<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


Mission5:幽霊屋敷の謎を解け!








 マーガレット・テイナー。愛称メイジーは、白山羊亭のカウンター席でガタガタと震えていた。
「どうしたの? メイジーちゃん」
 さすがに放っておけず、ルディアは声をかける。
「は…配達の仕事、任される、ように、なったんだけどさ」
「良かったじゃない」
「う、うん。で…でもな、あの道の洋館に、出るんだよ!」
 何が? とはあえて聞かなくても、なんとなく予想が付く。メイジーはぽつぽつと話し始めた。
 距離はだいたい、エルザードから3日ほど馬車を走らせたところだろうか。
 見渡しのいい立地もばっちりの場所に立つ1つの洋館。けれど人が住まなくなって幾久しく、どこか寂れている。
 街道からも見えるこの洋館は、エルザードからどれだけ進んだかの目印にもなり大変便利だったのだが、最近事情が変わってきた。
 なんと幽霊が出るという噂が立っていたのだ。
「お、おれ……だめなんだ。幽霊とか、そういうの!」
 しかもどうやらメイジーは聞いてしまったらしい。
 洋館の中から、すすり泣く様な声や、崩れるような物音を。
 やっとの思いで村まで付いてみれば、村は村で、突風のようなポルターガイスト現象までも噂になっている始末。
「せっかく、せっかくの第一歩なのに!」
 うわーん。とカウンターに突っ伏してしまったメイジーを見下ろし、ルディアは誰か力になってはくれないものかと辺りを見回した。
 今までそんな幽霊騒ぎが起きていなかった場所で、いきなりそんな噂が立つなんて、他に理由があるとしか思えない。
 ルディアは1つのテーブルに、見知った顔を見つけると、そのままたったと駆け寄った。
「おや、マーガレット殿。仕事は順調かな?」
 そんなルディアの横を通り過ぎるように入れ違いにメイジーの隣に腰をかけたのは、アレスディア・ヴォルフリートだ。
「あ…あんたは」
 メイジーは顔をあげ、もう、誰でも言いとばかりに泣きついた。
「なぁあんた、冒険者だよな! 依頼とか受けるんだろっ!! こんなオレからの依頼いやかもしれないけど、頼むよっ」
「ど、どうされたのだ? マーガレット殿??」
 ひーん、と、泣いているメイジーにアレスディアは吃驚して理由を尋ねる。
「幽霊が出る、と?」
 コクコクと首が取れるんじゃないかと思うほどメイジーは頷いて、アレスディアの答えを待っている。
「聖職者ではない故どこまで力になれるかわからぬが……浮かばれぬ者を放ってもおけぬ」
 行き帰りのメイジーの配達について行ってあげるよりも、今後も考えれば、ちゃんと供養したようがいいに越したことは無い。
「ふむ。行ってみよう」
 この答えに、メイジーは、ありがとぉ! と、アレスディアの両手をブンブンとふった。
 そして、ルディアが赴いたテーブルで紅茶を飲んでいたその人物は、キング=オセロット。
 メイジーが白山羊亭のカウンターで突っ伏しているのは見ていたが、周りの喧騒に紛れ声までは聞こえていなかった。
「ふむ、幽霊騒ぎ…か」
 ルディアの説明を聞き、あまり乗り気ではない返事を返す。それは、幽霊に会ったとしても、オセロットには浄霊や除霊といった類の力がないためだ。
「大丈夫! オセロットさんが居るだけできっと心強いもの」
 ルディアの励ましにオセロットはふっと微笑み、あと少し残っていた紅茶を飲み干す。
「役に立てるかわからないが、知らない仲でもないしな……協力しようか」
「ありがとう、オセロットさん!」
 オセロットは椅子から立ち上がり、カウンターへと移動する。
「おや、こんにちは。アレスディア」
「これは、オセロット殿」
 振り返ったアレスディアから挨拶を貰い、オセロットはそのまま視線をメイジーに落とす。
 ボロ泣きしている姿が、ちょっとだけ不憫だった。
「私も一緒に行くよ」
「これは心強い!」
 オセロットは、鼻水たらして泣いているメイジーの頭を撫で、アレスディアに改めて向き直り、どうアプローチをかけようかと相談を始める。
 そんな頼もしい二人を見つめ、メイジーはほっと息を着いた。
 そこへ、新しくドアベルをカランと鳴らして、千獣が白山羊亭へ入ってきた。
「よう」
「……久し、ぶり…」
 メイジーは片手を軽く上げる。
 千獣はとたとたと一同が集まるカウンターに歩み寄り、こてんと小首をかしげた。
「どうか、したの……?」
「え!? あ、いや、まぁ…な……」
 メイジーが言葉をどもらせたことに気が着き、オセロットとアレスディアも千獣に視線を向ける。
「おお、千獣殿ではないか」
「そうだな。千獣も一緒に来るかい?」
 まだ何の話か聞いていない千獣は、眼をぱちくりとさせて二人を見遣り、ルディアからしんみりとした口調で、メイジーの現状を説明され、ん…と暫く考え、その後、ゆったりと口を開いた。
「……幽、霊、は……ちょっと、苦手……」
「だよな! そうだよな!!」
 仲間よ! と、感激に瞳を潤わせて、千獣の手をぎゅっと握ったメイジーだが、当の千獣が幽霊を苦手な理由は、その存在が食べられないからである。
 しかし、そんな事を知りもしないメイジーは、自分だけではなかったと別の意味で満面笑顔だ。
「でも、何とか、しないと、メイジーが、困る……」
「どうにかしてくれるのか!?」
 自分も苦手なのに、他人のために動いてくれるなんて…と、口には出さないものの、メイジーはそう解釈し、ありがとう! と、握った手をぶんぶんと振っている。
「とりあえず、その、出るっていう、館に、行って、みよっかな……」
 その言葉に、メイジーの顔があからさまに引きつる。
「どこに、どういう、風に、出るのか……何か、して、くるのか……そういうの、知りたい……メイジー、は……どうする……?」
 手を握っていたはずのメイジーが、気が着けば10歩ほど離れ、もう一度千獣が首を傾げると、プラス10歩また後に下がっていく。もう少し下がろうとして、カツンと壁にかかとがぶつかって止まった。
 目をぱちくりとさせて見ていれば、メイジーは無理! と、言わんばかりに首を振って壁に背中をくっつけている。
「……そう……無理、に、とは、言わない……」
 そんなこんなとありつつも、とりあえずはどうしてそうなったのか知るべきだろうと、洋館に近い村へ行ってみることにした。








