<東京怪談ノベル(シングル)>


『数百年の時を越えて』



 いつの時代からあるのかわからない古い砦に、リルド・ラーケン(りるど・らーけん)はたった一人で今、この砦の主と対峙している。
 鋭い目つきの魔獣は、砦の骸骨達を従えてリルドに近付いてくる。リルドよりも遥かに大きく、その頭部はまるで岩の様に硬い皮膚で覆われており、肌は鋼の色をしていた。魔獣が本当にこの砦の主なのかどうかはわからないが、少なくとも骸骨達を従えているところからして、ボスといえる存在なのだろう。
 孤立無援とはこういう状況の事なのだろう、とリルドは思った。リルドらしいといえばそうだが、今はあまりありがたい状況ではない。
 リルドは巨大な魔獣と、アルタジア軍の成れの果てと思われる骸骨達に囲まれている。この魔獣が、アルタジアの兵達を死に追いやったのかもしれないとリルドは思った。何故なら、骸骨達が身に着けている武具の傷跡が、この魔獣の持つ鋭い爪と形や長さが一致しているからだ。
 どんな理由かわからないが、過去、まだ人間だったアルタジアの軍隊がこの砦に入り、そしてこの魔獣に襲われた。魔獣がどんな力を持っているかはまだわからないが、数百年はここで生きているのだから、かなり生命力も強い生き物なのだろう。魔獣はその強い魔力で、この砦の全てを支配化に置いているのかもしれない。魔獣に襲われて、死後は自分達の命を奪った魔獣の手下になっているとは、何と言う皮肉だろうか。
「解放か」
 リルドが呟いた。どちらにしても、この魔獣を倒す他はない。魔獣を倒せば、彼らも解放されるかもしれない。兵士達を解放したいが為に魔獣を倒すわけではないが、結果的にそうなるだろう。とにかく今は、この場を切り抜ける事が先決だ。
 リルドは清水の入った小瓶を、スケルトン達の足元に投げつけた。水の魔術をより強力に使う為には、清い水は欠かせないからだ。ガラスの小さな小瓶が、細かい透明感のある破壊音を立てて壊れ、スケルトンの足元に小さな水溜りが出来ていく。
「時間をかけたくないのでな」
 リルドは力場の底上げを清水で行い、手を振り上げて魔法を放った。途端に、リルドが清水を振りまいた場所からまるで意思があるかの様に冷気が噴出し、それが骸骨達の足に絡みついていき、氷の足かせへと変化していく。骸骨達は足の動きを封じられてしまい、それでも動こうともがいているのであった。
「あまり長くは持たないだろうからな」
 何としても、スケルトン達の動きを封じている今、あの魔獣との決着をつけねばならない。ずっと足止めをしていられるわけでもないのだ。氷の魔法の効力がなくなれば、また動き出すだろう。
 骸骨達は特に強力な力を持っているわけではないが、束になって、しかも魔獣と一緒に襲い掛かってきたらかなり厄介な相手だ。チャンスは常に一瞬だけと考え、この戦いを切り抜けなくてはならない。
 リルドは剣を構えて魔獣目掛けて地面を蹴った。魔獣は血の様な真っ赤な目玉を動かしリルドの動きを捕らえてくる。
「きた!」
 首をうならせて、魔獣が炎を吐き出した。焼き焦げた臭いがたちまち部屋へと充満する。リルドはその炎を、瞬時に作り出した水の盾で消し去り、魔獣目掛けて剣を振り下ろした。
「うぅ、何て硬さだ」
 リルドの剣が、魔獣の体を貫通する事はなかった。この魔獣の皮膚は元々硬いようだが、先ほどスケルトンの槍を左肩で受けたおかげで負傷し、左腕に力が入らないのである。
