<水無月・祝福のドリームノベル >
水無月の華 〜フィール・シャンブロー〜
シトシトと落ちる雨。
鬱陶しいばかりのこの季節、けれどそれ以上に心を覆うのは晴れやかな気持ち。
――6月に結婚した花嫁は幸せになれる。
女性なら誰もが憧れる夢のシチュエーション。
叶わないとしても、叶ったとしても、憧れるくらいなら良いですよね……?
貴女と、君と……
――水無月の華の祝福を……。
* * *
「ふぇ、ええええええ!?」
突如響き渡った叫び声に、フィール・シャンブローは思案気に眉を寄せ、手にしている書物に目を落とした。
「おかしいわね……失敗かしら……」
呟き、いま一度本に目を落す。
フィールが試したのは、彼女に今一番必要なものを出す魔法だ。
雨が降った日、干し蛙と干しイモリを供物に、魔法陣を敷く。
そうして必要な呪具を置いて呪文をと堪えれば、魔法は成功する筈だった。
「あってるわね……何が――」
言ってあげられた緑の瞳が、窓の外を捉える。
そこに見えたのは、すっかり雨が上がって晴れ間がのぞく空だ。
「……なるほど、失敗の原因はこれね」
フィールは僅かに息を吐くと、魔法陣の上で目を白黒させている少女に目を向けた。
緑の髪をした幼い印象を受ける少女は、ここが何処かわからずうろたえている様だ。
きっと、何かをしている途中で無理矢理召喚されたのだろう。
フィールはやれやれと言った様子で足を進めると、彼女の前で膝を折った。
「……あなた、名前は?」
緩やかに傾げた首。それに合わせてフィールの銀の髪が肩から滑り落ちる。
それを目にした後、少女の目がフィールの顔を捉える――と、その目が大きく見開かれた。
「フィール様……?」
「‥‥‥あなた、私に覚えがあるの……?」
不思議なこともあったものだ。
フィールはこの少女と会ったことがない。もし会ったことがあれば忘れることはないだろう。
フィールはそこまで自らの記憶が薄いとは思っていないし、実際に薄くないのだ。
「別の世界にも、私がいるのかしらね……」
そう考えるしかないだろう。
フィールは本を閉じると少女の姿を、頭の先から爪の先まで眺めた。
なんというか顔は悪くないのだが、服装がイマイチだ。
何処かの事務服なのだろうか。可愛い容姿を隠す地味な服装に瞳が眇められる。
「……まあ、いいわ。それで、あなたの名前は?」
「あ、はい……コンビ・ニーアです。あの、フィール様は、フィール様ではないのですか?」
「確かに私はフィールね……でも、あなたに覚えはないわ」
フィールはそう言って立ち上がると、コンビに向かって手を差し伸べた。
「来てしまったものは仕方がないわ。それに来たと言うことは、それなりの職でしょうし……コンビ……だったかしら?」
「あ、はい」
「あなた、何のお仕事してるのかしら?」
「えっと……アクロポリスの観光案内所で、案内人として働いてますが……」
「観光案内……ある意味、適任なのかしら」
フィールが今欲しいのは、彼女の手伝いをしてくれるモノだ。
本来は人ではなく別のモノを呼んでコキ使おうと考えていたのだが、まあ、人でも問題はないだろう。
フィールは取られた手を握り返すと彼女を立たせて歩き出した。
その様子にコンビの目が瞬かれる。
「あ、あの……フィール様、あの、何処へ……?」
いきなり知らない場所に連れてこられ、今またどこか知らない場所に連れて行かれそうになっている。
コンビの不安が最高潮なのは納得できる。
だがフィールには時間が無いのだ。
「これから、ブライダルモデルの仕事をするの……あなた、やりなさい」
「ああ、ブライダルモデルですか……――え」
コンビの顔がピシッと固まった。
そして次の瞬間――
「ふええええええ! む、無理です!!! ぶ、ブラ、ブラ、ブライダル、モデル……ッ」
「ぶらぶら言わないでちょうだい」
しれっと呟き歩き進めるフィールの手が、家の戸を開いた。
そこから見える空は清々しい程に澄んでいる。
フィールはそれに負けないくらい清々しい笑顔を顔に浮かべると、コンビを振り返った。
「モデル、しましょうね?」
「ふぃああああ!!!」
こうして半ば引き摺られる勢いで連れ出されたコンビ。
フィールは異世界から召喚された彼女を連れ、目的地である教会に足を運んだのだった。
* * *
美しいステンドグラスが注ぎ込む色鮮やかな光。
それを一身に受けマリア像への道を作り出すヴァージンロードは、乙女たちの聖域だ。
撮影はこの聖域ともいえる教会で行われる。