 さすが馬車で3日という距離があるだけのことはある。
 周りの景色を一言で表すならば、まさにのどか。
 途中途中で宿を取りながらも、目的地には少しずつ近づいている。
「あれが例の洋館か」
 街道を走る馬車の窓に、その存在感を誇示するかのように立つ洋館。
 だが、それほど大きいという訳でもなく、たぶん幽霊が出るという噂が、洋館をより目立たせているような気もした。
「そのような噂が立つようには見えぬが…」
 昼間という時間帯だからだろうか。太陽の光で煌く洋館は、白味が強い外観も相まって、幽霊など逆に逃げていきそうである。
 オセロットは馬車の窓を開けると、馬車と並走して飛ぶ千獣を見上げる。
「何かおかしなものが見えたら、教えてくれ」
 進む馬車の風によってパタパタと踊る金髪を押さえ、空に向かって告げる。それを見た千獣は、こくんと頷いた。
「大丈夫か? メイジー殿」
 配達もあったため、同じ馬車に乗っていたメイジーは、ぎゅぅうううと、アレスディアの外套を握り締め固まっている。
 一応、問いかけにはウンウンと大きく首を上下に振って頷き、アレスディアはほっとしつつも、その様子に微かな苦笑を浮かべた。
 そのまま馬車は順調に進み、洋館から一番近い最寄の村へとたどり着く。
「オ……わたし、配達、あるから」
 配達員として外に出ているときは、一人称に気をつけるよう言われているのだろう。メイジーは何とか言い直し、緑の帽子を被り直すと、村の中へとかけていった。
「さて」
 メイジーの都合もあり、先に村の聞き込みを済ましてしまおうと、その背を見送ったオセロットは、一声と共にアレスディアと千獣に振り返る。
「火の無いところに煙はたたぬ。洋館で何かあったことは明白であろうな」
 アレスディアの言葉にオセロットは頷く。
「では白山羊亭で相談したとおり、あの洋館について調べることから始めてみるよ」
「承知した。私は、ポルターガイスト現象が起こるという場所へ」
「……わたし、先、に、洋館、行って、みる……」
 何かを倒すというものではなく、謎を解く意味合いの方が強いため、各々分担し情報を持ち寄った方が時間の短縮にもなる。
「そうだな。何か気配があった場合、千獣のほうが、私より幾分も感じられるだろうしね」
 オセロットには、生物を感知する能力に長けてはいるが、幽霊などの気配は全く感じられない。
「こちらも、調べが終わり次第洋館に向かうゆえ、無理はせぬよう」
 幽霊が出てきて、取り憑くなどという事が無いとも限らない。
 千獣は分かったと頷き、それぞれの目的へ向けて駆け出した。









