<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


私を食事に連れてって2・前編


 黒山羊亭は“濃い”。
 歓楽街ベルファ通りきっての酒場であり、世話好きで姉御肌な美貌の踊り子エスメラルダがおり、一癖も二癖もある連中が集う。
 さて、今回は──

「……ねえ、お客さんの後ろでニタニタしないでちょうだい」
 黒山羊亭の端から端へ、暗がりを選ぶようにうろうろしたあげくカウンターにやってきた顔なじみに、エスメラルダは苦言を呈した。
「だってまるまる太ったゴースト連れてるから、つい嬉しくて」
 と、胡乱な返事をするのは“あやしいあめ売りの乙女”ことゴーストイーターのズィーグである。
 仕事中はエプロンドレスをまとい長い銀髪を三つ編みおさげにしている彼女であるが、今は全身黒ずくめ、頭だってスカーフでぐるぐる巻きだ。暗がりに立った日には、黒檀を思わせるつややかな肌と相俟ってまさしく闇夜の黒牛。目と歯ばかりがきらきら光っている。
「人様の守護霊を狙っちゃ駄目でしょ」
「そういうお仕事中の方には手は出しませんよ。さっきのあれは軽く悪意の憑依霊で──」
「憑依霊でも駄目」
「えっと、じゃああの、梁の上の浮遊霊ならいい?」
「浮遊霊でも地縛霊でも動物霊でも色情霊でも、うちのお店では駄ぁ目」
「えー」
「えー、じゃないの。ここで出すのはお酒とお料理と私の踊り。あなたに食べさせるゴーストはないわよ」
「エメダちゃんたら冷たいなあ」
「変な略し方しないでくれる?」
 実は、たちの悪そうなものをこっそり食べてくれているのは知っている。しかし「褒めて伸ばす」が禁句な性格というか、下手に褒めると調子に乗ってあらぬ方に伸びる性分らしいことも、いままでのつきあいから承知しているエスメラルダである。
 余人はともかく、自分はこ奴にツンケンしてちょうどいいのだ──どのみち、話は聞いてしまうのだし。
「だいたい、今日は何の用?」
 待ってましたとばかりに、ズィーグはへらりと笑った。
「あのですね、東の沼沢地ありますでしょ? あの近所の寂れた宿場の人から聞いたんですけど、近頃感じの悪いゴースト若干名がうろついているそうなんですよ。旧街道から枝道に入れば一日かそこらですし、さっそく食べ放題に出発進行したいのが人情っていうか魔情ですよね? ところがぎっちょん、旧街道近辺には追剥ぎやらモンスターやらが出るんだそうで。追剥ぎはチンピラっぽいのが四、五人でモンスターは熊っぽいのが一体って話で、頑張って自力でぶっちめてもいいんですけど、無駄に動いたらお腹が空くじゃないですか? 私このところ意に反して激しく減量中でして。だから誰かそっち方面へ出かける用事のある強い人とか、かよわい私を守ってくれる奇特な強い人とか、単に好奇心旺盛な強い人とかいないかなあ、スラダちゃんなら心当たりあるかなあって──あ、あめ要ります? これは見本だからあやしくない」
「だから変な略し方しないでって……まあ、いいわ」
 いつもながらだらだらとよく喋るズィーグに辟易しつつ、“あやしくないあやしい見本あめ”の上物ブランデー味に免じて、エスメラルダは依頼として受けてやることにした。


 仕事があるらしい、と小耳に挟んだジェイドック・ハーヴェイは黒山羊を訪れた。
「……ほう、護衛依頼か……予想される敵は追剥ぎに熊……まぁ、ここのところしていたバイトに比べれば幾分、俺向きか」
 詳細を尋ねるべく、エスメラルダのいるカウンターに向かったジェイドックは、そこで見知った顔に出会った。
「お前は確か……ズィーグ、だったか」
「ご無沙汰しておりますぅ、この度の依頼人にして可憐なあめ売りの乙女・ズィーグですぅ」
 へらへら笑いながら妙なしなをつくる黒衣の魔族に、ジェイドックは眉をひそめた。
「報酬は当然、出るんだろうな? あめが報酬だとかはなしだぞ。俺も生活がかかっているんだ」
「嫌だなあ、大事な売り物が報酬なんてあり得ませんよう、ちゃんとお金でお支払いしますって」
「……それなら、いい。引き受けよう」


