<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


故郷遥かに

 松浪静四郎がそれを見つけたのは、蝙蝠の城の大掃除中、正確にはその倉庫の整理整頓をしていた時だった。
「それは…何?」
 手を止めた静四郎に気づいて歩み寄ってきたのは、友人のライア・ウィナードだ。たまには仕事帰りに食事でも、と誘いにきたものの、静四郎が城の倉庫を掃除していると聞き、興味津々でのぞきに来ていたのだ。蝙蝠の城の倉庫には、代々の城主たちが集めた古今東西のコレクションが納められており、ライアの好きそうな魔法書やアイテムがたくさんあったからだ。静四郎が見つけたこれも、そのコレクションのうちの一つだった。
「姿見のようね」
 ライアが静四郎の手から取り上げると、裏についていたらしい紙がはらりと落ちた。説明書のようだ。拾いあげたライアが、わあ、と目を輝かせる。
「ねえ、見て!これはすごいわ?異世界に行ける姿見ですって!」
 説明書によれば、行き先を念じて鏡面に触れると、鏡面が異世界の空間の歪みに通じて道を開くのだという。だが、その魔法効果には限定がかかっていた。
「年一回の流星雨の夜から一週間の間だけ、ですか」
 静四郎がつぶやくと、ライアもうーん、と首を傾げた。
「いつだったかしら。でも、今年はまだ流星雨はなかったはずだから…。もしかしたら、もうすぐかも」
 そんなに都合よくは行かないでしょう、と笑った静四郎だったが、ライアの勘は正しかった。年に一度の流星雨は、一週間後に迫っていたのだ。異世界の魔法や文化に強い興味を持つライアに頼まれて、静四郎は久しぶりに故郷、中つ国を訪れることになったのだ。二人が魔法の姿見を手に森の泉に行ったのは、近年稀に見る大流星雨が夜空を彩った、その翌朝のことだった。

