<東京怪談ノベル(シングル)>
新しき日に
ソーンの街の至る所で「あけましておめでとうございます」だの「本年も宜しくお願いいたします」だのと書かれたポスターが貼られ、出会う人々が挨拶を交わしている。
「あけまし……て?」
千獣は、きょとんとしながらその様子を見る。そういえば、つい先日まで「年末セール」だのと書かれたポスターが貼られていた。
年末から新しい年へと、移り変わったのだ。
「そう……か」
千獣は納得する。年が明ければ、挨拶をするという習慣がある。そう習った事を思い出したのだ。
「なら……挨拶……」
ぽつりと呟き、森のある方向を見た。年が新しくなっても、変わらないであろう笑顔を思い返しながら。
石屋エスコオドの前に立ち、ドアを見る。そこには「OPEN」の札がかけられている。街の店は正月だからと休んでいる所も多いのに。
「客……いる……かな?」
千獣は呟きながら、窓から店内を覗き込む。窓ガラスが曇っており、中が良く見えない。だが、殆ど開店休業のような状態であるエスコオドに客が来る事自体が稀であり、そういった店に正月早々客が訪れるというのも無いだろう。
千獣は、コンコン、とノックしてから扉を開ける。中を覗き込むように見ると、案の定店内に人影はない。
「エディオン」
声をかける。すると、店の奥から「はい」という返事と共に、店主であるエディオンが現れた。
「ああ、千獣さん。いらっしゃい」
にこやかにエディオンは声をかける。千獣は「うん」と頷き、扉を閉める。パタン、という音と共に冷たい空気が遮断され、室内の暖かさに包まれる。
「明けまし……て……おめで……とう」
千獣が言うと、エディオンは「ああ」と頷き、ぺこり、と頭を下げる。
「明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします」
「うん……よろしく……」
千獣もエディオンに釣られ、ぺこ、と頭を下げた。顔を上げると、にこやかに笑うエディオンと目線が合った。
「座ってください。外は、寒かったでしょう?」
エディオンはそう言い、暖炉の近くにある椅子を勧めた。千獣は「ありがと」と声をかけ、ちょこん、と椅子に腰掛けた。
暖炉の傍によると、じわ、と手足が温まるのを感じた。ここに来る時は気付いていなかったが、確かに外は寒かったのかもしれない。
「今、何かお出ししますね」
エディオンは声をかけ、店の奥に行く。一人店内に残された千獣は、暖炉で冷えた体を温めながら、店内を見渡す。
パチパチと燃える炎。じわりと伝わる熱。無造作に並べられた石。
どれもが、温かく千獣を迎えてくれているような気がした。年が明けたとか、明けてないとか、そんな事は関係ない。このエスコオドは、いつも通りに「在る」のだ。
「変わらない……な」
ふ、と千獣は呟く。見慣れた風景に、心がほっとするような気がする。
「お待たせしました」
しばらくし、エディオンがお茶と和菓子の載った盆を持って現れた。ふわりと立ち昇る湯気と、緑茶の爽やかな匂いが鼻をくすぐる。
「いい……匂い」
「一応お正月という事で、緑茶にしてみました。お嫌いですか?」
エディオンの問いに、ぷるぷると千獣は首を横に振る。エディオンは「良かったです」と微笑み、続けて和菓子を差し出す。
綺麗な焼き物の皿の上に、鶴と亀の干菓子が乗っている。その隣には、見事な菊の形をした練り菓子が置かれている。
どれも、めでたい雰囲気だ。
「綺麗……」
思わず千獣は言葉を漏らす。
「他のお正月料理といったものは作っていないんですが、こういうお菓子は作ってみたんです」
「エディオンが……作った……の、か?」
「はい。初めての挑戦だったので、自信が無いのですが」
「とても、綺麗……」
千獣はじっと三つのお菓子を見つめた後、鶴を手にとって口に運ぶ。すると、口いっぱいに優しい砂糖の甘さが、ふわり、と広がる。
