<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


ソーン買出し紀行〜サマーオレンジの誘い〜

 たまには息抜きも良いだろう。
 ヒースクリフ・ムーアがそんな気になったのは、周りを取り巻く老人達の「結婚しろ」という小言の激しさが増してきたからだった。彼が暮らすのは早婚の風潮の国で、長く独り身でいると誰でもそういう目に遭うが……ヒースクリフの周りには、伴侶を世話しようと言う者が特に多い。
 ぼんやり言うなりになる気はなかったが、有形無形の圧力に息は詰まる。
 なら、たまにはと思ってしまっても……
 街をうろついているうちに、背の高い建物が視界に入った。あそこに行けば叱られるだろうと思ったが、ふらふらと歩いているうちに足はそちらに向いていた。
 領事館の一隅に作られた土産物屋。その開け放された入口から中を覗けば、明り取りの窓から差し込む光で淡い金髪が煌いて見えた。
 ああ、いた……と思う。今はここでも指輪をつけているんだ、と。
 そろそろ見慣れたような、いつまでも見慣れないような、金の髪の女性の姿。真剣な顔で棚の整理をしている。
 ヒースクリフはしばらく黙って扉に寄りかかり、その様子を眺めていた。
 数分そうしていただろうか。
 奥から、男性の声がした。
「まだ買物に行かないのかい、ギル」
「これが終わったら――あ」
 顔を上げたギリアンはようやく入口の人影に気がついたのか、慌てて声をかけてきた。
「いらっしゃい」
 やっぱり逆光で、顔が見えないのだろうと思う。
 眩しそうに目を細めて近づいてくる。
「気がつかなくて、ごめんなさい……って」
 十分に近づいて、気がつくまで黙っていて。
「……また!」
 ギリアンは立っているのがヒースクリフだと気がつくと、更に眉を顰めた。
「駄目じゃないか、一人で」
 ヒースクリフに詰め寄る、心配性の、その表情は変わらない……そう思うと、どこかほっとして。少し下を向けば鼻先をくすぐる所まできた金の髪にヒースクリフは微笑んで、囁くように謝った。
「ごめん。買物に付き合うから、許してくれないか」




 ヒースクリフが買物に付いて行くのもギリアンにしてみれば駄目なことのようだったが、さりとて置いて行くのも嫌で、置いていった隙にどこかに行かれたらもっと嫌だと、結局一緒に買物に行くことになった。
「ヒース、手を貸して」
 外に出た所で振り返って、ギリアンは真面目な顔で片手を差し出してきた。
 なんだろうかと疑問に思いつつも、ヒースクリフが手を乗せると。
 きゅっとその手を握って――手を繋いで、そのまま歩き出す。
「ギル……ギリアン」
 ヒースクリフは面食らったが、それでも横に並んで歩き出した。でも理由はどうしても気になって、ギリアンを呼んで繋いでいる手を少し上げ。
「これは」
 そこで少し迷った。手を繋ぐことに、どうしてと聞くのは野暮な話だろう……一般的には。
 けれどギリアンは、理由を問われていることをすぐ察したようだった。そして答えるのに抵抗のある理由ではなかったようだ。
「今日は大市なんだ。すごく混んでるから、はぐれないように」
 人ごみではぐれたら困ると、真面目な顔で訴えてくる。
「でも」
「今の私の見た目なら、おかしくは見えないよ。大丈夫」
 いいのかと聞こうとすると。先回りして変な誤解をされることはないと、ギリアンは主張した。それから。
「暑いか? あ……私と手を繋ぐのは嫌?」
「そんなことはないが」
 そう聞かれては、ヒースクリフには良いと答える以外にはなくて。そのまま市の立つ広場へと歩き出した。
 こんな風に歩く日が来るとは思ってもみなかったと、横に並ぶ姿を見るにつけ思う。
「そういえば、いつも私って言うようになったな……喋り方はあまり変わらないけど」
 昔は相手によって使い分けていた。親しい男友達の前では『俺』と言うことが多かったことを思い出す。
「うん、この格好だとね。でもまだ、うっかり俺って言いそうになるよ」
 男言葉では違和感が激しいだろうと……ギリアンはヒースクリフの方を見上げて笑う。そのどう見ても可愛い女性の笑顔とでは今の喋り方でも違和感はあるだろうと思ったが、それは言わなかった。でも本人もわかってはいたようで、続ける。
「もっと女らしくって言われたら無口になりそうだから、これが限界だな……言葉遣いが変なら敬語使うけど」
 そうしたら男女差は目立たなくなる。けれど関係に距離を置くような感じにはなるだろうか。それが本来だと思っているからギリアンは敬語を使うことに抵抗ないのかもしれないが、使われるヒースクリフの方はそれが全面的に良いとは言えなかった。
 まるで普通の主従のように接されたなら、手にしていたはずのものを失くしてしまうような気がして。必要な場以外では、あまり聞きたくない気がする。
 ヒースクリフは首を振った。
「変じゃないが……もう、指輪は外さないのか」
 流れでうっかり訊いてしまったが、それは訊くのを結構長く躊躇っていたことだ。やはり答えにくいのか。ギリアンの答は、だいぶ長い逡巡の後にあった。
「誰かさんが、誰かと結婚したら外す……かな」
 そして今度はヒースクリフが黙る番らしい。
「ごめん、今のはなし」
 さすがに絶句したのを察したか、ギリアンは慌てたようにヒースクリフを見た。
「本当にごめん。気にしないでくれないか」
 失言だったと思っているのが手に取るように解る。
「ああ」
 微笑って、そう答えはしたが。ヒースクリフに気にするなというのは少し無理な相談だ。
「ええと、これも悪くはないよ。見合いを持ち込まれることはなくなったし」
 ギリアンはどうして指輪をはめているのか納得しやすい理由を探すように、上を向いたり下を向いたり首を傾げたりして喋っている。そんな風に考えているということは、つまり言い訳だということだが。
「それは楽でいいな」
「興味本位でちょっかい出してくる男はいるから、それはちょっと面倒臭いけど……」
「……ふうん」
 けれど微妙な相槌しか打てなくて、ほどなく会話は途切れた。
 今に至った理由に自分が無関係だとはヒースクリフには思えなくて、ずっと悩んでいた……そう悟られるようなことはしていないが。それが裏付けられただけだと言えば、それまでかもしれない。
「別にずっとこのままでもいいかって思ってるけど。でも必要ないなら外してもいいし……」
 先々どうするかは決めていないと、途切れた会話に困ったようにギリアンは答え直した。けれどもどう返事をするのが適切かわからないまま、ただ「そうか」とヒースクリフは答えて、やっぱり会話は途切れてしまった。

