<東京怪談ノベル(シングル)>


風の吹いた日

 今年最初の雪は、思わぬ大雪となって人々の足を少し緩やかにする。
 踏みしめる雪がぎゅっ、ぎゅと音を立てるたび人は春への希望を胸に抱くのだった。
 とはいえ、踏み固められた雪が固いのも、それが歩きづらいのもまた事実。
 さらに時折吹く北風が、さらに人々の踏み出しを引き止める。
「おっとっとと」
 両手に荷物を抱えて歩いていたシノン・ルースティーンはなんとか荷物の落下も、自分の尻餅も免れてふう、とため息をついた。
「ふ〜、危なかったあ〜。子供達に来させなくて正解だったよ。でも‥‥兄貴に手伝って貰えばよかったかなあ」
 数日続いた大雪で暫くぶりの買出し。
 山のように買い込んで来た食料で、今日の夕食は久しぶりのご馳走になるかもしれない。
「私も頑張ってみようかなあ〜。最近は失敗もたまにだけになったし」
 心に浮かぶみんなの嬉しそうな笑顔。
 自分の考えに耽っていたシノンはだから気付かなかった。
 抱えた荷物の死角。飛び出してきた少年に。
「わっ!!」「わあっ!!!」
 ドン!
 定番の音がして、荷物が雪の上に散り落ちた。
「ご、ごめん、姉ちゃん。大丈夫か?」
 少年は慌てて膝をつき、散った野菜を集めようとする。
「あ、うん。大丈夫だよ。あたしもボーっとしてたからね」
 シノンは笑い、少年の顔を見る。
「あれ?」
 ふと、気付いた。少年の眦に微かに光るものを。
 こう見えてもシノンは子供の表情を見るプロでもある。
 一緒に荷物を拾いながら少年の「何か」に気付いたシノンは全部の荷物を拾い終えると
「ありがとう! 凄く助かっちゃった〜」
 ことさら大きな声で礼を言った。少年の顔に笑顔が浮かぶ。
「良かった。あ、姉ちゃん。家どこ? 俺、運んでやるよ」
 優しい、心健やかな少年。
 大丈夫、と言いかけたシノンは思い返し
「じゃあ、お願いしようかな。この少し先の孤児院だよ〜」
 少年に荷物を託す。そして二人は歩き出した。

 孤児院に辿り着いたシノンを沢山の子供達が出迎える。
「お帰り〜」「おかえり。シノン。お土産は〜」
「はいはい、只今。ちょっと待ってね〜。お客様がいるんだよ〜」
 まとわり着く子供達を抑えるシノンの大変さを見てか
「じゃあ、俺はこれで‥‥」
 去りかけた少年を、
「待って!」
 シノンは引き止めた。
 それを助けるように一際大きな北風がビュワン! と吹きすさぶ。
「寒かったでしょ。お礼にちょっと休んでかない? あったかいお茶出すよ。それにほら、美味しいお菓子もあるんだ♪」
 差し出された手には言葉通り美味しそうなお菓子が。ごくんと少年の喉が、ぐうと少年の腹が少年に変わって返事をする。
「よーし、決まり。それにね。見ての通りあたし神官なんだ。何か悩みがあったら聞くよ。通りすがりの方が気楽に話しできるでしょ?」
 周りの子供達に気付かれないように小さな声で囁くシノンの言葉に
「姉ちゃん‥‥」
 ね? 少年は静かに頷いてその手を取ったのだった。

