<パンパレ・ハロウィンドリームノベル>


■菓子の対価、悪戯の対価■





 濡れそぼった子供が扉の向こうにいた。
 子供は少女とも少年ともつかない姿だった。
 細い手を差し出して子供は消え入りそうな声音で、言った。

「おかしを」

 疑念も抱かず声に押されて菓子を探した。
 探し出して与えた一粒きりのキャンディ。
 そんなささやかな。それを。そうして。

「ありがとう」

 子供は抑揚のない声で礼を述べ、それからまた、言った。

「じゃあ」

 い た ず ら し て あ げ る



 意識が明瞭さを取り戻したとき、見知らぬそこは、赤く、生臭く、粘っこく、て――





■菓子の対価、悪戯の対価 −歪なびっくり箱−■





 赤絵具を乱雑に伸ばして絵筆で引きたくったような一室の中。
 千獣は、くらりと意識が揺れた残滓を振り払って周囲を見た。
 鼻腔をくすぐるある種の匂い。ぶちまけられた何か。作り物のような、ぬくもりのない作り物になってしまった、もの。
 咽喉奥から肺腑を侵し蹂躙する生々しい匂いは反射めいた嘔吐感を抱かせかねない程ながら、千獣にはそれはない。
 静かに、するりと紅瞳を滑らせて一つだけの扉を見てから天井を仰ぐ。
「……手形……」
 小さな子供の作と思われる赤手形が点々と、子供では届かない高さにある。
 ぶちまけられた血飛沫が多少散っているならばともかくとして、手形。
 予想外と言えば予想外の模様の存在に千獣はぱちりと目を瞬かせた。
 それからちょっとだけ首を、傾げ、て――

「っ」

 ――熱も痛みも後からだった。気配はなかった。衝撃があった。
 ぷつりと皮膚の下で断ち切られる感覚。一気に外に流れ出る熱、は。
 それこそ本能的に傾いだ身体。体勢を整える。床を叩く水音。すぐ傍で、自分から、床へ。
「今、の」
 幾らかの勢いを持って溢れ出る血が床を濡らすのも視界に映す。
 それから、なにやら乾いた茶系の汚れが沁み込んだ、先端に何かをこびりつかせている羽ペンと。
 インクのような、インクが粘ついて固まったような、だけれどもそれはインクではなくて。
「これ」
 血が羽ペンの先端に、僅かな肉と一緒に絡んでいた。
 見下ろすそれは誰かに投擲されたのだろうか。いいやそれはない。
「なにも、なかった」
 千獣が気配に気付けない相手がいないとは言い切れない。けれどこの室内には、誰も、千獣以外にはそもそも居ない。姿を消している?だとしても息遣いはあってしかるべき。呼吸のない何か?動けば空気だって――動けば、でも、この羽ペンは?
 違う。千獣は微かな音を拾っていた。風を切るごく小さな音を。
「――」
 そしてそれは再び背後から耳に滑り込んだ。微かな音。
 千獣は手を掲げて振り返る動きの前に巡らせた。掌に刺さる物。
 誰も居ない場所から一直線に突き立った、予想の外であったそれはペーパーナイフ。
 突き立てられる程の鋭さがあったのかと妙な感心をしそうになりつつ、掌を貫いてぶらぶらと揺れるそれを千獣は引っこ抜いた。それから警戒を強めて室内を見回す。だが可視不可視に関わらず何者も存在するようには判じられない。
「……?」
 しばし目を伏せて、肌の感覚で周囲を伺いながら千獣はペーパーナイフの血を拭き取った。
 それから羽ペンと一緒に元の場所と思しき棚の上に置く。かた、とインク壺が揺れたがそれだけだった。あるいはやはり何者かは存在して、千獣が先程のような不意打ちを意識しているのを察したからかもしれない。
(だって、今)
 自分を傷付けた品を丁寧に戻してやってから、千獣は扉へと向かう。
 抉り裂かれた首筋も、貫き通された掌も、その生命力故に既に傷を塞ぎつつある。
 負傷を示すものといえば錆びた匂いに濡れて湿った衣服くらいのもの。
(誰かが)
 それを気にすることもなく扉に手をかける。
 微かな音は結局そのまま千獣に続けて仕掛けることもなく、出来ず、二度で終わった。
 軋んだ――というよりも何かが蝶番の動きを遮るような抵抗の結果の奇妙な音を立てて開く扉。紅瞳は室内を振り返る事はなく、廊下へ油断なくその焦点を向ける。
 別の場所で誰かが、千獣を見ているのかと、思う。
(笑ってた。無邪気に)
 聴覚に依らぬ何某かが聞き取ったかのような感覚だったけれど、確かに聞いたのだから。
 とてもとても楽しそうな、感心したような、そんな、少し外れた調子の笑い声を。
(本当に、子供……かも)
 そして廊下の壁に突き立ったものや、転がる人形の千切られ具合を視界に収めた千獣はそんなことを考えた。
 まるで加減を間違えた遊びの結果のような印象を受けたからである。



