＜聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記＞
仮面舞踏会の夜
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「へぇ……エスメラルダでも、そういうのに興味があるのか？」
不思議そうに問われて、エスメラルダはむっと顔をしかめた。
「私でも、って何よ。失礼ねぇ」
明日は居るのかと聞かれて、久しぶりの休みを取って明日の夜はいないのよ、と答えたら、何処かに行くのかとしつこいから話したのに。
「そりゃね、乙女って言うには歳食ってるけれど？ こういう舞踏会って、新鮮で楽しみじゃない？」
不機嫌も露に続けたエスメラルダに、男は慌てて両手を振った。
「いや、そういう意味じゃねぇよ。すまねぇ。気を悪くしたなら謝るからさ……」
「――別に、いいけど」
怒り覚めやらぬ形相のまま乱暴にカウンターに酒瓶を置くと、エスメラルダは足早に奥に引っ込んでしまう。
男がまいったなと頭を掻くと、隣の男がため息を付いて馬鹿と言ってくる。どうやら言葉を間違えてしまったらしい。
「……俺も、奥さんに内緒で行ってみるかな……仮面舞踏会……」
ぽそりと呟いて、男は掲示板に貼られた一枚のポスターを眺めた。
★☆★☆ 仮面舞踏会 ☆★☆★
○月○日 夜８時〜
フィータ公 別荘にて開催！誰でもお気軽にご参加下さい。
紳士淑女老若男女の皆様、ドレスアップしてお越し下さい。
仮面につきましては入場の際にお配りしております。勿論、ご持参頂いても結構です。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
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Masked ball
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フィリオ・ラフスハウシェがそのポスターに気付いたのは、全くの偶然だった。自身の下宿しているあおぞら荘、その廊下の壁に貼り付けてあったそれは、余りに無造作で何事もなければただ通り過ぎて気にも掛からないような空気を持っていた。ただそれが剥がれ掛けて、ペラペラと音を立てていたので直すつもりで近付いたのだ。
直すついでに見てみれば、仮面舞踏会が開かれる日付が調度自警団の非番の日だった。
特別用事も無い日だし、参加してみるのも良いかもしれない。
ふむ、と頷いたフィリオは、同じ自警団に所属する友人を誘ってみる事にした。
――そして当日。
「非番だから行ってみませんか」
と誘った相手、ミッドグレイ・ハルベルクに
「ゆっくり休みたい」
と素っ気無く断られてしまったフィリオは、最終的にはエスメラルダと連れ立ってフィータ公の別荘を訪れる事になった。
流石に一人で参加する度胸が無かったので、エスメラルダに一緒に行こうと誘われてホっとした。
聖獣装備を手に入れてから、人間の男性と女天使へ不定期に変身する生活を送っているフィリオは、女天使化している時は行動振る舞い考え全ても女性化している。舞踏会当日も女天使化していたフィリオにとって、舞踏会なる慣れない領域へ踏み入る事は、中々に気後れしてしまうものだったのだ。
けれどエスメラルダは着くなり早速ダンスの輪の中へ行ってしまい、フィリオはただただ壁の花にならざる得なくなる。
緊張した面持ちのフィリオの顔は、しかし仮面で覆われて、引き結んだ小さな唇だけが彼女の強張った様子を伝えていた。エスメラルダの手で豪奢に飾られた長い髪は、パールの装飾が澄んだ空の色の髪を一層美しく引き立てる。細い首と腕にも、それとセットのようなパールの小物、ドレスは純白で、どれもこれもがフィリオの可愛らしい雰囲気に良く似合っていた。更に背に生える天使の羽が、彼女の純真さを物語るよう。
そんな女性が所在無さげに壁際でシャンパングラスを傾けているものだから、男性陣の目を引き付けるにも十分だった。
それ故、気配を希薄にして小さくなっているフィリオに、引っ切り無しにダンスの誘いがあった。
その申し出を悉く拒絶してしまったのは、やはり雰囲気への戸惑いが勝ったからだった。さざめくような笑い声、軽快な音楽、天井のシャンデリアが零す光、そのどれもが、一歩踏み出す勇気を粉々にする。
それに、先程変な――と言っては失礼だが、この場所にとてつもなく不似合いな男性に声をかけられてからは、更に輪をかけて踏み出しにくくなってしまった。
