<東京怪談ノベル(シングル)>
神聖なる夜に
聖獣界ソーンには、様々なモノが流れ着く。
それは道具であったり、生物であったり、何かしらの知識であったりする。
特に、知識というものは人から人へと伝達されていくものであり、知性ある者が聖獣界に来た時には、時間を掛けて新しい知識が聖獣界全体に取り入れられることになる。
‥‥‥‥尤も、そうしてもたらされるもの全てが、良い知識、道具であるという保証はない。
むしろくだらない遊びや性癖、行儀、文化だったりする。そもそも元となった世界ではどんなイベントだったのかを知ることが出来ないため、どんな事を言われても「それは嘘だ!」と断言することが出来ないのだ。噂を広める方としても、面白可笑しく脚色してから流した方が楽しいだろうし、大抵は噂が広まった時には原形を留めていない。
しかしそんな根も葉もないどこから来たのかも分からない知識でも、大衆に広く受け入れられるイベントには一定の共通項が存在する。
その一つが、大騒ぎが出来るイベントだと言うことだ。
好き好んで断食だの裸踊りだの世界征服だのをするつもりもない。酒を飲んで美味しい物を食べて騒ぎ回ることが出来れば、結局のところは理由などどうでもいいのだ。
「それにしても、今日は一段と‥‥‥‥盛り上がりすぎじゃない?」
白神 空は、馴染みの店である黒山羊亭のバーカウンターに席を取りながら、店内を見渡し店主に声を掛ける。
店内は、久しぶりの大型イベントに盛り上がり、ケーキに鶏肉、豪華絢爛な食事を前にして浴びるように酒を飲み交わし、中には涙を流しながら騒ぎ倒している者で溢れかえっている。酒場と言うこともあり、むさ苦しい男達が寄って集って盃を掲げて踊っている姿は滑稽でもあり、無駄に高いテンションに圧倒されて思わず一歩退いてしまう。
‥‥‥‥今日はクリスマス。
恐らく一年を通して、これほど盛り上がりを見せるイベントもないだろうが、それにしても異常な盛り上がり具合である。
「一年で一番のイベントだからね。広告を打ったのよ」
「それでこんなに集まったのか‥‥‥‥でも、この文句はどうかと思うわ。誰よ、これ書いたの」
「あたしが書いたんだけど、そんなにおかしいかしら?」
カウンター越しにグラスを傾けていた黒山羊亭の店主、エスメラルダは、空が差し出してきた紙切れを一別してそう言った。
紙切れは、エスメラルダが書いた広告の一部である。黒山羊亭主催のクリスマスイベントについて掛かれている。場所は当然黒山羊亭で、当日に店に出る可愛い女の子達の顔や珍しいお酒に食事のメニューなどが書かれていた。
まぁ、それほどおかしいものではない。どの店でも配っている、ごく一般的なチラシである。
‥‥のだが、広告の注意事項に記載されている一文が異様な空気を放ち、圧倒的な存在感を放っていた。
「『既婚、恋人持ち立ち入り厳禁』とか、誰かにケンカ売ってるの?」
「別にそう言うわけじゃないわよ。ちょっとお客さんに惚気話をされて苛ってきただけよ。何よ。独身で悪い?」
「八つ当たりじゃない。男なんて、いくらでも見繕えるでしょ」
「結婚なんて考えてないわよ。男なんていらないわ。あたしはずっと一人なのよー!」
(‥‥こんなに酔ってるエスメラルダは初めてかも)
グラスを掲げて声を張り上げるエスメラルダは、常連でも決して見られないような醜態を晒していた。クリスマス行事に浮かれた馬鹿共が何やら吹き込んだのか、普段では考えられないほどに酔っている。
空ならばいくら飲んだところで酔い潰されることなど無いのだが、エスメラルダはただの人間だ。多少強い弱いというものはあっても、お酒を飲み続ければいつかは限界を迎えてしまう。酒場の店主たるもの、客にお酒を飲ませるために自分自身の限界は把握して飲まなければならない。
だと言うのに、熟練の酒場マスターであるエスメラルダがここまで酔うことになるとは‥‥‥‥いったい何を言われたのか、非常に興味深いところである。
(と言っても、こんな状態のエスメラルダに訊けないわね‥‥‥‥)
空は苦笑しながら、うっすらと涙を溜めているエスメラルダを宥めにかかる。
そうしてしばしの間、騒がしい喧噪を背にしてエスメラルダの愚痴を聞く。これまで散々顔を合わせてきた常連客とも盛り上がり、空はそれなりに楽しい時間を過ごしていた。