 ** *** *



 やはり、どこかに子供が居るらしい。
 顔の前面が切り落とされたぬいぐるみが転がる廊下の角。
 血溜まりを踏み越えて曲がり、途端に眼前を横切った刃を手で凌ぐと千獣は幾度目か、思考を繰り返した。弾くでなく腕の肉で遮るような常人ならば無理のある動きである為に、足元の血溜まりに千獣から溢れた飛沫が落ちて行く。それでも遠慮がちな滴りの音を聞きながら、動きの緩んだ刃を掴んで壁に叩きつければ感嘆の声。出所は不明。
 すごいねと感心した調子が一際はっきりと耳に届き、千獣は「ありがとう」と言うべきかとつと首を傾げた。場には相応しくないが相手の声の様子には相応しい。
 思案しながら身を屈め、律儀にぬいぐるみを血溜まりから廊下の端に座らせてやる。顔を削ぎ落された部分も赤く濡れ汚れて粘っこいままだけれど傍に置いた。なんとなく形容し難い違和感がなくもないが、くっつけてやる道具もないのだからやむを得ない。針だけならば、先程に通り抜けた廊下で弓射の如く仕掛けられて言うなれば矢衾ならぬ針衾。いやそこまでいけば針鼠か。それほどにあったのだけれども。
 ほっといていいのに。
 どこかから声。きょとんとした子供の顔がふと想像出来て千獣は血臭の中で唇を緩ませた。あまりに状況に似合わない稚さは動き回る程に強くなっていく。
 はやく、つぎ。はやく。
 弾んだ声。いや気配。どこかから子供はやはりこちらに働きかけている。
 千獣が応じて歩を進めればまたくすくすと笑い声。
 誘うように先の扉が細く開いては閉じてを繰り返す。
 当たり前にそちらへ身体を向けて取っ手を掴み、引く――瞬間。
 どんと強い衝撃が眼前にかざした手に与えられた。
「また……穴、が……」
 咄嗟に動かしてしまうのはどうしても手で、並外れた生命力からの治癒の早さがなければ今頃は襤褸雑巾もかくやとばかりに裂けた皮で骨肉がぶらさげられている状態だったに違いない。またしても穿たれた掌を見詰めて呟く千獣。室内からは玩具の楽器を鳴らす音。ぬいぐるみの周囲に浮かび上がった凶器が続けざまに千獣の顔面を目掛けて直進した瞬間に、千獣は扉を閉めた。負傷した方の手で閉めたばかりに見る間に扉は赤く彩られる。
 汚してしまった。周囲の生臭い彩色を思えば気にする必要もないのだけれど、ついつい考えてしまって千獣は無言のままについたばかりの血を拭う。黙々と拭き取っていく赤。それがついた扉から飛び出しているのは防がれた鋭い幾つもの穂先。
 そういえば天井から断頭台にでもついていそうな刃が降りて来た部屋もあった。
 吊るし上げる網を絨毯の下に隠している部屋もあった。ちなみに網は明らかに切り刻む為のものだった。
 一階部分で正面扉が存在しないことを確かめながら歩く間には、床下に刃を立てた落とし穴もあったし、卸金状態の傾斜もあった。そしてどこもかしこも赤く粘っこく生臭かった。今も生臭い。
「……」
 記憶を辿り、つと手近な窓に歩み寄る。手をかけてみるも、がたがたと鳴るばかりで開かない。
 千獣の膂力でもっても動かず壊れることもないとなれば尋常のものではなかろう。
 換気をなんとなく気にしてから千獣は背を向けた。硝子の向こうにちらりと見えたぬいぐるみの状態は気になったけれど、この 窓からどうこうというのではない以上は確かめようもない。
 ぺたぺたと靴裏の粘りで足音を作りながら廊下を進む。先程の扉が閉じたままなのでもういいのだろうと判断してだ。
(声の、子は――)
 遊んでいるような気がする。遊びでは収まらない危険が散乱しているけれど、それでも遊びであるような気がする。
