<東京怪談ノベル(シングル)>


『届かぬ伝令』



  霧が立ち込める深い山岳地帯に響くのは、どこか遠くで吼えている正体不明の野獣の声、そして、男達が山岳地帯を進む靴の音だけであった。視界は悪く、頼りになるのは手持ちの明かりと、仲間達の声だけであった。
「また霧が深くなってないですか?」
 後方にいる兵士の男が、不安げな声を漏らした。
「大丈夫だ、霧など大した障害ではない。我々の任務は、新天地を探し出す事。この山々の向こうに、必ず素晴らしい土地があるはずだ」
 先頭を進む、隊長と思われる男が力強く答えた。
「我らの目的は、本国にいる皆の為に新たな土地を探すことだ。今はそれだけを考えて、前に進めばいい」
「そうだ、新天地を探したら、俺達は英雄だぜ」
 隊の真ん中あたりの位置にいた、痩せ型の男が答えた。
「新たな土地を切り開いた英雄として、ずっと称えられるんだぜ。それを思うと、興奮してくるじゃねえか」
「でも」
 痩せ型の男に、後方にいる男が言葉を返した。
「我々の食料はあとわずかしかありません。このまま、引き返した方が」
「本国からは、とにかく前に進むように言われている。食料と援軍は、後から送ってくれると出発前に聞いただろう?」
「はい。ですが」
 後方の男に、隊長は励ますように答えた。
「本国からの命令に従えばいい。今までもそうしてきただろう?もう少しで、援軍もやってくる。そうしたら、皆でこの霧の中を抜けるんだ」
 先程から聞こえていた何かの遠吠えが、近い所で聞こえた気がした。このあたりは魔獣達の生息圏で、危険も高く普通の人間は滅多に足を踏み入れない。技術を持った人間でさえ、通り抜けるのが危険な地域である。
 飛翔船でも越えられない、霧深い山岳地帯がこのあたりの大陸の南北を分けており、新たな土地へ行くには、この場所を歩いて抜けるしかなかった。
「隊長、あそこに砦があります。援軍が来るまで、あそこで休んではどうでしょうか?このまま進むのは、危険だと思います」
「そうだな」
 彼らは、霧の中に浮かび上がったその砦に入り、本国からの援軍を待つ事にした。
 自分達がこの開拓の先陣を切っていたが、厄介な魔獣も多いこの場所では、武器も食料も薬も、すぐになくなってしまう。
 けれど、もうすぐ援軍が来るのだ。援軍が来れば、また先へ進むことが出来る。国で待っている家族や友人に、自分達は偉業を遂げたと誇らしく告げられるのだ。
 砦の中へ入り、明かりをつけて休憩を取った。最後となる食料を皆で分け、ほんの少しの水で喉をしめらせた。
 援軍が来れば、もっと栄養価の高いものも食べられるし、それに怪我の手当てもしてもらえる。援軍と物資がもうすぐ、届くはずだ。



 霧はなかなか晴れなかったが、砦に入って休憩する彼らが、その後2度と外へ出てくる事はなかった。
 砦に棲む凶悪な魔獣が、疲れきっている彼らを襲撃し、命を奪い去ってしまったからだ。
 月日が経つにつれて、やがてこの彼らの存在すらも忘れられてしまい、彼らの墓標となったこの砦も、多くの人々に、存在している事すら忘れられていった。