「それにしても大変ね‥‥どう? これから一緒にこっそりと飲みに行かない?」
「あはは。お姉さん、もしかしてこの忙しい中、店を空けられるとでも?」
店内のあちらこちらを走り回っていた狼少女を呼び止めた空に、少女は溜息混じりにそう言った。
狼少女は、空が森で保護し、エスメラルダに任せた女の子である。それからはこの店で働きながら、住居と働き口を探しているらしく、引っ越しのための資金を貯めるためにここ黒山羊亭で日夜慌ただしく働いている。
まだまだ幼いのだが、人狼は体力面で他の追随を許すような生易しい種族ではなく、ついでにまじめで仕事に妥協をしようとしない。肉体的にも精神的にも人狼らしい人狼だった少女は、エスメラルダのお気に入りで信頼が厚い。
そんなエスメラルダの期待に応えようと頑張っている少女が、まさかエスメラルダが戦闘不能に陥っている現状で休めるはずがない。
加えて今日はクリスマス‥‥‥‥甘ったるいデートムードを演出する必要のない酒場は、必要以上に騒がしい。そしてそれは、店員が休む間もなく走り回らなければならないと言うことをも示していた。
「今夜どころか、明日も無理です。寂しいのなら、他の人を当たって下さい」
「冷たい‥‥まるで外に降る雪のように冷たいわ」
「この状況を見て言えるんですから、大物ですよね」
「おーい! 犬っ子の嬢ちゃん! 酒を追加してくれ!」
「はーい。今行きまーす! それとあたしは犬じゃないですからねぇ!」
ぱたぱたと尻尾を振りながら走っていく犬っ子。店員と客が入り交じる店内を走っているというのに、酒瓶片手に転びもぶつかりもしないのは流石というか‥‥‥‥エスメラルダに紹介した手前、立派に成長してくれていることは素直に嬉しい。
そんなまじめな少女を、退屈だからと言って店の外に連れ出すわけにも行かない。エスメラルダを同じ常連客達に取られ、空は退屈そうに盛り上がる荒くれ達を見渡した。
(楽しそうねぇ‥‥混ざってもいいんだけど)
エスメラルダの配った広告を読んできた客ばかりならば、あの騒ぎの中にいるのは独身、恋人なしの方々である。空も独り身であると言うことを否定はしないが、仲間に入りたいとは思わなかった。
偶に泣きながら世を儚み、罵倒する者達が居るのは、命懸けの日々を送りながらも報われないからだろうか。この通りでは、お金で女の子が買える。しかしそこに愛はなく、あくまで商売としての付き合いだ。荒くれ達のささくれだった心を癒してくれる存在とは、僅かに外れている。
必要以上に騒ぎ立てているのも、クリスマスに独り身という寂しさを忘れるためなのかも知れない。
‥‥‥‥どっちかというと、多くの旅人や裏社会に生きる者達が集うこのベルファ通りだと、恋人持ちや既婚者は少数派だと思うのだが‥‥‥‥
まぁ、人恋しい年頃なのだろう。子供以上に、大人になると独り身は響くのだ。エスメラルダみたいに。
「それじゃ、あたしはここまでにしておきましょうか」
お代を店員の一人に渡し、エスメラルダに「よろしく」言っておくようにと言伝してから、空は一人で外へ出た。その途端に空から舞い降りてきた白い粒が降りかかり、アルコールで紅く染められた空の頬を冷やしていく。
(雪か‥‥よく降るわね)
空を見上げるまでもない。目の前には、真白い雪が降り続き、道を白く染め上げている。風がないため、雪の降り方は穏やかだ。アルコールで火照った体にはちょうど良い寒さである。
羽織っていたコートを翻し、空は飾り付けられた街を見て回った。
宿屋、服屋、食堂、玩具屋、銃砲店、マフィアの事務所‥‥‥‥
普段は素っ気ない看板ばかりをぶら下げている店舗が、この日ばかりは気合いを入れて飾り付けをされている。元々がどんな風習だったのかは知らないが、どの店も「あいつの店には負けねぇ!」と言わんばかりに、葉を散りばめたり様々な色の宝玉をぶら下げたり(もちろん、盗難防止用の偽物だろうが‥‥)見たこともないような怪生物の絵を貼り付けたりと、まるで“派手に装飾した店が勝ち”とでも言わんばかりにアピールしている。
それだけに、日常のベルファ通りを知っている者からすれば、苦笑ばかりが浮かんでくる。