 それでも大市の人出は多くて、そこに差し掛かると気まずいなんて思っている余裕はなくなった。出かける折には微妙な気がした手を繋いでいるのも、正解だったと思う。
「何を買いに来たんだ?」
「変わったものじゃないよ、食料品……卵とか。あ、あそこ行きたい」
 ギリアンはきょろきょろして、果物を籠に盛った屋台に視線を止めた。
 人ごみを二人で縫って果物屋の前までたどり着くと、ギリアンは大きくて丸い柑橘の果実を手にとって眺める。
「甘酸っぱくて美味しいよー。日持ちするしね。熟れ過ぎたら皮ごとジャムにしてもいいし」
 店番の青年が売り込みに声をかけてきた所で、決心がついたらしい。
「じゃあ、これ貰おうかな」
 ギリアンは下げてきた手籠から細蔓で編んだ袋を出して、これだけの分をと硬貨を渡す。
 果物屋の青年は手際良く月のような果物を袋いっぱいまで放り込んで、袋を返してきた。
「奥さん綺麗だから、おまけしておくよー。はい、重いから気をつけて」
「え、何を言って……あ!」
 ヒースクリフはその袋をギリアンの手からひょいと横取りして、片手に抱える。
「返せよ、ヒース!」
「俺が持つよ」
「返せって」
「駄目だ。今日は譲らないから……ほら、俺の方が力も強い」
 ギリアンを引き離すように肩を掴んで押さえておくと、腕の長さの差でギリアンの指は袋まで届かない。それでも必死になって手を伸ばしてくる様子が面白くて、笑ったら悪いと思いながらもヒースクリフは笑い出しそうになった。
 そんな様子を、やっぱり果物屋の青年が笑って見ていて。
「奥さん奥さん、それホントに重いからダンナに持たせておきなよー」
「お……奥さんて、私たちはそんなんじゃ」
 果物屋の言葉に気を取られたのか、ギリアンは赤くなってそちらを振り返る。
「あれ、まだ結婚してないの。いや、仲良く手を繋いでたからねー」
「いやあれは」
 ヒースクリフはそれを横で聞きながら、自分は意外に平静だなと他人事のように思っていた。多分間違われるという気がしていたからだろう。ギリアンは「おかしく見えないから大丈夫」だと言ったけれど、それは普通に夫婦か恋人同士に見えるだろうということだ。
 言いだしっぺは、この動揺ぶりからすると、そこまでは考えていなかったようだが……
 ギリアンは、ぱくぱくと何か言おうとしているように口を開けたり閉めたりして、果物屋の青年とヒースクリフの方を交互に見ている。恥ずかしいのか困っているのか泣きそうなのか判断の難しいほど動揺している顔が……なんだか可愛いような、おかしいような気がして、ヒースクリフはやっぱり笑いそうになった。
 とりあえず袋を取り返す気は失せたらしいと思って、ヒースクリフは果物の袋を抱え直した。それから、数歩歩いてギリアンを呼ぶ。
「まだ買物はあるんだろう? 次に行こう」
 またよろしくー、と調子の良い果物屋の声が聞こえた。
「おいで」
 そう言ってヒースクリフから手を差し出すと、案の定ギリアンは困った顔で、その手を見つめている。
「おかしくは見えないよ、大丈夫」
 はぐれたら困るだろうと言うと、ようやくギリアンはおずおずと手を繋いで。
 それでヒースクリフは歩き出した。ギリアンは少し遅れがちで、ヒースクリフはその手を引くようにして市の人ごみを擦り抜けていった。




