<春花の宴・フラワードリームノベル>
貝桜〜最後の宴〜
風の中で、何かがしゃらん、と鳴ったように思った。小さな音だったけれど、何故かとても気になって、音を辿って桜並木を抜けた。既に満開を超えた桜は春の嵐の中で静かに花びらを散らし、桜吹雪で前も見えないくらいだ。更に柔らかな新緑の奥深く、見つけたのは見事な枝垂桜だった。それ程大きくはない。周囲の木々の影になってほの暗くなったその場所で、満開に咲き誇る花びらが、微かな光を放っているように見えた。微風が吹き、しゃらん、とまた小さな音が響く。思わず、引寄せられて気がついた。花びらは全て白い貝殻でできている。この枝垂桜は…
「細工…?」
と呟いたその瞬間、世界がぐるっと反転し、気付くと抜けてきたはずの道が消えていた。あるのは貝殻で出来た花びらを持つこの枝垂桜と、闇、それから。辺りを見回そうとしたその時、枝垂桜の向こう側から密やかな笑い声がした。
「よう来たのう」
白い髪に赤い瞳、地紋の入った白い着物を纏った少女は、やれやれと肩をすくめて見せると、同じ様に桜を見上げた。
「これはな、貝桜、と呼ばれておる。遠い昔に我が先祖が作った、散らぬ桜よ。ようやく探し当てたと思うたら、ワガママを申してな。真の桜になりたいなどと」
少女はそう言って、桜の房をつん、と突付いた。しゃらん、と小さな音が鳴る。
「精巧なれども作り物。真の桜になれはせぬ。だが、それでも夢を叶えてやりとうてな。ささやかながら、花見の宴を開くのじゃ」
少女がにんまりと微笑んだ。
「こやつにとって最後の宴。寄って行って貰えるか」
少女は名を、天鈴、と言った。
「貝桜…ですか」
松浪静四郎は、白い枝垂桜のひと房にそっと触れた。柔らかいような気すらする、不思議な手触りだった。散歩中にふと迷い込んだ森の中で、こんな桜に出会うとは。これも何かの縁だろう。どうじゃ、と見上げる鈴に、静四郎はにっこりと微笑んだ。
「よろしければ」
「かたじけない!」
嬉しそうに言った鈴に案内されたのは小さな宴の席だった。先客はまだふんわりとした茶色の髪と大きな瞳が印象的な少女で、年の頃は十代後半。彼女は森永ここ阿、と名乗った。
「さー、座って座って!あ、これね、さっきボクが拾ってきたの」
指差したのは、下に敷かれた青くてごわごわとした敷物だ。ここ阿は全く人見知りをしないタイプらしく、静四郎の名を聞くと、
「うん!何かすっごくぴったりな名前!優しそーな感じだし、間違ってもどじょうすくいとかしなさそーだもん」
「ど…どじょう…?」
何故そういう例えに、と思っていると、次の客人が現れた。どこかとぼけた雰囲気の男で、来生十四郎と名乗った。酒を差し入れた十四郎を見て、思い出した様にここ阿が大きなバスケットを差し出した。
「お弁当持ってきたから、どーぞ。ホントは友達と約束してたんだ」
と、巨大なバスケットから次々と食べ物を取り出して見せる。何でも、友人との約束を反古にされて、一人で花見をしようとしていたらしい。味は保証しないけどね、と謙遜しているが、まあ見た目は十分に美味しそうだ。
「本当ならばわしも料理を持参するつもりであったのだがな。これで勘弁してくれぬかのう」
鈴が桃の山と酒をずずいと差し出す。とても見事な桃で、静四郎は一番上の一つを手に取った。ずしりと重い、よい実だ、
「立派な桃ですねえ。柔らかくて美味しそうです」
持って先端の皮に少し爪を立てただけでつるんと剥ける桃の味に、ここ阿が歓声を上げる。その間に、静四郎は鈴が持ってきた酒を十四郎の杯に酒を注いだ。
「さあ、どうぞ」
「桃の酒もあるがな。そなたはどうやら玄人らしい。こちらの方がよろしかろ」
「あんたも杜氏かい?…なんてこたあ…」
十四郎が一口飲んだその盃をまじまじと見て目を丸くしている。杜氏…ということは、この男、酒造りの玄人ということか。
「桃源郷の酒、とでも言うておこうか。無論、作ったのはわしではない。持ってきただけじゃ」
鈴は笑って首を振り、静四郎の手から一升瓶を取り上げると、杯になみなみと酒を満たしてくれ。ここ阿には桃のジュース、他の三人にもそれぞれに杯が回ったところで鈴が乾杯の音頭を取った。
「今日はゆるりと楽しんで行かれよ。では、貝桜に」
杯をあげて、皆が繰り返した。しゃらん、と白い房がまた小さな音を立てる。
「きれいだよねえ、この子。鈴ちゃんの御先祖さまって、すごいよ」
顔の近くに下がった房にふう、と息を吹きかけながら、ここ阿が言った。
「凄い、という程ものものかどうか」
謙遜しながら、鈴がため息を吐く。
「とにかく器用な人ではあったらしいがの。他にも色々作っておる」