恐らくこの場を仮装舞踏会とでも勘違いしていたのだろうその人は、海賊の格好をしていた。項で結ばれた長い銀髪、その頭の上には濃紺の帽子。襟ぐりの開いたシャツから飛び出た右手は鉤爪の義手。黄金色の爪が器用にグラスを持っていた。――そのシャンパングラスは拒否する間も無くフィリオに手渡される事になる。そして腰には反り返った短刀を帯びていた。
その男の仮面は、顔全体を隠すタイプで、銀色の仮面の上から左目だけ黒い眼帯をしていた。
視界が狭いからなのか何なのか、奇異な自分の風体を全く気にしていない男だった。
名前も分からないので海賊の人と呼ぶ事にするが、その海賊はとてつもなく明るい調子で話しかけてきたのだ。
そもそもそれはダンスの誘い等では無かった。
「ねぇねえ、そこのキミ！」
と口を開いた時には、既にフィリオの手を取ってその手にグラスを握らせていた。
「その背中の羽は、どうなってるの？」
呆気に取られたフィリオの身体を反転させて、許可も無く羽を突き出している。
「あ、本物だ。って事は、キミの種族は天使なの？」
小首を傾げてフィリオの返事を待っている仕草に、思わず頷いてしまう。興味深げに羽を眺め倒している海賊に、フィリオの戸惑いだけが深くなる。
「これってさ、当然痛覚もあるわけだよね？ あ、空って飛べるの？ それにそれに、この羽って成長する？ 子供の時から比べてやっぱり大きくなるんだよね？」
等と、あっちやこっちに飛びながら、矢継ぎ早に問い掛けられる。
この人は何なのだろう。
「あの……」
しかし何と返して良いのか分からない。ダンスの誘いならばごめんなさい、で事が済むのにそういう話では無いのだ。興味津々と子供のように瞳を輝かす海賊に、フィリオの方は見世物小屋の珍獣にでもなったような居た堪れなさが沸く。
「あの……」
「ね、その片羽、切り落としてワタシにくれないかな？」
そして、事も無げに言ってのけるその神経。
からかわれているのだろうか、それとも本気なのだろうか。
あまりにあまりな物言いに顔面から血の気が失せていくような感覚がした。
その瞬間、唐突に天の助けはやって来た。
「あ、ちょっとそこのあんた、さっきのっ！！」
聞き慣れた声に俯きかけた顔を上げると、エスメラルダが大股で近付いてくる所だった。
海賊は「ひぇ」と喉元で悲鳴を上げると、逃げるようにエスメラルダとは反対の方向へ走り去る――フィリオは安堵の溜息を漏らして、それを見送った。
兎にも角にもその変な海賊のお陰で、フィリオの意気は殆ど消え去ってしまった。
一体自分は何をしに来たのだろう。
グラスに口をつけて、もう一度大きな溜息を落とす。
その横合いから、
「大丈夫でしたか？」
控えめな声が聞こえた。
「すみません、気付いて助けに入ろうかと思ったのですが」
耳に心地よい柔らかな口調。
「エスメラルダさんに先を越されてしまいまして」
長身痩躯の男性が、一歩離れた位置に立っていた。
目元を覆う仮面は孔雀の羽のような印象だが、身に纏うのはシックな黒服だった。彼の雰囲気に良く似合っている。物腰と同じように優しげな微笑が浮かんだ口元。
エスメラルダを知っている人。
「大丈夫です」
共通の知人が居ると思うと、強張った肩から力が抜ける。この人はまともだ、と思えば、緊張感も和らぐ。
この人もやはり名前も分からないので、印象のままに紳士と呼ぶ。
背筋をピンと伸ばし、踊りさざめくホールに視線を向ける紳士に、フィリオの目も知らずホールへと向いた。
その中でエスメラルダに捕まったらしい海賊が居た。どうやら二人で踊っているみたいだ。
「……踊らないのですか？」
逃げ腰の海賊の腰を、エスメラルダががっちりホールドしている姿は滑稽で、思わずクスリと笑ってしまった時だった。
「何となく、あの輪に入るのが怖くて」
紳士の纏う空気の所為か、素直に答える事が出来た。肩を竦めると、紳士も笑顔をくれる。
「では、僕にエスコートさせて下さいませんか？」
変わらぬ優しい口調。
細くて長い指先がフィリオに差し出された。
エスメラルダを知っている人。全く知らない人より、確かに踊りやすい。
そう分かっていても、やはり応える事が出来ない。
「ご、ごめんなさい！！」
何故こうも頑なになってしまうのだろう、自身も分からないまま――紳士の手をすり抜けて、フィリオはその場から逃げ去ってしまった。
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Shall We Dance?
