<PCシチュエーションノベル(グループ3)>
〜宿業は巡り巡る〜
松浪心語(まつなみ・しんご)は、昏々と眠り続ける義兄を見下ろし、心配そうに顔をしかめた。
時折、細いため息をつく以外は、松浪静四郎(まつなみ・せいしろう)の額に浮かんだ玉の汗を、冷たい水に浸した布でぬぐってやったり、布団を掛け直したり、ただただその白い手を握ったりして、彼なりに出来る範囲での看病を一生懸命続けている。
部屋の中央にある粗末な木のテーブルに頬杖をつき、そんな心語を不機嫌そうにフガク(ふがく)は見やった。
「おい、いさな、お前、全然寝てないよな?」
「……少し……眠った……」
ぽつりとつぶやくその声に、生気のかけらはない。
どことなく疲れの見えるその横顔に、フガクも大きなため息をついて肩をすくめた。
「俺が代わってやるから、少し寝ろって」
だが、心語はふるふるとその銀色の頭を振った。
「お前が倒れたら何の意味ないんだからな?」
畳み掛けるように、フガクは心語にそう言った。
それでもまだ、心語は首を縦に振ろうとしない。
頬杖を解き、腕を組んで、フガクはやや首を斜めに傾げると、心語の横顔に向かって口を開いた。
「もう3日だ、3日! そんな調子で世話してりゃ、お前の方が先に参るっての! わかってんのかよ? せっかくもうひとり、ここに手があるんだから、大人しく借りとけばいいと思うんだけど?!」
「……兄上には……恩も……あるから……」
少女のような華奢な背中が、凛と張りつめたような空気を持つ。
一瞬で纏う雰囲気が変わり、思わず目をみはって、フガクはその背中を見つめた。
それから、改めて心語の台詞を繰り返す。
「恩?」
「ああ……これまで……兄上がしてくれた……たくさんの恩が……ある……それに……報いたい……から……」
訥々と話すその声には、揺るぎない愛情がこめられていて、それを感じ取ったフガクは少しだけ剣呑な光をその瞳に浮かべた。
「へえ…」
相槌のように洩らされたその声には、幾許かの負の感情がにじみ出ていた。
心語はそれに気付かなかったが、フガクは自分でそれに気付いている。
(ここまでコイツを手なづけるとは、ね…)
それは大きな誤算だった。
心語はそんなに簡単に、他人に心を許す人間ではない。
幼い頃から蓄積された孤独感が、いつでも彼をがんじがらめにしていたのだ。
フガクは当然、そのことを知っていた。
伊達に一緒に育った訳ではない。
そう思ったフガクは、知らず知らずのうちに、自分の心が黒く澱んで行くのを感じていた。
その黒い何かに名前をつけるとすれば、それは。
(憎しみってヤツかな…)
まるで他人事のように、フガクはそう思い、唇に笑みを刻む。
無論、心語には見えないように、うっすらと。
「お前さ」
笑みをゆっくりと消してから、フガクはその背中に声をかけた。
心語がこちらを振り返る。
その目に視点を据えながら、なるべく感情を殺した表情で、フガクは言った。
「ホントにそいつが、お前のためを思って何かしてくれてたと思ってんの? だとしたら、ずいぶんと上手く立ち回られたもんだな!」
「兄さん……?」
心語の瞳が徐々に大きく開かれる。
フガクの口調がいつもと違う。
それどころか、彼の吐く言葉すらも、まったくもって彼らしくなかった。
驚いたように見開かれた目に、だがフガクは胸の奥にわだかまる憎悪を隠すこともせず見返して、言い募った。
「そいつ、貴族なんだろう? もし仮に、そいつがお前のために何かしてくれたってんなら、そんなのは所詮、苦労知らずのお坊ちゃんの安っぽい同情だ。いさな、騙されてるんだぞ? いい加減、気付いたらどうなんだよ?!」
フガクの声は、その小さな家中に響き渡った。
元々声は大きい方なのだ、怒鳴り声であれば尚更だった。
そして、その声で、静四郎は深い闇の底から、覚醒の途上に引きずり上げられたのである。
何日も昏睡状態にあったため、意識の目覚めは緩やかだ。
おかげで、その部屋で起きている不穏な状況が少しずつ、ほんの少しずつではあったが、把握する余裕があったのだった。
(誰かが…怒って…?)
