<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


ディアフレンズ



 きいと控えめな音が聞こえた。昼が始まる少し前のことである。
 小さな古びた喫茶店、『BardCage』には、昼夜の賑わいは殆どない。常連さんといえば、日の光と、通り抜ける風と、ちょっとした埃や渡ってくる物語、あとは料理の本や食材くらい。それらも、店の中にいるのは、日が沈むまでであったり、次に街に出かけるまでであったりする。客という形でこの場所にあらわれ、客として帰っていき、また客として現れるいきものは、とても少ないしかし、少ないからといって、ゼロであるはずもなく。風が押したのではない扉の向こうには、懐かしい影が覗いていた。

「おや、これはこれは」
 一番最初に顔を上げたのは、ウェイターのガルド。音にぴくりと反応し、翼を広げる。言葉が出たのはその直後。久々に会う友人の顔を見て、テーブルを拭く腕をぴたりと止めた。
「少し、ご無沙汰してしまいました」
 扉の向こうには、少しだけ眉を下げて微笑む少女。流れる水の美しさを持つエレメンタリス、シルフェだ。
「ガルド様、お元気でいらっしゃいましたか? しばらくお会いできませんでしたが、お変わり無さそうで……安心致しました」
「時間なんかにボクの美しさを持っていかれちゃたまんないよ!」
 思い切り大げさな手振りで、髪を掬い上げてみせる。
「しかし、さあ、こんな所で話していても始まらない。特等席にいこうじゃないか」
 持っていた布巾をカウンターへと戻し、彼は手招きした。シルフェは嬉しそうに微笑み、小さくお辞儀をしてから店内へと足を踏み入れた。懐かしい香り。紅茶とお菓子と木の匂い、大きな時計が時を刻む音、カップとソーサーが小さくぶつかってこすれる音。時間がくるくる回り、外に出たいのかここに留まりたいのかわからないと肩をすくめている様子が解った。シルフェが店内を横切れば、漠然としていたその自由らしきものが、ある線で区切られ、始末をつけられ、あるべき形へと戻っていくのが感じられた。

 はたして、特等席はあの時となんら変わらないままそこにすっかり残っていた。いや、残されていた、と言う方がいいだろうか。窓から差し込む日の光、陽だまりの席。ガルドはこの席をどこかにやってしまうほど、……言うなれば、忘れっぽくはないだろう。
「座って。すぐに紅茶を取ってくるから」
 いつだかと同じ様に、こんこんとテーブルを叩いてみせる。店内に人の気配はなかったが、誰もいないわけではなさそうだった。ぱたぱた足音を立ててキッチンへと引っ込むガルドを見送り、シルフェはゆっくりと椅子に腰をおろした。
 この席が変わらぬままであったように、内装も外見もテーブルも、何もかもが時間に取り残され朽ちることも変わることも知らずにここまで過ごしてきていたようだった。視線の先、テーブルの上へゆっくりと手を添えてみれば、日の光で暖められた木のぬくもりが伝わってくる。そしてもちろん、日の光のぬくもりも。素朴な、木の表情をそのまま生かした家具にありがちな、小さな亀裂に触れる。この過ぎていった時間の産物は、ある時からずっと止まったままなのか。それとも、知らぬ間にここに現れたのか?
 しかし、シルフェには、そういうことを考えることやそういうことに触れることは、無意味とはいかないまでも、今はまだ興味を引かれる物事として映っていなかっただろう。未来、明日、あるいは昔に、そんなことを思ったことがあるかもしれないけれど。


「これも、変わらない味ですわね」
 透明なグラスに入ったアイスティー。浮かぶミントの葉を眺めながら、シルフェが言葉を零した。
「最初に飲んだ紅茶の味、覚えてるのかい?」
「あら、そう言えば確かに、覚えているのかどうか」
「全く! 本当にキミらしいね。確かに、ブレンドは変えていないらしいんだけど」
 ストローをくるくる回せば、涼しげな音と共に氷が揺れる。
「それだけではありません。きっと」
 ミントの葉をそっとつまみだし、小皿の上に乗せる。真っ白な可愛らしい皿だ。
 二人はそれ以上、紅茶の味については語らなかった。変わりに、今までのなかった記憶の縦糸と横糸をゆっくりとあわせ始めた。その内容はどれもとりとめのない話ばかりで、文字だけ見ればどこまでも冷たく重くできそうな内容でも、二人の口から出れば柔らかい旋律となる。シルフェの冒険談――それは彼女からすれば、散歩の先でであった不思議な出来事と、仲間たちの楽しそうな表情であり、冒険とは程遠いものであったが――。ガルドの仕事振り――こちらは、今ここでシルフェと交わす言葉や、会話に時折混じるちょっとした仕草もあった。同僚であるピンキィとの喧嘩や、ささいなトラブルも、仕事のうちのように話している――。

