<パンパレ・ハロウィンドリームノベル>
■幻想の燈■
す、と差し出された小さな南瓜。
仄かな光を繰り抜かれた箇所から零すその上部。
無言のままに促されて蓋を摘めば揺れている、芯のない灯。
ひとつだけが、ゆらゆら、ゆらゆら、ゆれて。
『どんな世界のどんな出来事でも』
稚い囁きが耳朶をくすぐれば、あとは泡沫の夢の中。
■幻想の燈 −自由は満ちたか−■
月が満ちていた。
冴えた光が注がれていた。
昂揚を覚えている。歓喜を覚えている。充足を覚えている。
四肢を絡め取り戒めていた鎖はもうない。自らが望むままに振る舞える。
当たり前のことだ。権利という必要もないくらいに当たり前のことだ。
自らは自らにしか統べることは叶わぬし、従う必要はないのだ。
だから、自由だった。
冷たく冴え光る月明かりの下。
ただただ、望むまま、求めるまま――
いくつめか。鋭さを伴って抉り込まれた鏃。
疾駆する最中であったそれに瞬間の動きは撓み、リルド・ラーケンは舌を打った。あるいは心理的なものだけであったかもしれないが、ともかくも舌打ちをした。半ば反射のように出るものだった。そしてそのまま動きは止めない。
背後からは追い立て探し出す為の幾つもの声。
怒りと怖れとを混ぜ合わせたそれらに背を押されてリルドは更に駆けて行く。
枷を嵌められ鎖で繋ぎ止められることになったかつてのように。
重ね合わせそうな過去と現在の状況は、けれども自嘲するリルドの胸内でけして重なる事はない。追い立てる声の質が違う。含まれる感情が違う。狩り出されるに至った経緯が違う。違い過ぎる。は、と嘲笑めいた息を吐いた。そこにさえ漂う臭気の由来はこの満月の夜にリルドが追われるのも無理からぬ、怒りと怖れで矢を穿たれるのに足りる、それだけのもの。
(――くそ――なさけねぇ)
月明かりの下を駆けながらリルドは幾度目とも知れぬ呟きを胸中で紡いだ。
昂揚を、歓喜を、充足を。
全てを引き剥がした叫びはがんがんと頭の中で反射するままに今も残っていた。
それはつい先程のことだった。けたたましく耳障りな悲鳴が理性を覆う衝動を削ぎ落し、血の気と共に足元まで一息に落ちて重石となったのは、ほんの数刻前のことだった。
『ひと、ひとを、ばけもの、だれか、だれか』
たたらを踏む相手の姿をリルドは茫然と見遣り、上げる声をただ聞いた。
満月の興奮に抑え込まれていた理性が主導権を取り戻して彼は、往来に転がり出てへたりこみながら更に叫ぶ誰かを見る視線をゆるゆると下げていき、そして、見た。
自らの銀色に重なる飛沫を。
その足元に転がる生きていたものを。赤なのか薄紅なのか赤黒いのか月明かりだけが照らす路地裏の影に転がる塊から覗く色を。うっすらと湯気さえ立ち昇っていそうな仄かなぬくもりが急速に失われていくそこから見えている白く硬い芯というべきものを。
凝視した。ぽつぽつと溢れだした声を遠く聞きながらリルドは己を濡らす液体と転がる塊とを凝視した。視線を据えたまま片腕だけを無意識のままに掲げて口元に添えた。確かめるまでもなく口腔には、歯には、舌には、喉には、なによりも胃の腑には。
『――ッ』
こみあげたのは嘔吐感ではない。理性の鎖を引き千切った衝動の四肢の結果を理解したからこその――満たされる程に堪能したことを理解したからこその、直前の記憶と感触の合致の故の。
『俺は』
一歩二歩と足を動かせばぴちゃりと響く音。
頭を抱えたいのか、ただ掲げただけなのか、腕が髪に触れた。耳も濡れていた。今更だった。確かめる労力なぞ必要ないほどにリルドは赤く濡れていた。月光に誘われて変じた身体を濡らしていた。
『喰っちまったのか』
そうして感情の追い付かないまま呟いた。
記憶は辿るまでもなかった。
衝動に突き動かされた結果はそこにあった。
『俺は……っ』
そうして人の生命の残滓をまとったまま、満月の夜の街をリルドは追い立てられている。
矢を射かけられ、慣れぬ素振りで男連中が振るう刃物を掻い潜り、松明をかざして方々から囲い込まれ、それでも石畳を蹴って駆け抜けていく。傷を負いながらも人々の向ける凶器を擦り抜けて駆け去っていく。
月は満ち満ちて、ただ明るかった。
夜明けは、満月の終わりは、いまだ遠かった。
** *** *
――夢を見ていた。
リルドが大勢の人間達に追い回され追い詰められて抑えつけられて捕らえられていた。その頃の夢だ。
冷たく硬い枷と鎖が常に自由を奪っていたけれど、だからといって心が折れるわけでもない。
檻の向こうから眺めていたのはリルドが銀狼に変じる種であると知って捕えさせた金持ちだった。
リルドはそいつがどれだけ呼ばわろうとも気が向かなければ振り返りもしなかった。かといって気が向いて振り返るという状況が歩み寄りの一幕というわけでもなく、ただリルドがより攻撃的な気持ちで相手を迎えるようなときであった。