「行きますよ」
 鏡面に手を伸ばす静四郎に、ライアがしっかりと頷く。流星雨から魔力を得たのだろう、見つけた時にはさびて鈍っていた鏡面が、今は泉と変わらぬ輝きを見せていた。古いだけに何か暴走することがあっては、と人気のない場所を選んだのだが、この調子ならばちゃんと動いてくれそうだ。静四郎は静かに息を吸い、鏡面に触れた。
「中つ国へ」
 次の瞬間、鏡面は大きな歪んだ光となって二人を包み込んだ。ライアの手を引くように、いくつもの光の輪をくぐり抜ける。一瞬とも途方もない時間ともつかぬ感覚の中で、静四郎は故郷を思い、それにまつわるすべてを思った。いまだ戦乱の消えぬ国。その最中でないことを祈りつつ…。
「静四郎さん?」
 気づくと、ライアが心配そうにのぞき込んでいた。
「ここは…」
「静四郎さんの故郷ではないの?確か、中つ国」
「ええ、それはそうなのですが…」
 川の音がした。周囲には鬱蒼と茂った竹林。見覚えのある場所だった。中つ国、瑞穂国の中でも、たぶんここは。
「すごいですね。私の家の近くに出たみたいですよ」
 姿見は、いくつかあった中つ国の空間の歪みの中から、静四郎の思い浮かべた実家のそばの歪みを捜し当てたということだろう。中つ国を案内するつもりでいたとはいえ、実家に帰るつもりはほぼ無かっただけに少々予定外ではあったけれど、ここまで来たなら、と、静四郎はライアを家に案内することにした。
「これは、竹というの?」
 ざわざわとざわめく竹林を、ライアが物珍しげに見上げる。そういえば、ソーンではあまり見かけぬ植物かも知れない。小川に沿って山を下り、広いとは言えない田園の中を抜ける間も、ライアは銀の瞳をきらきらとさせて辺りを見回していた。遠くに見える岩山。たなびく雲の一つ一つ、そして空を横切る鳥たち。田の中に舞い降りる鷺の姿も、ライアの目を楽しませた。
「静かね、静四郎さん」
 飛ぶように歩くライアに、静四郎が苦笑する。
「まだ朝早いからでしょう。もうじき、田の世話に村人たちが出てきますよ。でも、あまり人目に触れない方がいいでしょう」
「やはり、目立ってしまうから?」
 ライアが自分の姿を見て首を傾げる。
「まあ、それもありますが…。知り合いも多いので、色々と面倒なのですよ」
「そういうものかしら?」
「そういうものもあるんです」
 まあ、いいけれど、と歩きだしたライアの髪が、ふわりと風に舞う。静四郎とは対照的な深紅の髪に絡んでいた笹の葉がその拍子に落ちて、収穫間近の田にひらりと落ちる。静四郎は故郷の空気を静かに深く吸い込むと、小さなため息をついた。前を歩くライアの姿は、確かにここでは目立つかも知れないけれど、それほどの問題ではない。静四郎が何より避けたいのは、他人の口から自分の帰郷が家族に知れることだった。幸い、静四郎の願いは叶い、二人は人目に触れることなく静四郎の実家までたどり着いた。
「せ、静四郎さま…?」
 突然の帰郷に驚いた門番に静四郎はすかさず、ただ友人を案内してきただけであり、実家に戻ってきたつもりはないのだと言い、自分の帰宅は家族には絶対に言うなと厳命した。普段は穏和な静四郎の厳しいまなざしに、門番は渋々うなずき、静四郎とライアは裏門から母屋を通らずそっと静四郎の部屋がある北西の対に向かった。部屋は静四郎がいた頃と変わらず整えられており、時が止まっていたかのようだった。ライアはすぐに窓辺に座り、庭を見渡した。池の端に植えられた松や紅葉のおかげで、ここからは丁度、母屋は見えない。ただ、母屋から北の対に続く廊下だけは、松の枝の向こうに見えた。
「広いのね、お屋敷。変わった作りだわ。お庭も素敵。何もかも計算されている感じがする」
 整えられた庭園を見て、ライアが感嘆の声を上げた。
「ええ。一応、貴族の末席に連なる家ですから。でも、貴族の屋敷としては小さな方ですよ。広いお屋敷になると、この屋敷すべての広さでようやく、母屋一軒分ですから」
「すごい…!まるでお城ね」
「それはそうですが…その分、庶民の暮らしは逼迫するのですから。私はこれでも十分すぎると思っていましたよ」
 静四郎が苦笑すると、ライアはそうね、とほほえんだ。静四郎は早速、ライアを自分の小さな書庫に案内した。書庫、と言っても北西の対の中にある小さな部屋で、納められているのは実家にいた頃の静四郎が集めた魔法書や図鑑、あちこちの伝説などの書物がほとんどだ。中つ国の言葉が読めぬライアのために、静四郎は求められるままにあれこれ訳して聞かせた。魔法書のほとんどは癒しの魔法で、中でも毒や呪術に対処する魔法についてはソーンよりも進んだものもあり、ライアは瞳を輝かせて聞き入っていた。
「ここまで研究が進んでいるなんて。中つ国は、魔法や医療の面ではかなり進んでいるのね」
 感心するライアに、静四郎はいえ、と首を振った。
「あまり自慢のできることではないのですよ。中つ国は、まだあちこちで小さな戦が続いているものですから」
 静四郎の言葉に、ライアが表情を曇らせる。
「解毒の方法は毒の数だけ、解呪の方法は呪いの数だけ、ということね」
「はい」
 そして、戦乱が続いた地域には必ず疫病が流行る。新たな疫病に新たな治療法。そして民の力が回復すると、為政者たちは新たな火種を見つける。そのいたちごっこが激しく繰り返された時代も、静四郎は知っている。
「皮肉なことだわ。それに、虚しくもなる」
「ええ。時々、ね」
「でも、知らなければ救えない。明かりを灯すすべがあるならば、私はどんなことでも知りたい」
 ライアが静かに言った。その通りだ。だから、静四郎も学ぶことはやめなかった。二人はその後もひとしきり書物を引っ張りだし、気づいた時にはすっかり日も高くなっていた。この国にしてはだいぶ遅い食事を二人でとり、また書庫に戻った。静四郎のこっそりと作ってくれたのであろう食事は、本来松浪家で出るそれよりもだいぶ質素であったが、ライアの目にはそれも物珍しく映ったらしく、あれこれ質問しながら楽しげに食べていた。そのせいか、食後はライアの興味は魔法からこの国の食事、文化に移り、静四郎はライアに習俗や民俗について書かれた書物を広げてやった。中には色とりどりの着物をまとった人々が描かれた絵図もあり、それを見たライアがこの国の衣服を着てみたい、と言い出した。
「着物を、ですか…」
 静四郎は少し考えてから、母の衣装があったのを思い出した。ライアには少し地味かも知れないが、丈は丁度よいだろう。
「いいですよ。少し待って下さい。一人で着替えるのは無理でしょうから、人を呼ばないと」
 以前、この北西の対屋の世話をしてくれていた下働きの女を一人、呼んだ。
「もちろん、静四郎様のお友達ですもの、喜んで」
 肌襦袢だけは自分でつけるとライアが言い、後は女に手伝ってもらった。母の衣装を身につけて現れたライアは、普段の彼女とはまた違った気品を漂わせていた。
「よくお似合いですよ」
 微笑みと共に言った言葉は世辞ではなかった。下女の見立てもよかったのだろう。重ねた衣の色合いは淡い翡翠と浅黄のコントラストでライアの深紅の髪を引き立てていたし、どうせなら、と結い上げた髪に飾った簪の銀の簪は、ライアの瞳に合わせて作られたかのようだった。これもまた、母の物だ。
「少し、動きにくいのね」
 鏡の前でくるくると回るライアに、静四郎は苦笑して、
「そういう物なのですよ。貴族の女性はあまり活発に動き回ったりしませんから」
 と言った。それからしばらくの間衣装談義が続き、気づいた時には夕餉の時間を越していた。二人でまた食事をし、その夜は静四郎の部屋を帳で仕切って眠ることにした。瑞穂国は、ソーンと同じく晩秋を迎えようとしており、しんしんと染み入る冷気が冬の気配を感じさせる。ライアはすでに寝息をたてており、静四郎もすぐに眠りに落ちた。使用人たちが整えてくれた夜具は、静四郎が以前使っていた物だった。ずっと手入れを怠らずにいてくれたのだと思うと、少し切ない気持ちになる。瑞穂国が嫌いな訳ではない。彼らを憎む訳ではない。けれど、やはり、ここに戻ってこようとは思わない。そして事は、真夜中をすぎた頃に起こった。