こんなに店が競い合うほどに広まったイベントだというのに、誰もその“元”となった行事を知らないのだ。どこからともなく現れたイベントを、とにかくお祭り騒ぎが出来るからと適当に取り入れてしまったこの世界には、もはや苦笑するしかあるまい。
(それにしても、この日は‥‥‥‥独り身には堪えるわね)
問題なのは、発祥も何も分からずに盛り上がっている人々ではない。酒瓶を片手に、盛り上がれる分には問題ないのだ。
空がこうして外を一人寂しく歩いているのも、エスメラルダが珍しく荒れているのも‥‥‥‥
この“クリスマス”というイベントで最も盛り上がっているのが、幸せそうに街を歩く恋人達だからである。
「‥‥‥‥悔しくなんかないもん」
拗ねたように呟くが、その声は周りの雪と喧噪に吸収され、誰の耳にも届かない。
家族連れや恋人達、子供達に雪にはしゃぐ飼い犬達‥‥‥‥
裏通りと言われるベルファ通りでさえそうした者達を見かけるのだ。表側通りの盛り上がりなど、それこそ国を挙げてのお祭りなのではないかと見間違うほどの大イベントとなっているだろう。しかしそこに参加するつもりはない。冒険者やマフィア、空のような非合法の何でも屋は、基本的には家族や恋人と言った相手を持たないのだ。だからこそ居心地が悪い。幸せそうにクリスマスを楽しんでいる者達を見ると、何となく寂しくなるのだ。
まぁ、だからといってクリスマスという大イベントをぶち壊そうとか、禁止にしようなどとは思わない。それではあまりに情けなく、結果的には仲間を集めて酒場に集まり、金に糸目を付けない大酒宴が開催されているのだ。
何もかも酒で忘れてしまおうという魂胆だろう。
(去年は、どうしていたかしらね‥‥‥‥)
記憶を辿り、ここ数年間を思い起こす。
怪人として生み出された空は、外の世界を知ってからまだ日が浅い。去年は、確か酒盛りに参加したんだったろうか? いや、何となく違う気がする。そもそも普段から酒盛りに近い飲みっぷりを披露しているため、なかなか記憶に残らないらしい。
しかしこの雪を見ていると、誰かと会っていたような気がしてくる。
‥‥‥‥そうだ。確か‥‥‥‥
「あ、そっか。確かあの時は、裏通りにいたのよね」
空は“ポンッ”と手を叩くと、周りをキョロキョロと見渡した。着飾られて原形を留めていない店舗の並びを把握し、本来の姿を思い起こす。いくらこの街を根城にして活動している空でも、ここまで様相が変わってしまっていては、道を歩くにも目印らしい目印がすぐには出てこない。まずは本来の街の光景を思い出してから、進むべき方向を判断する。
幸せそうに微笑み、街を歩く人々。そんな人混みを掻き分けながら、空は一本の裏路地へと足を運び、その先へと抜けていった。
本来ならば、裏路地として暗く、ただ宿屋や酒場の勝手口やゴミ捨て場が並ぶだけの場所。
しかしこの街には、裏通りと呼ばれるベルファ通りの、さらに裏の通りがある。
「ここは、クリスマスでもいつも通りね」
眩い装飾に彩られた先程までの通りとは打って変わって、この通りにはそれらしい装飾の類が何もされておらず、歩く人々の姿も疎らだった。その閑散とした静かな通りには、裏通りであるベルファ通りからしてもさらに異端‥‥‥‥と言うより、表立って胸を張りづらい商売人達が集っている。
主な商品は“女”‥‥‥‥まぁ、要するに娼館の集う通りなのである。
先程までいたベルファ通りでも、少し探せば娼館の類は見つけられる。少年少女には後先考えずにお金をばらまく癖のある空は、娼館にとっても顔馴染みの上客だ。中には、空の顔を見た途端に部屋を確保するような娼館もある。‥‥のだが、今日はその表側の娼館に行く気はない。以前に一度、出会った少女を捜しに歩く。
(ここのところ来てなかったけど、本当に変わらないわね)
呼び込みに立っていた店員達が、次から次へと声を掛けてくる。言葉巧みに通りがかった人間に声を掛け、店の中に引き入れようとする。特に、今日は表通りにお客を取られているせいか、店員達は呼び込みに必死だった。しつこく空に声を掛けてくる若者の鼻っ柱を殴り付け、昏倒させてからじっくりと店を眺めていく。
(やっぱり、見つけようと思っても見付からないものね。名前も知らないし)
