<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>
ソーン買出し紀行〜昼下がりの花の香り〜
それは周囲の建物よりも背が高く、まるで塔のようで。
ずいぶん遠くからでも見えたので、山本建一は何気なくそちらに向かってみた。
近くまで来ると、正門とは別に表通りに面した一角が店になっていることに気がつく。外から垣間見える中の様子は雑貨屋か乾物屋のようであった。
健一はやっぱり何気なく中に入り、並べられていた花弁の入った紅茶をいくつか物色して……
「お客さんに、いきなり買物の手伝いなんてお願いしてしまってすまなかったね」
店にいたイリヤ・ハーシュと共に買出しに出て、そして再び店まで戻ってくると、お詫びにとイリヤは健一をお茶に誘った。
「せめてものお詫びに一番良いお茶を出すよ」
「いえ、困った時はお互い様ですから……でも」
健一は穏やかに微笑んで、招待に応じることを告げる。
「お茶は好きなんです。ここのお茶は少し変わっていたから、試してみたかったんですよね」
「じゃあ、幾つか見繕うかな。今日は天気が良いから、中庭の方へどうぞ」
店の中、外から入る多くはない光にも輝いて見える布と、あちこちに飾られたドライフラワーと、花をブレンドした紅茶や蜂蜜の瓶の並ぶ棚の狭間を抜けて奥に向かう。その途中で、思い出したようにイリヤは健一を振り返った。
「そうだ。健一君、ケーキは好きかな」
「はい。お茶と同じくらい好物です」
「それは良かった、たくさんあるんだ。飽きるまで食べていってほしいな」
「たくさん?」
ケーキ屋には見えない店内に視線を投げて、健一は声に疑問を滲ませた。
「……たくさんあるんだ。小麦粉を全部ケーキに焼いてしまって」
イリヤは困ったように笑って答える。
「そう言えば、買物の中に小麦粉がありましたね」
「明日の朝のパンを焼く粉もなくなってね。まあ、明日の朝はケーキかな……と思ってはいたけど」
食べきれないだろうから、と。
なんでそんなことに、と、健一が問う前に奥から人が出てきた。
「おかえりなさい」
緑の服の金髪女性は、エプロンを外しながら健一たちを出迎えた。ふっと花のような甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「ええと……行かれる時には聞かなかったな。お名前は?」
この店から買物に向かう前にはちゃんと話をしなかったので、健一は彼女と面と向かって話すのはこれが初めてだ。少し男勝りな話し方をする女性だ……と思いつつ、名前を名乗る。
「山本健一と言います」
「健一……地球の、日本の人の名前のようだね」
「ご存知ですか?」
「以前に、一年足らずだったけど、地球から来た人に大分お世話になったことがあったんだ」
ほうと健一は言葉にはせずに思う。健一がアトランティスに行ったように、今ソーンにいるように、彼女のところにも地球の誰かが訪れたことがあったのだろう。
「今回もお世話になったね。ありがとう、健一。私はギリアン」
「いいえ、買物くらい」
やはり困った時はお互い様ですと微笑むと、ギリアンも微笑み返してきた。
「そうだ。健一、ケーキは好きかな」
たくさんあるんで食べていってくれと。
「美味しいですね、ケーキ。それにお茶も……どちらも花の香りがする」
春から夏に向かう花が鮮やかに豊かに咲く、陽のさす中庭。それでもけして眩しくはないようにテラスの庇の下に白いテーブルと椅子が用意されて、健一はそこに腰掛けていた。テーブルの上には、ティーポットとティーカップ、そして既に二種のケーキが並んでいる。
健一の前には穏やかな笑みを浮かべたイリヤがいる。ギリアンはお茶を運んできて、次にケーキを運んできて、そしてもう一度去っていった。次に戻ってくる時には、また別のケーキの皿を盆に載せているのかもしれない。
「ありがとう。ケーキはね、直接ギリアンに言ってやってくれると嬉しいな」
「ええ。でも……いったいどうして、こんなに?」
大人数で暮らしているというのでないのなら、もうテーブルに出ているだけでも十分すぎる量だろうか。
「さて。何が気に入らないんだか、僕にもわからないんだけど」
健一が訊ねると、イリヤは軽く首を傾げ。
「気に入らない?」
「何かが気に入らなくて、作り直してるんだと思うんだけどね」
ケーキは何種類もあるようだから、単純に一つのものの出来が気に入らないというわけではないらしい。しかし何か目指すものがあって、それに至らず、ギリアンは作り直しを繰り返しているようだった……小麦粉を使い切る勢いで。
今テーブルにあるのは蜂蜜のクリームを巻いたロールケーキ、そしてふんわりとしたシフォンケーキに蜂蜜のスプレッドのコーティングをしたもの。四季の様々な花と、その蜜は彼らの土地の名産品らしい。
ロールケーキをフォークで一口大に切って、健一は口に運んだ。蜂蜜由来のものなのだろう花の香りが口の中に広がる。
香りと甘さを味わいながら、健一は考える。
健一が気にすることでもないのかもしれないが、今、口に運んでいるもののことを話題にするのは自然なことでもあった。
「パティシエになろうというわけではないんですね」
「……多分、店を開こうというつもりはないと思うな」
「美味しいものを作りたいというのは、間違いなさそうですよね」
「ここでは一緒に店番もしているけれど、普段一緒にいるわけじゃないんでね。最近のギリアンの普段のことはさっぱりわからなくて」
「そうなんですか?」
「昔はね、ギリアンの面倒をずっと見ていたから……何でも知っていたと思うんだけど。今はさっぱりだよ」
ケーキからギリアンの話を掠めて、イリヤの話になる。どうやらここの二人は互いに何でも知っているという程、近い関係ではないようだった。昔はともかく、今は。