 リルド・ラーケン(りるど・らーけん)はその日、ある貴族からの依頼を受けた。
 エルザードからかなり離れた位置にある、滅多に人が近寄らない山岳地帯に、かつてアルタジアという国が侵攻をしたが、退路を無くし、侵攻していた部隊は消息を絶ってしまった。おそらくは、その山岳地帯の途中で果てたといわれているが、詳細は不明である。
 そのアルタジアの指揮官が、国の遺産を持っていたというのだ。つい最近、そのアルタジアで書かれたとされる石板が発見され、遺産の存在が明らかになり、それを手に入れるべく、エルザード内でいくつも捜索舞台が派遣されていた。
 リルドに捜索を依頼した貴族も遺産入手を目的とする一人であり、遺産を入手すれば、所有している貴重な魔法の剣を報酬として出すというのだ。剣を主な戦術としているリルドは、すぐにこの捜索への参加を名乗り出た。
 貴族は、他の捜索部隊と一緒での行動を勧めたが、リルドは断った。リルドはその性格上、単独の行動を好んでいる。
 それに、他人との団体行動となると、いつも相手と壁を作ってしまい、ぎくしゃくとしてしまうのだ。一人で行動した方が自由に動けるし、まして今回のような危険を伴う依頼であれば、尚更一人の方がいい。仲間に構っている場合ではない事態にも、なるかもしれないからだ。
 リルドは、エルザードの武器屋や道具屋、食料屋等へ立ち寄り、探索の準備をした。
 今回のような依頼は、結果を持ち帰るのに時間がかかると予想される。特に食料は、大事な命綱となる。過去、一度は死に掛けた身であるが、生きている以上食料は必要だ。水も多目に必要になるだろう。
 買物を終えたリルドは、山岳地帯へと向かった。話によれば、その地域は飛翔船でも超えることが出来ない程の切り立った山々が連なっているのだという。
 幸い、リルドにはかつて同化した竜の力があり、飛行する事が出来る。体力温存の為、途中までは飛翔船の定期便で、一番最寄りの町へと移動し、そこから先は竜の姿となって、上から様子を伺いながら、石板に書いてあった砦らしき建物を探した。
「随分高い山が続いているな。やはり、降りて探さないと駄目か」
 竜の翼といえども、どんな高さでも飛べるわけではない。上空に行けば行くほど空気は薄くなり、また寒さも酷くなってくる。リルドが竜の姿で飛び続けるには限界があり、それに上から全てを把握できるわけではない。
 依頼人の貴族は、石板の写しを持っており、リルドはそのさらに複写されたものを持ってきたのだが、この山岳地帯に砦があることがわかっていた。
 今までも、その砦の存在は噂されていたが、はっきりとした情報が何もなかった為、砦が本当にあるのかどうか、わからなかったのだ。何故、皆がここまで、こんな山岳地帯の砦に注目するのか。
 その理由が、アルタジアの軍隊がこの砦で消息を絶ったからと、噂されていたからだ。その軍隊の司令官が、アルタジアの遺産を持っており、その遺産は国の貴重な秘密の書面とも、国で開発された魔法の道具とも言われている。
 リルドも、報酬の他にその遺産が何であるのか気になっていたが、今はその砦に辿り着くことだけを考えなければならない。砦といっても、どのぐらいの大きさかはわからないし、上から見える位置にあるとは限らない。敵の目につきにくい場所に造られている可能性も高い。それを考えると、切り立った崖の中にある可能性ももあるだろう。
 リルドは山の斜面に降り立つと、竜化を解き人間の姿へと戻った。地上から探すのが目的であるが、何より竜化をずっと続けるのは体力の消耗が激しく、これ以上続ければ体が持たなくなってしまう。
 地上へ降りたリルドは、岩陰でしばしの休息を取った。これまでも竜の姿で飛び続けていたので、体力を消費していたからだ。
 水と甘い菓子を口にし、疲れを癒す。休息を取っている間、リルドは再度石板の写しを読み直した。
「仲間が、魔物に、襲われた‥‥道を知られているから‥‥向かう。どこへ向かったんだ?」
 アルタジアの部隊は、いくつかに分かれてこの地を探索していたのだろう。そして、そのうちの1つが砦へ向かい、消息を絶った。その部隊こそが、遺産を持っている人物がいた部隊に違いない。
「ここが魔物どもの勢力圏であるのは、今も変わりないだろうがな」
 リルドの耳に、何かの獣の遠吠えが聞こえてきた。それも、それほど遠い距離ではないように感じた。
「さっさといくか」
 休息を終えたリルドは、地上からの探索を始めるべく、荷物を持ち腰をあげた。
 山岳地帯だけあり、肌寒い気候であった。リルドはいつもの服装の上に、動物の毛皮を施した防寒具を着ていた。
 1日目は、何も発見する事が出来ずに終わった。
 この時期は暗くなるのも早いので、リルドは日が落ちる前に、適当な岩陰を見つけてそこで野宿をする事にした。暗い中を歩き回るのは無謀である。安全な場所ならまだしも、ここは魔物たちの住処なのだ。夜、活動を始める魔物も沢山いるのだろう。
 この岩陰なら、山岳地帯の強い風も防げる。リルドはそこで火をつけて固形になっていた野菜のスープを作り、パンとドライフルーツを口にした。
 たった一人の、孤独な時間が流れていく。話す相手もいないが、リルドには大した問題ではない。
 何気なく空を見上げると、そこには、山岳地帯だけあり美しい星空が広がっていた。まるで、零れ落ちてきそうな程の満点の星空で、高い梯子があれば、それを上って手で星をつかむことが出来るのはないかと思う程、星がリルドに迫ってくるのであった。
 食事終え寝袋に包まると、リルドは火をつけたまま眠った。火を怖がる普通の獣なら、近付いてはこないだろうが、魔獣となればそうもいかない。
 だが、危険な冒険を幾度ともなくこなして来たリルドである。魔獣の気配を感じ取ることは出来る。浅い眠りになってしまうのは仕方がないが、それでも休息を取らねば体力が持たない。
 リルドは降ってきそうな星空を眺めつつ、目を閉じたのであった。



