<東京怪談ノベル(シングル)>
安らげる場所
‥‥‥‥白神 空は、危険な存在である。
人外である怪人‥‥と言う事実を指しているわけではない。
人間離れした身体能力、様々な毒物を解毒してしまう血液、環境に応じて体内を変化させる適応力、酒豪でも裸足で逃げ出す大酒飲み属性に、少年少女を食い物にする底の知れない危険な色欲‥‥‥‥まぁ、色んな意味で、空は危険な存在だと言えた。
しかし最も危険な特徴を挙げるとすれば、その精神の内の内、空の奥底に秘められている破壊の衝動だろう。
敵も味方も見境無しに壊し、殺し、殺戮を巻き起こす空の破壊衝動は危険極まりなく、この衝動によって起こされた惨劇に巻き込まれて生き延びた者など、ほんの一握りでも居るかどうか‥‥‥‥
そんな空は、危険な依頼を受ける時でも、一人でいる事が多かった。
誰かに協力を頼もうなどとは思わない。戦っている時、移動している時、語らっている時、どんな場面で破壊衝動が湧き起こってくるか、空自身でも予想が出来ない。そしてそれが湧き上がってきた時、衝動を抑えられるという絶対の自信を持つ事など出来なかった。
だからこそ、味方を手に掛けぬように“誰かと行動を共にする”と言うことを可能な限り避け、一人で行動する事を心掛けた。そうしている内に、空に来る依頼は危険で、孤独なものが多くなっていった。
空はそれで良しと思っていたし、それが最善の判断だと思っていた。
思っていたのだが‥‥‥‥
それでも、困難な仕事ならば、誰かと共にこなしたいと思う時もある。
「ぐふぅ‥‥‥‥た、ただいまぁ‥‥‥‥」
ヨロヨロと体をふらつかせながら、空は黒山羊亭の扉を開けて中に入る。酒場には十数人の客が既に酒瓶を空け、酔っ払いが喧しく騒ぎ立てている。
店内に入った途端に耳を打つ喧噪に眉をひそめながら、空は文句の一つも言わずにバーカウンターへと向かっていった。
「あら、おかえりなさい。珍しくボロボロなのね」
満身創痍‥‥とは言わずとも、疲労困憊の様相で椅子に腰掛けカウンターに突っ伏す空を、店主のエスメラルダは涼しい顔で出迎えた。
空は僅かに顔を上げ、口を尖らせて声を上げる。
「そりゃなるよ! 何? あの仕事は」
「そんなにきつい仕事だったかしら?」
「きつい。きつすぎるよ。もっとさぁ、大物狙いの仕事はなかったの? 下水道のネズミ退治とかさぁ‥‥‥‥専門業者が居るでしょう」
空は頬を膨らませてエスメラルダに不平を言う。
今回、空がエスメラルダから回された仕事は、下水道内に大発生したネズミの駆除作業だった。いったい何を食べたのか‥‥‥‥大きく肥え太ったネズミが下水道内を走り回り、勢力を聖都中に拡大させていっていたのだ。
ネズミ算式に増えるとはよく言ったもので、ネズミはほんの一ヶ月ほどで六匹から八匹ほどの子供を産み、そしてその子供はまたも一月ほどで子供が産めるようになる。順調に餌を確保出来ればの話だが、どっかの馬鹿が残飯の類をネズミの通り道に廃棄していたらしく、餌については心配する事はなかったようだ。
そんなネズミを数ヶ月間放置もすれば、数百匹を超えるネズミが下水道中に溢れかえるのも仕方ない事だ。だからこそ、人間は餌となるものを安易に放置せず、ネズミを発見し次第駆除してきた。
実際、空も早朝からずっとネズミを駆除していたのだが‥‥‥‥
「普通さぁ、あんなにネズミが出て来たら、毒とか罠とか、いろいろあるでしょう? もっと人数揃えて囲んだりさ‥‥‥‥一人で駆除作業とか、あり得ないわ」
「まぁまぁ。誰もやりたがらない仕事だからこその高給なのよ」
「せめて‥‥‥‥せめて明かりを頂戴。毒を‥‥ううん。もっと強力な毒ガスを下水中にまき散らしてしまえばいいのよ!」
「あなたはテロリストにでもなるつもり?」
何か嫌な事でもあったのだろうかと、エスメラルダは本気で思ってしまう。それほどに空の様子は、普段のクールな雰囲気とは懸け離れたものだった。