 領事館に帰りつくと、ギリアンはヒースクリフの手から荷物を奪って厨房に駆け込んでしまった。
 留守番をしていたイリヤは走り抜けていったギリアンを見送って、置いてけぼりを食らったヒースクリフの顔を見て……聞くべきか少し迷ったような間を置いて訊ねた。
「何かあったんですか?」
「……いや、何も」
 苦笑いでヒースクリフは答える。
「しょうがないな」
 イリヤは厨房の方を見遣ってから、ヒースクリフをお茶に誘った。
「疲れたでしょう、休んでいかれませんか」
「いいのかな」
 やっぱりヒースクリフも厨房の方を見遣って。
「先に帰すと、それはそれで怒られるかもしれない」
「では、お言葉に甘えようかな。貴方とも話がしたかった」
 外では少し暑すぎるかと、風通しの良いサンルームにテーブルが用意された。戸は開け放されて、テラスの方には眩しい中庭が見える。青や紫の涼しげな花を咲かせた濃緑が、アーチに蔦を絡めて伸びていた。
 花を見ながら待っていると、ほどなくイリヤが花茶と焼き菓子を持って戻ってきた。
「ギルも、もうじき来ますよ」
「じゃ、その前に話を済まさないと」
「おや、ギルが居てはまずい話でしたか」
 水出しの花茶を注いだ硝子杯をヒースクリフの前に置きながら、イリヤは言って。
「焼き菓子は作り置きの物ですが、どうぞ」
「ありがとう、これは誰が?」
 花茶で口を湿らせてから、ヒースクリフは花蜜の香りのする薄焼きの菓子を口に運んだ。ヒースクリフの暮らす土地では一般的な焼き菓子だったけれど、誰が焼いたのだろうと思う。
「ギルです」
「こんなこともできるとは知らなかったな」
 前にも言った覚えのある言葉を舌に乗せ、優しい甘さの菓子の残りを口に入れる。
「前はできませんでしたよ」
「…………」
「良くも悪くも真面目だから……形から入るんです。女の子はこうじゃないとって」
「そうだな……どうしたものかな」
 二枚目の焼き菓子を手に取って弄びながら、ヒースクリフは本音を漏らした。
「お困りですか?」
 イリヤは優しく問いかけてくる。それに釣られて、この悩みの始まりからヒースクリフはぽつぽつと説明をした。
「なるほど」
「ずっとこのままでもいいと思ってるって言われたよ」
 それは、と、イリヤも苦笑を浮かべた。
「親不孝者だ」
 イリヤのぽつりと漏らした呟きで、ヒースクリフの罪悪感は一気に溢れ出した。
「ああ、いやもう、本当に貴方と母君には申し訳ない」
「あなたの謝ることではないと思うな。でも……お嫌なら、はっきり言うことだ。きっとあなたが嫌がることはしませんよ」
 確かにそうだと、ヒースクリフも思う。
 ただ、とイリヤは続けた。
「お嫌でないなら、気が済むまであのままいさせてやってください」
「貴方はそれで良いのかな」
「理由がわかったので」
「え?」
 ヒースクリフが語った以上にイリヤにはわかったのだろうかと……それを問うべきかを迷う。結局、真意がわからないから悩むのだ。それが誰のためなのか、自分のためなのか。
「ギルの考えていることがわかる?」
「すべてとは言いませんが。わかりました」
 うん、とイリヤは頷いて。
「ギルの空回りだって」
 ぺしっと平手で頭を叩く音にぎょっとして見れば、音もなくイリヤの後ろまでお盆を持ったギリアンが来ていた。……いや、話に夢中で接近に気づかなかったのだろう。
 殴られたのはイリヤの頭だ。
「ギリアン。どこから聞いて」
 そんなに長いこと気がつかなかったとは思えないので、そう長く話を聞かれていたわけではないだろうが……それでもヒースクリフは焦った。
「私の話だと思ったから、声をかけ損ねて」
 つい、と、盗み聞きしていたことにギリアンは頬を染め。
「盗み聞きするような子に育てた覚えはないよ」
 殴られた後ろ頭をさすりながら、イリヤは痛そうに立っているギリアンを見上げた。
「二人で私のことをこそこそ話してるから! それよりなんだい、空回りって」
「片思いだとは言ってあげないよ、それ以前だ。空回りだよ」
 ギリアンはイリヤの言葉にショックを受けたように、なんだか情けない顔をヒースクリフに向けた。テーブルに持っていた盆を置いて……見るからに凹んでいるギリアンの様子に、ヒースクリフの方が慌てる。
 なんと言っていいかわからず、ヒースクリフは今を肯定するしかなかった。空回りしてようがなんだろうが、問題になっているのは『今』なのだ。それだけは確かで。
「いや、そんな……嫌っていうわけでは」
「本当に?」
「本当だ」
 ヒースクリフがとりなしてギリアンが少しほっとしたように見えた所で、イリヤがいやいやと首を振る。
「甘やかすのは良くないですよ。普通なら友人の性別がいきなり変わったら、縁を切られても仕方ない」
 イリヤの言葉にギリアンが蒼褪めて……ヒースクリフはまた慌てる。
「イリヤ、さっきと言っていることが違う」
 イリヤに抗議をしても素知らぬ顔で、気持ちが弱るとすぐ具合の悪くなる親友の方は見る見る萎れて、ヒースクリフは頭を抱えた。
「ほらほら……せっかく慌てて作ってきたお菓子、食べてもらわなくても良いのかい」
 萎れたギリアンを今度は急き立てて、イリヤは置かれた盆の上のケーキナイフを取る。
「今、切るよ」
 ケーキナイフをイリヤの手から取り、薄皮まで剥いた柑橘の実を敷き詰めたタルトを切り分けて、ギリアンは最初の一切れをヒースクリフの前に置いた。
「これ、さっきの果物かい?」
「うん、タルトの台は焼いておいたものだけど……」
 横に立つギリアンを見上げて問えば、頷いて答えた。
 ギリアンの萎れた表情に、今度は心配そうな……不安がちらつく。
 理由はなんとなくわかったから、出されたタルトを一口食べて。
「甘くて、さっぱりしていて、美味いよ」
 そう言うと、やっと少しギリアンに笑顔が戻って――ヒースクリフは安心した。