 翌日、リルドは再び探索を開始した。昨日は行かなかった、もっと奥まった地域へと足を踏み入れ、砦の手がかりを探す。
「しかし、まるで果てがないような場所だな、ここは」
 リルドの前には、まさしく果てがあるのかと思いたくなる程、山々が遠くまで連なっていた。地図で見ると、この山岳地域はこの大陸を裂くように南北に走っているのだが、実際に降り立つとかなりの広さがあることがわかる。
「自然の城壁だな」
 この地帯を歩いて超えようとするならば、かなりの時間と労力を要するだろう。消えた軍隊の者達が、どんな気持ちでここを通過したのか。彼らも、リルドと同じ景色を見ていたはずだ。
 2日目も、何も発見できずに終わった。リルドは岩陰を探し出し、そこで休息を取った。
 干した肉を食べながら、リルドは上着を一枚多く着込んだ。今日はかなり冷え込んでおり、その寒さが堪えるからだ。リルドは準備をしっかりとしてきたが、無防備な状態では、この山の気候は命取りになるだろう。
 毛布を仕込んだ寝袋で休み、リルドは2日目の探索を終えた。



 さらに翌日、目を覚ましたリルドは、一面が霧に覆われている事に気づいた。視界がかなり悪く、あまり動き回るのは危険だろう。竜になって飛んでしまう事も出来るが、体力温存の為それは最後の手段として使いたい。
 しばらく探索を続けていたが、霧がまったく晴れないため、リルドはその日の探索を取りやめた。休息をする場所を探し、岩陰やくぼみを探して歩いているうちに、崖の間にある洞を見つけ、そこへと入ろうとした。
「これは?」
 その洞の手前に、朽ちた武具が落ちている。折れた剣とボロボロになった服だが、明らかにここに人がいたという証拠だ。
 リルドは武具はそのままにし、洞へと入った。あの武具の持ち主が、この洞に入ったのかもしれない。最も、入っていたとしてももう生きて会うことはないだろうが。
「思ったより広そうだな」
 たいまつをつけると洞の内部を確認した。人が3人ぐらい通れそうな通路が続いており、奥はどうなっているのかわからないが、雨風を防ぐには最適だろう。ここを拠点にして動くのもいいだろうか。
 そう思った瞬間、洞窟の奥から何かがこちらへ向かって飛んできた。
「なるほど、ここはやつらの住処か」
 蝙蝠の様な姿をした、黒く、血のような真っ赤な目を鋭く光らせる魔獣であった。それが、10匹前後だろうか、リルドに向かって勢いよく飛んでくる。
 リルドは短剣を抜くと、そこに雷の魔術をこめて魔獣へと振り下ろした。だが、数が多く、リルドの剣をかわした別の魔獣が、リルドの腕に噛み付いた。
 リルドは念を込めると、体から雷を放った。全身から雷を放ち、リルドの体に接近していた魔獣は感電して地面へと落ちていく。
 残った魔獣は、リルドが剣で貫き、ようやく魔獣を全て退治する事が出来た。魔獣に噛まれた場所から、血がにじみ出ている。魔獣が何かの雑菌を持っていると危険なので、その傷口を吸出し、すぐに手当てをし薬を塗った。
 倒した魔獣を洞窟の隅に寄せようとした時、そこに人の骨らしき白いものが埋まっている事に気づいた。
「こんなところに、人骨か?」
 リルドは慎重にその骨らしきものが埋まっている土を払いのけた。想像した通り、それは人の骨であった。ここで命を終えてから大分時間がたったせいだろう、土に覆われてしまっていたのだ。
 一緒に埋まっていた、その人物のものと思われる鞄には、石板と、遺筆が入っていた。遺筆は、金属のケースに入っていたおかげで、かなり保存状態が良かった。
「この人物は、伝令係か?」
 リルドがそう思ったのは、石板に書かれた文字だ。石板には、補給路が絶たれ援軍も送れないから撤退しろという、アルタジアの本国のものと思われる伝令が書かれている。
 そして、遺筆には地図が載っており、その地図こそまさしく、リルドが探している砦の場所を示していたのだ。
 おそらくは、この伝令係は、本国からの伝令を軍隊に伝えるために、ここまでやってきたのだろう。だが、原因は何かわからないが、ここで果ててしまい、伝令が届くことはなかった。病気か怪我か、もしかしたら魔獣に襲われたのかもしれない。
 地図の裏側に、弱弱しい文字で、その人物の無念の思いが綴られていた。本国の、おそらくは家族に宛てたものなのだろう。ただ一言、さようなら、と書かれていた。
「あんたは伝令を果たしてくれたよ。あんたのおかげで、俺は目的地に辿り着く事が出来るんだからな」
 リルドは石板と遺筆を取り出し、その骨をそっと土に埋めた。
 彼の伝令は今、リルドが引き継いだ。石板は少々重かったが、探索の手がかりになると考え、持っていくことにした。
 太陽が昇り、朝を向かえ霧が晴れたら、この遺筆の地図に従って砦を探し、アルタジアの遺産を探し出す。それがリルドの目的だ。
 この地で、彼らがどんな思いをし、そして散っていったのか。彼らの口から直接聞く事は出来ないけれど、この伝令係の地図の裏に書かれた文字の様に、その思いに触れることは出来る。
 その度に感傷にふけっているわけにはいかないが、今は先へ進むだけだ。その先に何があるのか、自らの目で確認するためにも。(終)