<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


想月花の宴



 熱い太陽に熱せられた地上が、訪れた闇と共に緩やかに冷えていく。息苦しいほどの熱風は、柔らかく包み込むような甘い夜風に。肌を焦がすほどの熱線は、穏やかな月光に。耳鳴りがするほど怒鳴りあっていたセミ達の声は、夜に目覚めたフクロウ達の歌声に。 動の昼と静の夜、夏はそのギャップが面白い。
 松浪・心語は額に滲んだ汗を人差し指で拭うと、“まほら”を背負いなおした。 心語の身長ほどの大きさがあるその剣はいかにも重そうで、遠目に見たならばこの闇と相まって、剣が一人で歩いているようにも見える。
 長めの青みを帯びた銀色の細い髪と、透き通るような青い瞳、144cmの低い身長。その目をよく見ずに、瞳に宿る強い光に気づかなかった者は大抵、心語の性別を誤解する。今日の依頼人だって、心語の姿を一目見た瞬間、驚きと失望が混ざり合った複雑な表情で固まっていた。
 こんな小さな女の子に任せられるような依頼ではないとでも言いたげに、依頼人と心語を引き合わせたエスメラルダに軽く首を振ったのが視界の端に映った。
「‥‥‥心配は無用だ」
 見た目を裏切る野太く力強い声は、“女ではない”と言葉で否定するよりも強く相手に訴えかけた。
「しかし‥‥‥」
「心語君は、この依頼を十分全う出来る人よ。あたしが言うんだから、間違いないわ」
 黒の瞳に不敵な色を滲ませながら、エスメラルダが心語の両肩にそっと手を置く。 彼女がどんな表情をしているのかは分からなかったが、依頼人が苦々しく目をそらしたことから何となく想像ができる。
「わ‥‥分かった。君がそこまで言うのなら、この少年を信用してみよう」
 額に浮かんだ汗を拭いながら、依頼人の男性はポケットから小さな指輪を取り出した。
 赤いルビーに似た石がはめ込まれた指輪は、サイズからして女物で、銀色のリングの内側にはビッシリと古代文字が書かれてあった。 男性が渋々と言った様子で心語の掌に指輪を乗せた瞬間、全身にビリビリとした力が駆け巡った。
 雷に打たれたときのような衝撃に、息が詰まる。掌で熱く燃えるような力を発する指輪が、心語に静かに訴えかけてくる。 この力が欲しくないか?と。この力があれば、世界をも手に入れられるのだと。
 華奢な女性の薬指に丁度合うサイズのそれは、“まほら”を振り回すことによって力強く太くなった心語の指にもはまりそうだった。 小指にならはめられるかも知れない。少し緩いかもしれないけれど、はめていられないこともないだろう。 いや、もしかしたら薬指にも入るかもしれない。いれてみれば、案外スルリと入ってしまうかもしれない。この指輪は相応しい持ち主を探しているように思える。だからきっと、自分からその身を主人に合わせてくるだろう。
 ゴクリと喉を鳴らし、心語は指輪を摘みあげた。 真紅の甘美な宝石は、黒山羊亭の淡いオレンジ色の光を受けて、艶かしく輝いた。
「 ――――― いわくのありそうな指輪だな」
 心語は深く息を吐き出しながらそう言うと、指輪をテーブルの上に置いた。
 緊張した面持ちで成り行きを見守っていた男性が、額に浮いた脂汗を拭いながら胸をなでおろす。
「‥‥‥俺は、合格か?」
「試すような真似をしてしまい、すまなかった。しかし、分かってくれ。コレは、あまりにも危険なものなんだ」
 “大切なモノをある人のところまで届ける依頼だ”とは聞いていたが、大切なモノがこれほど厄介なものだとは思いもしなかった。
