<東京怪談ノベル(シングル)>
真愛
ひやりと冷たい木の板が張り巡らされた、広い、空間。
面を伏せたわたくしの『耳』に、涼やかでほんの少し、ほんの、少しだけ、枯れた声が響く。
それは質問という意味を伴ったもの。
お暇を頂き、異界へと度々足を運ぶわたくしの、その目的の経過を尋ねる言葉。
それは初めて投げかけられらもの。
空っぽで物を思わぬわたくしの心に、ひっそりと沈んでいる暗澹を拾い上げるかのような――。
――ついに、見つけたのだ。
長い旅であったことを、鬼灯は良く覚えていた。指折り数えるのも苦痛な程の、月日。
その果てに、鬼灯は長く長く焦がれ、飢えるほどに望んでいた秘術の存在にたどり着いた。
否、正確には導き出したのだ。砕かれ掠れた石碑を、虫に食われた巻物を、詩歌のような伝説を、幾つも幾つも読み解き、継ぎ合わ
せ、主の傍らで学んできた陰陽の理になぞらえながら、一つの形に纏め上げたのだ。
ヒトならざる物を、ヒトとする、術を。
それは人間の赤子や異世界のエルフと呼ばれるアヤカシを贄とする、謂わば外法。
見付けるまでにかけた時間は、そのまま、その術の禍々しさに繋がるだろうことを、鬼灯は理解していた。
けれどわたくしはその理解に対して重ねる思考を持ち合わせてはおりません。
例えばそれが人を外れた道であれ。例えばそれが異端たる証であれ。
例えばそれが、栄誉ある、至高であれ。
わたくしの『瞳』に映るのは、ただ厳然たる現実。術という存在、それだけ。
それを以ってわたくしの望みが叶うのなら、何を躊躇うことがありましょう。
鬼灯の望みは己を取り戻すことであった。
殺され、昇華することも適わずに閉じ込められた魂を、共々に奪われた心を、ただただ還してくれと叫んでいた。
けれどそれは、心に磨耗を強いた以前の主の下でだけ。
一目で見初め、尽くすことに喜びすら覚える今の主の下では、ぴたりと、止んだ叫びであった。
己のものですらない『鬼灯』の名を唱える声に、掻き消えていたはずの『心』が脈を打つ。
鬼灯の望みは、いつの間にか変わっていた。
主様。愛しき、愛しき主様。
貴方様はわたくしの口が外法を紡ぐことをお咎めになるのでしょうか。
いいえ、きっと貴方様はわたくしの成果を労い、何を問うこともなくその能力をお貸しくださるのでしょう。
ヒトへと戻るわたくしの『心』が憂うことさえないように、万事整えくださるのでしょう。
自惚れとは仰いますな。過大とは仰いますな。貴方様の優しさとお力は、何よりも近くで貴方様を見つめてきたわたくしが、何より
も、知っております。
けれど、けれど。
そうして貴方様のお力添えでヒトへと戻ったわたくしは。
わたくしは、どう、なるのでしょう。
問いかける意味などないことは、知っていた。
主は鬼灯をヒトへと戻した後も、手を尽くして世話を焼いてくれるだろう。
鬼灯が、ヒトとしての幸せな生活を送れるように。
名を与え、居場所を与え、ヒトとしての温もりを強く感じられる環境を整えて。
そうして、きっと、告げるのだ。
「しあわせになれ」と――。
そう囁く貴方様は、きっと、わたくしの知らない顔をなさるのでしょう。
人形のわたくしには決して見せない、慈愛に満ちた優しい顔を。
けれど、ご存知でしょうか。
貴方様の心からの言葉は、わたくしを突き刺す刃でしかないのです。
わたくしの幸せは貴方様のお傍に付き従うこと。
貴方様だけを思い、貴方様だけのために動くこと。
貴方様の居ない生活に、幸せなどあろうはずがございましょうか。
鬼灯の『心』は理解していた。
地位と才を持つ主の伴侶となるのは、同等の地位と才のある娘であるべきだと。
主と僕の壁を払い、ヒトと人形の溝を埋めた果てにあるのは、他人同士という烙印だと。
傍らに在る、今の幸せに勝る喜びを得られる望みは、ただ一欠片とて、在りはしないのだと。
この体がヒトであれば、嘆く思いに袖を濡らしていたことだろう。
あるいは、全てに絶望して自ら命を絶っていただろう。
ヒトとしての未来を思い描けば描くほど、鬼灯の魂を囲い込んだ核が軋む。
まるで、心そのもののように。
ふと、表情を作らない顔に、笑みが浮かんだ……様な、気がした。
――いまだ、なにひとつ。
お許しください。愛しき貴方様に偽りを吐く事を。
お許しください。主たる貴方様に想い寄せる事を。
わたくしは……鬼灯は、貴方様の傍らで、いつまでも人形としてお仕えします。
それだけが、わたくしが貴方様の傍らに居られる、唯一つの理由だから。
いつもの通りの静かな面を上げた鬼灯の、硝子の瞳には、いつもの通りの主の姿が映る。
納得に、ほんの少し落胆を織り交ぜたような囁き声を受け止めて、鬼灯は再びゆるりと頭を下げた。
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