<東京怪談ノベル(シングル)>
手の中の温もり
その日は、不思議に静かな朝だった。
「うーん、なんだか今日は寒いなあ〜」
伸びをしながら立ち上がったシノンは身支度を整え、窓を開けた。
「うわー。真っ白だ〜」
どうやら昨夜のうちに今年最初の纏まった雪が降ったようだ。
町中は化粧をしたかのように真っ白。
「どうりで寒いはずだね。そっか。もう‥‥冬なんだ」
上り始めた朝日と、雪に弾く眩しい光を見つめながら、シノンはそんな当たり前の事を呟いて‥‥目を閉じた。
「あれ? 後片付けはあたしがやるよ〜」
朝ごはんの後、食器を纏めようと手を伸ばしたシノンから
「あ、俺たちがやるから。ねーちゃんは休んでて」
半ばひったくるように少年は皿を奪い取った。
「でも、今日は水冷たいよ。大丈夫?」
心配そうに問うシノンに
「大丈夫、だいじょうぶ」
子供達はそう言って胸を叩く。その顔には確かにやる気が見え、ある種の自信さえ浮かんでいる。
「でも‥‥」
言いかけた心配の言葉を口に出す前に飲み込んで、シノンは解った。と頷いた。
「じゃあ、任せるよ。お皿、割らないように気をつけてね」
「「「「はーい!!」」」」
元気に合唱した言葉に微笑したのを確かめて、シノンはリビングの椅子によいしょ、と腰掛けた。
リビングでは子供達の何人かが、部屋の掃除中だ。
食事でこぼれたパンくずを箒で掃き集め、床を水拭きと乾拭きする。
皆、真剣な眼差しだ。子供達が最近孤児院の細々とした仕事を当番を決めてやっているのは知っていた。
中には自分の背丈より大きな箒を器用に操る子もいるがごみを運ぶのも何をするのでも、皆真剣に取り組んでいる。
誰一人面倒だからやらない、等口にする子はいなかった。
「皆でやれば早いねえ〜♪」
そんな鼻歌交じりの声が聞こえてくる。時折笑い声や
「丁寧にやりなさい。自分達のおうちのことなんだよ」
大人びた少女の声も。
「はーい」
とそれに答える男の子の声も。
彼らの様子を、シノンは顎に手を当てて笑顔で見つめていた。
孤児院の子供達が「お手伝い」に真剣に取り組むようになったのはいつからだろう、とシノンは考え、そして、思い当たる。
ああ、あの時からだと。
(「夏の終わり、私が、怪我をしたあの時からだ‥‥」)
薬草を取りに出かけた、足をくじいて帰れなくなった日。
子供達は秋の雨に身体が冷え切ったシノンの為に、着替えを整え、お風呂の用意をし、そしてチャイを入れてくれた。
それから数日間、足を動かさないようにと医者の指示を受けたシノンの代わりに、子供達は仕事を受け持つようになったのだ。
最初は勿論やり方がわからなかったり、雑だったりして上手くいかなかった。
箒を持って戦いごっこをしたり、モップで廊下中水浸しにしてしまったり、怪我をしていてもシノンがやったほうがずっと早かった、と思った事は、一回や二回や三回や四回ではなかった。
それでも、子供達は言うのだ。
「自分たちの家でもあるから」
と。そして、どんどん上達してくる。特に掃除はこの頃、大分安心してみていられるようになった。
さらにいろんなお手伝いや家事に挑戦してみようとする。
「この間は洗濯やってみたいって言ってたし、今日は皿洗いかあ。大丈夫かな?」
そんな思いを口にしても、シノンは立ち上がる事はしなかった。皆を、信じることにしたのだ。
(「それに‥‥まだもう少し先になるけれど、何時か自分がこの場を離れたときの為にも‥‥」)
子供達にはまだ告げていないが、そう遠くない未来、シノンは孤児院を離れ教会に帰ろうと思っていた。
その時には子供達も自分達で自分たちの事をしなければならない。
今は、その絶好の練習の時に、思えたのだ。
(「ちょっぴり寂しい気も、するけどね」)