 あの指輪は、強力な魔力の塊だ。石と良い、古代文字と良い、持ち主の器を越えるほど強力な力を授けるためだけに選ばれたのだろう。 何のために?そんな疑問が浮かぶが、すぐに答えは出る。あれほど強力な力を、欲する人間などいくらでもいる。地位と名誉と金。全てを手に入れることの出来る魔法の指輪があるとすれば、どんな手を使っても欲しいと思う輩は掃いて捨てるほどいるだろう。
「この指輪は、遠い世界にあった国の王様がある魔術師に作らせたものなんだ。その世界は治安が悪く、毎日のようにどこかで戦争が起きては何千と言う命が奪われていた。兵士だろうが一般市民だろうが、老人だろうが子供だろうが関係なかったんだ」
 そんな状況に心を痛めた若き王子がいた。王子はどうすればこの状況から抜け出せるのかを考えた。 この世界では強い国々が対立し、醜い欲望によっていたずらに民の命が奪われている。周囲の国々を従えるほど力強い国があれば、この世界を変えられるかもしれない。
 ――――― 力があれば‥‥‥力さえあれば ―――――
 年老いた王がこの世を去った次の年の春、新しい王はある魔術師を呼び、この指輪を作らせた。王様は指輪を使い、周囲の国を従わせて行った。逆らう者には死を、従う者には絶対的な服従を。
 哀しい戦いの日々を終わらせた王様だったが、指輪の力のせいでその世界の3分の2の人間がその年の冬を見ずに亡くなった。
「指輪は王様の死後、代々その王家に伝わっていたそうだが、誰かの代で手放したらしく、転々と持ち主を変えては悲劇を繰り返してきた」
 指輪の力で地位も名誉も掴んだ者達は全員、悲惨な最期を遂げた。
「私はこの指輪をとある大富豪から譲り受けたのだが、幸い私は特殊体質でこの類のものは効かないんだ」
 魔術系統に耐性があり、無効にしてしまう特異体質の人なのだろう。心語はそう推測すると、軽く頷いた。
「彼には少し恩があってね、売って金にしたら良いと言われたんだが、この指輪は普通に出回って良い品ではないと思うんだ。だから、コレを引き取ってくれそうな人を捜し当てた」
 男性がポケットから四つ折にした紙を取り出し、心語に差し出す。 開けば黒山羊亭からの簡単な地図と、送り先であろう女性の名前が書かれていた。
「彼女は指輪を適切に処理してくれると言っていたし、彼女なら安心してこの指輪を渡せる。ただ困ったことに、コレを持っているだけで色々な人に狙われるんだ。私にはたいした力もないし、どうしようか困っていたところ、エスメラルダさんに声をかけてもらってね」
「誰か来ないかなって待っていたら、心語君が現れたってことなのよ」
 この依頼、受けてくれるかしら? エスメラルダが小首を傾げながらそう言い、心語は一瞬指輪を見て考えた後で首を縦に振った。



 考え事をしながら歩いていたせいか、心語はいつの間にか知らない道に迷い込んでいた。どうやらどこかで曲がる場所を間違えたらしく、周囲は深い森に覆われている。月の位置を確認しようにも、背の高い木々に邪魔されて空は少ししか見えない。
 ひとまず来た道を戻ろうと歩き出したとき、チラリと視界の端に光るものが映った。 自然の光でないことは間違いないのだが、人工的な光とは違う淡く繊細なものだった。
 何だろう? 心語は不審に思い、周囲に視線を向けると息を殺した。呼吸を一定の速度に保ち、集中する。周囲に人の気配はない。低い背丈の木々を静かに掻き分け、光に向かって最短距離を進む。淡い水色の光は進むほどに濃くなり、暗き闇を月光よりも強く引き裂く。
 すぐ真横で砂を踏む音がして、心語は“まほら”に手をかけると腰を落とした。相手がもしこちらに対して危害を加える気があるような者なら、すぐに“まほら”を抜いて斬りかかれるようにとの体勢だが、同時に相手がたまたま通りかかっただけの一般市民だった場合に配慮して、抜いたまま構えることはしなかった。
