<東京怪談ノベル(シングル)>
デート日和
エスメラルダが切り盛りする黒山羊亭は、いつもの騒々しい雰囲気は露ほども見当たらなかった。そこにいたのは、美貌の女性3人だけだったからである。
先日、カジノ「ゴールドスノー」で臨時のアルバイトをした報酬が、ようやく支払われた。心なしか色をつけてあるようで、金額的には文句のつけようがない。ホクホク顔で空はお金の入った麻袋を懐にしまう。
「空さんにお給料を持っていくのを条件に、一日丸々休んでいいっていわれたんです。だから、今日は空いてます」
ノアはあっけらかんと語る。
「あの男なら『1時間で戻って来い、来なきゃ減給』くらい言いかねないと思ってたのに、意外と太っ腹ね」
会話を聞いていたエスメラルダが小さく吹き出した。
「何がおかしいの?」
「いいえ、別に。支配人さんも大変ね、と思っただけ」
「ただのセクハラ親父よ」
空は肩をすくめた。それよりも、楽しい休日の過ごし方を考えなくては。
「ノア、どこか行きたいところはある?」
「あたしは特に……。見たいって言ったら服もアクセサリーもおいしい食事も全部ですし」
「女の子はそれくらい欲張りでなきゃダメよね。ふふっ、楽しくなりそうじゃない」
今日は、デートだ。
昼下がりの空は文句なしの快晴で、二人は外へ出た途端思わずため息をついてしまった。
手を繋ぎたいなと思ったが、なぜかあと一歩踏み出せなかった。空はごまかすように笑って、下ろしたままの手をひらひらと振った。
「じゃ、行こっか」
●
「ノアは細身だし出るところは出てるし、どんな服を着ても似合うわね」
二人が最初に向かったのは、若い女性や女性にプレゼントをしたい男性がよく立ち入る洋服店だ。
試着室から出てきたノアに、空は思わずため息をついた。シンプルな黒のワンピースを着てもらったのだが、思っていた以上に似合う。まるでノアに着てもらうために準備されていたかのようだ。
「褒めすぎです、空様。きっと空様のほうが似合います」
「んー、着るならあたしは黒よりもこっちかな」
なんとなく手に取ったのは、まるで鮮血を薔薇の形に染め上げたかと思ってしまう、大胆なデザインのワンピースだった。
「すごく似合いそう! ぜひ着てみてくださいよ」
乗せられるような形で、空も試着室へと入る。そうして再び登場した空に、ノアは感嘆の声を上げた。褒められればまんざらでもない気分だ。
「これっていくらくらいするのかしら」
空が呟くと、店員がすかさず価格を告げた。お二人は美人だからこちらも勉強させていただきますよ、とも。
「ありがと。じゃあこの2着をもらうわ」
「2着って、えぇっ!」
ノアが慌ててワンピースを脱ごうとしだした。試着室のカーテンが閉まっていないことさえ気づかないほどに慌てている。
「いいから、着てなさい。その服もノアに着てもらえて幸せなんだから」
「でも……」
「もともと多めに給料もらってたんだし、あたしの懐は痛くもかゆくもないのよ」
「でも、もっと有効な使い道があるはずです」
「いいって言ってるの。こうしてノアの可愛いところが見れて、笑顔が見れた。これってあたしにとっては十分すぎるくらい贅沢なお金の使い方だと思うわ」
「そんな……」
ノアは言葉が出なくなり、代わりに顔を真っ赤にした。
●
店で買ったワンピースを着たまま次の店へと行くことにした。
「なんだか落ち着かないです」
最初はきょろきょろしていたノアだが、店に着くと周囲の目などすっかり忘れてはしゃいでくれた。空も釣られて楽しくなる。
アクセサリーを置く店にも立ち寄った。ノアはペンダントを眺めていたが、なかなか手に取ろうとしない。
「これ、似合うと思うけれど」
月を模した銀のペンダントにずいぶん興味を示したようだったが、
「私には可愛すぎますから……」
不思議な理由で断ろうとする。
「そんなことないわよ」
「いいえ、似合いませんから」
「あたしは似合うと思うな。着けてみたら?」
「でもそんな、もったいなくて……」
そんな押し問答の末、ノアが散々遠慮していたペンダントを買ってあげることに成功した。しかし、
「私だけ買ってもらうのは不公平ですから」
そう言い張るノアは、空のために夕焼け色の石をあしらった指輪をプレゼントした。
●
とっぷりと日が暮れて、ベルファ通りはいつもの見慣れた風景を取り戻し始めた。
「いつもなら、着替えてフロアに出てるころです」
ノアがこそっと耳打ちした。ちょっとした罪悪感と優越感が入り混じった表情だ。
「そろそろ何か食べよっか」
美味しそうな匂いがあちこちから誘惑の手を伸ばしている。
「どこにしようかな……」
「あ、あそこにしましょう!」
ノアが空の手を握って小走りに駆け出した。
「え、ちょっと……!」
引っ張られるままに入ったのは、落ち着いた雰囲気のレストランだった。ウェイターに案内され、奥まった席に通された。
「ここ、前に来たことがあって。すごく雰囲気がよくて美味しいんです」
走ったのは、もうすぐ満席になりそうなのが見えたかららしい。椅子に腰を落ち着けると、今日の疲れがどっと押し寄せてきた。メニューを2,3頼む。
最初に運ばれてきたワインで乾杯した。グラスを傾け、琥珀色の液体を渇いた喉へ流し込んだ。
「今日はありがとう。とても楽しかったわ」
「そんな、私こそいろいろよくしてくださって感謝してます」
お互いにワンピースを着たままだ。柄がおそろいと言うわけではない。けれど、同じときに買ったものというつながりがあることが、なんだかうれしかった。
やがて料理が運ばれてくる。ノアが言ったとおり、どれもほっぺたが落ちそうに美味しかった。食べることに夢中になり、自然と会話が少なくなる。その沈黙は、決して不快なものでく、同じものを共有しているとい大きな安心感に包まれていた。
食べ物をほおばり、ノアがこちらを見て目を細める。その口元にソースがついたままになっていた。
「……」
空はそっと顔を近づけた。首を傾げるノアに、じっとしてて、とささやく。彼女の香りがふわりと鼻をくすぐった。頭の奥がジーンと痺れて、何を考えればいいのかわからなくなる。優美な香りに誘われるままに、そのきめ細やかな肌の上についたソースを舐め取った。唇のすぐ脇だ。
「あ……」
ノアが短く声を上げ、空はようやく我に返った。慌てて身を離す。
「ごめんなさい、つい」
「いいえ、いいんです。その……」
ノアは、何度か言いよどんだ後、恥ずかしげに微笑みながら言った。
「空さんの一番近くにいられて、うれしかったから」
その返事を聞き、「そう?」と聞き返しながら空はもう一度、彼女に唇を寄せた。
燭台の炎がゆらりと揺れた。
End.
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