…相変わらずの呑みっぷりだな?」
「なめんな。それより何でお前が俺の前で酒呑んでんだよ。つーかそもそもここは何処だ。…何で俺はこんなところに居るンだよ」
「そりゃあ…俺が連れて来たから」
「あぁン!?」
「んー、ここは俺のアジトでな。さっき街で偶然お前見掛けてよ、折角だから久々に呑らねえかと思って酒に誘ったまで。…っつってもお前素直に誘ってもどうせ受けないだろ? だから勝手に連れて来ただけの事でね」
「…誘ったっつーか攫ってるだろそれ!?」
「変わんねぇだろ別に。…ここの方が落ち着いて呑めるんだよ俺ァ」
 言いながら飛猿は自分の杯を傾けつつ、また瓢箪の口を虎王丸に差し出す。
 虎王丸も――悪態を吐きつつ、行動の方では素直に杯を受けた。
「…ったく。お前こそ相変わらず無茶な野郎だよな」
「お前の戦い方程無茶じゃないと思うがなぁ」
「…なんか文句あんのかてめえ」
「いやな、折角それだけの能力も技もあるんだからよ、もー少し頭使やァもっとな…」
「うるせえよほっとけよお前に言われる筋合いじゃねぇよっ」
「んー、そうか? 俺ァ単に勿体無ぇと思ってるだけなんだが」
「何がだよ!?」
「お前がさ」
「…」
 反応に困った。
 飛猿の顔はにやにや人が悪そうに笑っているが、目を見る限りでは――真剣である。
 真意が読めない。
 …虎王丸にしてみれば何の事やらである。
 で、仕方無く、誤魔化しがてらまた杯を傾ける事を選ぶ。
 絶妙のタイミングでつまめとばかりに飛猿から小皿を差し出された。
 飛猿の方も実際にその皿から肉の干物を取り、齧っている――がじがじやりながら、見るとも無く虎王丸を見ている。
 で、虎王丸の方もそれに倣い、小皿から肉の干物を取って齧り始めた頃――不意に飛猿は何かを思い付いたようだった。がじがじやっていた干物を少し齧りとり咀嚼、嚥下しながら杯を置いて立ち上がり、よっこらせとばかりにその部屋から出て行こうとする。
 虎王丸が訝しげにその様子を見ていると、待ってろ、とだけ残された。

 …で、暫し後。

 黒い縄でぐるぐる巻きにされた見知らぬ男が部屋の中に突き飛ばされてくる。
 ぐえとか何とか潰されたような声がその男から発されたかと思うと、その後ろから飛猿が戻って来た。
 何事も無かったように元の場所にまた座る。
 そしてまた自分の杯を拾うと、手酌で瓢箪から酒を注ぎ始めた。
 物問いたげな虎王丸の様子をちらと見てから、部屋の中に突き飛ばしたぐるぐる巻きの男に目をやる。
 そのまま、話し出した。
「…こいつぁな、あちこちで賭場開いちゃあ貧乏人相手にイカサマで散々引っぺがしてた野郎でな。引っぺがすだけならまだ良いがついでに甘い顔して散々借金追っ被せ、挙句の果てにゃそいつらの娘や女房借金のカタに売り飛ばしてたような奴なのな。つー訳でこれからちょいと楽しませてもらおうと思って連れて来た」
 語尾に重ねて、いつの間に持っていたのか――飛猿は黒い縄を無造作にぐいと引く。その縄が繋がっていた先は部屋の中に突き飛ばされて来た男――その黒い縄でぐるぐる巻きになっていた男だった。飛猿がその縄を引っ張ると同時に、男に巻き付いているその縄は一気に解ける――と言うか、解けていくに従い、男がぐるぐるぐると一気に独楽のように回転させられて――縄からは解放されたのに、結局そのまま目を回して同じ場所でぶっ倒れている事になる。
 無駄に鮮やかな手並み。
 …虎王丸はちょっと呆れた。
 が、そんな事を気にもせず、飛猿は杯をまたちびり。
 ちびりと含むと、含んだその分を気付けがてら目を回した男の顔にぶっと吹き付ける。
 男はまたぎゃとか何とか情けなさそうな声を上げつつ、顔を上げ自分に酒を吹き掛けてきた飛猿を見た。
 それを待ってから、飛猿は口を開く。
「聞こえてたな? つー訳だ。これからお前を自由にしてやる。但し俺に勝ったらだ。負けたらどうなるかは…まぁ、その時のお楽しみだな。何度でも挑戦して構わんぜ?」
 言いながら飛猿は――これまた何処から取り出したのか、壺振り用に手頃な壺にサイコロ二つを放り込み、伏せる形に地面に叩き付けた。
「さぁて丁か半か――手前はどっちを選ぶ?」