空は転倒の壁に貼り付けられた、ポスターのように引き伸ばされた写真を覗き込みながら溜息をつく。その写真には、美しい少年や少女、妖艶な女性に、逞しい肉体を強調している男性など様々な人間が写っており、中には空の好みの少女達も存在した。
しかし空は、その少女達からもすぐに目を逸らし、また別の写真を見に歩く。
右へ、左へ‥‥探し人はどこかと目を走らせながら、「うーん」と唸り、溜息ばかりが漏れる。
空が探しているのは、以前、この通りに来た時に出会った少女である。
まだ年若い、小柄な少女だった。十人中九人は「美少女」だと答えるだろう可愛らしい少女で、父親の借金に追われてこの娼館通りを訪れた女の子である。
(面白い子だったわね)
思い出した途端、空の口から苦笑が漏れる。
何しろ、空が話しかけてもオロオロと狼狽え、震えていた少女が、突然「私を買って下さい!!」と言ってきたのだ。「家出なら他の場所でしなさい」と気を遣い、表通りに連れて行こうとして呆気に取られてしまったものだ。
数多くの少年少女と一晩を共にしてきた空にとっても、埋もれて忘れることのない印象に残っている少女である。
しかしそれ以降、積極的に少女に会いに行くようなことはなかった。宵越しの銭を持たないことを心情としている空でも、毎日のように少女達と遊んでいるわけにはいかない。酒場のツケを払うために奔走し、厄介事を解決し、ストレス解消にお酒を飲み、そして最後に娼館で楽しみにかかる。
そんなペースで暮らしている空が少女に会いに行かなかったのは、娼館に出向く段階で、手近な女の子と遊んでいたためだろう。ここ最近は“偶然拾った少女”が身近なところにいるため、どうしてもそちらと遊んでしまう。
そうこうしているうちに、この裏通りにもとんと足を運ばなくなっていた。
(今はどうしているかしらね‥‥‥‥父親の借金があるって言っていたから、この辺りでは働いていると思ったんだけど)
それらしい娼館を見て回ってみたが、彼女の写真は見当たらない。ある意味、それは予想の範囲内だった。少女と出会ったのは娼館の外。体を売ろうかどうかと迷っていた少女に、空が声を掛けたのが切っ掛けだったのだ。
空と“遊ぶ”ために宿に泊まりはしたものの、空と別れた後、少女が娼館に出入りしているかどうかは分からない。もしかしたら表側の街で仕事を見つけたかも知れないし、借金取りに捕まって誘拐されたのかも知れない。それとも、この娼館街で働いて、借金を返済し終わったのか‥‥‥‥娼館の仕事は、大抵が給金に恵まれている。と言うよりだからこそ、借金に追われた者達が集まってしまうのだが、まじめに仕事をこなしていれば、借金返済を終えて出て行ってしまう者も多い。
しかし逆に、ここで稼いだお金を思い人に貢いだりギャンブルに注ぎ込んだり客に騙し取られたりといった危険性も存在する。そうして何時までも抜け出せなくなったり、さらなる闇へと落ちていく者の話も、ちらほらとは聞けていた。
嫌な考えが脳裏を過ぎり、空はブルリと背筋を震わせた。
‥‥‥‥まぁ、大丈夫だとは思うが、念のため娼館に話を聞いてみよう。
この娼館街で働いていたのなら、必ず顔を覚えている者が居るはずだ。
カランカラン。
手近な娼館の扉を開き、床一面に敷き詰められた紅い絨毯を踏みしめる。入念に清掃されているらしく、靴のままで上がっているというのに絨毯には染み一つ無い。目の前には、二階へと続く大きな階段と受付のカウンターだけがあり、それ以外には従業員用の扉が一つあるだけで、豪華ながらも単純な造りである。
娼館の類は、大抵が無駄に装飾に凝っている。外から見ている分には極普通の宿なのだが、中に入ると高級ホテルだ。この娼館街には、マフィアや多額の報奨金を得た冒険者などが常連客として訪れている。一見すると客は疎らだが、古株の店には常連の客が大勢いるため、金の実入りは恐ろしく良い。そのため、ライバル店との差を付けるためと言うこともあり、資金の許す限りは店内の装飾に凝る店が多かった。
「いらっしゃいませ」
カウンターに待機していた女の子が声を掛けてくる。
にこやかな笑顔。女の子を買うために来たのではないと分かったら、どんな顔をするだろうか?