 まず、オセロットは手近なところで村役場まで赴き、できるだけ年配そうな役員に声をかける。
「ああ、あの洋館かぁ」
 オセロットの読み通り、年配の役員はオセロットが尋ねた街道沿いの洋館のことを聞くなり、そう呟くと、とても神妙そうな顔つきで息を吐いた。
「もう10年も前の話なんだが」
 そして、そう切り出し、あの洋館で何があったのかを語り始める。
 それはとても悲しい話。
 あの洋館には、元々若い夫婦が住んでいた。
 夫はウィンダー。妻は人間。
 異種族間の結婚はうまく行かないと言われていたが、それは中の良い夫婦で、一粒種の男の子も生まれ、村にも良く遊びに来ていたらしい。
 だが、ちょうど今から10年前、家族が住んでいた洋館が何者かに襲われた。
 村に買出しに訪れていた妻が洋館に帰ったとき、玄関ホールに出来ていたのは、大量の血溜りと、飛び散り赤黒く染まった羽根。そして―――
『きゃぁあああ!!!』
 妻が見たものは、夫の背中にあったはずの翼。
 無理矢理引きちぎられたと思われる翼は、その付け根に微かな皮膚を残すのみ。
『パパ! 何処に居るの!?』
 妻は生きていて欲しいと思いながらも、玄関ホールの血と翼に絶望を感じながら、夫を探す。
 夫の、死体を―――。
 家中の扉を開け、クローゼットを開け、たんすを開ける。
 それでも見つからない。
 村人が偶然妻の忘れ物に気付き、洋館に届けたとき、妻は玄関ホールの血黙りの中央、真っ赤になりながら、夫の翼を抱きしめ、泣き崩れていた。
 もし、この時、村人が偶然であろうとも洋館に向かっていなかったら、妻も狂い死んでいたかもしれない。
「口を挟んですまないが、夫妻には子供がいたんだろう? その彼はどうしていたのかな?」
「丁度、旦那さんの故郷に遊びに行っていてね。難を逃れていたそうだ」
 もしここで、後々息子の遺体も見つかったと話が進んでいたならば、夫が殺された事実だけでも悲惨なのに、それに追い討ちをかけてしまうことになる。
 オセロットは息子が無事だったことに、ほっと息を吐いた。
「今、その奥さんと息子は?」
「さぁねぇ。息子さんは、知らせを受けた旦那さんの故郷にそのまま引き取られて、こっちには返ってこなかったんだよ。奥さんは……」
 そこで言葉を詰まらせた役員に、オセロットはぐっと息を呑む。
「事件の調査もあらかた済んだ日に、ふらりといなくなってしまって」
 それっきり帰ってきていない。
 村も総出で探したらしいが、その足取りを掴む事が出来なかったらしい。
 結局、事件は解決したのかというと、村から少し離れた洋館だったことが災いし、犯人も不明。加えて、夫の遺体も見つかっておらず、今だ未解決。
 立てられる仮説は、ふらりといなくなった妻はやはり死んでいて、犯人か夫を探して幽霊として洋館に出る。
 殺害されたと思われる夫が、幽霊となって自分の身体を捜して洋館に出る。
 この二つくらいか。
 オセロットは役人に礼を言うと、今でもその家族に親しかった人は住んでいるか尋ね、村役場から外へと出た。