「だって、暗いし速いし数は多いし追い詰めたら噛みついてくるしチョロチョロとすばしっこいし黒光りするGとか百の足を持つ害虫とかがウジャウジャいるし臭いし水は汚いし‥‥‥‥マフィアの事務所に突っ込んで行けと言われた方が万倍はマシよ」
空は深い溜息をつき、この日の悪夢を忘れようと頭を振った。
実際、今日の空は散々な目に遭っていた。
まず下水道内は暗く、足下がろくに見えない。臭いが酷くて鼻が利かず、足場は曲線を描いていたり凹凸があったりと不安定だ。ネズミを集団で発見しても、近付いただけで四方八方へと逃げていく。そのネズミを出来る限り減らそうと思ったら、もうあっちこっちへと駆けずり回るほかにない。
むろん、一匹残らずに駆除し続けるなど出来るわけがない。しかし言い渡されたノルマをこなしている内に体は泥だらけとなり、体力と共に精神力も想像以上に消耗する結果となった。
「お酒でも飲む? 安くしておくわよ」
「それじゃあ‥‥‥‥ううん。今日は止めておくわ。シャワーを浴びて、早々に寝る」
「‥‥‥‥嘘」
エスメラルダが何かを呟いていたが、空は気にも止めずに席を立ち、二階の部屋へと歩を進めた。それまでとは違った理由で騒然とする店内。空と同様に馴染みと化している酒豪達は、酒場を歩いている空を凝視し、手にした酒杯をピタリと止めて硬直する。中には口を開けたまま唖然とする者、空の事など素知らぬ顔で酒を飲む者(恐らくは空を知らない者だろう)が入り乱れ、ちょうど店内に入ってきたお客が「何事だ?」と足を止めている。
それほどの衝撃‥‥‥‥
空は、これまで酒好きとして、店内の酒豪達と争ってきた。元々ノリが良い空は、テンションの上がった阿呆どもに混じって乾杯をする事も少なくなかった。その為、この店で‥‥‥‥いや、酒場という酒場で数々の伝説を作り上げた空の酒好きを知らぬ者はほぼいない。
そんな空が、一杯の酒も飲まずに部屋に帰り、眠る‥‥‥‥
これが非常事態でなくてなんだというのだ!?
背後から「世界の終わりだぁ!!」「酒だ! 飲んで忘れてやるぅ!」「うわぁ! 俺はもうダメだぁ!」「おい! あいつ食い逃げしたぞ!」等という悲鳴や怒声が聞こえてくる。しかし空は、意に介するような気分にもなれず、酒場の片隅にある二回への階段を上り、エスメラルダが用意してくれた部屋へと向かう。
(こんなに疲れたのは‥‥‥‥久しぶりね)
普段、空は困難な依頼を達成した後でも、疲労を感じる事など稀だった。
怪人の能力のお陰で傷は癒え、それと共に肉体的な疲労などすぐに吹き飛んでしまう。疲れるという事とは本来は無縁で、少なくとも栄養を補給し続けている間は、身体的には何一つ問題は起こらない。
故に、現在の空の状態は肉体疲労による消耗ではない。精神的な、極度のストレスを受けたことによる暗鬱とした疲労だった。
「ああ‥‥‥‥ベッド、綺麗だなぁ‥‥‥‥」
部屋に入ると、フカフカとしている真白いシーツに包まれたベッドが目に入った。飛び込めば“夢”と言う桃源郷へと、瞬く間に旅立てることだろう。
子供のように、あのベッドに飛び込んで眠る事が出来れば、どれだけ幸せだろう‥‥‥‥
そう思う。しかしそうしたい衝動を、空の理性が押し止めた。
(シャ、シャワーを浴びなきゃ‥‥)
下水の臭いは、空の体に染みついている。服も汚水で汚れ、とても今の姿で白いシーツにベッドインするなど出来ない。そんな事をすれば夕メモまた悪夢に変わり、翌朝にはエスメラルダからの大目玉が待っているだろう。
幾ら疲れ果てていても、そんな事態は願い下げだ。
寝間着に使うバスローブだけを手に、空は部屋を出てお風呂へと向かう。聖都でも指折りの宿である黒山羊亭でも、個室にお風呂やシャワーの類は用意されていない。体の汚れを落とすには、もう一度部屋の外に出る必要があった。
(面倒ねぇ‥‥‥‥ああ、もう‥‥‥‥本当に疲れた)
一日中くらい下水道を駆けずり回った反動で、空の精神は摩耗しきっていた。その疲労から、目すらも霞む。部屋を出る時に誰かにぶつかった気もしたが、空はフラフラとその場を後にして浴場へと続く扉を開ける。