「ごめん。ちょっと聞きたいことがあったんだけど‥‥」
「はい。何でしょう‥‥‥‥あれ?」
「ちょっと探してる子がいるんだけど、心当たりは‥‥‥‥あれ?」
言いかけ、空はカウンターから向かえた少女の顔をマジマジと注視した。
まだ少々幼さを残す少女だ。年の頃は十五〜十七歳頃に見える。背丈は空の胸元よりも少し高い程度。娼館らしい少女のスタイルを強調している衣装からは、その発育の良さが伺える。顔立ちは細くも太くもない絶妙なバランスを保ち、目は大きく“キョトン”としている表情が似合い、その愛らしさをさらに引き出している。腰まで届く長い髪は、瑞々しい艶やかさを保ちながら揺れ、どことなく空と似たような雰囲気を演出している。
少女はキョトンと目を瞬かせ、口をポカンと開いて「ああ!」と声を上げた。
「えっと、あなたは‥‥‥‥あの時のお姉さん!」
名前が出てこなかったのか(そもそも空が名乗らなかった)、少女は途中で言葉を切りながら、笑顔で空に飛び付いてきた。空は少女の柔らかい体を抱き留めながら、思わず探し人を発見したことで動揺しながら、やがて「よしよし」と少女の背中を撫でさする。
(覚えていてくれたんだ)
出会えたところで、もしも忘れられていたらどうしようと思っていたのだが、それは杞憂だったようだ。少女は空に飛び付き、胸に顔を埋めながら「ううん、良い感触♪」などと嬉しそうに呟き‥‥‥‥って待ちなさい。
「ちょ、ちょっと待って!」
「あん♪」
服の中に潜り込もうとした少女の手を引き抜き、反射的に間合いを取る。
空に抱きついてきた少女は、どさくさに紛れて空の服の中に手を入れ、素早く腰や背中を撫でさすっていたのだ。この手の情事には慣れきっていた空でも、まさか再会した次の瞬間にセクハラ紛いの行為をされるとは思っておらず、無防備にさらけ出していた体を縮み上がらせる。
「もう♪ つれないですわお姉様」
「あ、あなた‥‥‥‥キャラが変わってない?」
「あれ? お姉様は、好みじゃありませんでした? この手の性格だと、“お姉様”方からの評判は良かったんですけど‥‥‥‥」
むぅ、と腕を組む少女。
何やら真剣に考えているらしく、「ああして」「こうして」「押し倒そう」などとぶつぶつと呟いている。
「あなた‥‥‥‥すっかりこの業界に染まっちゃったわね。あたしと別れた後は、どうしてたの?」
苦笑いを浮かべながら、空は小さな溜息をついた。
「お姉様と別れた後、ここで雇って貰いました。店主も『男相手が嫌なら、女専門でも良いぞ』って言ってくれましたし、今でも良くしてくれます」
空との“遊び”で耐性が出来たのか、少女は“お姉様”専門の娼婦となったらしい。先程の手の動きから見て、かなりの場数を踏んできたのだろう。見れば、先程カウンター越しに見ていた時には愛らしかった少女が、今では妖艶な“女”の顔をしている。それはまるで、罠にかかった獲物を絡め取り、拘束してからゆっくりと調理する蜘蛛のような印象を与えてきた。
以前は、怯える少女に気を遣って途中で切り上げてしまったが‥‥‥‥本気でかからないと、空の方が食われてしまいそうだった。
「そう、それは良かったわ‥‥‥‥」
少女の身を案じていた空としては、娼婦だろうが何だろうが、無事に生き抜いていてくれていたことにホッと胸を撫で下ろした。
どんな境遇に落とされようと、最終的には自分の力で生き抜いた者が勝者である。この少女は自分の意志でこの娼館を訪れ、幸福かどうかは分からないが、それなりに満足のいく暮らしを送っているようだ。この分だと、父親の借金というものも大半を返済し終わったのかも知れない。
「そ・れ・よ・り‥‥‥‥お姉様、どうなんですか?」