 ちょうどその頃、アレスディアは村の中で起こるというポルターガイスト現象を調べるため、近くを通りかかった村人に調査に来たことを告げ、協力を願い出た。
「そうなのよ。最近多くって。洗濯物が土まみれになってしまって困ってるのよね」
 ポルターガイスト現象というと、ラップ音などの幽霊がその存在を誇示したりなんだりといった感じで起こる事が通説とされているが、何だかこの村人の話を聞いていると、少々違うような気がしてくる。
「詳しくお聞かせ願えないだろうか」
 アレスディアは、“突風”は確かにそうなのだろうが、メイジーが表現した“ポルターガイスト”の方に微妙な違和感を覚え、微かに顔を歪めた。
 しかし、本当に幽霊だったと過程した場合、部屋の1室だけならまだしも、こんな村の中にまで影響を与えられるならば、相当な力を持った幽霊ということになる。
 村に恨みでも持っているのか(だとしたら、もっと殺伐としているはず)、何か伝えたい、知らせたい事があるのか。
(とりらにせよ、浮かばれぬ者を放っておけぬ)
 どれだけ力になれるか分からないが、何もしないよりはいい。
 おしゃべり好きの村人は、アレスディアを突風が起こった場所へ案内する。
 何の特徴も無い普通の村の中だ。
 できるならこの目でポルターガイスト現象を観察したいものだが、こちらの都合で出てきてくれるほど幽霊(仮)は寛大ではない。
 暫くその場に留まり、何か吹き飛ばされたり、異様な事が起こらないか待ってみるが、一向に変化なし。
 アレスディアは、現象が起こった他の場所はないか村人に尋ねる。
 村人はまた快くアレスディアを案内してくれたが、実はこの村人の目的は井戸端会議の中心になることであり、あまり善意ではない。
 実際、そんな事実はアレスディアには関係ないため「いい人だな」と感心しながら、村人の事を信じきっているアレスディアであった。
 訪れた別の場所で、最初の場所と共通点は何か無いものかと辺りを見回す。

―――ヒュンッ!!

「!!?」
 突然の風。
 アレスディアは巻き上がる風と共に舞い上がった土から目を護るため、腕で顔を覆う。
(これが、ポルターガイスト現象であろうか?)
 ぐっと後ろ足を踏ん張り、その場に立ち止まる。
 村人はその場に座り込んで小さくなっていた。
「あれ? あんた―――」
 聞き覚えのある声にゆっくりと瞳を開ける。
 其処に立っていたのは、蘇芳。
「なぁメイジーは?」
 蘇芳はすたすたとアレスディアに歩み寄り、目線だけで周りを見回して問うた。
「メイジー殿なら、配達をされておられるよ」
「そっか。さんきゅ」
 蘇芳はそれだけ告げるとまた風を巻き上げて消えてしまう。
「……………」
 もしや、メイジーが言っていた突風のポルターガイストの正体とは―――









