<東京怪談ノベル(シングル)>


Rain


 聖獣ユニコーンに守護された、この世界の中心の都、聖都エルザード。
 その街のある店で、旅の女剣士、ジュリス・エアライスはアップルパイを食べていた。
 店の自慢の品であるパイに、甘いものが大好きなジュリスの顔はほころぶ。もう1口、とフォークを口に運ぼうとしたとき、ジュリスは店の外が騒がしいことに気付いた。
(……? 何かしら)
 街の大通りを、兵士達が駆けてゆく足音。ただ事ではないその雰囲気に他の客達も気付き、店の主人が扉を開けて外を窺う。
「何かあったのかい?」
「敵だ! アセシナートの戦士が侵入してきやがった!」
「な……!」
 主人達の会話が聞こえたジュリスは、思わず立ち上がった。
 アセシナート軍の者が、エルザードに?
 窓から外を見やれば、何やら煙のようなものが上がっているのが見えた。街の入り口である門の方だろうか、ここからはさほど離れていない。
(街の人が巻き込まれたりしたら……!)
 ジュリスはほとんど無意識に剣を掴んで店を飛び出し、門の方へと走り出した。彼女の艶やかな長い黒髪をなびかせる風に、煙の匂いが混ざっている。
 人々が行きかっていた大通りは怯えと不安で騒然として、さっきまでの明るい賑やかさがまるで嘘のようだ。
「!!」
 門に辿り着いたジュリスは、その光景に息を飲んだ。数人のエルザードの兵士達が、血を流して倒れていた。
 そして彼らの前には、大きな斧を携えた1人の男。
 その体躯は2メートルもあろうか。がっしりとした浅黒い身体に黒い胸当てをつけ、その太く逞しい四肢には、これだけの兵士を相手にしたはずなのにほとんど怪我がなかった。
 その不気味な出で立ち。……もしかしたら人間では、ないかもしれない。
 男のぎょろりとした目が、ジュリスを見る。
 ジュリスは思わず、後ずさりそうになった。元々戦うことは好きではない。だが……
(このままでは、街の人達が)
 ジュリスは一度目を瞑り、ぎゅっと拳を握ると、剣を手にしてその男を見た。
「私が、相手です」
「ほう……」
 低く、唸るような声で男は言って、にやりと笑った。
「お前のようなひ弱そうな女が、俺に敵うとでも?」
「やってみなければ、わからないでしょう」
「そうか。ならば、やってみるがいい」
 馬鹿にしたような声と、その目。ジュリスは、剣を構えると男に飛び掛った。
「はあっ!」
「ふんっ!」
 ギン! と耳に痛い音と共に、ジュリスの細身の長剣が男の斧に弾かれる。
(速い!)
 この大きな身体で、なんと素早く動くのか。ジュリスは驚きに目を見開いたが、剣を握りなおして男に斬りかかる。
 腕を狙ったその攻撃はまた大斧に阻まれ、逆に男の繰り出したその拳がジュリスの腕を掠めた。
「ふん、動きは悪くないな」
 男は笑う。
「だが、甘い!」
 なぎ払うように男は斧を振り、ジュリスはそれを受け止めた剣ごと跳ね飛ばされた。
「あうっ!」
 何とかバランスを取って着地する。男の斧を受け止めた、剣を持つ手が痺れていた。凄まじいパワーだ。
 しかも先ほどは拳で攻撃してきた。斧を持ってはいるが、おそらく武器がなくても戦える戦士なのだろう。
(正面から勝負してもだめだわ、それなら!)