 砂を踏む音が徐々に大きくなる。歩行速度からして、相手は女性だろう。砂を踏む音はそれほど重くない。と言うことは、細身か小柄だろう。殺気や警戒と言った気配は感じられない。こちらには気づいていないのだろう。
 大木の陰から、金色の細い髪が揺れるのが見える。長いそれは風に波打つと、華奢な肩にまとまってかかった。
「止まれ」
 低い心語の声に、エメラルドグリーンの目が見開かれる。 目の前の女性は穏やかで優しい雰囲気を持っていたが、それでも心語は警戒を緩めなかった。どんなに見た目が可愛らしくても、笑顔で人を斬り捨てられる人もいる。見た目だけで判断して油断すると、死を招く。心語は戦いの中で、見た目と実力は違うということをイヤと言うほど見てきた。
「何者だ?」
「‥‥‥私は、リタ・ツヴァイと言います。ここから少し歩いたところにある喫茶店の店長をしています」
 驚いたように固まっていたリタが、ふわりと微笑むと透き通るような声で丁寧に挨拶をして頭を下げた。
 心語は、彼女自身の顔に見覚えはなかったが、その名前に聞き覚えはあった。
 彼女がリタ・ツヴァイだと言うなら、あの淡い水色の光は ―――――
「想月花の光に導かれていらっしゃったんですか?」
 小首を傾げながらの質問に、心語は静かに“まほら”から手を放すと姿勢を正した。
「貴殿のことは、義兄から聞いている。‥‥‥驚かせてしまって、すまない」
「ここに来るかたは皆さん驚かれるんです。何しろ、不思議な花ですから」
 リタの後について歩く。森に抱かれるようにして咲く想月花は、透き通った水色の光を空に飛ばしては風に揺れている。
 美しい光景に、心語は言葉も忘れて見入った。風に吹かれるたび、花が震えながら水色の光を空に飛ばす。届くことはないと知りながら、月に住む思い人や家族に思いを伝えるため、健気に訴えかける。
 そう、この花は、リタが品種改良して作ったここにしか咲かないただ一つの花。戦によって亡くした家族や思い人に気持ちを伝えようと作った、たった一つの花。
 亡くなった人は月に行く。そこは平和で美しく、悲しみなんてない世界。 苦しんで死んでいった人たちのために、地上から思いを光に乗せて飛ばす。届かないとは知りながら、それでも何故リタはこの花を作ったのだろう? そんな疑問が浮かぶが、心語は唇を噛んで言葉を飲み込むと花に背を向けた。
「どうかしましたか?」
 心配そうなリタの顔からも、目をそらす。無垢な輝きを発するその瞳を見ていられなかった。
「‥‥‥花の由来も、リタ殿の話も‥‥‥義兄から聞いている‥‥‥」
 自身の掌に視線を落とす。 土に汚れたそこには、人を斬った手ごたえがまだ残っていた。
「生きる為とはいえ、戦に加担し、多くの人を手にかけ‥‥‥家々を焼いた者など‥‥‥花にも貴殿にも、歓迎はされまい‥‥‥」
 逃げ惑う人々の悲鳴、自身が手にかけた兵士の断末魔、血の臭い、剣同士がぶつかり合う音、黒煙に汚された青い空、家々が燃える音、肉の焼ける臭い、怒声、避けきれなかった剣が切り裂く腕の痛み、砂を踏む音、仲間の死。目を瞑れば、すぐに思い出せる。こんな美しい場所でも、決して忘れることはない。
「今だって‥‥‥ほんの少し前だって‥‥‥」
 心語は両手をギュっと握ると、唇を噛んだ。



 湿ったものを斬る手ごたえを感じながら、心語は“まほら”を斜めに振り下ろすと息を吐いた。 目の前に立っていた男が、斜めに傾ぐ。服が切り裂かれ、一瞬遅れて血が噴出す。うつぶせに倒れた男の下から、赤いものが滲み出て乾いた地面をゆっくりと染め上げていく。心語は“まほら”についた血を丁寧に拭うと男に背を向けた。
