<東京怪談ノベル(シングル)>
白百合、手折れし時
聖都エルザードの一角の闘技場では、熱気が高ぶりつつあった。
その源は言うまでもなく、我が身を武器として戦う猛者達の戦意であり、彼らに向かって嵐の如く声援を送る観客達だった。屈強な男達や見事な肢体の女達だけでなく、獣人や機械人といった者達も多種多様な技を競い合っていた。それもそのはず、今日開催された大会は種族や性別を制限せずにトーナメントを組む格闘大会だからだ。
試合参加者の控え室で、ミリア・ガードナーは緊張と興奮を漲らせていた。闘技場と控え室を隔てる壁をも通り抜けて伝わる熱気と歓声が神経を高ぶらせ、鼓動を速まらせる。どんな相手と戦うことになるか解らないというのは、不安もあるが、それ以上の期待もあるからだ。小柄で体重の軽いミリアだが、華奢な足から繰り出す華麗な蹴りで体格の良い成人男性をも圧倒出来る実力を持っている。だが、人間ではない種族が相手となれば、得意の足技もどこまで通用するものか。この大会に参加したのは、自分自身の実力を確かめる意味もあった。この大会にはチームを組んで参加することが必須だったため、ミリアは控え室にいる仲間と緊張を解すために言葉を交わし、順番が来るのを待った。
そして、遂にその時がやってきた。チームの先攻であるミリアは、試合進行役から一番最初に名を呼ばれて闘技場に入ると、対戦相手が向かい側に現れた。モーターを低く唸らせながら太い膝で重たい機体を支え、分厚い装甲に覆われた胸を張ったのは、ミリアの倍近くもある巨体の機械人だった。
機械人は、不気味なほど静かだった。頭部に飾り気はなく、目の役割を果たす部品が二つ埋め込まれているだけで、後はつるりとしたマスクのような顔立ちだ。ミリアの顔が映るほど滑らかに磨き上げられ、傷一つない。それに反して、鉄塊そのものである両手足は傷だらけで、特に傷が多いのが両の拳だ。傷の多さは機械人の戦闘経験の豊富さを生々しく物語り、ミリアはちょっと臆しかけたが弱気を振り払った。
試合開始のゴングが鳴り、ミリアは俊敏に駆け出した。
「いらっしゃらないのでしたら、わたくしから行きますわよ!」
ミリアに比べて遙かにウェイトの多い機械人は動作が遅れ、ミリアに顔を向けた時には、ミリアは既に間合いを詰めていた。
「女の子だからって、油断なさらないことね!」
軽いステップで跳ねたミリアは、ドレスに似た純白のスカートを翻し、艶やかな白い太股を露わにした。
「ふっ!」
まずは一撃。機械人の胸に膝蹴りを入れ、肩を足掛かりに背後を取る。
「たああっ!」
ミリアの動作は鮮やかで、それでいて洗練されていた。舞踏会でダンスを踊る淑女のような気品が感じられるが、蹴りの威力は確かだ。流れるように繰り出される伸びやかな蹴りが、機械人の装甲を鳴らし、圧倒していく。度重なる攻撃を受けて機械人は後退っていくと、可愛らしい少女が善戦する姿に観客達は一層興奮したらしく、皆がミリアを応援し始めた。
「あなた、見かけ倒しですわね!」
止めの一撃、とばかりにミリアがジャンプすると、その足を機械人に捉えられた。
「えっ……?」
ぞくりとするほど冷たく硬い金属の手がミリアの足首を握り、骨を軋ませた。痛みに顔を歪める隙も与えず、機械人はミリアを投げた。
「きゃああああっ!」
背中から床に叩き付けられたミリアは、息を荒げながら対戦相手を見上げた。機械人は冷ややかにミリアを見下ろしていたが、甲高い電子音を小刻みに鳴らした後、初めて声を発した。
『情報収集、完了』