「僕は地球に行きたくて、ふらふらしてるからね」
「地球に?」
健一はフォークを置いて、イリヤの告白の方に興味深く問い返した。
「理由を話すとなると長くなるんだが、実は祖国に居られなくなってね……祖国では僕は死んだことになってるんだ。その時にやっぱり地球の人に世話になったんだ。だから」
どこか懐かしそうに思い返している様子で、イリヤは告げる。
「……僕は、逆ですけど」
わかる気がします、と健一は我が身を振り返る。
かつて出会い、そして離れた友人たちを、健一も探しているからだ。
あらゆる世界と繋がっているこの世界なら、出会えるかもしれないと。
「そうなのか……逢えるといいね。二度とは逢えぬと思っていても、逢えることもあるよ……ギリアンともそうだった」
「ギリアンとは祖国で別れて?」
「そうだよ。ここは想いの国だから……君の想いも届くといいね」
健一はイリヤの励ましに、微笑みで返した。
「あなたも」
地球へと望む、想いの向こうへ。
もう一度フォークを取って、ケーキを口に運ぶ。
少ししんみりとした雰囲気を飲み込んで、話を戻す。
「誰かに食べさせたいのでしょうか」
繰り返しケーキを焼くギリアンの話に。
「どうなのかなあ……僕には、正直ギリアンの考えていることはわからない」
イリヤは心底わからないという顔で、首を振った。
「僕が半ば育てたようなものだとも思うのに、今のギリアンのことは本当にわからないんだ。なんであんな風になっちゃったんだろう」
健一との会話に慣れ、どこか共通点に心が通ったような気がしてきたせいか。健一は、イリヤが本音を吐露しているような気がした。ギリアンのことがわからないというのは、先程から繰り返されていることではあるけれど。
なんであんな風に、と言うのには戸惑いが滲んでいる。
しかしギリアンが「なんであんな風に」と言われる程におかしいとは、健一にはまだ思うことはできなかった。
そこには秘密があるのか。そうでなくとも、健一の知らぬことがあるのだろうと思う。
「あんな風……って、ケーキを焼き続けるってことですか?」
「いや、ケーキを焼くのは良いんだ。……ケーキを焼くのも、そこから来ているんだろうとは思うんだけど、それはいいんだ」
健一も中途半端な情報に、首を傾げる。では何が、と問うのも憚られる気がして、ただティーカップを口に寄せて。
問われぬからこそか、イリヤは重くなりがちな口を開いた。
「……僕が故郷を出るまでは、病弱だったけど、男だったのに」
ぐ、と、健一はお茶が固まりのように喉に詰まった気がした。
慌てて思い返しても、さっき見たギリアンの見た目は、少し背は高いけれど確かに女性だったと思う。喋り方が男勝りだったのは……元が男性だからかと思うと、納得は出来たけれど。それはそれで、いわゆる女性になりたい男性とも少し違うような感じだ。
「な、なんでそんな」
問いかけて、イリヤはその詳しい事情を知らないのだと思い至る。知らないからこそ、なんであんな風にと言っているのだと。
そこでこほん、と咳払いが聞こえて。
振り返れば、ギリアンが立っていた。
困ったような表情で、次のケーキ……スライスしたカトルカールと、おかわりのお茶のポットをテーブルに置いて。
「すみません」
思わず謝ってから、健一はギリアンの表情を窺う。
視線が合うと、ギリアンはちょっと困ったように微笑んだ。
「謝ることはないよ、驚くのはしょうがない」
イリヤは初めて女の姿を見た時もっと驚いたから、と、冗談めかして言いながら、ギリアンは空いている椅子に腰を降ろした。
「……聞いてもいいですか? その……姿を変えているのは」
「魔導具なんだ」
性別を変える指輪だと言う。女性がつければ、男性に変わる。
どうしてそれをつけているのかは、立ち入り過ぎかと口にするのは躊躇われた。
「ケーキ、良かったらもっとどうぞ……あー……ええと、やっぱり私が作ったのじゃ気持ち悪いかい?」
「いえ! そんなことは」
健一は慌ててカトルカールに手を伸ばし、一切れ取って。
「ただその、どうしてたくさん作られたのかとは思います。何故でしょうか」
原点とも言える問いを口にする。
「偏見かもしれないけど、女ならケーキくらいはちゃんと美味しく作れないとって気がしたから……なんだけど」
でも普段練習ができなくて、と。だから、ここにいる時に練習をしているらしい。以前は本当に初心者で、基本のパンケーキくらいしか作れなかったから、逆にそれほど大量に作ることもなかったようだが……形になるようになった分、味に拘りが出てエスカレートしたようだ。
そんな理由で小麦粉を使い切ったのか……と、イリヤがため息のように呟いた。
「……作りすぎたのは悪かったと思ってるよ」
心底申し訳なさそうに、ギリアンは目を伏せる。
「でも、ちゃんと美味しいですよ。このお茶と合っています」
健一は美味しいものは美味しいと、やっぱり花の香りのするお茶とケーキに微笑んだ。
花咲く庭に、花と蜜のお茶会。
お土産のケーキは、やっぱり花の香りがした。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0929 / 山本建一 / 男性 / 19歳 / アトランティス帰り(天界、芸能)】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございました。本当にNPCの話に終始してしまいましたが…こんなんでよろしかったのでしょうか? もし次がありましたら、よろしくお願いします。
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