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紳士に悪い事をした、と思った時にはもう遅かった。振り返って先程まで自分が居た壁際に目をやっても、紳士の姿はもう無かった。
途端に申し訳なさと情けなさが沸いてくる。
自分は本当に、何をしているのだろう。
「もう、帰ろうかな……」
「帰っちゃうんですか？」
まさか独り言に返事があるとは思わなかった。
慌てて背後を振り返ろうとする。
「「あ」」
勢いをつけ過ぎて、吐き慣れないヒールが床を滑った。天井が視界に映る。
狭い視界の中、シャンデリアが傾く。
――転ぶ！！
無意識に腕を縮めた。受身を取る暇など無かった。
それなのに予想した衝撃は無く、ただ背中に暖かい感触があった。
「大丈夫ですか？」
閉じていた瞼を開いた先には、自分を覗き込むような態勢の男の顔。例に漏れず仮面で目元を隠した男。
「どこか怪我でも？」
惚けたままのフィリオが何も答えないで居ると、男がもう一度問い掛けてきた。
「あ……」
ゆっくりと身体の位置を直される。しっかりと自分の足で立ちながら、いまだ至近距離の顔を見上げた。
「だ、大丈夫です。有難うございました」
「いえ、どうやら私が驚かせてしまったみたいですし」
仮面の奥で、深海の色の瞳が細まった。どこかホッとする色の瞳だった。
撫で付けて固めた黒髪を掻く。見目は洗練された貴族階級の男性そのものなのに、愛嬌のある仕草だった。
「せっかくだし、踊りましょうか」
そんな風に、不躾な程、彼を観察してしまっていたフィリオは、一瞬言われた事が理解できなかった。
失礼、と前置きして、肩に置いたままになっていた男の手が、フィリオの腕を引く。
「お帰りになる前に、ぜひ一度、私のダンスの相手に」
「あの」
不快感の余り感じられない強引な腕が、腰に回される。
あっという間にホールに引っ張り込まれてしまっていた。
断るセリフを言う前に、ダンスが始まっている。
「きゃ」
突然動き出した男に、フィリオは更に身体を密着させるように縋り付いた。左へ、右へ。スローテンポの音楽に合わせてステップを踏む。
「楽しまなきゃ、損ですよ」
耳元で囁かれた言葉に、最早反論の余地は無かった。
そういえば女性化をしてのダンスは余り覚えが無い――という事に気がついたのは、男の足を数度踏んでしまった時だった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
恐縮して体が緊張すれば、更に失敗を重ねる事になるのに、それでも身体は固まってしまう。
出来の悪いロボットのように、ステップすらボロボロになる。
「大丈夫です。私に身を任せていて……そう、」
それなのに男性は、優しい。不快な気配など浮かべず、目が合えば笑ってくれる。握り合った手は、時折フィリオを安心させるように仄かに力を入れて。
「貴女のような可愛らしい女性と踊れるなら、例え火の中水の中」
耳に寄せられた唇から聞こえてくる甘い声。
フィリオの心臓は次第に、焦りからくるそれ以外に、強い鼓動を刻み出した。
この人となら、ずっと踊っていたい――そんな淡い想いが募り出す。
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Who are you?
