<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


私を食事に連れてって2・後編


「立入禁止ぃ? なんでぇぇ?」
「だ、だから沼沢地には幽霊が」
「それを食べ……じゃない、退治しに来たんですよう、それはもう根こそぎガッパリ」
 笑顔でにじり寄る黒ずくめの女・ズィーグのうさんくささに、宿場の役人はたじろいだ。閑古鳥とならず者が上得意の旧街道沿いに派遣されただけでも不運なのに、幽霊騒ぎのあげく話の噛み合ない余所者の来訪ときた。本来は彼がどうにかしなければならなかった(が諸々を言い訳に放置していた)鼻つまみ四人を役場まで引っ括ってきてくれたのはありがたいが、現在封鎖中の場所に赴くとなれば止めないわけにもいかない。
「幽霊退治ならそのうち──」
「そのうちって、今日明日じゃないですよねえ? たちのわるい幽霊だってエルザードでも評判ですよう、野放しにしとくと出世に響きますよう、今が駆除のチャンスですよう? こっちは腕だめしがしたいだけですから、成功すれば貴方のお手柄、失敗しても無関係ってことでどうでしょう?」
 揉手で迫られ、せめて山一つ向こうの幹線道路側に異動したい役人は逡巡の後、頷いた。
「……まあ、試してみるぶんにはよかろう。だがシェリ婆さんには挨拶をしておけ、できたら手土産のひとつも持ってな。婆さんが“そのうち”知り合いに頼んでくれることになっておったのだから」
「シェリ婆さん?」
「ここらの主みたいなものだ。えらい年寄りで魔女って噂もある……ついでに言うと」
 役人は、刑吏到着までの間鼻つまみどもが押し籠められている一室を顎でしゃくった。
「はったりではあろうが、奴らの一人は婆さんの身内だと吹聴しておる」
「というと、悪の婆さんなんですか?」
 不躾ないいぐさに、役人は「滅多なことを申すな」と顔をしかめた。
「この宿場はシェリ婆さん調合の薬を求める商人でもっているようなもの、その威を借る輩も少なくはないということだ」
「ははあ。で、そのシェリさんにはどちらに行けば会えます?」
「雑貨屋か酒場──どちらもここに来る途中で通り過ぎた筈だ──か……今時分なら酒場だろうな。白犬と一緒だ、一目でわかる」


「──もう少しまからんか?」
「勘弁してくださいよ旦那ぁ」
 千獣(せんじゅ)達は雑貨屋にいた。
 常識はずれの高値のついたシェリ婆さんの好物──ありふれた小魚の佃煮──にジェイドックが交渉を試みていたが、埒はあかないようだ。
「お言葉ですがね、沼沢地に行けないんで品薄なんですよ。そうでなくても売れ筋ですし。旦那だってあれでしょ、シェリ婆さんの好物と知ってのお求めでしょ?」
 こすっからく笑う雑貨屋の主は、役人の言っていた威を借る輩の一人らしい。
 と、ズィーグが動いた。
「買っちゃいましょう、ジェイドックさん。私のお腹はそろそろ限界です」
「知り合い……幽霊、狙ってる……」
 獲物を取られないよう先回りした方がいいのではないか、そう思い、千獣も口添えする。
「ふむ。わざわざ事を荒立てる気はないが……知り合いとやらに現場で鉢合わせになったら面倒だしな」
 両名の意を汲み、ジェイドックは言い値で手土産を購った。
 目的の酒場はわけありの人間が集う場所だけあって、逞しい虎頭の獣人に謎めいた雰囲気の長身の娘、うさんくさい黒衣の女の入来にも喧噪が止むことはなかったが、値踏みする視線が四方八方から絡んで些か鬱陶しい。
「おや、小粒ですがいい感じにダメダメなゴーストが……」
「ズィーグ、行くよ……」
 ウェイトレスと話していたジェイドックが手招きをしたので、千獣は魚のように口をぱくぱくさせて小腹を満たす姿が悪目立ちしてきたズィーグの腕を取り、合流した。