 ポケットに入れた赤い指輪が熱を持ち、心語に必死に訴えかけている。甘い誘惑を何度も振り切りながら、襲いかかる敵をなぎ倒していく。
 まさかエスメラルダや依頼人が、心語に指輪を渡したことを誰かに伝えたわけではないのだろうけれども、そう疑いたくなるほど心語を狙う敵の数は多かった。 この指輪には、欲望を引き寄せる特別な力があるのだろう。襲い掛かってくるものは皆、心語のポケットを指差しては手を差し出してきた。心語ならば、少し脅しをかければ怯えて簡単に指輪を渡すとでも思っていたのだろう。
 指輪は、これから連れて行かれるところを分かっているのだろうか? ふとそんな考えが浮かんだとき、前方に蔦の絡まった巨大な門が見えた。
 5mはあるだろう門は見上げるほど高く、心語の頭よりも高い位置には、金色の家紋のようなものがはめ込まれている。 目つきの鋭い猛禽類と、クロスした2本の剣、剣の柄には薔薇の花があしらわれている。
 門の先には白く続く道があり、両側には血のように赤い薔薇が咲き誇っている。薔薇に阻まれてここから屋敷の入り口自体は見えないが、視線を上げれば巨大な屋敷の姿が見て取れる。 全ての窓には白いレースのカーテンがかかっており、薔薇の鉢が植えられているのも見える。 風向きが変わり、心語の全身に薔薇の香りがねっとりと絡みつく。むせ返るほどの香りに眉根を寄せ、門に視線を滑らせる。
 ピッタリと閉まった門にはこちらから開けられるようなところはなく、中にいるはずの主を呼べそうなものもない。 どうしたものかと考えていると、突然巨大な門が音もなく内側に開いた。 薔薇の花に囲まれた白い道を、地面につきそうなほど長いスカートをはいた少女が、落ち着いた足取りで歩いてくる。瞳も髪も服も全てが黒い中、肌だけが雪のように白かった。
「お待ちしておりました」
 少女は丁寧に頭を下げると、クルリと踵を返して元来た道を戻って行く。 心語は呆気に取られながらも、彼女の後について歩いた。ザワザワと揺れる薔薇の花は、突然の見知らぬ客に戸惑っているようでもあり、警戒しているようでもあった。
「わたくしが指輪をいただいて主様にお渡しできれば良いのですが、わたくしは主様ほど魔力があるわけでも、お客様ほど心が強いわけでもありません。指輪を手にしたとき、醜い欲望を抑えきれる自信がありません」
 まるで台本でも読んでいるかのように、目の前を歩く少女は淡々と喋り続けた。それは心語に聞かせるためではなく、言わなければならないから喋っているというだけのようだった。
「主様は陽に弱いかたですので、昼間に庭に出ることは出来ません。ですので、お客様にはいつもお屋敷までご足労していただいております」
 少女の言葉が終わると同時に、2人は玄関口についた。3mはあろうかと言う扉を少女が片手で開ける。 足元には毛足の長い赤絨毯が敷き詰められ、天井には心語が両手を伸ばしても抱え切れそうにないほど大きなシャンデリア、壁には肖像画が何枚もかけられていた。
 金髪の少年、ピンク色の髪をした少女、銀髪の青年、黒にも見えるほど濃い紫色の長い髪の女性。 最初見たときは一族の写真かとも思ったが、全員顔の系統が微妙に違う。一貫しているのは、全員艶かしい色香を持った美男美女だと言うことだけだ。
「主様のお部屋は、この階段を上がって右に行った一番奥のお部屋です」
 それでは、どうぞごゆっくり ―――――
 少女が深く頭を下げた後で、静かに心語の前から去って行った。