「この店にいない間も、本当にキミはキミのままなんだね」
 頬杖をつきながら、ガルドは瞬きをした。その瞳はシルフェの瞳を捕らえている。そこにある光が、どんな輝きを持っているのか、調べるように。
「この店にいるガルド様は、いつでも変わらないのですね」
 シルフェは背筋をすらりと伸ばし、小首を傾げて微笑んだ。膝に置かれた両手を軽く握り、「ふふ」と声を漏らす。

「そう言えば。あれから、聞きたいことが……出来たのですが」
 静寂がしばらくの間二人の間に流れていたが、彼女はそれを断ち切った。珍しく、僅かな情熱とそれによる決意を感じさせる声の出し方だった。ガルドは窓の外に振られていた視線を彼女に戻し、「なんだい?」と姿勢を正した。頬に当てていた手を、テーブルへと置く。
「実は気になっておりました」
 シルフェに、いつもの微笑みはあっただろうか。あったといえばあっただろうが、ある者が見ればなかったというに違いない。
「その、……ピンキィ様のお話の中で、ガルド様が『自分みたいなのにも』という仰りようであったことが」
 言葉の先の青年は、黙ったまま目を伏せた。シルフェもまた、言葉を続けることはなく。

 からんとグラスが鳴った。
「ボクの寿命と、ボクの種族については、知っている?」
 ガルドがストローで紅茶をかき回したのだ。大分量の減った紅茶。
「ボクは……その、鳥人の中でも、隅っこに生まれたんだ。隅っこだったから、そのまま和から追い出された。こんなに美しい羽を持つ僕を、飛べないからという理由で、ぽいと投げ出した」
 語りつづける彼の目には、ある感情が浮かんでいる。それは恨みや怒りではなく、悲しみでもなく、どう言葉にすればいいのか誰もが迷うであろう感情だった。葛藤といえば、簡単に片付くのだが……。
「鳥人というのは、彼らの間でのみ子を産むことが、いにしえより決定付けられているんだ。ボクの親か、先祖には、人間がいたんだよ。だからボクは鳥の血が薄れて……こんな風になってしまった! 純血でなければ、二十年も生きられないのに」
 他の鳥人に比べて、小さな小さな翼を広げる。ふるふると震えている翼。
「捨てられた、見捨てられた、あと何年生きられるか解らない命だよ。だから、『自分みたいなのにも』、って言ったんだ」
 畳み掛けるように、半ば叫ぶように、彼は喋った。いや、叫んだという方が正しいだろうか。
 シルフェはずっと黙っていた。語ってもらおう、と、ある種身構えていたのである。言葉の洪水を受け止めて、この感情の流れるべき脈を探していた。自分が口出しをするべき問題ではない……。それが一番の考え。しかし、その上で、もしもこのどこか重い心を、下からゆっくりと両手で支える事が出来るのではないか、とも思っていた。
 氷が軋み、グラスが寂しそうに鳴った。

「あの」
 間髪入れず、であったろうか、それとも大分間が開いただろうか。シルフェが、いつもの声でつぶやいた。
「ピンキィ様とは、お友達ですよね?」
「……そうだね。シロキとも、グレイとも、あと……クロウやローズとも勿論友達だと思っているよ」
 店員の皆も勿論だし、他にもまだまだ沢山いるよ、と、自慢げに胸を張る。呼応するように、尾羽と翼を広げる。
「まあ」
 シルフェは心底嬉しそうだった。
「わたくしも、ガルド様のお友達に加えていただけるかしら」
「当然だよ! どうやったら断れるっていうんだい? このボクがそんなに心の狭い人物にみえるかい」
「ふふ。いいえ。そんなこと、思いませんよ」
 二人はくすくすと笑った。