「おい……しい」
千獣の言葉に、エディオンはふわりと微笑む。何度も「良かったです」と繰り返しながら。
「新年、て……不思議……だな」
緑茶を一口飲み、千獣は言う。
「日が、昇る……沈む……その、繰り、返し……私に、とっては、それだけ、だった」
一日一日を、そうやって過ごしてきた。その瞬間だけを生きてきた。
生きるか、死ぬか。
瞬間瞬間にその二択があるだけで、それ以上の事は無かった。日にちを数えた事だってない。
「よく、わから、ない……」
日付の意味が、分からない。後何日で何の記念日があるとか、思ったことも無い。日付と言うものの意味自体を知らないし、そこに何があるかなんてもっと分からない。
街を歩けば、色んな行事で溢れている。それは何も全体としてだけではなく、個人的な記念日までもが存在しているのだ。
その日その日を生きてきた千獣には、分からないものだった。
「では、何故千獣さんは新年の挨拶を?」
エディオンが尋ねる。その問いに、千獣は「それは」と口を開く。
「意味は、分からない……けど、いいな……って」
千獣の言葉に、エディオンは「ああ」と頷く。
「人の様子が?」
「うん……生き抜く、ため……だけ、じゃなくて」
「特別な意味がある日、ですからね」
「うん」
エディオンの言葉に、千獣は頷く。
いつもとは違う雰囲気が、その「記念日」や「意味ある日付」には漂う。そしてそれは、人々を笑顔にする。
街を行きかう人が「明けましておめでとう」と言い合っているのは、いつも笑顔が携わっていた。
だからこそ、千獣はエディオンに挨拶をしにきた。その日を生き抜くためだけではなく、特別な意味のある一日。日付の意味は、まだ分からない。それでも、その日付を祝う人々の雰囲気は、どこか心が和むのだ。
「そういう、のも……いいね」
ふ、とほんのりと微笑む。エディオンも「ええ」と頷いて微笑む。
「僕にとっても、日にちはただ流れていくだけでしたが……こういう一日を祝うというのも、良いと思います」
「流れて……いく、だけ?」
「はい。千獣さんと一緒ですね。日が昇り、沈む。その繰り返しだと思っていましたから」
「エディオン、も?」
「はい」
そうか、と千獣は頷く。繰り返しだと思っていたが、特別な日付を祝うのも良いと感じたのは、自分だけではなかった。
ここに、理解者がいる。
ふわ、と胸が温かくなった気がした。千獣は再び微笑み、今度は菊の練り菓子に手を伸ばす。
「これも、綺麗……」
「有難うございます」
千獣はそっと練り菓子を口に運ぶ。ふわ、と上品な甘さが口いっぱいに広がる。
干菓子とはまた違う、とろりと溶ける食感で。
「美味……しい」
千獣の感想に、エディオンは嬉しそうに笑う。そして「お代わりはいかがですか?」と急須を差し出す。千獣は「うん」といい、湯飲みを差し出した。
「そう言っていただけると、作ってよかったと思えます」
コポコポと茶を注ぎながら、エディオンは言う。
「他に、誰も、食べて……ない?」
「ええ。こうしてお正月から来てくださったのは、千獣さんだけですから」
どうぞ、と緑茶の入った湯飲みを差し出しながら、エディオンは言う。千獣は「そう、か」と答えながら、湯飲みを受け取った。
温かな茶の入った湯飲みは、暖炉とはまた違った熱で、じんわりと千獣の手を温める。
「じゃあ……挨拶、して、良かった……」
「はい。僕も、千獣さんと挨拶できて良かったです」
二人は顔を見合わせ、ふわり、と微笑む。そうして、改めて「今年も宜しく」と言い合った。
今日と言う特別な意味のある一日を、共に祝えた喜びを、確認するかのように。
<暖かな雰囲気に和みつつ・了>
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