「そろそろ、帰るよ」
 陽が翳る前にとヒースクリフが席を立つと、ギリアンも一緒に立った。
「私も一緒に……片付けてくるから少しだけ待ってくれ」
「いや、片付けはしておいてあげるから、支度してくるといい」
 イリヤはギリアンが盆に食器を集める手を止めて、行っても良いと言い。それでギリアンは帰り支度のためにサンルームを出て行った。
「最初にああした理由はともかくとして――ご存知の通り、本当はあまり心の強い子ではないので、後になってあなたが嫌だったと知ったら傷は深くなるばかりだ。だから無理はしないで嫌なら嫌と言ってほしい。もし嫌でないなら、放っておいてあげてほしい」
 ギリアンが席を外した途端に、イリヤは唐突にギリアンの来る前の話を蒸し返してきた。
「もちろん望むなら、お好きに――」
 けれどそこでギリアンはまた戻ってきて、話はそれっきりになった。
 領事館を二人で出て帰るべき場所に帰る、その道すがら。
「さっきまた何か、二人で話してたろう」
 問われて答えられるはずもなく、ヒースクリフはさらりと誤魔化す。
「いや、何も……そうだ。はぐれると困るから、手を繋ぐかい?」
「ヒース!」
 思い出したように赤くなって、ギリアンは声を上げる。
 その様子にヒースクリフは笑って。
「今日は楽しかった……ってね。言ってたんだよ」
 そして囁いた。


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■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【3345 / ヒースクリフ・ムーア / 男性 / 28歳 / ルーンアームナイト兼庭師】

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■ライター通信■
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 お久しぶりです、今回はありがとうございました〜。
 終わらせるのが勿体無い……もうちょっと書いていたかったです〜! だいぶ書いてるはずなのに、なんだか短い気がします……内容は、まあその、お言葉に甘えてかなり好きにさせていただきましたっ。
 もし次がありましたら、よろしくお願いしますー!