 それから一呼吸開いた後である。ぎいと音が鳴って、夕日と長い影が店内に落ちてくる。
「ただいま。ガルド、留守番お疲れさまです」
 黒い髪を伸ばした、白い衣装に身を包んだ青年であった。背からは白い翼が生えており、チュニックの中にはふわふわとした羽毛が広がっている。孔雀の尾羽が足元にまで伸びていて、それもまた迷いのない白であった。
「ああ、シロキ。今、特別なお客さんと話していたところさ」
 ガルドが軽くてを挙げ、シルフェはお辞儀をする。シロキはそれに答えるように微笑み、小さく頭を下げた。
「また雑貨屋巡りかい? それとも、新しい歌でも探しに言ったのか?」
「両方、ですよ。いいカップを見つけたし、古い楽譜を見つけて……んー、次のお客さんに振舞えるといいですねえ」
 手に持った小箱と楽譜を持ち上げてみせる。
「では、ガルド。お仕事、頼みましたよ」
 それだけ言うと、彼はまた二人に会釈をした。二人の傍を通り過ぎ、階段を上っていく。その先はどうやら住人のスペースに通じているらしい。

「彼も、ボクの友人だよ。シロキ・シロク。この喫茶店を立ち上げた本人さ」
 ガルドが人差し指で天井を指す。
「どんな御方なのでしょう」
「女でも男でもない、不思議な人。歌がとても上手くて、だれも敵わないくらい。まあ、美しさならボクが勝つけどね?」
「あら、そうですか? ふふ、そうかもしれません」
 ふわりとした空気が二人を包む。窓から差し込む光が、それにつられてか、少しだけ鮮明に、かつ柔らかく広がった。


「ごめんね、閉店時間なんてものがあって」
 ガルドが肩をすくめて見せる。シルフェはゆっくりと首を横に振り、ありがとうございました、と頭を下げた。
「わたくしは、お客としてここに来たのですから……営業時間を過ぎたお店にはいられませんよ」
 日ももう沈む。夜と夕方の境目。
「ガルド様。いつか会うときにはきっと、その、『自分みたいなもの』という思いが……薄れているといいですね」
 彼女が呟いた言葉に、ガルドは少しだけ指をひくつかせた。シルフェはそれに気付いたが……目を閉じるだけであった。そのすぐ後、「いつか、ね」と、ガルドが笑うのが見えた。目を瞑った先に見える彼の表情は、哀愁を帯びていただろうか? 自嘲か、それとも別のものか。しかし、目を開くと、彼はいつもと変わらぬ表情でドアの前に立っていた。
 ふたりは、「またいつか」とだけ言葉を交わした。それと、微笑みも。

 日が沈んでいく。夜がくる。星と風が踊り、草原を駆け抜ける。歩いていく少女の後姿を、ガルドは見つめなかった。ドアが閉まる。吊るされている『Closed』の看板がからんと音を立てた。草原の匂いは、あきらかに爽やかで心地よく、星々と月はきらきらと輝いていた。


おしまい

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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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PC/シルフェ(しるふぇ)/女性/17歳/水操師

NPC/ガルド・ゴールド(がるど・ごーるど)/男性/21歳/ウェイター
NPC/シロキ・シロク(しろき・しろく)/無性/26歳/吟遊詩人

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ライター通信
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まず、まず、遅くなってしまって本当に申し訳ございませんでした。
北嶋です、発注ありがとうございます。
ガルドとシルフェさんのお話ということで、今まで以上に慎重になってしまいました。
どういうおしまいにしようか、ずーっと悩み、時間を費やしてしまいました。
どうしても、書きたい雰囲気があって……。
ガルドの言葉に反応していただき、ありがとうございます。
また、NPC主体のものになってしまったことにも、反応下さって嬉しかったです。
思ったよりガルド以外のNPCが出せず、もしかしたら不完全燃焼と受け取られるかもしれませんが、気に入らなければリテイク下さって結構でございます。
あのガルドとシルフェさんの絶妙な関係をもっと細かに描きたいです……。

では、やや後ろ向きな通信になってしまいましたが、発注もNPCの指定も、とても嬉しかったです!
また機会がありましたら、是非遊びに来てやってくださいね。
それでは、『BardCage』にご来店いただき、ありがとうございました!