「あちしにご用ですかのう?」
 店の奥、ぼろぼろの衝立を覗く寸前に、やけにはっきりした声が響いた。
 千獣に頷いてみせ、ジェイドックが答える。
「貴女に話があって来たのだ。入ってもいいだろうか?」
「どうぞ、お入りなせえ」
 歩を進めた先には、もじゃもじゃした白い塊が二つ──ひとつはつっぷしていたテーブルからわずかに上体をもたげ、いまひとつは長々と床に寝そべっている。好き放題に伸びた白髪頭の小柄な老婆と、仔牛ほどもある白いむく犬であった。
 一同は礼儀正しく挨拶し、手土産を渡す。交渉はジェイドックに任せ、千獣とズィーグは後ろで控えることにした。
「ほうほう、こりゃご丁寧にどうも……けんど、あんたさん方、あちしの薬を仕入れにおいでなすったわけではなさそうですのう」
「ああ、薬が目当てではない。しかし貴女の権限を侵す気も毛頭ないので、安心してくれ」
 のんびりとした物言いながら、シェリ婆さんの蓬髪の陰の眼光は鋭い。ジェイドックのぼかした表現に対し、しわに埋もれた口を開け、何事か言いかけた、まさにそのとき──
「沼沢地、行ってもいいですかね? 幽霊、全部食っ」
 食っちゃいたいんで、と言い終わる前に、千獣は空気より空腹を優先する依頼人の襟髪を掴んで口を塞いだ。
「邪魔、しちゃ、駄目……」
 息を詰まらせ涙目で謝る仕草をするズィーグに、覆っていた手をどける。
 一方、ジェイドックは咳払いをして話を続けた。
「……失礼した。連れが言った通り、沼沢地に幽霊が出ると小耳に挟んでな。俺達はまあ、ご覧のような稼業だ。後学のため見に行きたいのだが、どうだろう? いずれ貴女の知り合いが退治に来ると聞いてはいるし、既に来ているなら邪魔にならないよう細心の注意を払うつもりだ」
 喋っている最中でむく犬がのそりと立ち上がり、濡れた鼻をひくつかせてジェイドック、千獣、ズィーグの周りを巡り、また主の傍らに戻った。そのモップに似た頭をちょっと乱暴に撫で、
「だいたいの事はわかりましたで、気ぃ使わんでええですよ、虎の旦那さん、お連れさん」
 シェリ婆さんはふぇふぇ、と妙な笑い声をたてた。
「あちしぁ聖都のなんでも屋に伝手がありましてのう、お役人にも泣きつかれてもうたし、ぼちぼち退魔師なり妖術師なり紹介してもらうべと思っとっただけで、まだなぁんもしとりゃしません。あんたさん方が幽霊をどうにかしたいなら、好きにしたらええ」
 言うや、背の高い椅子からひょいと降りる。ぶかぶかのローブの袖がふわりとなびいた。
「どれ、あちしもご一緒しましょうかのう。ゴーストイーターが人目も憚らず踊り食いなぞ、滅多に拝めるもんではねえ」