感情が一欠片も感じられない平坦な言葉を終えると、機械人は拳を固めた。
『攻撃対象捕捉、行動開始』
ミリア目掛けて、拳が迫る。茶色で柔らかな毛先に触れるかと思われた瞬間、ミリアは反射的に身を転がして回避すると、拳は床に埋まった。格闘家達の激しい戦いを受け止め続けてもびくともしなかった床が砕け、ヒビが走った。機械人は指の隙間から破片を零しながら拳を抜くと、ぎゅい、とミリアに照準を合わせた。
「そんなもの、虚仮威しですわ! これからが本番でしてよ!」
ミリアはきっと眉を吊り上げ、機械人に向かっていった。機械人は勇ましく突っ込んできたミリアを避けることすらなく、冷徹な眼差しを注ぐだけだった。ミリアはスピードに物を言わせて機械人に膝蹴りを打ち込もうとするが、またもや足を掴まれ、投げられた。
「いやあっ!」
為す術もなく、ミリアは壁に激突した。頭に響く衝撃と悔しさでミリアは歯噛みしたが、挫けずに立ち上がった。
「まだ、まだですわ、これしきのことで負けるわたくしではありませんわ!」
『攻撃続行』
機械人は重たく踏み出し、膝関節から白い蒸気を噴出した。いつのまにか、観客達はミリアではなく機械人を応援していた。それが悔しさを煽り立て、ミリアは闘志が沸き上がった。まだ一回戦で、しかも初戦の相手なのだから、こんなところで負けたくない。
「覚悟なさいまし!」
脚力を駆使して一際高くジャンプしたミリアは、回転を加えた蹴りを機械人の肩に喰らわせ、続いてその回転を利用した二発目の蹴りを胸に打ち込んでから、相手の胸を足掛かりに跳ねて後退し、再度ジャンプした。追撃に入ろうとミリアは膝に力を込めたが、猛攻を受けても機械人は微動だにしていなかった。それでも、攻撃し続ければ勝機が見えるはず、とミリアは飛び掛かった。
「はあああっ!」
機械人の頭上を取った、と思ったその時、機械人はミリアの足を片手で払った。
「あうっ!」
背中から落下したミリアはすぐさま起き上がるが、顔を上げた時、ミリアの視界から機械人が消えていた。あんな巨体を見失うはずがない。ミリアが振り返った瞬間、強烈な熱を含んだ暴風が吹き荒れ、両足から青い炎を走らせるブースターを出した機械人がミリアの背後に着地した。ミリアが起き上がるまでの間を利用し、闘技場の天井近くまで浮き上がって視界から失せ、隙を作らせたのだ。
「そんなのっ」
ずるいですわ、と言いかけたミリアを、機械人は容赦なく回し蹴りで薙ぎ払った。ミリアのそれに比べれば遅いが、綺麗に体重を載せた重たい蹴りだ。風を切るほどの重量を持った頑強な足がミリアを呆気なく弾き飛ばし、起き上がる前に膝蹴りで浮かせ、宙に浮いた僅かな間に手刀で払い、転がせた。苦痛を堪えて起き上がろうとするミリアの背後に回った機械人は、ミリアの首を腕で締め上げた。
『動脈、及び気脈圧迫開始』
丸太のような腕がミリアの細い首に埋まり、喉が潰れる。ミリアはその腕を剥がそうとするも、腕力では到底敵わず、力を込めて機械人の腹を蹴るが、拘束は緩まない。息を吸っても喉で詰まり、声を出そうとしても同じことで、視界も暗くなっていく。
「わたくしの、負け、ですわ……」
震える唇からか細い言葉が零れると、機械人はミリアを床に落とした。崩れ落ちたミリアは、選手入場口で待機するチームメイトに、生半可な相手ではありませんわ、油断なさらないで、と忠告しようとしたが、言葉が出る前に意識を手放した。仲間達から名を呼ばれたが、それは最早、ミリアの耳に届かなかった。
少女が倒れた様は、白百合が散らされたかのように無慈悲に美しかった。
終
|
|