 最も、腕に怪我がなかったとしても、この魔獣の体に傷をつけるのはかなり難しそうだった。鋼鉄の皮膚を持つ魔獣が、アルタジアの兵士達は全滅したのも納得がいく。砦のあちこちに散らばっていた兵士達のものと思われる武具の残骸が、それを物語っていた。兵士達が持っていた武器は、この魔獣にまるで効果を発揮しなかったのだろう。そうこうしているうちに、兵士達は全滅したに違いない。
 このままでは、アルタジア兵の二の舞になってしまう。リルドは最初から本気で戦っていた。スケルトンの足止めをしていられる間の、このほんのわずかな時間で倒してしまわねばならない。怪我も一因だが、無理に力を入れたおかげで、腕から流れる血が止まらなくなっているのだ。リルドが竜と同化した人間とはいえ、生身の体であることには違いなく、血が足りなくなれば意識を失ってしまう。
「弱点をつくしかない」
 必ずどこかに隙間や急所があるのではないかと、リルドは魔獣の太い腕による猛攻撃をぎりぎりの所でかわしながら考えた。
 攻撃を避けるたびに、怪我をした左腕に痛みが走る。その痛みは次第に大きくなっていき、リルドは顔を痛みでしかめるようになっていた。
 体を突くのは無理だろう。あの皮膚を貫くには相当の力と技量が必要だ。何度も叩けば亀裂が入るかもしれないが、そんな時間と余裕はリルドには残されていない。
「あれしかないか」
 リルドは自分に言い聞かせるように呟いた。どんな生き物だって、体の内部まで頑丈ということはあまりないだろう。内臓というのは生き物である限り、デリケートな部分だ。その内部に直接攻撃を加えられる箇所がある。
「火を吐く一瞬しかない」
 リルドは雷の力が込められた短刀を握り締めた。魔獣の口が開いたところに、この雷の短刀を差込み、一気に電撃を放出させる。その強力な電撃を食らえば、普通なら内蔵がショック状態になり止ってしまうはずである。
 思うのは簡単だが、実行するのは難しい。幸いなのは、魔獣の口がリルドの体の半分ほども大きなことだが、動きが素早く、ナイフの様な歯がびっしりと並んでおり、おまけに炎を吐いてくる。炎を吐けるほど内臓は丈夫なのかもしれないが、電撃ショックと炎の熱さは別物だろう。
 水と氷の魔法で口から攻撃を仕掛けることも考えたが、炎を吐く魔獣だけに、水や氷は炎で蒸発させられてしまう可能性がある。ここは雷がいいだろうと考えた。
「失敗すれば、俺もあいつらの仲間入りだな」
 リルドはスケルトン達を見回した。先ほど放った氷がかなり溶け始めている。動き出すのも時間の問題だろう。
 魔獣が動きを一瞬止めた。息を吸い込むような内部から、うなる風の様な音が響いた。今しかない!
 リルドは頭を低くして魔獣の鼻先に近付いた。魔獣はちょうど口を開いたところであった。腕ごと魔獣の口の中に短刀を差込み、リルドは全力で電撃を魔獣へと放出した。
 その瞬間、魔獣が口を閉じたのだ。リルドの腕に魔獣の歯が何本も食い込み、あまりの痛みでリルドは苦痛の声を上げた。それでも魔獣は口を開けなかった。
 電撃がかなり利いているらしく、魔獣は悲鳴にも似た叫び声を上げて走りまわったが、リルドは魔獣に引きずられて砦の壁や柱に何度も体を打ち付けられた。
 腕から血が流れていく。意識が薄れていくのを感じた。攻撃は成功した様だが、魔獣はその攻撃にすら耐えた様だ。ダメージは確実に与えているが、いまひとつ攻撃力が足りなかったのか。リルドは魔獣に引きずられたまま、薄れゆく意識の中で叫んだ。
「こんな所で死ぬわけにはいかない!」
 リルドは、自分とは別の意識を持つ何かが体の中から現れ、外に出てくるのを感じていた。だが、そう思ったとたん視界が真っ暗になっていった。