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それからフィリオと男は、何曲かの音楽でダンスを踊った。激しく回る情熱的な曲では、緊張の解けたフィリオも楽しく舞う事が出来た。
荒い息に肩を弾ませながら、身体を離した時、優しい男の視線にフィリオは自分の顔が熱を持っているのが分かって更に照れくさくなって顔を俯けてしまった。
いまだ握ったままになっていた手を、男がゆっくりと握り返す。
今二人を包む空気に色をつけるなら、ピンク色といった所だろう。
「少し、外の風に当りませんか？」
最早、フィリオがその誘いを断る理由は無かった。
「涼しいですね……」
火照った身体に、夜気は気持ちが良かった。
テラスを降りてどうやら庭を散策するらしい、男の後を追いながらフィリオは肺一杯に空気を吸い込んだ。
屋敷の中からは穏やかな曲が流れ出ている。まだまだ終曲には程遠い。
夜の庭に人気は無い。ただ、庭石を踏み締める二人の足音だけが響いていた。
前を歩く男の背は広い。がっしりとした力強い体躯に、先程まで自分は――まるで、抱き締められるようにして。
男の人の腕の中は、あんなにも安心できるものなのか。それとも、彼だったからなのだろうか。
乙女の思考は、フィリオの胸の内を甘く疼かせる。
それにしても、こんなに人気の無い場所で一体何をするのだろう。
いまだ鳴り止まない心臓の音を耳元で聞きながら、フィリオは小さく声を掛けた。
「あの……」
ただ、そのあとの言葉は続かない。
男の歩みに合わせて、フィリオもまた足を止めた。
「クッ」
数秒。
心地よい胸の高鳴りは、くぐもった男の笑い声に消えた。
腹を抱えるようにして男の背が丸まる。
振り返った男の雰囲気は、先程までとはうってかわったもの。
「いい加減、気付いたら？」
口調までガラリと変わった。目を見開いて固まるフィリオを面白そうに見据える青い目。
何だかホッとする、色の瞳。
何故、ほっとしたのか？
固めた黒髪の中に手を入れて、それを解しにかかる武骨な手。
握り合っていた自分のそれより二周りは大きい手を、知っているような気がしたのは？
仮面の下の鼻筋、唇、顔のライン、背丈、体つき、その全て。
「……貴方……」
仮面を外したその顔を、フィリオは凝視した。
「ミッド……」
「そうだよ」
何時もの、ぶっきらぼうな物言いだ。
見知った友人。
「何で、ここに」
そもそもフィリオの誘いを断った相手だ。居る筈が無い男だ。
居ると分かっていたら、正体に気付いていたかもしれない。幾ら紳士を装った所で、彼の内にある荒っぽさは隠しようも無い。
正体が知れてしまえばどこからどう見ても、ミッドグレイ・ハルベルク以外の何者でもないのに。
「色々あんだよ」
襟のボタンを煩わしそうに外して、
「あー肩凝った」
などと悪態をつきながらも、その口元は笑みを湛えたままだ。
からかわれたのだ。
騙されたのだ。
フィリオの胸の内にフツフツと怒りが沸いて来る。
ミッドグレイにドキドキしてしまった自分も許せない。
「何て事をしてくれたんですか」
殺意を込めて睨んだのに、対するミッドグレイは
「おーこわ」
等と、ちっともそれらしくない浮ついた声で、肩を竦める。
それすらもフィリオの気に障る。
トキメキを返してくれ！！
――とは思っても、それは言えない。癪に障る。
実の所騙されたりからかわれた事より、自身の抱いた感情こそが一番許せない所で。
ただそれを素直に口にすれば、ミッドグレイにからかい要素を増やしてしまうだけなのだ。
だからフィリオは、激しい怒りをぶつける事しか出来なかった。
それから数日しても、フィリオの機嫌は戻らなかった。
仕事中、とは分かっていても、ミッドグレイを見る視線は冷やかだった。
「まだ怒ってるのかよ」
「怒るような事が何かありましたか？」
「だから、悪かったって」
「知りません」
そんな二人の遣り取りを自警団の仲間達が不思議そうに眺めている。
「フィリオー？」
「……」
もくもくと仕事をこなすフィリオの真意など誰も知らない。
まさかミッドグレイを見る度に、あの舞踏会の日のトキメキが胸に去来して、それをごまかす為に、既に怒りなどこれっぽっちも残っていないくせに冷たい態度を取ってしまうなんて――それは、フィリオだけが知っている事。
FIN
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■登場人物■
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【整理番号／ＰＣ名／性別／外見年齢／職業／種族】
【3510／フィリオ・ラフスハウシェ／両性／22歳／異界職「自警団」／人間】
【0929／山本建一[ﾔﾏﾓﾄｹﾝｲﾁ]／男性／19歳／アトランティス帰り（天界、芸能）／人間】
【2315／クレシュ・ラダ／男性／25歳／医者／人間】
【3681／ミッドグレイ・ハルベルク／男性／25歳／異界職「自警団」／人間】
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■ライター通信■
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こんばんわこんにちわ、初めまして！執筆を勤めさせて頂きました、なちと申します。
この度は発注、まことに有難うございました。そしてお待たせしてしまって申し訳ありません。本当にごめんなさい。
今回仮面舞踏会という事で、正体不明の他の登場人物さんはそれぞれ固有名詞は除かせて頂きました。他の方のお話も見て頂ければ、違った視点から楽しんでいただけるかなとも思います。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。
有難うございました。
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