 殺傷力の高さを無視しておけば扉の向こうから何かが飛んできたり、頭から何かが落ちてきたり、気付かれないように何かを投げたり、それらは悪戯のようではないか。そして転がるぬいぐるみの様は、ヒント。そんな風に思える。
(ひとりがつまらない、とか)
 それで人を招いて自分の悪戯に引っ掛けて。
 いたずらしてあげる、と誰かが、どこかで――
 ゆだんしてるとあぶないよ。
「!」
 千獣はそこで飛ばされた。したたかに胴を何かで薙ぎ払われて。
 一気に感覚が集まり弾ける。痛みだけでなく、嘔吐感だけでなく、身の内が潰れる喪失感だけでなく、様々なものが衝撃と共に千獣を襲う。だが飛ばされるままではない。身体と感覚を意識するまでもなく制して体勢を整えると身を丸めて激突からの負傷を抑える。そのまま軽やかに足を床に着け、前方をきりと見据える。続く動きが見当たらないことを確かめてから、そこでようやく千獣は口中に溢れた血と幾らかの塊を捨てる余裕を作った。
 よそみしてたら、あぶない。
 それからいい加減に馴染んできた何処かからの幼い声に、自身の臓腑を今しがた痛めつけられた身でありながら千獣は僅かに苦笑を刷いただけ。聞こえた声の調子が僅かばかり不貞腐れた様子に思えたからだ。
「ごめんね。……考え事……ちょっとだけ、した」
 宥めるように声を返す。子供はまだ現れないけれど、声は常にあって、そして気配はだんだんと濃くなって。
 会えるだろうか、会えないだろうか。千獣の勘とも言うべき辺りで子供は会わないままのようにも思えている。
 子供はこっそりと、自分の用意した悪戯の結果を見守っているのだと。
「大丈夫」
 それから、最後まで付き合ってくれるのかを心配して見詰めているのだと。
「……私……頑丈、だから」
 千獣はそんな風に感じて、そうして言葉を唇に乗せた。
「まだ……遊べる、よ?」
 はっきりと、遊びだと、それに付き合うと、告げた。
 途端にどこかからの嬉しげな声。弾んだ声。ああやはりと苦笑を刷いたまま千獣は思う。
 自分を散々に傷付けてきた――勿論、素知らぬ顔で遣り過ごしてみたり先程の扉のように驚きもなくあっさりと閉めて防いでみせたり、一方的に流血沙汰を味わう羽目になぞはなっていないけれども――やたらと危険な仕掛けは全て、不意打ちの類ばかりであった。曲がり角に振り子の刃、背後から直線に投げられる刃物、扉を開けるなりの射撃。そして落とし穴。吊るし網。頭の上から降るのが鉄球や大刃でなくて小麦粉袋や銅平鍋などであればさぞや微笑ましかろうに。
 喜ぶ気配の直後にはきぃきぃと存在を主張し始めたそこかしこの扉を視界に納めつつ、千獣は半ば以上回復した己の腹をそろりと確かめた。自分だからこそ付き合えるこれは、あまりにも歪で残酷だ。子供らしいのか、子供らしからぬのか、わからねど。
 血を吸って多少の重みを増した衣服。立ち上がれば包帯と呪符が揺れる。
 傷は塞がった。内も外も。名残は衣服の痛みと汚れと、それだけだ。
 千獣は腹部が陥没したぬいぐるみを見つけ出すと、他の各所でもしたように片隅へと座らせてやった。
「……続き、しようか」
 それから宣言して直近の扉へと。
 取っ手を掴んで動かしかけた瞬間に千獣の頭に浮かんだのは、もしや勝負はつかないのではという予想とも不安とも疑問ともつかぬけれども重要な事柄と。それから。
「――っ、……繰り返しじゃ、引っ掛からない……から」
 飛び出した槍を避け、払うどころか力を込めてひん曲げてやる。
「驚かない」
 館の一室ごと、廊下の曲がり角ごと、階段ごと。
 それぞれがまるで『びっくり箱』のようだということと。
 凄惨な周囲にそぐわないことを、頭の中に千獣は浮かべていたのであった。