考えのまとまらない頭を何とか動かして、静四郎は声の主を特定する。
意識が浮上するにつれて、声がはっきりと耳に入って来た。
大きな声はフガクのものだ。
それに対して、弱々しく答えを返しているのは義弟の心語だろう。
部屋の空気は重く沈んでいて、これ以上ないほど刺々しい感情に満ち溢れている。
こんな状況で、自分が起きられるはずがない。
何故なら、ふたりの会話の中心は、自分のことに他ならないのだから。
静四郎はまだ眠っているふりを続けて、ふたりのやり取りに耳を傾けた。
「そいつにそこまでしてやる義理なんか、お前にもないんだぞ、いさな! そいつはただの人間じゃない、魔瞳族なんだからな!」
「そんなことは……ない……」
「何でわからないんだよ?!」
「…だって……兄上は……俺を助けてくれたから……」
心語は戸惑い、叩きつけられる悪意の言葉に耐えかねて、思わずうつむいた。
「兄上が……松浪家に引き取って……助けてくれなかったら……俺は……生きていなかった……」
「だから! それが安っぽい同情から来てるんだって分かれよ!」
「そんなこと……ない……!」
心語は、両手の拳を握って立ち上がった。
その目に、静かな怒りの色をたたえて、フガクを見上げる。
そんな視線にも、フガクは怯まなかった。
腕を組んだまま、心語を見下ろして、酷薄な台詞を投げかける。
「それなら何で今ここにいるんだ? 中つ国じゃあなくて、このソーンに」
痛いところを突かれて、心語は思わず言葉を飲んだ。
二の句を継げずにいる心語に向かって、さらなる言葉をフガクは口にした。
「戦飼族は人間の紛い物としか見られていないんだ。そいつはともかく、他の人間には随分と邪険にされただろう? ちがうかよ?」
心語は振り返って静四郎の顔を見つめた。
穏やかで優しい、義兄の眠る顔を。
「俺は……誰にどう見られても……何と言われても……構わなかった……家を出たのは……自分が……そこにいたせいで傷つけた……兄上の松浪家での立場と……その心を……守るため……だから……」
ぽつりぽつりと、その時を思い出しながら、心語は話した。
自分さえここにいなければ――まるで斬られるような痛みを胸の内に隠し、松浪家を飛び出した日のことを、心語は決して忘れないだろう。
大好きな義兄に一生会えなくなっても、守れるならそれで構わないと、泣きたいほどの気持ちを抱えて、走り続けたあの日のことを。
その時だった。
「兄、上……?」
その青い双眸が、静かに静かに開かれていく。
そして、その視線が、自分に注がれ、その口から聞きたかった声が流れた。
「心語…」
喜んで安心したように破顔する心語を見、それから、苦々しい顔を背けて立っているフガクを見やる。
ふたりの容姿はまったくちがうが、纏う色合いは同じ――そう、それは、戦飼族の銀と青だ。
静四郎は悲しげに目を伏せた。
「心語…聞いて…ください」
長らく水を流していない喉は嗄れていて、上手く声が出なかった。
だが、それでも今しかないと静四郎は思ったのである。
意を決して、何かを思い切るように、彼は言った。
「わたくしは、しばらくこの家には来ません。心語、あなたとも会いません」
「あ、兄上……?」
何を言い出すのかと驚いて慌てかける心語の肩をぐい、と引き、フガクは心語の前に出る。
静四郎と視線を交わし、しばしの間、沈黙が下りた。
それを破ったのは、フガクだった。
「おい、あんた、魔瞳族として罪を認めるなら、二度と俺達に……戦飼族に関わるな」
静四郎は目を細めた。
だが彼はそのまま何も言わず、三人の間にはただ重い空気だけが流れて行った。
〜END〜
〜ライターより〜
いつもご依頼ありがとうございます!
ライターの藤沢麗です。
こちらこそ、このお話の続きをありがとうございます!
大変気になっておりました。
戦飼族と魔瞳族、過去からの大きな因縁がありそうですね…。
心語さんとしてはせっかく出会えたふたりの義兄を、
失いたくないのだろうとお察しします…。
何か解決策があれば良いのですが…。
それではまた未来のお話を綴ることが出来れば、
とても光栄です!
この度はご依頼、
本当にありがとうございました!
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