「職人さんだったのでしょうか」
静四郎の問いに、鈴が首を振る。
「ただの仙人じゃ。物を作るのが好きなだけの」
仙人に「ただの」という形容詞がつくのもなんだが、鈴はそのまま続けた。
「色々な物を作ったと聞いて居る。頼まれた物もあれば気が向いて勝手に作ったものもな。貝桜は、とある国の領主への献上品の一つとして依頼されたそうじゃ」
鈴はつと手を伸ばすと、酒をくいっと飲みほした。かなりいける口らしい。
「真の桜というのは季節が巡れば散ってしまうであろう?それは不吉と言われてのう。だが…」
「滅びぬ国はありません」
静四郎言うと、そうじゃ、と鈴も頷く。
「国は滅び、残ったのはこの桜のみ。その後転々と主を変え、こうして戻ってきたという訳じゃ」
「こんなおっきな桜が?」
揺れる枝を見上げたここ阿に鈴がふふ、と笑う。
「こやつは二つの姿を持っておってな。ひとつは今のこの姿。そしてもうひとつは…」
鈴がとん、と地面をたたくと、貝桜は瞬く間に小さな盆栽に変化した。
「わあ、すっごい!」
目を見開いて身を乗り出したここ阿の横で、静四郎もほう、と目を丸くした。
「かっわい〜。うん、これならボクでも持って帰れそう」
「であろ?」
鈴が再び地面をたたくと、貝桜は元の大きさに戻った。
「周囲に異変があれば、自然と小さな姿に変わるように出来ておる。わしが見つけた時には小さくなっておったから、元の姿に戻るのは、久し振りであろうよ」
「大きさも自在、しかも散らないなんてさ、いいと思うけどなあ。いつだってお花見出来ちゃうんだよ?世の中にこんな桜が一本くらいあったって…」
ため息を吐くここ阿の横で、静四郎は彼女の持ってきたサンドイッチに手を伸ばしたのだが。一口食べた瞬間に口内に激痛が走った。か、辛い…!だが、ここで慌てるような静四郎ではない。が、このままでは鈴や十四郎が食べた瞬間に大変な事が起こる。静四郎は素早くバスケットの中に目を走らせると、ごくごく自然かつ穏やかな動作で、サンドイッチにサラダを挟み始めた。向かいで、十四郎が唐揚げに手を伸ばしているのがちらと見えた。このサンドイッチは確実に味見をしていない。唐揚げは…。
「こいつは美味い」
どうやら、本当に美味しいらしい。持参した本人も次に手を伸ばし、これはオッケー、と、嬉しそうに笑った。
「おいおい、お前さんが作ったんだろ?ホンっとに味見、してねえのかい」
答える代りににっこり笑って、ここ阿が静四郎がサラダを挟んだ豚キムチサンドをひょいとつかんだ。
「あれ、サラダ挟んである」
やはり気付いたか。だが、ここ阿は全く気分を害するでもなく、
「うん、こっちのが美味しい」
と喜んだ。何ともあっさりとした性格らしい。静四郎も安堵の笑みを浮かべた。そよ風に時折そよぐ貝桜がしゃらん、しゃらんと音を立てる。気付くと、唐揚げを手にしたまま、十四郎がぼんやりと上を見上げていた。
「大丈夫ですか?十四郎さん」
まさか酔ったわけでもあるまいが、と静四郎は少し心配そうな声で聞いた。
「いやさ、ちょっとねえ。俺ばっかりこんな花見をしてたら、怒られそうな気がしてな」
「誰ぞ、見せてやりたい者がおるのかの?」
首を傾げた鈴に、十四郎が頷いた。
「来年があるなら、連れてきてやりたいと思ったんだが…。だが、確かこれが最後の宴って、最初に言ってたよなあ、鈴さん」
「ああ、言うたな」
鈴が頷き、また桜がしゃらんと鳴った。
「それがこれの望みでもある故」
「本当の桜になりたいという?」
静四郎が聞き、鈴が頷く。
「真の桜にはなれずとも、真の桜と同じ道をたどる事なら叶うであろ?」
真の桜と同じ道。三人は顔を見合わせた。
「散る、という事ですね」
静四郎はぽつりと言った。応えるように桜が微かに音を立てる。生きた桜ならば散ってもまた次の年がある。だが、貝桜にはそれはない。散ればそれはそのまま、終わりだ。それでも、散りたいというのか。
「何か、訳があるのですね」
静四郎の言葉に、鈴は少し表情を曇らせ頷くと、ゆっくりと話し出した。
「わしがようやく見つけた時、こやつはとある男の下におった」
若い頃、一目で貝桜を見染めたその男は、既に年老いてまさに天寿を全うせんとしていた。貝桜を心から愛していた男は、常日頃からこう言っていたのだという。
「お前と共に逝けたら、と」
男が愛したように、貝桜もまた、男を愛していたのだと、鈴は言った。
「もう長い間、人の手から手へと渡ってきた末の事。止められはせぬ」
しばらくの沈黙の末、皆一様に、小さなため息を吐いた。
「惜しいなあ」
と、十四郎。静四郎も同感のようだ。ここ阿も、
「でも、仕方ないかあ」