「え?」
「今日は、誰をお買いあげに?」
ピキリと‥‥
なんだか空気が凍り付くような音がした。
少女は笑顔を浮かべているが、よくよく見れば眉が寄っている。頬もピクピクと引きつっているし、何よりその体から醸し出されている空気が、「私、怒ってます」と全力でアピールしている。
次に口を開けば、「ワタシイガイノオンナノコト、アソビニキタンデスカ?」とでも言いそうだ。
「も、もちろんあなたと遊びに来たのよ!」
「そうなんですか? 私、今日は表に写真を貼ってないんですけど」
「そこはほら、女の勘よ!」
「一年も来てくれなかったのに‥‥」
「うぐぅ」
少女は怒気を引っ込め、「私、待ってたんですよ」と呟いている。
‥‥‥‥そこに居たって、ようやく空は思い至った。
なるほど、少女が“お姉様専門”となったのは、空を待つためだったのか。少女を買う女など、この街でもそう多くはいないだろう。いずれは話を聞き付け、空が自分のところに戻ってきてくれると信じて、待っていてくれたのだ。
だと言うのに、この一年間の間待ち人はとんと現れず‥‥‥‥
ようやく現れてみると、他の少女を買おうというのだ。空に非はなくとも、多少は怒りもするだろう。
しかし空にしてみれば、それは完全に誤解である。
何しろ空は、この少女との再会を願って歩き回っていたのだから‥‥‥‥
「もう、本当にあなたを捜していたのに‥‥ね? 機嫌直してよ」
「だってお姉様、全然来てくれませんし‥‥‥‥本当に私に会いに来てくれたんですか?」
「もちろん。そうじゃなきゃ、こんな日にこの通りを歩かないわよ」
空はそう言って片目を閉じてウィンクする。
少女は、空をまじまじと見つめ、やがて空の肩や頭に積もった雪を眺めて頷いた。
空が本当に少女を求めて娼館を訪れたのかどうかは、少女自身では分からない。しかしこの雪の降る中、特別な日に自分の元へと来てくれたことが嬉しくて、少女は怒気を消して笑顔を浮かべていた。
「えへへ‥‥‥‥本当なら嬉しいです」
「本当よ。ところで、今夜は空いてる?」
「え? あ、はい!」
「それじゃ‥‥一部屋借りようかしら。もちろん、指名はあなたで」
空がそう言った途端、少女の顔がパァァっと輝いたような気がした。続いて「はい!」と返事をしてから、カウンターの奥に一度引っ込み、代わりに受付に立ってくれる同僚を連れ出してから、再び空に抱きついてくる。
「お部屋に案内します! さぁ、どうぞこちらへ!」
(元気になったわねぇ‥‥‥‥)
先導し、空を部屋まで案内する少女を眺めながら思う。
出会った頃の少女は、本当に気弱な子供だった。思い切りの良さもあったが、基本的には“遊んで”いる時にも震え、弱々しい少女だったのだ。
しかし今、目の前にいるのは元気に走り、活力のある少女である。
この娼館に来てからの一年間が、弱く大人しい少女を元気で活発な少女へと変えたのか‥‥‥‥
結果的に良い方向へ向かうこともあるのが、裏社会の不思議である‥‥‥‥
●●●●●
空が案内された部屋は、簡素ながらも上質な造りの部屋だった。
相変わらず床には紅い絨毯が敷かれ、天蓋カーテン付きのベッドが置かれている。化粧直しのためか、鏡付きの鏡台も置かれ、机の上には化粧品まで乗っていた。
扉を開けた時には、燭台には既に火が灯されていた。カーテンが開かれた窓からは、雪の降る街が見えていて美しい。二階に上がっただけだというのに、そこらの宿屋の屋根よりも高い位置に窓があるらしく、一望出来る光景も広く、実に見応えがある。
「ねぇ、この部屋って‥‥‥‥」
「お代なら大丈夫ですよ。来てくれたお礼に、私が少し払っておきましたから」