 旧街道は荒れ果てていた。
 舗装は剥がれて雑草に覆われ、かつては並木であったろう木々は人の手が入らなくなって久しい。ときおり響く鳥の声すらどこか虚ろな、陰鬱な空間であった。
「なんだか和みますねえ」
 うきうきしているのはズィーグ一人である。
「お茶請けレベルですけど、小動物とか草木とか行き倒れとか仲間割れとかでゴーストも豊富ですし」
「あまり離れず行動してくれないか?」
 ジェイドックは下生えを覗いたり枝を揺すったりせわしない護衛対象を嗜めた。
「俺の得物は銃なんでな。いざというときに敵味方が入り乱れるのは好ましくない」
「いやん、ジェイさんたら恐ぁい」
「俺の名を省略するな」
 じろりと睨むと真顔に戻ったが、反省したかと思いきやこんなことをぬかす。
「追剥ぎが出たらゴ=ロッコの台詞、決めてもいいですかね?」
 どうやら聖都でロングラン中の芝居『エティ・ゴーヤーとオダイ・カーン』の台詞が言いたいらしい。ちなみにエティ・ゴーヤーの仇敵にしてオダイ・カーンとは時に同盟を結ぶゴ=ロッコは、食べ歩きが趣味の訳あり高等遊民である。
「……好きにしろ」
 ジェイドックは肩をすくめた。いま一人の護衛者・千獣(せんじゅ)は別段気にも留めない様子だが、世の中には真面目につきあうと疲れる人種が存在する。細かい事は考えず護衛に専念した方が精神衛生上いいかもしれない。
 常識人ジェイドックの諦観をよそに、ズィーグは千獣と問答めいた会話を始めた。聞くとはなしに聞きながら、
 脳天気なりに色々あるらしい……
 認識を改めるべきか否かと迷ううちに、露骨な気配を察知した。
「来たぞ!」
 彼の声に応えるように、抜き身を手にしたチンピラ風の男が四人、茂みから飛び出して行く手を塞いだ。
「おっと、この先は通行料がかかるんだ!」
「痛い目見たくなかったら、身ぐるみ置いてきな!」
 なんとも定番の言いぐさだ。
「悪いが、どちらもお断りだ。こいつに火を吹かせたくなければ大人しく退け」
 ジェイドックは一歩踏み出し、銃をちらつかせる。その背後から、千獣も警告した。
「私、は、今、お腹は空いていない……食べよう、とは、思わない、けど……どうしても、戦うのなら、覚悟をしてね?」
「う、うるせえ! 逆らうんなら体にわからせてやらぁ!」

 後に、彼らは刑吏に語った。虎頭の強面獣人と護符だらけの娘のただならぬ威圧感に本能的に負けを悟ったが、二人に守られている黒衣の女が世にも憎たらしい身振りで「あっかんべぇ」をしたのでキレてしまったのだ、と──