‥‥‥‥しばしの休息。
お湯を被り、汚れを落とす。シャワーから降り注ぐお湯は空の細い体を流れ、下水の痕跡を一切残さぬようにと余す所なく撫でていく。空の手は柔らかなスポンジを優しく包み、強靱ながらも赤子のように柔らかな感触を保つ肌を擦っていく。
そして泡を流し、湯船に浸かって疲れを流す。
「ふはぁ‥‥うみゅー‥‥‥‥Zzzz はっ!?」
危うく湯船の中で眠りそうになる。慌てて顔を上げ、頭を容赦なく揺らす眠気を振り切り、空はお湯で軽く顔を洗った。
(ゆっくり浸かっていたいけど、気を抜くとお風呂の中に沈んでいっちゃいそうねぇ。ま、溺れる心配はないんだけど、お客に見付かったら騒ぎになるし‥‥‥‥)
ゆっくりと堪能するほど、空には体力が残されてはいなかった。体の臭いを嗅ぎ、下水の臭いではなく石鹸の香しい香りが残っていることを確認してから、浴場を後にする。洗濯籠に入れておいた空の衣服は店員に回収されていたため(お風呂に入る前に頼んでおいた)、用意しておいたバスローブを着込んで部屋へと戻る。
(さぁ、今度こそ‥‥!)
部屋の扉を開け、ベッドの中に飛び込み、深い深い海よりも遙かに深い眠りの中へと落ちていくだけだ。今はそれだけが望み。酒も少年少女もエスメラルダへの文句もネズミ退治の報酬もあちこちの酒場にあるツケの支払いも何もかも後回しだ。
部屋の扉を開ける。そこには、自分を待っていたかのように変わらず存在する心地の良さそうなベッドがある。ああ、これこそが自分が追い求めていた物だ。空は吸い寄せられるかのようにフラフラとベッドまで歩く。意識せずとも、足は勝手に動いていた。そしてそのまま、文字通りに倒れ込むようにベッドへと‥‥‥‥
コンコンコン‥‥‥‥
部屋をノックする音が聞こえる。
「‥‥‥‥‥‥」
返事など、出来ない。顔をベッドに埋め、力無く倒れ込んでいる空には返事をするような気力はない。もうダメ。もう無理。これ以上のイベントなんていりません。部屋の外にいるのが美少年か美少女で、空と添い寝してくれるなんてイベントならまだ回収したくもなるけど、宿に戻ったばかりの空を、いったい誰が尋ねて来るというのだろうか?
一階にいたエスメラルダか、または新たな仕事を押しつけようと待ち伏せていた厄介者か、ツケの支払いを催促しに来たどこかの酒場の店主か‥‥‥‥
相手をしているような力はない。もういいから。このまま静かに眠らせて――――
「あの、空お姉さん? 寝ちゃいましたか?」
「全然。絶好調すぎてどうしようかと思ってたところよ」
扉を僅かに開けて顔を覗かせた犬耳美少女に、空は満面の笑みを浮かべてそう答えた。ベッドからは起きあがり、待ってましたとばかりに少女を招き入れて扉を閉める。ついでに鍵も掛ける。少女にテーブルを囲んでいた椅子を勧め、如何にも何も企んでなんていませんという笑みを浮かべて少女の対面に座ろうとして――――
床に倒れ込んだ。
「空お姉さん!?」
「大丈夫。大丈夫だから。うん。もうほんとに、大丈‥‥‥‥夫」
既に限界に達していた精神力は、無駄に気力を振り絞ってしまったがために、完全にダウンした。もはや念願のベッドにまで這い上がる事も出来ず、空の意識は床の上で消えていく。
‥‥‥‥こうして、あまたの悪人を屈服させてきた伝説の怪人、白神 空は、静かに息を引き取るのだった‥‥‥‥
「なんてことになったら大変ですよ! 空お姉さん! 起きて! 目を覚ましてください!」
「うぅ‥‥さすがに床で寝たぐらいで死にはしないけど、かなり寒いわね‥‥‥‥」
「冬なんですから、当然ですよ! せめてベッドまで‥‥‥‥ちょっと我慢してくださいね」
犬耳少女はそう言うと、空の体を軽く持ち上げ、器用に背負うとベッドの上にまで連れて行った。
空の体を軽々と背負い苦悶の表情一つ見せないこの少女は、以前、空が森で拾ってきた亜人の人狼少女である。
少女は空の紹介でエスメラルダの手に渡ったのだが、それまで閉鎖的な環境で過ごしてきた事もあり、人付き合いの方法や家事、文字の読み書きなどを覚えるまでの間は、黒山羊亭の見習い店員として働く事になった。