少女が楽しそうに言う。どうやら、空が来てくれたことがよほど嬉しかったらしく、空の予想を上回る上等な部屋を取ったらしい。大きめのベッドや、窓から良い景色が見える部屋は大抵は値が張り、空では手の届かない部屋である。
‥‥‥‥こんな部屋をポンと気軽に取れる辺り、もしかしたら、危険な依頼を次々に受けている空よりも稼ぎが良いのかも知れない。
「どうかしましたか?」
「ううん。ちょっと衝撃を受けて固まっちゃっただけ。うん。大丈夫よ」
空はヨロヨロと壁に体を預けながら、心配そうに顔を覗き込んでくる少女の頭を撫でる。
柔らかい髪が指の間を擦り抜けるたびに、まるで愛らしい小動物を撫でている時のような衝動に駆られる。抱き締めたい。もう少しこうしていたい。胸が高鳴り、思わず頬がにやけてしまう。
そんな空の心情を察しているのか、少女は「えへへー♪」と気持ちよさそうに微笑み、空に撫でられるがままとなっている。何というか、少女がこれまで相手にしてきた女性達も、こうして籠絡されたのだろうか? だとしたら恐ろしい子である。天然なのか、計算なのか‥‥‥‥ああもう、可愛いんだからどっちでも良いわね!
「ささ。お姉様、こっちですよぉ♪」
少女に手を引かれ、ベッドの上にまで招かれる。薄いシーツに、大きめの枕が並んでいる。窓の外から覗かれないようにと天蓋から垂れ下がっているカーテンは、上等なレースを使っているらしく、手で掻き分けなくても簡単に左右へと割れていった。
「それにしても、本当に慣れているのね」
「一年もここにいれば、嫌でも慣れますよ」
「ふふふ‥‥そう。それじゃあ、その手腕を見せて貰いましょう‥‥‥‥か?」
言い終わるよりも早く、少女の隣に座ろうとした空は、呆気なくベッドの上に倒された。
肩を優しく押して、倒してくる少女。普段ならばその程度で倒されるなどあり得ないのだが、しかし少女の持つ雰囲気からか、まるで自分から倒れ込んだかのようにベッドに横になる。
「ええ、お姉様。でもその前に‥‥‥‥」
空を押し倒した少女は、その空に折り重なるようにして横になった。
少女の柔らかい体は軽く、のし掛かられていても苦痛には感じない。ベッドはギシギシと軋み、むしろ心地良いぐらいだ。
少女と体を重ね、身を委ねる空。いつもならば攻めに回る空だったが、今回は少女の手に体を任せる。この真冬でも、薄着にコートを羽織っていただけの空の衣服に滑り込んでくる少女の手は、空の体を滑り、豊満な胸や細い腰を撫でて途方もない快楽を‥‥‥‥
「――――あら?」
そんな行為を想像していた空は、押し倒してきた少女がただ単純に、空の体を抱き締めてきたことに戸惑った。空の首筋に顔を埋め、互いの胸を押しつけあう。脚は絡み合ってはいるが、決して積極的に絡み合ってはこない。
言動から、てっきり積極的に絡み合ってくると思っていたのだが‥‥‥‥
少女は空の首筋に顔を埋めたままで、一言だけ呟いた。
「お姉様‥‥‥‥疲れてるでしょ?」
「え?」
「顔に出ています。こんな寒い中、外を歩き回っていた所為じゃないですよね?」
体を起こして、空の瞳を見つめる少女。まだ二回しか会っていないというのに、空が精神的に疲れていることを見抜いたらしい。空の体を労るように抱き締めて撫でさすりながら、軽く唇を合わせてくる。
ここ最近、人の面倒ばかりを見てきたために疲れが溜まっていた。顔に出ていたのかと、空は行為に応えながら、自分からも少女の体を抱き締める。
「そうかも知れないわね‥‥でも、それを癒すために、あなたに会いに来たのよ?」
「そうですか‥‥それでは、今日は特別サービスです。一年ぶりの私の想い、しっかりと受け止めて下さいね」