 何故主のいる部屋の前まで案内してはくれないのか疑問に思った心語だったが、今は依頼を終えるほうが先だ。少女に言われたとおり、赤絨毯の敷かれた階段を上り、右手の突き当たりにある部屋の前に立つ。金のノブを回す前にノックをしようと手を上げたとき、中から色っぽい声が聞こえた。
「開いてるよ。入っておいで」
 ドアノブを回し、そっと扉を開ける。黒いカーテンのかかった中は薄暗く、部屋の中央の丸テーブルに置かれた蝋燭の淡いオレンジ色の光だけが唯一の明かりだった。香でも炊いていたらしく、頭がボンヤリとするほど甘い匂いが充満している。
「わざわざ遠いところを悪かったね。あたしが行ければ良かったんだけど、なにぶん太陽が苦手でね」
 天井から発せられた白い光がふわりと部屋全体を包み込み、心語は目を細めた。蝋燭の火を吹き消した濃紺の髪の女性が、切れ長の目でジっと心語の頭の先からつま先まで品定めをするように見つめる。
「‥‥‥指輪は、ちゃんと持ってきた」
「ポケットに入ってるんだろう?知ってるさ」
 よく見れば、1階にかかっていた肖像画の女性だった。淡い銀色の瞳は、果たしてそれで本当に物が見えているのかと疑いたくなるほどに透き通っており、まるで水晶のようだった。
「あたしのかつての弟子が作った、ろくでもない呪いの指輪を持っても正気を保ってられるほどの人間だと言うから、どんなやつかと思いきや‥‥‥あんた、随分強く綺麗な目をしてるじゃないか」
 美女が立ち上がり、心語の前に来ると右手を差し出した。身長はおそらく170cmほどだろう。心語よりもはるかに高い。 ポケットから指輪を取り出し、その手に乗せる。女性は指輪を左手の人差し指で摘み上げると、石と古代文字を難しい顔で眺めた後で深い溜息をついた。
「本当にたいしたもんだね、あんたは。こんな恨みの塊みたいなのを持っても呑まれなかったんだ」
「‥‥‥恨みの塊、だと?」
 紅の唇が、キュっと笑みの形になる。
「この指輪によって殺された者の恨み、この指輪を持ってしまったために悲惨な最期を辿らざるを得なかった者の嘆き。あんたにも聞こえてこないかい?この、黒く渦巻く人々の怨念が」
 女性が指輪に向かって何か唱えた刹那、グラリと体が傾いた。地震にも似た振動だったが、地震ではない。足元が崩れ落ち、奈落の底に落ちていくような妙な感覚がする。視界が狭まり、黒い闇に覆われる。闇の中から気味の悪い紫色の筋が伸びてくると、空間に円を描く。それは螺旋状になって上下に伸びて行き、線の中心から血のような赤が滲み出てくる。
 赤い塊が心語の体に触れるたび、悲痛な叫び声が脳裏に響く。
 助けて、死にたくない。 怖い。 痛い。 どうして? 何で死ななければならないの? 苦しい。 悲しい。 あの子に会いたい。 会えないまま死ぬなんて嫌。 あの子が帰りを待ってる。 帰るって約束したのに。 熱い。 息ができない。
 赤い塊が朧に人の形にまとまり、ゆらゆらと揺れながら心語に語りかけてくる。
 母親を見失い、敵の手にかかった少女が心語の裾を引っ張りながら、今にも泣き出しそうな顔で“ママはどこ?”と繰り返している。
 若い男性が、先月生まれた息子を胸に抱くことさえ出来ずに死んでしまったのだと、悔しそうに呟いている。
 息絶えたわが子を抱いた母親が、半狂乱になって意味をなさない言葉を叫びながら、心語の周りを回っている。
 次から次へと現れては消えていく死者達は、次第に心語に強い敵意を向けるようになった。
 どうしてあなたは人を殺すの?
 誰かの命の上で成り立つお前の生は、必要なものなのか?
 誰かが死ななければ生きられないなんて、間違ってる!
 あなたが手にかけた人の家族の嘆きを、考えたことはある!?