「俺さ、この間父ちゃんが死んだんだ。事故でさ、馬車にぶつかりそうになった俺を庇って‥‥あっという間だった」
 チャイのカップを手に座った少年は、実は誰かに思いを聞いてもらいたかったのだろう。二人きりになると直ぐに話し始めた。
 人の悩みを聞くときは相手の話を聞き終るまで口出しをしないのが鉄則。シノンは微かな相槌をうつに止め少年の話を聞いていた。
「俺の家には後は爺ちゃんと婆ちゃん、母ちゃんと妹と弟が二人。さっきの子達とおんなじくらいだぜ。一番下の弟なんかまだ一歳でさ。これからすっごく手がかかるし、金もかかる。だから俺、学校を辞めて働こうと思ったんだ。あ、こう見えて結構勉強はできるんだ。学校の成績も悪くないし、俺を見込んで神官にならねえかって声かけてくれた人もいるんだ」
 でも、と少年は繋ぐ。それも諦めるつもりであったと。
「だってさ、姉ちゃんも神官なら知ってるだろ? 修行に入ったら暫く‥‥最低数年は戻ってこれない。母ちゃんや妹弟を残してなんかいけねえよ。でも‥‥母ちゃんや爺ちゃん婆ちゃん、妹まで行けって‥‥俺、せっかく我慢するつもりだったのに」
「そっか。君は行きたいんだ」
 唇を噛んだ少年にシノンは静かに告げる。本心を見透かされ少年の目が大きく開いた。
「姉ちゃん‥‥」
「君は、我慢、って言った。本当は勉強を続けたい、神官になりたい。そうなんでしょ?」
「そりゃあ! ‥‥でも」
 逃げ出しそうな眼差しと身体。その両方を引き止めて彼女はゆっくりと届く言葉を捜し紡ぐ。
「今、一番大事なのは周りの事じゃない。君自身の思いだよ。君の願いは何? 夢は?」
「俺の‥‥夢、それは‥‥」
 言葉に出してしまえば、無理に胸の奥に押し込めることは出来なくなる。それを解ってシノンは問い
「母ちゃんたちを楽にしてやること。そして、父ちゃんのように誰かを助けられる男になることなんだ!」
 少年は答えた。その勇気を称えるようにシノンは明るく微笑む。まるで太陽のように。
「なら、結論は出ているね。後はそれに向かっていく道を自分で決めればいい。働きながら勉強する道もあるし、神官とか以外でも頑張れば人を助ける仕事はできる。逃げなければ道はいくらでもあるんだから。でも‥‥」
 椅子から立ち上がり、くるりと回ってシノンは少年に向かって片目を閉じた。いわゆるウインクだ。
「今、開かれている道を行くのが夢への多分一番の近道だよ。そして何よりその道は君を大切に思う人たちが開いてくれた道。彼らを信じてそこを全速力で突っ走って、最短で夢を叶えて戻ってくるってのもありだと思うな。決めるのは君自身だけど」
「姉ちゃん‥‥」
「でも、一つだけ忘れないで。新しい道を選ぶのはきっと不安だと思う。けどどこにいてもあたしは君の幸運を願ってる、君にウルギ神の良き風がありますように‥‥って、あ、君は別のとこの神官になるかもしれないのか。でも、いいよね。祈る心は一緒だ」
「ハハハ。姉ちゃんってば」 
 少年が目元を擦り笑い出す。それにシノンの笑い声も重なって‥‥。
 心配そうに扉に張り付いていた子供達もそれを聞いて、ホッと胸を撫で下ろすように笑ったのだった。

 少年はその後孤児院の子供達と少し遊んで帰っていった。
「また、来れたら遊びに来るよ!」
 そう言って手を振る少年を見送りながら
「風が吹いちゃったなあ〜」
 シノンは苦笑に近い笑みを浮かべていた。
「どうしたの? シノン。何かあったの?」
 顔を覗き込む子供達になんでもないと笑いながらも目を伏せる。
(「あの子はあたしだ‥‥もう一人のあたし」)
 広い世界を見たい、知りたい。夢を叶える為に旅に出たい。
 胸に強い願いを持ち、先に進みたいと思いながら、その先への一歩をどうしても踏み出せないでいる自分。
 鏡に映したように彼と自分は同じだとシノンは思っていた。
 本当は彼に言ったように結論は出ている。
「自分はどうしたいか」
 それを考えれば答えは一つだ。
 でも、それを踏み出せないのは自分の弱さだと彼女はもう気付いていた。
 孤児院の子供達が心配。
 確かな事実であるが、言い訳でもある。
 厳しく言うのならそれは自分がいなくなった後の彼らを信じていない、ということであり、自分がここから離れたくないという甘えでもある。
 自分が旅立ちたいと言えば、子供達はあの少年の家族のように必ず送り出してくれるだろう。
 けれど、それは自分がいなくても構わないということを突きつけられるようでもあり、自分を必要としてくれる居心地の良い場所を失うことでもある。
 それを無意識に恐れていたのだと、少年との出会いで彼女は気付いたのだった。
 いつまでも子供ではいられないように、居心地のいい場所からもいつかは自分で旅立っていかなければならない。ずっとここにいたいと思う事は、いつかここから旅立つ日が来ることを知っているから‥‥。
 あの少年は鏡であり、風だった。
 ずっと知っていて、気付いていて、でも気付かないフリをしていたことを自分自身の口を通して教えていったのだから。

「そろそろ覚悟を決めないといけないってことだよね〜」
 顔を上げて髪をかき上げるシノンをもう一度子供の顔が覗く。
「だからどうしたの?」
「なんでもないよ。さあ、みんなもおやつ食べよう」
 路地に背を向け子供達の背中を押すシノンは
「?」
 ふと誰かの手を感じたような気がした。
 振り返っても誰もいない。
「風‥‥かな?」 
 ただ、冬の北風とは違う大きくて暖かな風が自分の背中を押す。
(『ありがとうございます』)
 シノンは空を見上げ静かに優しく、微笑んだ。
 
 いつもと大きく変わること無い孤児院の一日。
 けれど後から思い返せば気付くだろう。
 何かが変わり始めたのは風が吹いたこの日からであった、と。