 更に暫し後。
 床面に両手を突きがっくりと項垂れてずーんと沈み込んでいる男の姿と、心底美味そうに杯を傾けている飛猿の姿があった。
 二人の間には存在感たっぷりに鎮座ましましている小さなサイコロと空しく横に倒れて転がっている壺振り用の壺。
 その脇では虎王丸が酒を呑りつつ二人の様子を見物している。
 男が憔悴し切った顔をそろそろと上げた。
 上げられたその顔には――あろう事か墨痕鮮やかに悪ふざけ全開な落書きがされていた。額に肉の一文字だの鼻の下に鼻毛だのからバカとかアホとか単純な悪口の類…いやそれどころか口に出してはと言うかノベル文面として書いては色々宜しくないのではと言うような品の無い単語まで書いてあったりする。
 男のその顔が上げられた途端――それを再び視界に入れた途端、思わず虎王丸が、ぶ、と噴き出した。
 そのまま一頻り笑い転げてから、漸く口を開く。
 虎王丸としては今見る前に、既に一度ならずこの顔を――ふざけた落書きを見てはいるのだが、見れば見る程。
「…ったくよくやるな、飛猿よぉ」
「んー、負けるこいつが悪いんだよ。勝ちゃあこんな目に合わなくて良いのになぁ?」
 と、しれっとした顔で飛猿はわざとらしく男に聞かせる。
 飛猿が男に対して仕掛けていたのは丁半博打。二つのサイコロの合計の目が偶数なら丁、奇数なら半、どちらの目が出るかの選択に賭ける単純な博打になる。男に対して持ちかけた条件は勝てば自由。負ければ――墨で顔に落書きと言う、羽子板の羽根受け損ねだか歌留多のお手付きだかのような他愛無い罰ゲーム。
 けれど勿論、それだけで全てが言い表される勝負ではなかった。
 飛猿の顔には落書きはない。
 …男は飛猿に一度も勝てていない。
 イカサマ賭博で貧乏人から散々引っぺがしていたこの男が、である。
 それは今は壷を振るのは一方的に飛猿、男の方は出目を言う以外に何の手出しも出来ないのだが――まず飛猿が勝ち続けている時点で男にはこれがイカサマだとはわかっている。が、イカサマだとしてもそれをどうやっているのだか見切れない以上、指摘する事も出来ない。
 と言うか、イカサマなどと言い出したら言い出したでまた適当に言い包められてしまいそうな気がしてならなくもある。そもそも男の方は腕っ節には全然自信は無い――必然的に、不公平だとかそういう事を言い出せる立場でもない。
 結果としてずるずると博打を続けて――負け続けて顔に落書きをされ続け、何故かその場に居合わせている虎王丸にまで笑われ続けている羽目になる。
 男は自分でも滅茶苦茶情けない。
 こんな莫迦莫迦しい罰ゲームだからこそ、余計に赤っ恥に思えてしまう。
 …いっそ殺してくれと思ったところで新たに振られた壷が開けられる――また負けた。
 出目を確認した飛猿は笑みを深めると、なぁ、と虎王丸に声を掛けた。
「次ァ何書いたら良いかねえ?」
「そうだなー、改めて言われると迷うもんだな? もう面白そうなネタは粗方お前がやってるしよ…」
「…お前もやるか?」
「つーか、もうこいつの顔殆ど真っ黒で書く場所無くねぇ?」
 ――って。
 矢立から取り上げた筆を自分に差し出した飛猿のその姿を――その顔を見、虎王丸は不意に止まる。
 今の科白。
 言い方はあくまで軽かった上に今この場面に限っての話のようにも聞こえたが。
 目を見たその時に、違う、とわかった。
 …『お前もやるか』。それは今ここでの落書き――だけではなく。
 こういった事を、今後共に、と言う事であると。
 気付いた時点で言葉も止まる。
 虎王丸が受け取らないと見て、飛猿は取り敢えず矢立に筆を戻している――また新たに何か書かれるのかと怯えていた男はきょとんとした。
 が、飛猿はまったくそちらを気にせず、何処か改まったような態度ではっきりと虎王丸に向き直る。
「お前、仲間になる気ァねぇか?」
「…。…酔っぱらってんのか? この三十路サル」
「俺は三十路じゃねぇまだ二十七だ。余計な事言ってると手前もコイツと似たような目に合わせるぞ」
「上等だやってみろよ。出来ンならな?」
「…。…いやいやいや。そういう話じゃなくてだな…」
 飛猿としてはそもそも虎王丸を酒に誘った(と言うかその為に攫った)目的からして実はそれ――勧誘――だったりした訳で、三十路と言われて頭に血が上り掛けたが何とか抑え込む。
 禁句を言われたにも拘らずすぐに自ら抑え込んだと言うその事実に、虎王丸の方でもすぐに気付いた。
 …困惑。
 突っ掛かった通りに悪態の応酬で終わるかと思ったら――それを狙って虎王丸はわざと『三十路』と言った――今は途中で飛猿の方から引き下がりやがった。
 普段ならこんな風にはならない。
 その事でも、飛猿の様子がいつもと違うと言う事は虎王丸にはわかった。
 ふざけて軽く言ったようではあるが、その実は本気、だと。
 …いつも通りの悪態で流せない。
 ならばどう答える。
「俺は…」
 言いかけたが、続きの言葉が出て来ない。
 それを認めてか、飛猿の方が口を開く。
「お前の存念は知ってる。お前にすりゃ俺も敵方の一人に変わりァねぇって事ァ百も承知だ。だがな、ここはソーンだ。もう今となっちゃあ元の世界に戻れるかどうかもわからねぇ――だったら俺も連中に義理立てする必要ァねぇって事だ。…ここでまたお前に遇ったのも何かの縁だろ。俺ァ前っから思ってたんだよ。手前が敵じゃなかったら、ってな」
 飛猿は言い含めるようにそこまで続けてくる。
 虎王丸は――咄嗟に何も答えられなかった。
 飛猿の目が真っ直ぐに虎王丸を見ている。
 にやにやとしたふざけた笑みも消えていた。
 目だけではなく、顔も真顔になっている。
 虎王丸は余計に何も答えられなくなってしまった。