 ジュリスは素早く相手に近づくと、攻撃をよけて体格の違いを利用し、身を屈めながら男の背に回った。
「はっ!」
 後ろから腕を斬りつける、が。
「ぬううん!」
 男は身を翻し、振り向きざまに攻撃を仕掛ける。その鋭い回し蹴りが、ジュリスの腹に入った。
「きゃっ! か、はっ!」
 蹴りの衝撃で倒れ、ジュリスは石畳に身体を強く打ち付けた。口の中に、血の味が広がっていく。痛みが全身をびりびりとさせた。
「どうした? もう終わりか」
 見下したような男の言葉に、はあはあと息を切らしながらもジュリスは立ち上がり、キッと相手を睨んだ。
(負けるわけには、いかない)
 この都を、街の人々を、アセシナートの敵達に奪われるわけには。
「やあっ!」
 ジュリスは再び男に剣を向けた。刀身が風を切り、金属がぶつかり合う。
 だがジュリスの攻撃は、素早くかわされ、斧で防がれた。ジュリスの剣は男に効いていない。
 男の斧の切っ先がジュリスの頬や腕、脚を掠めて、赤い線になったそこから血が伝う。
(強い……!)
 戦闘に慣れた身のこなし、岩のような大斧を軽々と振り回す力。男の鍛えられた身体は、まるで鋼のようだ。
 ジュリスも剣の腕に覚えがあるからこそ、男がいかに凄腕の戦士なのかがはっきりとわかった。
 倒れている兵士達も、この怪力と戦斧にやられたのだろう。
(でも、どこかにきっと隙がある。それを見つければ!) 
 ジュリスは男に攻撃をしながら走り回り、一瞬の隙を探す。
 その巨体がジュリスの動きに翻弄され、舌打ちをして大きく斧を振り上げた瞬間。ジュリスはそれを見逃さず、男に向かって鋭く剣を繰り出し、その手に確かな手ごたえを感じた。
「うがあっ!」
 ジュリスの剣が、男の肩に突き刺さっている。剣を抜くと、ジュリスは飛び退った。
「く……」
 男の肩の傷から、だらだらと流れる血。それを見た男は、ぎり、と歯を鳴らした。
「少し、お前を甘く見ていたようだな……だが、遊びは終わりだ!」
 男は呻くと、噛み付くような恐ろしい目でジュリスを見、斧をジュリスに向かって振り下ろした。
 ジュリスは斧をかわしたが、長い黒髪の先がその刃に切られて舞う。
 先ほどよりも、男のスピードは速くなっているようだった。スピードだけではない、斧を振り回す力も強くなっている。
(そんな。さっきまで、手加減していたというの?!)
 必死で攻撃をかわし、応戦するがその圧倒的な強さにジュリスは気おされていた。
 男の斧の攻撃は重く、もうジュリスの力では受け止めきれない。これでは、こちらから攻撃することも出来ない。
 斧だけではない、空いた拳や脚でも攻撃してくる。ジュリスが勢い良く繰り出された敵の蹴りに気を取られたとき、男の斧がジュリスの身体を思い切り殴り付けた。
「うっ! あああっ!!」
 雷を身に受けたような痛みに、思わずジュリスの動きが止まる。
 その瞬間、男がジュリスの背に回り、彼女の首を頑丈な腕で捕らえた。
(しまった!)
 ジュリスは男の腕に爪を立てて逃れようと足掻くが、男の腕は外れるどころか、ぎりぎりとジュリスを締め上げる。
「う、ぐ……!」
 息が、出来ない。
 ジュリスは剣を持った手で男の腕を攻撃しようとするが、痛みと苦しさで身体が言うことを聞かない。
 負けられない、負けるわけには、いかない、のに。自分は、この男には敵わない、のか。
(私の力が、足りない、から……)
 何という怪力と技術、男の強さ。
 目の前が、暗くなる。
(あ、あ……)
 無念の思いの中で、ジュリスは意識を失った。
「……ふん、俺に傷を負わせたことは、褒めてやろう」
 男が腕を解くと、ジュリスの身体はどさりと地に倒れる。
 アセシナートの戦士はジュリスを一瞥すると、そのまま何処かへ歩き去って行った。
「……」
 ぽつり。
 倒れたジュリスの頬に、雨粒が落ちた。ぽつ、ぽつぽつと石畳を濡らし、やがてサアサアと雨はエルザードを包んでいく。
 薄暗い空、どこかで鳴り響く雷鳴。
 意識を失ったジュリスの上に、静かに冷たい雨が降り注いでいた。