 オセロットは役場で聞いた、家族と親しかった老女が住むと言う家へ足を向ける。
 途中、村がその事件に関わっており、何かを隠しているとか、疚しいことがあれば、動揺なり反応なりするのではないかと思い、行き交う人に事件のことを尋ねてみる。だが、事件のことが風化している節はあったが、村人に怪しい素振りは何も無い。
 ふと、教えられた民家の近くに立つアレスディアの姿を見止め、声をかける。
 すると、アレスディアは神妙な面持ちで、口を開いた。
「先ほど蘇芳殿が来られたのだが」
 その動きというか、登場の仕方が、メイジーが言っていたポルターガイストに良く似ていたことを告げる。
「オセロット殿は如何された?」
 まさか自分を探してこの場に現れたわけではないだろうと問いかける。
「あの洋館に住んでいた家族と親しい方が、この辺りに住んでいると聞いてね」
 話を聞くために来たのだが、まさか合流できるとは思わなかった。
 オセロットは、道すがらアレスディアに役場で聞いた話を伝える。
 洋館が持つバックボーンに、アレスディアは眉根をよせ、軽く唇をかんだ。
「犯人も目的も分からず仕舞い。迷宮入りだよ」
 そう結ばれたオセロットの話に、それならば未練として化けて出ても仕方がないとさえ思える。
 程なくしてたどり着いた民家のドアベルを鳴らす。すると、一拍置いた後、腰を曲げた老婆が民家から出てきた。
「どちら様ですかね?」
 老女はオセロットとアレスディアを交互に見遣り、眼をぱちくりとさせる。
 オセロットは老女の目線の高さに合わせるように腰を折り、ゆっくりと口を開いた。
「私達は、最近道すがらの洋館に幽霊出ると聞き、調査に来た者。10年前、あの洋館に住んでいた家族のことをお聞かせ願えないだろうか」
「辛いことを思い出させてしまうやもしれませぬが、よろしくお願い申し上げる」
 オセロットに続き頭を下げたアレスディアに、老女は面食らったように眼を大きくし、その後寂しそうに眼を伏せた。
「まぁ…。どうぞ、中へ」
 老女は二人を快く民家に招き入れると、暖かいお茶を用意してくれた。
「もう…10年も経ったんだねぇ」
 人の記憶はだんだん風化していく。この村の中にも彼らの姿をはっきりと覚えている人は居ないだろう。老女もまた、そんな一人だった。
「仲の良い家族だったよ。ただ、旦那と息子は、少し…不思議な人だったけれど」
 ウィンダーだったからという訳ではなく、雰囲気や行動が、普通とは少し違っていた。
「よく、森へイチゴ摘みに行ったけれど、あの子と居ると不思議と迷わなくてね。本当に、明るくいい子だった」
 老女がポツポツと語る断片的な思い出話し。それは、とても暖かく、事件に巻き込まれるような、誰かの恨みを買うような、そんな家族には思えない。
「そう、羅針盤。あの親子は、確か身体の中に“羅針盤”があるって言ってたっけね」
 思い出したようにポンと手を叩き、老女は2人に視線を向ける。
 ―――羅針盤。
 それは、蘇芳が持つ、絶対的な方角を示す力。
 もう一度、その方面から聞いてみる事があるかもしれない。
 オセロットとアレスディアは互いに目配せし、少々千獣を待たせてしまうが、情報を集めるため村に散った。









 一人、先に洋館へと訪れた千獣は、玄関の前で洋館を見上げてみる。
 まだ昼間という時間帯だからだろうか。見上げる洋館から幽霊が出そうな雰囲気は感じられない。
 上げていた視線を降ろし、もう一度玄関を見つめる。すすり泣く声を聞いたといっても、あのメイジーが中に入ってわざわざ確認したとは思いがたい。
 千獣はそっと玄関の扉に手をかけた。