 そのまま、暫く沈黙が続く。
 と。
 不意に、あのぉ、と恐る恐る様子を窺うような細い声がした。
 ………………その声の主は、顔に悪ふざけ全開な落書きをされていた男。
 反射的に、飛猿と虎王丸両方から一気に視線を集める。
 男は思わずびくっと震えた。
 非常に情けないその様を認めてから、飛猿と虎王丸はどちらからとも無く顔を見合わせる。
 一拍置いて、噴き出すように飛猿が爆笑した。
「…なんてな。お前みたいな野蛮なイノシシは要らねぇよ」
「って。…てめやっぱそういう魂胆かよ! 人が真剣に聞いてやってると思えばよ!?」
「ふーん? 今日はイノシシじゃねぇ! とは言わねぇんだな。って事は自覚ありか…」
「何の自覚だっ! イノシシじゃねぇに決まってっだろうがっ! 俺は虎の霊獣人だっ!!」
「おー、いつもの調子に戻ったな。…それでこそだろ、虎王丸」
「…。…飛猿?」
「ほれ」
 また飛猿から瓢箪の口が差し出された。
 差し出されただけではなく同時に勢いよく瓢箪が傾けられているので、虎王丸は殆ど反射的に受ける為杯を差し出してしまう。差し出されれば当然そこには並々と酒が注がれている。
「酒に誘っただけっつったろ。呑め呑め」
「…なんか俺の事莫迦にしてるだろお前」
「いやいやいやンな事ねぇって。この酒だって秘蔵品わざわざ出して来たんだぜ?」
「まぁ確かにこれは美味いけどよ」
「な? 酒に罪は無ぇ、ってもんだ」
 にやりと笑い自らも杯を傾ける飛猿。
 虎王丸の呑みっぷりを見ながら、飛猿はまた瓢箪の口を差し出している。



 それから、結構経ってからの事。
 飛猿は、片膝立てて座り込み、一人、杯を傾けている。
 一緒に呑んでいた筈の虎王丸はと言うと、その場に転がってがーがーと高いびきをかいていた。…どうやら、酔い潰れて寝てしまったらしい。
 飛猿はそんな姿を黙って見つめている。
 莫迦にしたようなにやにやした笑みはもう浮かんでいない。
 仲間になる気は無いか。改まって虎王丸にそう言い出した時のような顔になっている。
 そのまま暫く見ていたかと思うと、飛猿は軽く息を吐く。…溜息とも嘆息ともつかぬ、ごく軽い息を。
 干した自分の杯を置き、立ち上がる。
 よっこらせとばかりに虎王丸の身を抱え上げた。
 と、また、あのぉ、と様子を窺うような顔落書き男のか細い声がする。
 飛猿はその声を無視し、虎王丸だけを部屋から連れ出した。
 そして後にした部屋には鍵を掛け、そのまま顔落書き男を取り敢えず閉じ込めておく。鍵を閉めたらもうそちらには意識は無い。
 酔い潰れて爆眠中の虎王丸を抱えたまま、飛猿は部屋を後にする。…さて、何処に返しておくか。取り敢えず黒山羊亭辺りでいいか。あそこならば誰も余計な詮索はしない。
 頭の中で適当に虎王丸を返す為の算段を付けながら、飛猿はアジトの廊下を歩いている。

「…ったくな。なんだかんだで手前は義理堅過ぎんだよ」

 俺の科白にあんなにわかりやすく言葉に詰まりやがって。
 ちったぁ脈もあるんじゃないかって期待しちまうじゃねぇか、なぁ?

「…また呑もうぜ、虎王丸」

 爆眠中の相手に言うだけ言う。
 聞かせるつもりの無い言葉を吐いておく。

【了】