<春花の宴・フラワードリームノベル>
眠り姫と妖精〜春を呼ぶもの〜
山の奥には質素な《東雲の庵》とよばれる小屋がある。
そこでは春になると、さまざまなめずらしい野菜が採れるようになり、それは近隣の民にとってありがたい収穫となる。
――しかし、今年は問題があった。
このままでは春花の宴のためのご馳走がつくれない。
「まずいなぁ…」
彼の表情に苦笑が浮かぶ。 そういえば、と彼は思い出す。
――南の祠(ほこら)に棲むという妖精が、春の気候に関係している――
いつだったか――たぶん、庵にやってくる青年や女性が世間話の種に教えてくれたことがある。それは、南の祠に棲む妖精が春に咲く植物や動物を眠らせているから冬が訪れ、その妖精が起きて、他の植物や動物を起こしているから春が訪れてということを――。
「…春を呼ぶ妖精を起こしに」
駿一は南の空を見つめてぼそりと呟く。
果たして一緒に同行してくれる者はいるのだろうか?
* * *
――春の光は少なく、やはりすべての農作物を実らすことはない。
僧形姿の青年――駿一は難しい顔で春の妖精が棲むといわれる南の祠の前で立ち尽くしている。
「この前の歌で起きたと思ったのですが、いやはや春を呼ぶ姫も、わがままですねぇ…」
駿一は苦笑を浮かべ、遠くを眺める。先日ある冒険者に春の妖精を起こしてもらった。そこで少々起きてくれた――その時もらった《春の光のもと》で数少ないが農作物を実らせることができたが、すべての農作物を実らせることはできなかったのだ。
「どうすればよいのでしょうねぇ…」
「カンタンだよ、眠り姫にゃ、王子さまが必要だろ?」
背後から声が聞こえた。駿一が振り向くと、そこに銀髪青目が印象的ながっしりした体躯の青年――フガクが口の両端を上げて歩み寄ってくる。
*―――*
――わらわはどうしてこんなことをしておるのかのぅ
気だるげに眼を薄く開いては、考えるのはそればかり。
その影は気弱そうに肩を震わせて泣いている。
「っく…ひっく…うわぁ――ん…!」
考えるのは彼(か)のもののすべてだ。彼のものがわらわに見向きもしてくれなった今はなにもしたくない、できない、やりたくない――すべてが臆病になってしまう状態が続く。
――もうよい。わらわは疲れた。少しの暇(いとま)をもらうがのぅ
その影にとって、《少しの暇》とはヒトや世界に生きる種族にとってとても永い《時間》だ。
その影は春を呼ぶことを諦めている。
「ヒトにもたらす春の野菜なぞ、もうどうでもよい」
彼のものはそう独りごちる。
――もうどうでもよい――
そんな感じで彼のものがまどろんでいた頃である。
――キュン…
ヒトの息吹が伝わる。
なにかを失くしたことのある喪失感が、そこには在る。
哀しくて、悲しくて、辛い《何か不足しているもの》が。
――わらわと同じ……?
「わらわを起こすのはだれじゃな?」
思わず、煩わしく彼のものは言葉を発する。
*―――*
「コレかい?」
祠の中は単純なほどに一本道で、大人の男の足で半日足らずで目的の場所に辿り着く。
そこには風化で赤茶けた鳥居の残骸と枯れ果てた竹が飾ってあるだけで、あとは土がまるく大きく、二人の前に立ちはだかるだけだ。
駿一は道中、フガクに説明をしながら案内していく。
「春の妖精が起きてないから――こんなに枯れてしまったのでしょうね…ここがいつもは草木にあふれて色とりどりで楽園のようなので…。ここがこんなにも枯れているから、わたしの畑にも枯れ木がどんどん増えてきたのだと思います――」
駿一は睫毛を伏せる。
フガクはあたりを見回す。確かに祠の奥の狭い空間にいっぱいいっぱいの樹木――サクラやクヌギ、イチョウ――や色とりどりの花が散らばっている。 しかし今はその樹木や花も枯れていて茶色く色褪せており見る影もないが。
行き止まりの《土の山》。それを見たフガクの感想が、冒頭の一言だ。
「はい…ええとフガク殿。眠り姫には王子様、とは一体…?」
駿一の当然の疑問にフガクは《土の山》を横目で睨みながら、顎の下をぽりぽりと掻く。
「あー…俺が昔話に聞いた話にな、《永い間ずぅっと眠っている姫が、王子様のキスで目覚める》っていう話があってなぁ、キスで目覚めるかなぁと思ったんだけどなぁ…」
上目遣いでフガクは駿一を見る。
「なぁ駿一さんよ」
駿一は呼ばれて、「はい?」と聞き返す。
「この土の中の眠り姫って女性なのかい? 俺、男にキスするのはちょっと…」
問われて、駿一はちょっとだけ思案する顔になる。
「そうですね…。声は女性だと思いますよ。残念ながら――春の妖精が起きないという、このような事件は初めてなので、わたしも春の妖精のお姿は拝見してないんですよ…」
駿一は苦笑いを浮かべる。
「あっそ…。女性の声か…ならまぁいいか」
フガクはひとり結論付けると、右手を広げて片膝をついて座り込む。
そしておもむろにその《土》にフガクはそっと口づける。
すると。
《土》がぼこぼこっと顔を形づくる。フガクは土の動きに思わず仰け反る。
『なんじゃあー? まぁーぁだーなーにーか用かえー?』
とてつもなく傲慢な口調であるが、明らかに女性のように柔らかい声で返ってくる。フガクはちょっと驚いて身をすくめる。
《土》の反応に、フガクにかわって駿一は口を開く。
『春の妖精よ、お願いです…起きてください。これでは野菜が実りません!』
《土》が微かに怒った感じがする。その祠にぴりっと静電気のような振動が走る。
『こぉーのぅー前のー《光のもと》で咲かぬのものはなかろうてぇ? え? そこなる清らかなヒトよ』
「先日の《光のもと》はありがたく使わせて頂きました。ですが」
そこで一端、言葉を切る。
「――まだ…すべての植物には足りないのです」
駿一は哀しく睫毛を伏せ、瞳を閉じる。《土》はその表情をみて動きを緩める。
『しょうがないのぅ。こーうー煩くてはおちおち眠ることもできぬしのぅ』
「! それでは…」
駿一は驚いて目を見開く。フガクは固唾を呑んで状況を見守る。
『あぁーそなたらヒトが眠りの妨害するのでなぁ。さっさと春の力を放出して、永い眠りにつくことにしようかのぅ――ふん』
《土》のその言葉を最後まで聞きとれぬうちに――
――ドスンッ!