シノンは目を軽く閉じた。
何が寂しいのか、それは誰よりも彼女がよく解り、また解ってはいなかったであろうけれど‥‥。
「‥‥え。ねえ、ってばああ!!」
自分の服の裾をひっぱる感覚に、シノンはハッともの想いの世界から脱出する。
「あ、ごめんんごめん。ちょっとぼんやりしてた。で、どうしたの?」
問うシノンに少女の一人が、お願いがあるの、と続けた。
「あのね。チャイの作り方教えて欲しいの」
シノンの目が僅かに丸くなる。
「チャイならいつでも入れてあげるのに」
言うシノンに、少女は照れたように顔を伏せた。
「でもね、それだとシノンは自分が入れたチャイしか飲めないでしょ? 私、シノンに入れてあげたいの。そして皆にも‥‥」
少女の優しい思い。シノンは答えの代わりに立ち上がると、少女の頭を優しく撫で歩き出した。
「シノン?」
「教えてあげる。でも、道具の用意を手伝うこと。それから、失敗したらちゃんと自分で飲むこと。いい?」
「うん!」
それから、孤児院のキッチンに甘いにおいが広がった。
「ほら、よそ見しいで。牛乳がこげちゃうよ」
「あ! ゴメン!」
少女が謝った時には、時、既に遅し鍋の牛乳は既に、ぼんぼんとお風呂の中で煮えたぎっていた。
「あーん、また失敗しちゃった〜」
「大丈夫。これくらいならお湯と合わせれば何とかなるから。落ち着いて、もっとゆっくりやってごらん」
落ち込む少女に大丈夫と、シノンは声をかける。
「大丈夫だよ。私だって、チャイをまともに入れられるようになるまで何度も練習したしね」
「えっ? シノンも失敗するの?」
「そりゃあね〜。いっぱいしたよ〜、そんな話、聞きたい?」
「聞きたい!」
「じゃあね。話してあげる。でもそれはチャイを入れてからね。今度は丁寧に、ゆっくりやってごらん」
「うん頑張る」
言葉通り、慎重に、慎重にチャイに向かい合う少女。
そのうちシノンは遠い昔を思い出した。
昔、自分も、こうやってメイド長にチャイの作り方を教わったっけ、と。
「ねえ、シノン。そろそろかな。もういいかな?」
「あと少し、かな10数えてごらん」
「解った。1、2〜」
正確に時間を測ろうとする少女の背中を見ながら昔の自分よりも上達が早いかもしれない、とシノンは思った。
(「みんな、成長してるんだね」)
思いながらカップやソーサーの準備をしていると‥‥。
「洗い物、おわったよ〜って、ずりい! 二人でチャイ飲む気だ〜」
「いいでしょう。シノンのお話も聞かせてもらうんだ」
「私もシノンのチャイ飲みたい! お話聞きたい!」
子供達がそんな声を上げて走ってきた。
そしてタックル! シノンに向かって。
「わかった、わかったってば。一緒に飲もう。少し早いけど10時のおやつにね」
「わーい!」
「じゃあ、準備して! お菓子も運んでね」
「はーい!!」
走り出す子供達を見送る時、シノンは手の中が暖かくなるのを感じた。
これはチャイを入れた時のぬくもりだろうか?
それとも子供達の思い?
きっとその両方かもしれない。
シノンは窓を見る。
窓の外はまだ、雪。
外に出るには、少し肌寒い。
でも家の中は、とても暖かかった。
笑顔が、笑い声が消える事はないだろう。
いずれ別れの時は来る。
それはきっとそう、遠くない未来。
でも今は、その時ではない。
その時までの時間を大切にしようと。
メイド長が自分に教えてくれたように、
たくさんの事を子供達に教えてあげようと
シノンはチャイを‥‥子供がシノンの為に入れてくれたチャイを飲みながらシノンは思ったのだった。
今日はきっと一日雪。
子供達との穏やかな時間はまだまだ続きそうである。
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