少女は、エスメラルダから空がフラフラだった事を聞き、様子を見に来たらしい。ベッドの上に身を投げながら、空は「エスメラルダに気を遣わせちゃったかな」と考えていた。
「はい。そこでなら眠っても大丈夫ですよ」
「ありがとう‥‥‥‥じゃあ、そう言う事で‥‥‥‥」
「あたしは帰りますね?」
「ちょっと待って。お願い。もう少し居て」
空をベッドの上まで連れて行った狼少女は、踵を返して帰ろうとする。空の様子を見に来たようだが、少女はまだ仕事中‥‥空にばかり構っているわけにはいかなかった。
しかしそんな少女の手を、空は力無く握り、引き留める。
「今日は朝から、ずっとネズミとばっかり話してたからね‥‥‥‥人が恋しいのよ。お願い。居るだけでも良いから、ね?」
「はぁ、やっぱりそう来ましたか‥‥‥‥予想はしていました」
少女が黒山羊亭に来てから一週間ほどしか経っていなかったが、それでも空の性格や行動を把握するには十分な時間だっただろう。空がここまで弱っている場面など拝めなかったが、消耗して疲れ果てている空の所に自分が行けば、たぶん引き留めるだろうなぁとは思っていたのだ。
でも‥‥‥‥
「喋るのも辛そうじゃないですか。寝た方が良いですよ」
「だから、あたしが眠るまで‥‥‥‥側にいてくれるだけで良い、から」
少女の手を握っていた空の手が、スルリと抜ける。
空が放したわけでも、少女が振り払ったわけでもない。ただ、うっかり力が抜けてしまい、滑り落ちた‥‥と言った風だ。普段の空なら、こんな事はない。酒場の乱闘に巻き込まれても、決して酒瓶(もしくはグラス)を手放さない空なのだ。うっかりで手を放す事など、まずない事だ。
少女を掴んでいた手は、ベッドからぶらんと垂れて力無く揺れている。持ち上がる気配はない。空は目をウトウトとさせながら、少女を見詰め続けていた。
「‥‥わかりました。じゃあ、空お姉さんが寝るまでですよ」
少女はそう言うと、溜息混じりにベッドへと腰掛けてきた。ベッドからはみ出た空の腕を上に戻し、空の体が冷えないようにとシーツを掛ける。
少女が空の性格を把握しているのと同様、空も少女の性格を把握していた。
少女は、優しかった。人狼の少女を守り通した母親を見てきたからだろう。体力もある働き者で、物覚えも非常に良い。少々人見知りをする所もあるが、それも酒場を手伝いお客と話をする事で治ってきている。口調から幼さが消えてしまった事は非常に残念だったが、尻尾を振りながら店内を走り回る少女の存在は、一部の荒くれ達の注目の的となっている。
そんな少女を見て、空は少女をここに連れてきて、本当に良かったと思っていた。
「どう? 仕事は」
「楽しいですよ。エスメラルダさんも優しいし、あたしの事を見ても、誰も悪口を言わないし」
少女は、黒山羊亭で働くようになってから、狼の耳と尻尾を隠さずに過ごしていた。これもエスメラルダの方針で、「一生隠して生きるわけにもいかないんだから」とのことだ。狼の耳はピョコンと自己主張しているし、尻尾は半ズボンからはみ出て事ある毎にブンブンと振り回されている。
「あ、そう言えば‥‥変なおじさんに声を掛けられたりとか、してないでしょうね? セクハラとか誘拐されそうになったら、容赦なく踏みつぶして良いのよ」
「そう言う人たちは、最初の三日で空お姉さんがやっつけちゃったじゃないですか。エスメラルダさんが怒ってましたよ?」
「お客さんに手を出すなって?」
「“店の外でやれ”だ、そうです」
「‥‥‥‥さすがエスメラルダね。お客への暴力はスルーするんだ」
「セクハラしてくるお客や、誘拐してくる人限定ですけどね。お陰で酔客に絡まれた時の対応が難しくて‥‥」
「セクハラ、ね」
ふと、空は何かを思いついたかのように唸り、それから怖ず怖ずと少女を見上げる。
「あのさ‥‥お願いがあるんだけど」
「はいはい。なんですか? 変な事以外は良いですよ」