キィ―――…

 簡単に開け放たれる扉。
 光が流れる玄関扉の先、洋館の中へ、千獣はそっと顔を覗かせる。
 洋館の中を明るく照らせるような灯りは消えて久しく、窓も雨戸で締め切られ、昼間だというのにとても暗い。
 千獣は玄関を開け放ち、一歩、また一歩と中へと入る。
 長い時間、主を無くしたままの洋館は、空気がやけに重苦しい。
「………」
 玄関ホールを進み、扉の形にくりぬかれた灯りが終わる手前、千獣はふと足を止めて見下ろす。
 不自然に変色している床。綺麗に掃除されてはいるし、臭いも残ってはいない。けれど、明確な存在感を示すこれは。
「……血」
 過去この洋館で何が起きたかは定かではないが、良くない事が起こり放置されたことは確かなようだ。
 床の染みを避けながら、千獣は洋館の中へと入っていく。
 捨て置かれた館にしては、建物の中は予想外に綺麗――廃屋という部類で見るならば――で、何かが壊されている形跡もない。
 もしかして、幽霊の噂は最近になってたったものではなく、過去度々起きていた?
 そうだとしても、好奇心というものは時に恐ろしく、扉が閉ざされていれば鍵や窓を壊し、その中に入ろうとする輩だって存在する。
 だが、この洋館はどうだ。
 まるで誰かに管理されていたかのように、“綺麗”だ。
 それとも誰をも近づけないほどに幽霊の力が強い、か。
 別段、家の中が暗いからと言って、千獣の視力や視界が損なわれることは無い。
 辺りをキョロキョロと見回しながら、とっとと階段を昇り、2階へと入る。
 綺麗だと言っても、つもり積もった埃は仕方がなく、歩くたびに足元に絡みつく。
 千獣は手近な扉を開けて、中を確認するように顔を突っ込んだ。
「……子供、部屋…」
 そのままになっている本棚に並ぶ絵本や、一応片付けられているが、やっぱり埃を被っているおもちゃ箱。
 絵本の中にある、不釣合いな分厚い表紙の本に、千獣は小首を傾げる。
 その本を広げてみると、家族の肖像を描いたものらしき紙が、ぱらりと本から滑り落ちた。
 家族と思える3人の内、父と母が半分ちぎれ、笑う子供だけが描かれた肖像。紙が劣化したのか、故意的に破られたのかは分からないが、この洋館に住んでいた人たちだろう。
「……この、子……会ったこと、ある……?」
 誰。とは、しっかりと思い出せない。思い出せそうだが、喉元でつかえているような感覚に千獣は眉根を寄せる。
 すっきりとしたくて、はっきりと分かるようなモノが挟まってやしないかとページをめくってみるが、他のページはまっさらのまま。
 千獣は本を元の位置に戻すと、半分だけの肖像をそっと懐にしまって子供部屋を出た。
 次の部屋は夫婦の寝室と思わしき部屋。
 たんすの中にも服はそのまま残っている。勿論埃も。
「……??」
 千獣はふと足を止め、あれ? という顔で首を傾げる。
 何故だろう。2階はこんなにも埃にまみれているのに、玄関に埃は落ちてなかった。
「玄関……」
 鍵がかかっていなかった扉。
 千獣は洋館の奥へ進もうとしていた足を止めて振り返る。
 その耳が、小さな足音を捉えた。
「……誰か、来た…?」
 オセロットやアレスディアが来たのならば、洋館に来ている千獣に向けて声をかけるだろう。
 けれど、耳は足音を捉えただけで、他の音を捉えない。
 千獣は警戒するように音を殺して玄関ホールへと向かう。
「!!?」
 巻き上がる風。思わず風を避けるように両腕で顔を覆う。