その場に一瞬の重力が響く。
駿一もフガクもあまりに突然のことでまったく身動きがとれなかった。
しかし、《それ》はあっけないくらい一瞬で終わる。
見れば、目の前の春の妖精がおわす土の山には緑多き草や色とりどりの花の空間に変わっている。
「変わってる…」
駿一はぼそりと呟く。
「うわ、すげぇ! なんだこれ?!」
その緑の空間は入ってきた一本道まで続いているようで、フガクは変化した空間を来た道へと戻るように歩いていく。駿一もフガクに続く。
祠の中から出ると、次の世界も視界が、がらんと変わっている。
「へぇー、こりゃあ…ウラシマタロウみたいだなぁ」
白く曇っていた空がひらけて明るい蒼の世界、枯れ木にふくらむサクラの花、なかなか咲かなかった赤い花、黄色い花、桃色の花が咲きはじめ、見れば庵のそばの畑も野菜の実が熟している。どこからか冬眠していた動物も起きだして空では小鳥が歌っている。
それは――春の妖精の力が満遍なくその世界に広がったことを目にみえて証明している。
「フガク殿、ありがとうございました」
駿一は急いで庵に戻って収穫しなければという理由で感謝だけ述べる。フガクは豪快に笑いながら、「俺も収穫手伝うよ! けどよ、ひとつ頼みがあんだけどよ」と肩をつかまえて訊ねる。
「はい?」
「カンタンだよ。俺に野菜をちこっとばっかしくれねぇかなぁ――?」
フガクはニッと笑いかける。
収穫を終えて東雲の庵の中に戻れた頃、春の陽気が急激に衰えて、雨が降る季節となる。遅い春が半日で終わり、雨季の季節が到来したようだ。
春の妖精は一瞬だけ――人間の世界で言うと半日――起きてあまねく陽の光をすべての動植物に与えてそれで力尽きて眠ったのだろう――おそらく今年一年はもうどんな手を使っても起きることはないだろう。
フガクはそこに置かれたご馳走に目を丸くする。庵の外では降り続く雨がしんしんと絶えず響く。
「これを全部食べていいのか?」
これでもか、というくらいに二〇品以上の料理が通されたお客を休ませる部屋に置かれてフガクは思わず駿一に訊ねる。
「はい、それが約束ですからね」
ほんの御礼です、と駿一は付け加える。
テーブルの上には、メインデッシュの鶏肉料理からサラダまでたくさん並べている。木をくりぬいて作られた器の中のスープには春に採れる野菜で具だくさんだ。
「やったね、俺、腹減って死にそうだったのよ。これでもう一戦(ひといくさ)頑張れるってもんだよ!」
片目を瞑りながら、右手で駿一に感謝のサインを送るフガク。しかしもう片方の手は骨付き肉をつかんで大きな音をたてて口の中でほおばっている。
駿一は手の甲を胸の前で重ねながら兄のように優しく見守る。
「そうでしょうね。最初あなたを見たときからお腹空いてそうにしていましたから」
たっぷり注いできた水差しを傾けて、フガクのグラスに冷たい水のお替りを注ぐ。
「それにこの料理は春の妖精を起こしてくれたお礼ですよ。初めからそういう約束でしたから」
食事はフガクと駿一の間で一晩中続く。春を迎えた東雲の庵に久しぶりにに聞こえた賑やかな音だった。食事をしながらフガクは冒険の話と身の上話をはじめ、駿一も今までの身の上話をしながら、彼らはその夜を賑やかに過ごしたという――。
―終―
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 PC / 3573 / フガク / 男性 / 25歳(実年齢22歳) / 冒険者】
【 NPC / 4677 / 篠崎 駿一 / 男性 / 35歳 / 旅の僧侶 / 人間】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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《フガク様》
こんにちは、ライターの里乃アヤです。
『お伽噺の眠り姫』のアイデアを春の妖精に試すとこのようになります。春の妖精の姿に意外性を感じて頂けたでしょうか? 作中の《春の光のもと》は春の妖精を起こしに来たのがフガク様だけではないことをご承知お願いします。
それでは、またの機会がありましたらよろしくお願いします。
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