「膝枕って、セクハラの範囲に入る?」
少女はキョトンと目を瞬かせ、クスリと失笑する。
「それぐらいなら、遠慮はいりませんよ」
ベッドに腰掛けていた少女は、腰の位置をずらして空の頭の高さにまで持って行く。それに合わせ、空はなけなしの力を振り絞って転がり、ゆっくりとした動作で少女の膝の上に頭を乗せた。
「ふぅ‥‥癒されるわぁ」
少女の柔らかな膝の感触を堪能しながら、空はこの瞬間を少しでも長く感じていようと、自然と降りてくる目蓋を強引にこじ開ける。と言っても、露骨に指で開けているわけではない。少女との会話や柔肌の感触によって回復したなけなしの気力をさらに注ぎ込み、この極楽のような状況を少しでも長く堪能しようと藻掻いている。
‥‥‥‥空の悪足掻きというか、往生際の悪さというか‥‥‥‥
そんな空の努力を、少女はしっかりと見抜いていた。少女はまだ幼いが、人里にいた頃は人の顔色や仕草から危機を読み取り、回避してきた。その経験から、人を見る目にだけは自信を持っている。
空は疲れ果てながらも、懸命に自分と共に居ようとしている。話を続けようとしている。睡魔に耐え、頭をふらつかせ、勝手に閉じようとする目蓋と戦っている。
何もそこまで耐えなくても‥‥‥‥
少女はそう思ったが、乱れた空の髪を優しく梳かしながら静かに空の側に居続ける。
「でも‥‥まさか女の子に膝枕をして貰う日が来るなんてね‥‥‥‥立場が逆な気がするわ」
「心地が悪いですか?」
「ううん。むしろ最高。高さと言い柔らかさと言い香りと言い、なんだか我慢出来なくなりそうよ‥‥‥‥」
何が我慢出来なくなるのか‥‥‥‥
空の手がヨロヨロとシーツから抜け出て少女の足に伸びようとしていたが、少女は素早くその手を掴んでシーツの中に強引に押し戻し、空の頬を指でクリクリと突っつき回す。
「だーめーでーすーよ。変なことは無しです」
「そんな事言わないで‥‥‥‥ああ、ごめん。謝るから。あたしを降ろそうとしないで。もう少しこのままでいてぇ」
甘えた声を出し、空は少女の体に腕を回して抱きついた。少女は帰ってしまおうかと浮かせた腰を下ろし、子供をあやすように「はいはい」と空の頭を撫で、やんわりと体に回された腕を解き、さりげなく服の中に入り込んできていた手を軽く抓る。
「本当に油断も隙もない‥‥こんなに弱ってるのに」
「あなたと触れ合っているだけで、結構元気になってきたわ」
「その割には眠そうです」
「こればっかりはねぇ‥‥‥‥久しぶりの激戦だったし、オーバーワーク気味なのよ」
「今日の仕事は、何だったんですか?」
「えっと、聞きたい?」
少女が「聞きたいです」と答えると、空はどうした物かと一瞬思案し、「それなら‥‥」と、今日の下水道での激戦を、300%増しの武勇譚へと変化させて語り始める。
Gは悪のテロリスト集団となり、斬っては撃っての大活劇。少女も、空の話が全て本当だとは思っていない。しかし何も、全てが実話である必要などないのだ。作り話でも楽しむ事が出来れば、十分にその役目を果たす事が出来る。
‥‥‥‥普段、破壊衝動による殺戮に巻き込む事を恐れ、なるべく人を避けている空は、こうして親しい少女と話をすると言う事があまりない。仕事を終えては少年少女を買い、夜を共にする。どんなに可愛らしい相手でも、相手をするのはそう多くはない。それも長時間相手にすると言う事はなく、楽しむだけ楽しんだ後は、出来るだけ早く別れてしまう。
そんな生活を繰り返していた空にとっては、こうして饒舌に話をする‥‥と言う事は、あまり記憶になかった。だからか、ついつい語りにも力が入ってしまう。
最後に世界征服を企む悪の大首領を打ち倒した所で、空の大活劇の物語は幕を閉じた。
「すごいですね。まさか聖都の地下にそんな古代兵器が眠っていたなんて!?」
「うんうん。あたしも驚いたわ。まさかこんな大事件に巻き込まれるなんてねぇ」
「空お姉さんなら、本当にそんな事件でも解決してしまいそうですね」