 あなたのせいで、何人もの人が身を裂かれるような悲しみを味わっているのよ!
 どうしてあたしは死んでるのに、あなたは生きてるの?
 あたしだってもっと生きたかったのに、ズルイ。ズルイよお兄ちゃん。
 何百、何千と言う青白い手に全身をつかまれ、心語は声にならない叫び声を上げた。
「 ――――― 悪かったね、ちょいと指輪の念が強すぎたようだ」
 女性の声が響き、青白い手と紫と赤に彩られたどす黒い闇が消えた。顔を上げれば銀の瞳と目が合い、心語は額に浮かんだ脂汗を拭うと荒れた息を整えた。
「‥‥‥今のは、なんだったんだ?」
「指輪にこめられてた念を少しだけ開放してみたんだ。 こめられてた念が意外と多かったから、こちらの想像以上のモンが出ちまったんだけどねえ。大丈夫だったかい?」
「あれは‥‥‥指輪の力で‥‥‥死んだ者達、か?」
「そうだよ。これはこっちで適切に処理するからって、そうあの男に伝えといてくれるかい」
「‥‥‥適切に?」
「この指輪に閉じ込められてる念を解放して、その後で封印するんだ。こんなの、世にあって良いわけがないからねえ」
「この指輪を作った‥‥‥弟子とやらは‥‥‥」
「さあねえ、どこにいるんだか。でもまあ、どっかで生きているとは思うけどねえ」
 あまり興味がなさそうに、女性はのんびりとそう言うと、左の薬指に指輪をはめた。



 心語の腕には、未だに死者達の冷たい掌のあとが残っていた。涙がいっぱいに溜まった目で心語を見上げていた少女の顔も、声も、正確に思い出せる。
 ここにある花は、そういった人たちの心を癒すためにあるもので、最愛の人を失った人たちの心の傷を優しく治すためにあるもので、自分がこの場にいてはいけないと強く思う。
 不釣合いどころか、この空間を汚しているようで、心語はどうしたら良いのかとオロオロしているリタに向かって深く頭を下げると歩き出した。
「あっ‥‥‥あの‥‥‥!」
 リタが戸惑いながらも心語の後を追って駆け出してくる。その細く冷たい指が腕に巻きつけられ、ゾクリとする。しかし、死者の掌とは違い、リタの手は心語の体温を得ると柔らかくその熱を返してくれる。
 その手を振り解かずに振り返る。リタの金色の髪が、心語の頬を撫ぜながら靡く。
「死者は月に行くのだそうだな‥‥‥俺が手にかけた兵士達も‥‥‥今頃は‥‥‥あの月で‥‥‥安らかに眠っているだろうか」
 あの指輪にこめられていた念の持ち主達もまた、水晶の瞳を持つ魔術師の手によって解放された後は、月に行くのだろうか。平和で穏やかで、悲しみなんてない優しい世界に。
 リタのエメラルドグリーンの瞳が、困ったように揺れる。 心語の真剣な眼差しを受けて、自分の一言が彼の心にどんな作用をもたらすのか分かっているようでもあった。
「私は母にそう聞かされていました。死んだ人は皆、月の世界に行くのだと。 善人だろうが悪人だろうが、味方だろうが敵だろうが、関係なく全員月の世界に行くんです。 月の世界には戦争なんてなくて、憎しみも悲しみもなくて、だから皆仲良く暮らすんです。誰が誰に殺されたとか、誰を殺してしまったとか、そんなのはないんです」
 言葉はあまりにも不自由で拙いものだ。言葉はいつだって、感情よりも劣っている。でも、人には感情だけでは伝わらない。 リタが唇を噛みながら、心語の腕を掴む手に力を入れる。
「母は、許す事が大切なのだとよく言っていました。もう戻らない過去を憎むよりも、許しなさいと。憎しみは新たな憎しみを呼ぶだけだけれど、許しは憎しみを呼びはしない。許した後には、和解が必ずやってくるからと」
 言葉だけでは自分の思っていることの全てが上手く伝えられないとでも言うように、リタがもどかしそうに首を振る。 何度か口を開き、思い直しては閉じ、視線を頼りなげに左右に振る。