 旅慣れた者でも、深夜の強行軍は躊躇うものだ。
 ましてや荒れ果てた旧街道から更に逸れ、道と呼ぶのもおこがましい筋を辿って薮を突っ切るなど正気の沙汰とも思えない。
 けれども今、怪しい一行がその常識外れな行動に及んでいた。
 先頭は茨に引っ掻かれるのもお構いなしでランタンを手に鼻歌まじりにスキップするズィーグ、次いで邪魔な枝を切り払って進むジェイドックと千獣、最後尾はかなりの距離をあけてゆったりとついてくる、むく犬の背にちょこんと乗ったシェリ婆さん。
「……魔女というのは本当かもしれんな」
「あの、犬……普通、じゃない……」
 鬼火の如く揺れるランタンを追いながら、二人は囁きかわした。
 ズィーグの正体が何で、何をしに来たかは一切口にしていないにもかかわらず、シェリ婆さんに知られているのだ。
「だがまあ、仕事の妨げにならなければよかろう」
「そう、だね……」
 受けた依頼はズィーグの護衛であって、宿場の主の身辺調査ではない。仮にごろつきを従えた魔女が寂れた宿場を支配していたとして、具体的な違法行為がなければ官吏はもちろん、彼らとて動けない。
「でも……お婆さん、悪い人、には、思えない……」
 千獣はそっと振り返り、犬に語りかけている老婆を見やった。
 そうこうしているうちに足元がじめじめし始め、いきなり眺望がひらけた。
 緩やかな斜面の先に、沼沢地が広がっている。
 きらめく水面のそこここから低木や水草が生い茂り、月の位置から、夜明けが近いのは知れた。
「ひい、ふう、みい、たくさん! 夢のようですよう……!」
 歓声とともに駆け下りたズィーグはしかし、あっさりと泥に足を取られた。
「毒蛇もおるでのう、気をつけなされ」
 あいかわらずのんびりと告げるシェリ婆さんの声を背に、千獣とジェイドックはズィーグを引っ張り上げてやった。
「沼、動き、にくい……私、ズィーグ、背負う……幽霊の、場所、教えて……? 飛んで、移動、する……ズィーグは、食べる……どう、かな?」
「や、そうしてもらえると助かります! ある程度近寄ってもらえれば十分ですんで」
 千獣の提案に、ぐるぎゅると腹を鳴らすズィーグは一も二もなく飛びついた。おぶい紐よろしくズィーグのマルチプルアームが千獣の体にまわり、ずれないようしっかりと固定する。両手のあいた千獣は、毒蛇対策として長めの枯れ枝を拾った。
「じゃあジェイさん、私、至福の旅に出ますので、探さないでくださいね!」
 ジェイドックとシェリ婆さんを陸に残し、千獣とズィーグは沼沢地に分け入った。
 単に殺風景だったそこは、二人が進むにつれ異様な雰囲気に変じていった。微風に乗って聞こえていた植物のざわめきが消え、代わってことさら弱々しくなった星明かりの下、複数の影が蠢いている。沈んでは浮かぶ不定形、小刻みに震える人に似ていなくもない何か、明らかに意志を持って低空を漂う靄──恨みがましく唸る半ば透き通った男というわかりやすい幽霊もいなくはないが、一般的にはモンスターと呼ばれる形状が多い気がする。
「……どれに、する?」
「ではまず右手の、首だけの馬から」
 ばねを利かせ、千獣が跳ぶ。着水する直前に馬は掻き消え、背中が少し重くなる。
「すいません、私、食べた分増量するんですよね……」
「大丈夫、だよ……次は?」
 低木の梢、水草の影、中州の茂み──ゴーストが一つ減るごとに、ゴーストイーターも重くなっていく。これらはどこで何に生まれ変わるのだろう……交わした言葉、目にした表情を思い出し、千獣は更なる獲物を物色する負うた相手に伝えずにはいられなくなった。
「私……ズィーグの、していること……悪いこと、とか、思って、ないよ……?」
「記憶、なくなる、かも、しれない、けど……また、新しい、命、始め、られるん、でしょう……? 私は……」
 千獣の脳裏に糧として狩り、敵として散らした数多の命がよぎった。解放をもくろみ隙あらばと爪を研ぐ、身の内の千の獣がざわめくのがわかる。
「……私は……捕らえる、ばかり、だから……」
 考え考え言葉を絞り出す千獣の後頭部を見つめていたズィーグは、そこでようやく、自分の迂闊な反応を気にかけてくれているのだと悟った。また変な話しちゃったね、としばしの沈黙の後に呟く彼女への申し訳なさと食い意地とがせめぎあった結果、弁解は明後日の方角からやってきた。
「あのですね、そりゃ雨樋と天水桶は用途が違いますけど、どちらも雨と縁が深いんです」
「……あ、め?」
「だから、どっちが便利とかじゃなしに、それぞれ在るように在ればいいっていうか、やれることをやってればいいっていうか、できることしかしないっていうか。私はもう、じゃんじゃん流しちゃいますよ? 落葉が詰まったって砂利が溜まったってこう、ガバッと力押し──ってあれ、千獣さん、笑ってます?」
 覗き込んでくるズィーグを、千獣は肩越しに見上げた。全面的に受け入れるには楽観がすぎる言い分ではあるが、杞憂であったならそれでいい。胸に広がる安堵をほろ苦い笑みに変えて唇に浮かべ、千獣は言った。
「……やっぱり、私、死んだら……ズィーグに、食べて、ほしいな……」
 そして、悪戯っぽくつけ加えた。
「いつに、なるかは、わからない、けどね……」


 東の空が白々と明ける頃、沼沢地は平穏を取り戻した。
 もはや肌に粟なす不気味さはない。岸に戻る途中で絡め取った毒蛇でさえ、ひどく健全なものに映る。
「いやぁもうごっそりがっつり確かな満足!」
 ずっとシェリ婆さんと喋っていたらしいジェイドックに手を振って、ゴーストイーターは満面の笑みだ。
「よくもまあ、平らげたものだな……」
「おかげさまで! あ、この蛇はお土産」
「要らん」
「じゃ、あちしが頂戴しましょうかのう」
 のたうつ毒蛇は、枝ごとシェリ婆さんが受け取った。
「皆さん、この度はありがとうございました。おかげでお腹いっぱいです」
 傍目にも膨れた腹をぽん、と叩き、ズィーグが礼を述べる。
「よかった、ね……」
「恙なく終了して何よりだ」
 朝日に目を覚ました水鳥の声を聞きながら、一同は帰途についた。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3087/千獣(せんじゅ)/女性/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【2948/ジェイドック・ハーヴェイ/男性/25歳/賞金稼ぎ】


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■         ライター通信          ■
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千獣様

いつもありがとうございます。お待たせいたしました。
ズィーグを思いやってくださってありがとうございます。手間のかかる奴で済みません。
それでは、またお会いできることを祈りつつ、失礼いたします。