 館の中は果てなく未だに赤く粘ついて不穏に黙するも、無邪気な声が段々と響き始めて。

 悪戯はまだ終わらない。
 けれどそれで構わない。

 千獣はただ、子供が満足するまで、悪戯されるだけ。
 ときに引っ掛かり、ときにすり抜けて、歪なびっくり箱を開けて回るだけ。

 たのしいたのしいと笑う声にだから千獣は血臭の中でやわらかく笑む。
 ――それはよかった――と



 ** *** *



 ――はた、と瞬いて意識の空白と感覚の齟齬を整えた。

 それは突然に目が覚めたときのようなものだ。
 千獣は再度ぱちりと瞬いて周囲に己を馴染ませ、視線を眼前の子供に。
 濡れそぼっていた子供はやはり濡れそぼっていたけれど、
(笑顔)
 ほんのりと、まろい面に充足の色を乗せて千獣を見ていた。
 細く小さな手が与えた菓子を大事そうに持ったまま。
 そうして抑揚には相変わらず欠けた声で子供は言った。
「いたずら」

 た の し か っ た

 疑問符がついていても、ついていなくても。
 そんな風な、どちらでもおかしくない絶妙な曖昧さで言った。
 一音一音を区切るようにゆっくりと。
 千獣は返事を待ってか見詰めたままの子供を見返して、赤く粘ったビックリ箱の白昼夢を脳裏に蘇らせた。そのときの終には弾んだ子供の高い声も一緒に。そうして目の前の少女とも少年ともつかない姿の子供へと頷いて。
「うん……そう、だね」
 肯定は、あなたが楽しんで満足したのなら良かったと、そんな気持ちを含んだもの。
 子供がそれを感じ取ったかはわからねど、しかと頷いたのは確かであった。
 頷いて、それからくるりと身を翻す。子供らしい唐突さと素早さ。
 見送る形になった千獣の前で開かれていた扉は緩やかに動いて閉ざされていく。
 そうしてぱたりと閉じてしまえば後は、一滴の赤すらも現には無い。

 ま た ね

 ただ輪郭を曖昧にしながら扉の向こうに隠されていった子供の声だけが、僅かにあった。





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【3087/千獣/女性/17歳/異界職】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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期日いっぱいでのお届け、お待たせ致しました。
ご参加ありがとうございます。ライター珠洲です。
ひたすらぐちゃぐちゃな感じの中を進んで頂く流れとなっております。
が、子供って割と熱中すると「まだか!」と言いたくなるくらいの時間を注ぎ込みますし
それをたっぷり相手して貰って満足な気持ちで千獣様とは最後にご挨拶したかと。
ちなみにスプラッタ色は殆ど御座いません(がくり