「あなたが手にかけた人がどう思っているのか、私が言うことはできません。でも、少なくとも私や想月花は、あなたを否定しません。 貴方が生きるために必要なコトを否定し、非難するようなことはしてはいけないはずです。ソレを否定することは、暗にあなたの生を否定することに繋がるのですから」
 人々の屍を踏み越えながら進んだ先にある未来は、暗いに違いない。 そんな諦めにも自嘲にも似た感情が湧き上がる事が、今まで度々あった。このような仕事を生業にしているものならば、誰しもそんな感情を抱いた事があるだろう。
 何十、何百の屍を超え、立ち止まっては背後からは己の剣で倒した亡者達に引っ張られそうで、常に走り続けなくてはならない。そんな脅迫にも似た概念が心の底で燻っていた。
 長い夜に身を潜めた岩陰で、灼熱の太陽が地面を焦がす中こもった洞窟の中で、雪が降り積もる大木の根元で、ふと疑問が頭をもたげることがあった。
 人を殺めてまで生きる価値が、自分にはあるのか‥‥‥?
 死を感じては、本当に死に足をとられてしまうことを知っていたからこそ、心語はそんな自身の問いかけを無理矢理無視する術を覚えた。 でも、本当は誰かに言ってほしかったのかも知れない。あなたには生きる価値があるのだと。
 人を殺めることを完全に肯定しないながらも、ソレが生きる糧であるのならば仕方がないのだと、気休めにでも言って欲しかったのかも知れない。
「もし宜しければ、名前をお聞きしても良いですか?」
「‥‥‥松浪‥‥‥心語‥‥‥」
「心語さんと仰るんですか。‥‥‥あの、せっかく来ていただいたんですしコレ‥‥‥どうぞ。試作品で美味しいかどうか分からないんですけれど、ぜひ食べてみてください」
 屈託のない笑顔で渡された、小さな包みに視線を落とす。
「もし、私や想月花が心語さんを歓迎していないと感じたのなら、それは心語さんが自分を許していないからなんです。 自分で自分を許すかどうか、決めるのは心語さん自身です。でも、これだけは覚えていてください。月に行った人は、必ず人を許せるんです。月は、許しの場だから‥‥‥」
 強風が想月花を揺らす。強い風に身をくねらせながら、まばゆい水色の光を空へと飛ばす。辺りが明るく輝くほど大量の光の粒に、心語は目を細めながらリタに向かって深く頷くとその場を後にした。



 リタに貰ったお土産を手に、月光で明るい道を1歩1歩確実に進んでいく。
 足元ばかり見ていた視線をゆっくりと上げ、星をいくつか数えた後で満月を見る。 躊躇うように目を細めながら、月の世界を無言で見つめる。
 月が許しの世界だとしたならば、俺の手にかかった兵士達は皆、あそこから俺の事を見ているのだろうか?
 胸に手を当て、目を閉じる。瞼の裏に浮かんだ月を心にしっかりと縫いとめる。
 無意識のうちに止めていた息を吐き出し、呼吸を再開させる。足元に視線を落とし、ゆっくりと踏みしめながら先を進む。
 もし ―――――
 もしも自分が月の世界に行く時が来たとしたら‥‥‥自分は、相手を許す事が出来るのだろうか?
 今の心語では、答えは出なかった。けれどもしも月の世界に行く日が来たとき、きっと心語は全てを許すのだろう。そんな予感はあった。
 リタの凛とした細い声が、耳元であの言葉を繰り返す。
 “月に行った人は、必ず人を許せるんです”
 “月は、許しの場だから ―――――”



END


◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 3434/松浪・心語/男性/12歳/異界職


 NPC/リタ・ツヴァイ