「そうねぇ。結構手を焼きそうだけど、本気で掛かればちょちょいのちょいと‥‥‥‥って、あなた――――」
「作り話だってことは分かってましたよ? でもどこまで話が広がっていくのかなぁって思ったら、予想を遙かに超えて‥‥‥‥すごく面白かったですよ」
「ソレハヨカッタワァ」
「拗ねないで下さいよ。元気になったみたいで、良かったじゃないですか」
少女はクスクスと笑いながら、空の頬を突いている。
夢中で語っていた空の頬には、疲れによって失われていた血色が僅かに戻っていた。フラフラとしか動かなかった腕も、今なら力を籠める事も出来る。夢中で話をしている内に、気が紛れたのか、いくらか体力も回復しているようだった。
「あたしに気を遣ってくれたのかしら?」
「どうでしょうね‥‥‥‥ただ単に、下の仕事に戻りたくないからかも知れませんよ?」
少女は舌をチョロリと出して、冗談めかして言う。
「ねぇ、一つだけ‥‥‥‥聞いても良いかしら」
「なんですか?」
「あなた‥‥ここに来て、良かったと思う?」
少女の言葉を聞いて、空は訪ねずには居られなかった。
ここに少女が来てからは、空は毎日のように黒山羊亭に通い詰めた。自分が連れてきた少女の働きを、生活を見守ってあげたかった。
しかし実際の所、これで良かったのかどうかは、外から見ている空やエスメラルダからは量る事は出来ない事だ。熱心に仕事をしているように見えても、内心では苦しんでいるのかも知れない。楽しそうに人と接していても、内心では怯えているのかも知れない‥‥‥‥
外からは見えない。少女の心。
空は、少女をここに連れてきても良かったのか。それを少女の口から聞きたかった。
「‥‥‥‥空お姉さんが心配している事は分かります。でも――――」
空を介抱しながら、少女は膝の上の空に答える。膝の上からでは、少女の表情は上手く見えない。少女は目を閉じ、静かに天井を見上げていた。
「ここに来た事も、空お姉さんやエスメラルダさんや、酒場の皆さんに会った事も‥‥‥‥何も間違ってなんていません。ここに来た事を、後悔してもいません」
「それじゃあ‥‥」
「あたしはここに来て、本当に良かったと思っています」
少女の言葉には、震えも躊躇も含まれてはいなかった。
空の体が、ドッと重くなる。心労によるものではなく、緊張の糸が切れたことによって力が抜けたのだ。それまで忘れていた睡魔が再び襲ってくる。
しかし、今度はその睡魔に抗う必要はない。
「そう‥‥‥‥良かった」
空は静かに、目を閉じた。
聞きたい言葉を聞けた事で、心の片隅に引っ掛かっていた不安が消え、空は体から力が抜けていくのを感じていた。
少女の温もりを感じながら、空は静かに寝息を立て始める。
安らかな寝顔。
疲れ果てていた怪人は、狼の温もりに触れて夢を見る。
「おつかれさまでした。空お姉さん」
眠りに就いた空を膝に乗せ、少女はいつまでもそこで、静かに空を見守っていた‥‥‥‥
Fin
●●●参加キャラクター●●●
3708 白神 空
●●●あとがき●●●
毎週毎週ありがとう御座います。メビオス零です。
さて、今回のお話はどうでしたでしょうか?
ネズミの話は全面的にカット。狼少女とのお話です。いいなぁ。女の子の膝枕‥‥‥‥しかも犬耳付き。ちょっと羨ましいなぁ等と思っていたりする。
ちなみに人楼の少女は度々誘拐されかけているようですが、たぶん大丈夫でしょう。人狼は人間よりも遙かに強い。単純な力比べなら、たぶん空と張り合える。立派に育って、エスメラルダの元から立派に巣立っていくことでしょう。
では、もうそろそろ‥‥‥‥
今回のご発注、誠にありがとう御座います。ご内容はいかがでしたでしょうか? ご満足して頂けたら幸いです。作品に対するご感想、ご指摘などが御座いましたら、遠慮無く送って下さいませ。今後の参考にさせて頂きます。
では改めまして、今回のご発注、誠にありがとう御座いました(・_・)(._.)
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