以前、空との行為が半端なところで終わってしまったことを根に持っているのか、少女は空の膝を撫で、内股に滑り込ませて微笑んだ。なるほど、カウンターで会った時の“蜘蛛”という印象は間違ってはいなかった。糸に絡み捕られた獲物は、後はゆっくりと調理されるだけなのだ。
‥‥しかし、少女に最初の手解きを行ったのは空である。
このまま負けてはなるものかと、少女の行為の邪魔にならない程度に手を動かし、その体を堪能する。
「きゃん! もう、お姉様。私に任せて下さいよ」
「ふふふ、そう簡単には、ね?」
「もう! 本気になっちゃいますからね」
少女はより激しく、しかし優しく空の体を走り回る。空を気遣い、しかし自分のこれまでの成果を見て貰おうと、必死になって空の体を責め立てにかかる。
一年間、自分を待ち続けた少女の想いに応えるように身を委ねながら、空は少女から伝わる暖かい体温に目を細め、頬を紅く染めていた。
(たまには、こういうのも良いわね)
微笑み、快楽に身を任せながら少女の手技に嬌声を上げる。
これまで数多くの人間と肌を重ねてきたが、二度、三度と同じ相手としたことはあまりない。
だがたまには、こうして会うのも良いのかも知れない。人に想われていると言うことが、これほどまでに暖かいものなのならば‥‥‥‥
――――二人の体温は交じり合い、真冬の雪をも溶かし、穏やかにして暑い時間を過ごしていた‥‥‥‥
Fin
●●昔の作品を読み返してびっくりしました●●
ども、昔の作品を読み返して「あれ? もしかして、レベルダウンした?」と焦ったメビオス零です。
いやぁ、何ともまぁ‥‥昔の作品を読み返してみると、特にえっちぃ描写に対しては昔の方が良かったような気がする。若気の至りでしょうか? なんていうか、こう、あんな作品やこんな作品を読むことによって高められた欲望が炸裂していたというか、ああもう何がなんだか。もしかして、私がドライになったんでしょうか。昔の作品を読み返しながら、何か参考になる本でも探してきます。修行をやり直さなければ‥‥‥
今回の作品はどうでしたでしょうか?
あまりクリスマス的な雰囲気は出せていないような‥‥‥‥せめて女の子にサンタの衣装を着せるべきだったかと反省しています。
クリスマス‥‥‥‥空さんの世界ではただのお祭り騒ぎが出来るだけのイベントですが、現実世界ではキリストさんの誕生祭ですね。確か、12月24日が前夜祭で、25日がクリスマス・イヴだったと記憶しています。ちなみにキリストさんが生まれたのは25日です。私の家では、もっぱら24日に盛り上がっていましたが‥‥まぁ、前夜“祭”ですから、盛り上がっても問題ありませんね。宗教的には関係ないですけど。(補足すると、ユダヤ教の暦では日没の時点で一日が終わるらしいので、24日の日没から25日の朝までがクリスマス・イヴだそうです)
‥‥‥‥って関係ない蘊蓄に走っている場合ではない。後書きが長すぎた。
あ、エスメラルダさんが酔ってるのは、別に「普段酔わない人が酔って本音を漏らしていたりすると可愛いなぁ」なんて思ったからじゃありませんよ? 可愛いなぁなんて、思ってませんよ? 大事なことなので二度言いました。
では、この辺で‥‥‥‥
今回のご発注、誠にありがとうございました。
作品はいかがでしたでしょうか? ご感想、ご指摘、ご叱責などがございましたら、是非ともお送り下さいませ。今後の作品の参考にさせて頂いたり、要望に応えていきたいと思っております。
では、今回のご発注、誠にありがとうございました(・_・)(._.)
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