 リルドは再び目を覚ました。頭が鈍い痛みでめまいがした。腕には生々しい紫色の傷が沢山出来ているが、出血は止まっている様であった。腕やぶつけた体が痛かったが、我慢して歩くことは出来そうだ。
 足に何かがぶつかる。手で触れてそれがランタンだとわかると、すぐに火をつけた。ガラスの部分が割れてしまっているが、使うことは出来そうであった。
 火をつけて、すぐ横にあの魔獣が横たわっている事に気づいた。体のところどころの黒いこげ痕があり、もう呼吸もしていない。最後の力を振り絞って、リルドが倒すことが出来たのだろうか。出血多量で意識が薄らいでいた為にあまり覚えていないが、そう考える他はないだろう。まさか、どこからか勇者、みたいな人物がやってきて倒していったとも思えない。
 さらに魔獣のまわりにはスケルトンが倒れているが、スケルトンもまた動かなくなっていた。魔獣が倒れたので、魔力がなくなりただの屍になったのだろう。
 意識は戻ったが、あまり長くいるのは危険だろう。早いところ遺産を探して、帰って傷の手当をしなければならない。
「扉?」
 部屋の奥、柱の影になっている部分に、扉があることに気づいた。黒っぽい色の扉でさらに汚れている為に、色が壁と同化してさっきまで気づかなかったのだろう。それにしても、意識を失ってから一体どれだけ時間が流れたのだろうか。
 鍵はかかっておらず、押せばすぐに扉は開いた。
「ここにも兵士がいたのか」
 その部屋は、おそらくは休憩室の様な役割の部屋なのだろう。壊れて、部品が床に落ちている狭いベッドが10個程並んでおり、床にもボロボロに朽ち果てたシーツと思われるものが落ちている。
 その部屋で豪奢な鎧を身に着けた白骨死体を発見したのだ。今まで見たスケルトンも鎧をつけていたが、それよりも細かい装飾が施され、高級な金属をつけているところを見ると、身分の良い人物か、位の高い兵士だったのかもしれない。骸骨となってしまった今、その鎧でしかその人物の身分を伺う事しか出来ないが。
 リルドは、その白骨死体がアルタジアの司令官だと感じた。そう書いてあるわけではないが、直感でそう思ったのだ。
「数百年も遅くなったが、あんたに伝令だ」
 今はもう動こともないその手に、リルドは洞窟で見つけた石板を持たせた。
「もう今となっては意味がないだろうが」
 そう囁いた時、リルドの前に一人の男が現れた。煙の様な姿をしているが、体つきと顔で男だということはわかった。よく見れば、男の体は透き通っており、向こう側にある壁が男の体に透けて見えている。
「亡霊か?」
「退却命令か。今すぐ撤収しなければな」
「あんたは?」
 リルドは、それがこの白骨死体に残された残留思念だと直感した。無念の思いで命を落とした者の魂だけが残り、魔獣を倒した今、魂が解放されてこうしてリルドの目の前に現れたのだろう。
「あんたは、アルタジアの司令官だな?」
「そうだ。この砦で休憩をしようとしたが、我が軍は全滅した」
「あんた達を倒した魔獣は、俺が倒した」
そう答えると、司令官の亡霊は小さく頭を下げた。
「ありがとう、おかげであの魔獣によって捕らわれていた魂が解放された。これでようやく、国に帰る事が出来る」
「アルタジアへ?しかし、あんた達は」
「身が滅びても、故郷は恋しいものだ。この砦に捕らわれていた数百年は長かった。これでようやく、家族達にも会う事が出来る」
 司令官の亡霊が、顔ははっきりしていないが嬉しそうな表情をしたように感じた。
「本当にこれで、良かったのか?」
 リルドは司令官へ問いかけた。彼らの魂は砦から解放されたが、無念の死を遂げた事には違いない。ありがとうと言われると、複雑な気分になってくる。
「もう我らが死んでしまった事は変えられない事実だ。もはや我らの知っている者も生きてはいまいが、我らの向かう先で待っているはずだ。魂は永遠なのだから」
 そう答えると、司令官は再度リルドに頭を下げて、やがて背景に溶け込むようにして消えていった。
 リルドは他のスケルトン達の事も気になり、部屋から出てさきほどの骸骨達をみまわした。骸骨から次々に白い亡霊が現れては、消えていった。
 リルドが切るのを躊躇した、あの木の実の首飾りを付けた骸骨からも、優しそうな若い男の亡霊が現れ、木の実の首飾りを包み込むように消えていった。
「終わったな」
 小さく息をついた。天に召された魂たちは、死後の世界で家族や友人達と再会するだろうか。それはリルドにもわからないが、それを願わずにはいられない。珍しく感傷的な気分になっていた。
「と、のんびりしている場合じゃないな。遺産はここにあるんだろうか」
 もう一度寝室に入り、リルドはベットの下や部屋の隅を注意しながら見つめた。さきほどの豪華な鎧を着た白骨死体はまだその場にあるが、もう動き出すこともないだろう。
「これか?」
 ベットの下から、羊皮紙に書かれた数本の巻物を手に入れた。箱にはアルタジア国の国旗が描かれており、おそらくはこれが司令官が持っていたという遺産に間違いないだろう。
「何だこれは?」
 巻物には文字がびっしり書かれているが、その文字はリルドの知らない言葉で書かれていた。アルタジアで使われていた文字なのかもしれないが、リルドには読む事の出来ないものであった。
 ただ、添えてある図式を見る限り、何かを製造する方法が書かれているのだろうと予測できた。国の遺産というぐらいだから、錬金術系統のものかもしれない。あるいは、強力な力を持った魔法だろうか。
 リルドは巻物を鞄に入れると、砦の外へと出た。探索の時間がかかったのだろう、もうすぐ夜がやってくる。それに空は曇ってきているので、もしかしたら雨や雪が降るかもしれない。
 あの残された白骨死体の墓を作ってやろうとも考えたが、それは後日にした方がいいだろう。
 リルドは残りの体力を振り絞って山を降りた。山を降りる頃にはもうすっかり夜遅くになってしまったので、ゆっくり休んで翌日、依頼人のところへ行き遺産を渡した。
 依頼を受けた貴族に、それは何が書いてあるのか、と尋ねてみたが、貴族も解析してみないとわからない、と答えた。ただ、アルタジアは魔法の研究が盛んな国だったらしいので、予想通り魔法や錬金術関係の書なのかもしれない。
 約束通り貴族から魔法の剣を受け取ったリルドは、この剣よりも、もっと大きな結果を得られたことを実感していた。
 最後に彼らは、ありがとうと言ったのだ。リルド自身も大怪我をしたが、長年にわたる苦しみから、彼らを解放する事が出来てよかったと思うばかりだ。(終)



◆ライター通信◇

 3回にわたるアルタジア国とリルドさんの物語をご依頼頂き、ありがとうございます。風邪を引いてしまい、お届けが週明けになってしまって申し訳ありませんでした。

 ラストは、話のしんみりさを増す為、いつもより感傷的になっているリルドさんを描きつつ物語を締めてみました。アルタジアの遺産はお任せ、でしたので、錬金術や凄い魔法が書いてある書、にしてみました。金銀財宝も考えたのですが、そういうものを兵士が持ち歩いていたのもちょっと違和感あるかな、と思いこの様な形にしてみました。

 冒険物語ということで、レンジャー的な演出を交えつつ、戦闘はかなりシリアスに、最後はしんみりしたムードで描きました。楽しんで頂ければ幸いです。本当にありがとうございました。