 ヒック…ヒック……

「……泣き声?」
 暴風のような風の音に紛れ、誰かが泣くような声が聞こえる。
 これは、メイジーが言っていた、洋館のすすり泣き現象。
 千獣は風が巻き上がる中をゆっくりと歩を進める。
 壁に取り付けられたランプが風にあおられてガタガタとなるが、建て付けがいいのか吹き飛ぶこともなく、音だけを大きく響かせている。
 “幽霊”の方はこちらに気がついていないらしく、泣き声もやまなければ風がやむことも無い。
 千獣は暫くそのまま現状を見つめる。そして、“幽霊”が泣くことしかしないと結論付けると、すぅっと息を吸い込んだ。
「……ねぇ、泣いて、ちゃ、何も、分からない……よ?」
『!?』
 風の中央に微かな影が見える。
『……千獣、さん?』
 影がゆっくりと口を開いた。









 10年前、村に“羅針盤”を調べるような、怪しい人を見かけた記憶は無いか。
 流石に10年も経つと、やはり人々の記憶は殆ど風化してしまい、得られた情報は“そんな人が居た気がする”という曖昧なものばかり。
 最近のものは、特急配達員が良く来るようになった。程度のもの。
 けれど、その時から狙われていたのだ。
 互いが集めた情報を確認しながら、オセロットとアレスディアは、洋館に向けて駆け出す。
 開け放たれた洋館の扉から中を覗き込むと、そこには、千獣と、紫の髪の配達員が立っていた。
 振り返った配達員は、やってきたオセロットとアレスディアを驚きの眼差しで見つめる。
「…紫苑、殿?」
 紫苑の驚きも分からないではないが、それ以上にアレスディアの驚きは大きい。
「あの、皆さんはなぜこちらに?」
 その問いに、オセロットは何のことはないと言う態で答える。
「メイジーが、幽霊が出たと言っていたのでね、その謎を解きに来たんだよ」
「そうですか。メイジーが、またご迷惑をおかけしました」
 紫苑は3人に腰を折った。
 千獣は何時もの調子に完全に戻っている紫苑に、首をかしげて問いかける。
「……紫苑、なぜ、泣いて、たの…?」
 それに、なぜ紫苑の泣き声と一緒に風が渦巻いていたのか。
「え? あ…すいません。感情が高ぶると力が上手く制御できず、風が溢れてしまうのです」
 風が抜けていく音が、泣き声と混ざり、すすり泣いているように聞こえたのだろう。
 それに、紫苑が泣いていたとき風が巻き上がっていた。それを考えると、メイジーが聞いたとう崩れるような物音も紫苑が生み出した風が物にあたる音だったようだ。
「村の方に聞いたのだが、10年前ここで殺人があったと伺ったのだが。まさか紫苑殿のご家族か?」
「それはボクの――」

―――ビュワッ!!