と、諦め顔で言ってから、そうだ!バスケットの中をごそごそと探った。
「ね、皆で写真撮ろうよ!デジカメ持ってきたから。鈴ちゃん、ここって写真写るよねえ?」
「勿論。貝桜にもわしらにも、良い記念になるであろ」
確かにその通りだろう。ここ阿の仕切りで皆で一枚撮って、静四郎はまた、貝桜を見上げた。
「最後の春、ですか…」
この桜が過ごしてきた年月を思えば、散りたいと思う気持ちもわからないでもない。いくつの争いを見てきたか。いくつの別れを見てきたか。それもただ、見守るだけとは。物思いに沈みかけた静四郎の前に、ふいに手が差し出された。
「ね、写真撮ろ!!」
ここ阿だった。そのまま静四郎の返事も待たずに手を取ると、立ち上がらせて貝桜の隣に立たせて一枚、自分も並んで一枚、と大忙しだ。最初は面食らった静四郎だったが、すぐに撮り方を覚えてここ阿と貝桜を何枚か撮ってやると、嬉しそうに礼を言われた。
「ありがとう!最後なのは悲しいけど、それなら目いっぱい楽しくして、たくさん写真も撮ってあげたいんだ!ボクたちは忘れないよって」
「…そうですね」
彼女の言う通りだ。滅びの時を自ら決めた者に、同情や憐憫は無意味だ。まだ貝桜の写真を撮っているここ阿の向こうでは、十四郎と鈴が酒を前に何やら話している。再び静四郎とここ阿が席に戻ると、十四郎が歌をひとつ、と申し出た。それならば、と静四郎も懐から愛用の竜笛を取り出す。鈴と貝桜への礼に、何か一曲と思っていたところだった。
「どのような曲でしょうか」
と聞くと、静四郎は『越天楽今様』という曲名と、春を謡った古い曲なのだと言った。若いのによく知っている、と褒める鈴に苦笑いしつつ、十四郎はすう、と深く息を吸った。
「春のやよいの あけぼのに…」
しばらく聞いて、すぐに十四郎の旋律を追うように伴奏に入った。少し低めの、だが張りのある声に、沿うようにして吹いてゆく。二人の演奏に呼応するようにざざ、と風が吹き、貝桜がしゃらんしゃらんと、これまでより大きな音を立てたその時、ここ阿があっと声を上げた。
「見て!鈴ちゃん!貝桜が!」
つられて見上げた静四郎も、一瞬手を止めそうになった。風に吹かれてしゃらんしゃらんとざわめく貝桜のまっ白だった房が、幹からさあっとピンクに染まって行ったのだ。鈴がおお、と声を上げた。
「酒のおかげかのう」
「酔っぱらったのかなあ」
ここ阿も嬉しそうに笑う。風はどんどん強くなり、ピンクに染まった貝桜を激しく揺らす。そして…。十四郎の今様が終わるのとほぼ時を同じくして、貝桜は風の中に散っていった。ピンク色の花びらが風に舞い、ゆっくりと舞い落ちる。音などするはずもないのに、微かな澄んだ音が、最後にしゃらん、と聞こえたような気がした。
「見事な、散り際でしたね…」
竜笛を仕舞いながら、静四郎が言った。
「きれいだったのに…」
ここ阿が残念そうに呟く。
「あいつにも、見せてやりたかったなあ」
ため息をついた十四郎の袖を、鈴が引いた。
「そうがっかりするものでもないようじゃ」
鈴の指差した先を見て、静四郎がおや、と眉を上げた。
「小さい…桜?」
ここ阿が膝をつく。ピンク色の花びらにうずもれるように顔を出していたのは、確かに小さな枝垂れ桜のように見えた。
「どう言うこと?貝桜って…」
目を丸くしたここ阿に、鈴はさあな、首を振った。
「わからぬ。何しろ作ったのは変わり者の仙人じゃ。それも、当代随一の力を持つと言われたほどのなあ」
触れてみると、確かに生きた桜のように思えた。
「まあ、ひとつ分かることと言えば」
鈴がにんまりと笑って、十四郎を見上げる。
「おぬしの連れあいに、こやつの花を見せてやることもできるらしい、という事くらいじゃ」
「だね!」
とここ阿が笑い、
「そのようです」
と静四郎も微笑んだ。風が再び巻き起こり、ピンク色の花びらを舞い上げて…。それが、その春最後の花見となった。次の春、あの小さな桜がどう育っているのかは分からない。けれど春の終わりにはきっとまた、耳を澄ませてしまうだろうと静四郎は思う。風の中に、あのすずやかな音を探して…。
<終わり>
登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2377 / 松浪・静四郎 / 男性 / 25歳(実年齢33歳)/ 放浪の癒し手
ea5386 / 来生 十四郎 / 男性 / 34歳 / 杜氏
0801 / 森永・ここ阿 / 女性 / 17歳 /私立翁ヶ崎高校3年生
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