「静四郎さん、起きている?」
 ライアの声に、静四郎は小さく答えてそっと身を起こした。外が騒がしい。そっと外を見ると、母屋の方が心なしか明るくなっているのがわかった。素早く身支度を整えると、静四郎はそっと廊下に出て外の様子を伺った。聞こえる足音は男たちのものだ。それも皆、武装している。押し殺しているつもりだろうが、夜の静寂のおかげで声も聞こえた。彼らの言葉の端々から事態を察して、静四郎はすぐに部屋に戻った。
「逃げましょう、ライア様。あなたの素性が怪しまれているようです」
 どうやら発端は、ライアを着替えさせた下女らしい。ライアが肌襦袢に着替える際、几帳の外からちらちらと様子を伺いながら指示をしていた彼女は、偶然にもライアの背にある翼を見てしまったらしいのだ。下女はそれを兵部省に勤める兄に密告した。ここはソーンとは違う。異世界の者と知れれば、ライアにどんな危険が及ぶかわからない。
「すぐにソーンに戻らなければ…」
「戻るのは、あの場所からでないとだめなのよね」
 ライアが言う。だがすでに部屋は屋敷の者たちに囲まれていた。これをやり過ごして逃げる戦闘力は、ライアにも静四郎にもない。
「仕方ないですね。ライア様、手を」
 静四郎の意図を察したライアがうなずいて手を差し出す。その手を取ると静四郎は意識を集中させ、空間を跳んだ。朝、ライアと共に降りたあの竹林へ…!転移先を知っている場合、静四郎の空間跳躍の成功率は9割まであがる。だが、10割ではない。賭だった。失敗すればもう策はなかったが、静四郎はその賭に勝ったことを木枯らしの中でざわざわと音を立てて揺れる笹の音で知った。この場所だ。そして自らの魔法で空間の歪みを探知したライアが叫ぶ。
「こっちよ、静四郎さん!」
 今度はライアが手を引き、二人は空間の歪みに飛び込んだ。

 ひんやりとした風で、我に返った。だいぶ高くなった日に、湖面がきらきらと輝いている。一歩足を踏み出そうとして、丸い物体に躓いた。
「魔法の…姿見」
 かがんで拾いあげたのは、ライアだった。
「戻れた、ようですね」
 その手から姿見を受け取って、静四郎はようやく安堵の息をついた。
「何だか大変な目に合わせてしまって…すみませんでした」
 心から言うと、ライアが笑って首を振る。
「私が望んだ事ですもの。お礼を言うのも謝るのも私だわ。さあ、そろそろ戻りましょう。時間はよくわからないけど」
 と、ぐっと伸びをして空を見る。日は丁度南中しているように見えた。
「たぶん、お昼には間に合うでしょう。どこかでランチでもごちそうするわ」
 歩きだしたライアの後に続きながら、静四郎は一回だけ、後ろを振り返った。もちろんそこに見えたのは、静かな湖面と森だけだったけれど。

<終わり>