『仕方ありません。千獣さん、ジェイドックさん、懲らしめておやンなさい!』
 喜々として叫ぶズィーグの台詞を合図に、するりと進み出た千獣が獣化した腕をひと薙ぎする。軽々と宙に浮いた追剥ぎ達の足を、サンダーブリットの閃雷が過たず撃ち抜く。一拍置いて、寂れた旧街道を悲鳴がつんざいた。
 命までは取らない、というのが事前の申し合せだ。だから撃ったのは片足のみで、無力化し応急手当をほどこして宿場で通報の腹づもりであった。ところが、根性だけはあるらしき四人はうずくまる代わりに助け合って逃げにかかった。土地勘があるのか、意外と素早い。たちまち、現れたときとは別の茂みに消えた。
「おい、待て!」
「待って! そっち、何か……大きな、物、いる!」
 千獣の制止に絶叫が重なる。葉陰の獣道を追うと、やや開けた場所に、後足で立つ熊に似ていながら熊とは明らかに異なる“何か”がいた。膨れた体を不規則に震わせ、触手じみた長い前足でもがく獲物を締めつけている。
「これは……」
 出ると聞かされてはいたが、予想を越えた異様さだ。息をのむジェイドックの傍らで、ズィーグが場違いにはしゃぐ。
「うわあ、これってあれですよね、言葉は通じませんよね、威嚇じゃ済みませんよね、人命救助優先ですよね?」
 涎を垂らさんばかりに畳み掛けるゴーストイーターの魂胆まるわかりなのは癪だが、やむを得ない。ジェイドックは頭部──あるいは頭部とおぼしき部位──に狙いを定めた。連射を浴びてたたらを踏む“熊もどき”の胴を、駄目押しとばかりに千獣の爪が引き裂いた。触手の縛めが緩み、囚われていた全員がごろごろと地面に転がる。モンスターは歯ぎしりとも吠え声ともつかぬ耳障りな音をたて、反撃することなく木立の奥に去った。
「──あ、結構、頑丈なんだ……」
 しょんぼり呟くズィーグをよそに、
「おい、しっかりしろ!」
「大丈、夫……?」
 ジェイドックと千獣は放り出された四人を助け起し、手当てしてやった。動き回ったせいで出血がひどかったが、命に別状はない。
「これに懲りたら、足を洗うんだな」
 しかし温情への礼ときたら、こうだ。
「ふん、説教なら間に合ってるぜ! しょうがねえだろ、ふざけた幽霊どもが湧いてからこっち、商売あがったりなんだ」
「物騒な旧街道をわざわざ選ぶ奴なんざ、どうせ堅気じゃあねえ。ちぃっとばかし融通してもらって、何が悪い!?」
 反省の色なしである。幽霊に関係なく、もとよりまっとうな暮らしぶりではなさそうだ。
「盗人猛々しいとはこのことだな。俺は賞金稼ぎだからまあ、確かに堅気とはいえんが、追剥ぎよりはよっぽど上等だ」
 ジェイドックに苦笑され、男達はふてくされて口をつぐむ。だが、この場に残されるとわかった途端、狼狽えだした。
「俺らぁ動けねえんだぞ!」
「怪我人を見捨てるのか!?」
「化け物が戻ってきたらどうするんだよ!」
 と、ズィーグが真っ黒な顔を突き出してにたりと笑った。
「ご安心を。さまよう“中味”は私が頂きますし、空いた“容れ物”は大小様々な皆さんが頂いてくれますよう」
「その発言は人道的にどうかと思うぞ……」
 うっすらと意味を理解して怯えるチンピラ連中を横目に、ジェイドックは溜息をついた。こういうところが所謂人間との温度差なのだろうか。もっとも、放置していけばズィーグの希望通りになる可能性は高い。
「余罪もありそうだし、宿場まで連れて行ってやるか」
「そう、だね……」
 提案に頷いた千獣が、一人のベルトを掴んでひょいと持ち上げる。彼女にならい、ジェイドックは両手に一人ずつ、ズィーグは残る一人の襟首を掴んだ。ものの数でなかったとはいえ、武装して襲ってきた相手だ。荷物扱いでもお釣りがくる。
 町の鼻つまみを引っ立てた三人の訪問者が宿場の人々を驚かせたのは、それからしばらくのことであった。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2948/ジェイドック・ハーヴェイ/男性/25歳/賞金稼ぎ】
【3087/千獣(せんじゅ)/女性/17歳(実年齢999歳)/獣使い】


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■         ライター通信          ■
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ジェイドック・ハーヴェイ様

いつもありがとうございます。
この度はズィーグの護衛を引き受けてくださって感謝いたします。
ジェイドック様にはつい、貴重な常識担当としてツッコミをお願いしてしまいます。
それでは、またお会いできることを祈りつつ、失礼いたします。