「飽きねぇな、テメェもよ」
唾を吐くように言葉を吐き出して相手を睨みつけるのは常のこと。
屈強な輩を何人も従えて檻の外に立っていた金持ちは、自身の安全と優位を確信してリルドを見下ろす。
恰幅の良い――いささか良過ぎる相手を射殺さんばかりに見据えるとき、リルドの口元はいつだって皮肉に、挑戦的に、見下ろす相手をこそ見下すように、笑みの形に歪んでいた。そうしてハッと失笑して見せることも多かった。拘束されていようとも、ときに無礼を護衛達の暴力で咎められても、けしてリルドは変わらなかった。
「なんだ、殺されにきたってぇのか?」
「そこからどうやって私を殺すというのかね」
「いつまでもここに居ると思ってんならめでたい話だぜ」
「それは出てから言いたまえ。つまらない空言でしかないねえ」
「……そうやって、ほざいてろ」
檻の外の金持ちも、護衛も、見世物だと訪れる暮らしに不自由のない者達も。
誰も彼もがリルドのそういった言動を負け惜しみだと思っていたことだろう。自分達に阿ることのけしてない、挑発であったり無視であったりと屈する様子の無い振る舞いに不快を覚えては「人狼だとて檻の中では」と空々しく笑ってリルドを下に見ていたに違いない。いつまでも捕まっているものかとリルドが機を窺っているなどとは、檻と鎖と枷とに戒められている様からは考えていなかっただろう。
「テメェの自信満々なツラがみっともなく歪むときが、楽しみだ」
本心から、その未来を考えて笑ってやったリルドを檻の向こうで相手は愉快だとただ笑っていたものだった。
――夢だった。あくまでも、夢であった。
「だから言ってやったのによ」
咽喉仏を上下させる程度に笑うリルドは檻の外。倒れ伏す世話係。見張り達。
さてこのときに飼主だと自らを教え込もうとしていた金持ちは居ただろうか。
夢だからこそ状況は一定でなく、見回す室内で腰を抜かす相手の姿もあったりなかったり。
「さぁて……どうする?」
このときには存在して、リルドは悠々と、自由になった手を動かしつつ近付いていく。
ぱくぱくと口を開閉しているだけで音は出せない相手に瞳を眇め、唇を引き上げる。ひ、と息を吸い込む音だけが大きく零れて金持ちの恐れようを示してみせた。本人はさぞや苦しかろうが、吸い過ぎた息で咳が引き出された姿は滑稽だった。リルドに心配してやる義理のあるわけもなかったので、そのまま薄く笑って見下ろしていた。
「?」
見下ろして、ふと訝しく眉を寄せたのは相手の咳が不自然に途切れたその瞬間。
夢の中だという感覚はなく、おい、と声を発しかけたリルドの眼前。
「……あ……」
ぐしゃりと転がっていたのは咳き込んでいた『飼主』ではない。
引き裂かれて千切られて噛み砕かれて、赤だか紅だか黒だかの中から白を覗かせていたのは。
はたと両手を見る。銀色の毛。鋭い爪。見る間にそれが濡れていく。微かな泡立ちと塊と繊維とを絡めて広がっていく粘ついたそれは、それは――足元に広がる生命の流れ。冷えていく全て。見上げた先に天井はなく、建物に挟まれて覗く狭い夜空に冴え光る真円。仰向いたリルドの口元から頤、首筋、するりと滑り落ちた彼のものではない血潮。
――夢を、見た。許し難い自由の夢を。
それが現実にあったことだとリルドは理解している。
重さを感じる寝起きの頭を数度振ってから息を深く重ね、最後に溜息を吐いた。
「ろくな夢じゃねぇな……ったく」
追い立てる人々から逃れることは難しくもなかったものの、無傷ではなかったこともあって身を潜めている最中。
考えなしに逃げ惑うこともよくはない。であるからと傷を癒やしつつ周囲を窺い、小刻みに移動を続けている状況。
「…………」
じくじくと痛む傷に目を向ける。なんとなし熱を増しているようでもあった。
昨日の今日であるから治癒には時間もかかるだろうが、かといって、のんびりとしていられるとも思えない。
遣る瀬無く、リルドは自嘲の笑みを浮かべてから一転してきつく目を閉じて唇を噛む。
握りこんだ拳に鋭い爪は今は、ない。
「俺としたことが」
夢とは違って、実際の脱走は簡単だった。
すんなりと、誰かを殺して後々に面倒を招くような真似を起こすこともなく、隙を突いて自由を取り戻した。
満ちていく月の気配を感じながら、浮かされたように笑って駆けて、取り戻した自由に昂揚し歓喜し、それから達成感が胸を満たす風であることにおかしく笑った。充足はその夜のリルドの身体に力を与えたものだった。
けれども、それからほんの数日。数日だけで。
満月の夜に騒いだ血が、衝動で理性を捕えてしまえばあとはままならず。
獣の性に支配された理由を捕らわれの身であったが故の憔悴だったなどという言い訳はしない。