 風が、巻き上がる。
 突然のことに、紫苑を含め、その場に居た全員が巻き上がった土煙から逃れるように腕で顔を覆う。
「お袋!」
 風と共に響く声。
「蘇芳!?」
「蘇芳殿!」
 洋館の中に走りこんできたのは、ピンクの髪の配達員――蘇芳。
「ん?」
 待て。お袋? お袋っていわゆる、お母さんという意味?
 場違いな言葉に、オセロットは怪訝気に眼を細める。
「あ、あれ? なんで居んの?」
 蘇芳はまるで紫苑を囲むようにして立っている、3人に面食らったようにきょとんとした瞳を向ける。
 蘇芳は村で一度アレスディアに会っているし、メイジーと共に来たことも知っていたが、洋館を調べていたことは知らなかったらしい。
「メイジー殿の依頼で、この洋館のことを調べていたのだ」
 アレスディアは面食らっている蘇芳に、この場に集まっている理由を話す。
 人の思い込みと言うものは、時としてまったく別の方向へ走ってしまうこともある。
 けれど、10年前ここで起こった事件の事実は嘘ではない。
 蘇芳はばつが悪そうに頭をかいた。
「……あ」
 千獣は思い出したように、小さく声を上げる。
 沈黙してしまった一同の視線が一気に千獣へと集まった。
「これ……」
 懐にしまいこんだ千切れた肖像を取り出す。
「……蘇芳、だよ、ね……?」
 肖像の中で笑っている幼い少年。
 あまりにも幼すぎて、直ぐに繋げる事が出来なかったが、ここに本人が現れてはっきりした。
「よく、残ってたな…」
「本……挟まってた……」
 蘇芳は千獣から肖像を受け取り、寂しそうな表情で眉根を落とす。
 しかし、どこかで歯車がずれている気がして、オセロットは蘇芳に向けて問いかけた。
「蘇芳…あなたが、この洋館に住んでいた夫妻の息子だと言うのなら。確認したい事が幾つかあるんだが」
 まず、なぜ紫苑がここで泣いていたのか。
 そして、蘇芳がここに入ってきたとき、なぜ“お袋”と言ったのか。
「…10年前、此処でパパの翼を見つけたのが、ボクだからです」
 答えたのは、紫苑。
「ナリはこんなだけど、俺の…母さん」
 ぽりぽりと頭を軽くかいて、ボソッと言い捨てる蘇芳。
「「は?」」
 疑問符付きの声を零したオセロットとアレスディア。千獣は唖然とはしなかったが、その場できょとんと瞳を瞬かせた。
 特急配達員や、それを目指す人というのは、サプライズが好き過ぎる。
 美少年然としていた紫苑が、実は女で、しかも子持ちとか。
(いや…)
 女かもしれないという可能性は、紫苑が他の郵便屋に追われていた時、変装を申し出たオセロットに対する行動を思い返せば、ありえる話だ。
「10年経って、やっと此処まで入れるようになったのです……」
 けれど、やはりまだ悲しみが大きすぎて、玄関ホールまで来たところで耐え切れず、いつも泣き崩れていた。
 それを運悪く(?)メイジーが聞いてしまっただけ。
 とりあえず、“本物の”幽霊ではなかったという調査結果と、幽霊のような騒動を起こしていた根本は知る事が出来たのだから、メイジーからの依頼は遂行したことになる。
 先に洋館へと着ていた千獣に、幽霊ではなかったのだから、もう必要ないかもしれないが、仕入れた情報を伝えつつ、一同は村へと戻った。









 帰りの道すがら、蘇芳は申し訳なさそうにポソッと小さく零した。
「悪かったな。何か無駄足になっちまった感じでさ」
「いや」
 オセロットは「それよりも」と首を振る。
「事件は解決していないのだろう。証拠は時間と共に消えて行く。何か手がかりはつかめたりしたのか?」
 犯人が捕まっていないという事実が、どれだけ心に重く圧し掛かり、辛いものか解っている。
 蘇芳は一度空を仰ぎ、ゆっくりと首を振る。そして重々しく口を開いた。
「―――手がかりは、一つだけだ」
「「羅針盤」」
 はもった声に、蘇芳の瞳が一瞬大きく見開かれる。
「これでも結構な付き合いだからな」
 分かるさ。と、ふっとオセロットは息を吐き、微笑する。
「っと、やっべ。悪ぃ、次の配達あるんだった」
 蘇芳は帽子を押さえ、ふわっと空に浮かび上がる。
「…母さんと、メイジー、頼むな」
「ああ」
 羽ばたきと共に風に消えた蘇芳に軽く手を振り、オセロットは一同に振り返った。
「さあ、帰ろうか」
 エルザードへ―――

























☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2872】
キング=オセロット(23歳・女性)
コマンドー

【2919】
アレスディア・ヴォルフリート(18歳・女性)
ルーンアームナイト

【3087】
千獣――センジュ(17歳・女性)
異界職【獣使い】


☆―――――――――― ライター通信――――――――――☆


 Mission5:幽霊屋敷の謎を解け! にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 このシナリオによって出したかったことは出しました。後出しじゃんけんチックで申し訳ないです。
 過去の話と現在が混ざったような書き方をしてみましたが、分かりにくいようでしたらすいません。
 それではまた、オセロット様に出会えることを祈って……