ただリルドが血の中の凶暴さを御し切れなかっただけであり、責は自身にあると思っている。その挙句に貪られることになった街の者は、ただただ気の毒なことだった。詫びて許されるわけではなくともリルドは瞑目せずにはおれない。そして、リルドを探す街の人々の前に身を晒すことをしないからこそ伏せられる眸でもあって。
「本職か」
つと、緩やかに呼吸を繰り返して整えるとリルドは目を開けた。
見える範囲にも感じ取れる範囲にも変化はない。けれど気付く。遠く自分を狩り出そうとしていた人々の声が、休息の時間を充分に挟んでおきながら蘇らないことに。そして鼻先に漂い来るようにも感じる独特の、匂い、ともいうべきものに。
それは自分を檻に入れる為に雇われた者達ともまた異なった――狩り出すばかりではない者達だろう。
リルドは、おそらくは狩り出されない。刈り取られる。その可能性は高くて。
僅かに地を摺る音を拾い上げるとリルドは瞳を閃かせ、挑む色へと染め上げた。
身体を少しずつ動かして姿勢を変える。気配を殺したままであるのは自分も、相手のハンターも変わらない。居るだろうと見当をつけているか、いないか。ハンターの動きは一箇所を目指すものではないが、偶然に訪れただけであるかは疑わしい。それでも万が一にも偶然であれば迂闊な行動で気付かれるなぞ阿呆の行いであるから、慎重に、リルドは動く。
ただ、何事もなく逃れることは難しいだろうと身の内で声がしていた。
おそらくはその通りだろうとリルドも思っている。
事実、ハンターは段々と距離を詰めながら、そのくせ逃亡を許さぬという様子で周囲への警戒を解きもしない。
避けようがないと心を据え、ハンターの方向へと身体を向けた。近付いてくる。じきに相手も気付く。隙を突こうと動けばその時点で気付くだろうと思われたから、出迎えてみせるくらいしかリルドが見せられる余裕はなかった。傷がそこかしこでじくじくと痛んで熱を訴える。致命傷ではなくともそれなりの深さをそれなりの数だけ受けていれば、やはり厄介なことである。
「人狼」
そうこうする間にハンターがついにリルドを探し当て、確信を持って呼ばわったのだけれど、その声があまりに街の人々の不安塗れのものとは違い過ぎたものだからリルドは思わず息だけで笑ってしまった。ハンターが眉を顰める。構えられる得物。その刃先に大人しく身を委ねることが出来ない己の性分は笑うべきだろうか。満月の狂気を認めることはないというのに、それに由来する狩手にさえ抗おうとする。ただ大人しく受け入れることを、しない。
「――ハッ、上等だよ」
唇を歪めて普段の通りに振る舞ってみせる。
白々とした空に隠れているだろう月はもう、満ちてはいなかった。
** *** *
ほろりと灯が消える感覚があった。
リルドが思わず見下ろした自身の手の中には何もなかったけれど。
小さな南瓜も、他の何も。――血も。
現実ではないと理解しながらも安堵の息を吐く。
それから忌々しいとばかりに眉を寄せて周囲を睥睨するが、南瓜を差し出した相手は居なかった。
大体にして誰が渡したのかさえ曖昧で、記憶にまるで残っていない。
ただ、なんとなし誰かがこちらを見ているようには感じられた。
なのでリルドは棘を生やした声音で何処かしらへと吐き捨てておく。
「やってくれるじゃねぇか」
イイ趣味だなと告げるのに返事は期待していなかった。
どうにも楽しいと言い難い幻想に放り込まれて浮かび上がった不穏の泡を潰す為に吐き出しただけだ。
けれども何処かから見ていた南瓜の渡し主と思しき相手は稚い声で、冷たく、言い捨てた。
『夢は、夢。たとえ似た何事かがあったとしても』
そうしてふいと失せたらしく空気が変わる。
リルドは傾いた機嫌を戻す意欲も湧かず、ち、と鋭く舌を打ったのであった。
━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【3544/リルド・ラーケン/男性/19歳/冒険者】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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はじめまして、ライター珠洲です。
期日ぎりぎりと大変お待たせ致しました。
すでにカボチャでなくヤドリギの頃です、ね。
ハンターが現れた後については……あっさりさっくりと終わるのではなく、
終わりを受け入れるとしても足掻いてみせてから、という印象ではあるのですが。
ええと非常に勝手な想像で申し訳ございません。
男前狼男な描写が皆無で更に申し訳ございません。
ぐるぐると真っ赤っ赤な場面を考えていた結果、こんな感じの話です。
夢の中の話、ということで楽しんで頂ければ嬉しく思います。
ご参加頂き、ありがとうございました。
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