撮影用に持ち込まれたウェディングドレスの数は相当なもの。
目の前でそれらを眺めるだけでも威圧されるのに、これからこれを着るとなると更に気持ちが押されてしまう。
コンビは圧倒的な量のドレスを前に、ただ茫然と立ち尽くしていた。
そして彼女とは対照的に、平然とした様子で説明を受けるのがフィールだ。
彼女は依頼主とカメラマンの話に耳を傾け、どういった行動を取るべきなのか入念に聞いている。
「内容は把握したわ……あとは、この子がドレスを着るから――って、ちょっと……」
言って、コンビを見た彼女の眉が寄る。
何か言いたげにこちらを見る瞳。それがうるうると潤み始めて、今にも涙を零しそうだ。
それに加えて、なんだか先程からぷるぷる震えているだろうか。
例えるならこの光景……捨てられる直前の子犬のようだ。
「……あなた、なんて顔してるのよ……」
思わず額に手を添えて呟く。
流石にこの顔を見ていると、自分が申し訳ないことをしている気分になってくる。
だからこそ目を逸らしたのだが、どうしたことだろう。
いつの間にか接近していたコンビが、逸らした目を覗き込んできた。
これにフィールの口元が引き攣る。
「……フィール様」
「な、なによ……」
「フィール様も、やりますよね……?」
「……は?」
「やりますよ、ね……っ!」
ぎゅっと握られた手。
幼い見た目に反して異様に力強いその手に、フィールの喉がゴクリと鳴る。
そうだ、彼女は異世界から呼んだのだった。
つまりコンビにはフィールが知らない能力が隠されている可能性がある。
「ブライダルモデル、やりますよねっ、ねっ!」
頭を駆け巡るいろいろな事象。
その中で浮かぶ解決策はただ1つしかない。
「……わ、わかったわよ……やれば、良いんでしょ、やれば……」
そもそもこの少女、妙な威圧感というか、迫力がある。
まあそれもその筈。
コンビは齢1000歳を越える龍神族の1人。実際の姿は龍なのだ。
だがフィールはそんな事など知らない。
ただ彼女の直感が言っている。
逆らってはいけない――と。
こうしてフィールはコンビの迫力に押され、反射的に頷きを返したのだった。
そして――
シャッターが次々と押され、それに対するシャッター音が教会の中に響き渡る。
フィールはそれらの音を聞きながら、自らが着込んだウェディングドレスを見下ろしていた。
「モデルとはいえ、私がウェディングドレスなんて着ることになるとは思いもしなかったわ」
溜息交じりに呟いた彼女が着るのは、胸元をライトストーンで飾った白いAラインのドレスだ。
シンプルな作りのドレスを華やかに、そして豪華に見せる様にライトストーンが散りばめられている。
シャッターが押されるたびに輝く石は、星のようだ。
対するコンビも同じく白のAラインドレスを着ているのだが、その動きがどうにもぎこちない。
「ふぃ、ふぃふぃふぃふぃ……ふぃーるさまぁ……」
「顔、怖いわよ……」
振り返った先にあったなんとも情けない顔。
それを見て思わずツッコんだ彼女に、コンビの目が泣きそうに潤んでくる。
ドレスを着る前から必要以上に緊張していた彼女は、カメラの前に立つとその緊張を最高潮にさせた。
だからだろうか、今では氷水を浴びたかのように全身を硬直させている。
その表情は笑顔とは程遠く、見ている怖いくらいに硬い。
「……これじゃ、仕事にならないわね」
依頼はブライダルモデルを成功させること。
それには幸せそうや、楽しそうに笑う必要がある。
「仕方ないわね……」
彼女はそう呟くと、向かい合ったコンビに手を伸ばした。
「!」
ふにっと摘ままれた鼻に、コンビの目が瞬かれる。
「ウェディングドレスって、女の子の憧れじゃないの?」
「ふぇ?」
顔を近づけて問いかける。
コンビが気にしそうなこと、彼女が笑顔になりそうなこと、それを想像しながら言葉を紡ぐ。
「モデルでも、着れたら嬉しい……とかは、考えないのかしら?」
これはあくまで一般論。
世の中の女性の憧れであるはずのウェディングドレス。それをどんな条件下であれ着ることが出来るのは嬉しいことではないのだろうか。
そう問いかけるフィールに、コンビの目が瞬かれた。
「楽しみなさい……連れてきた私が言うのもなんだけど、こんなチャンス滅多にないわよ」
生きている内で、何度こういったチャンスがあるだろう。
既に100歳を越える彼女でさえ、こうしてウェディングドレスを着るのは初めてなのだ。
ならば、そう簡単に転がっているものでも無いはず。
「そ、そう、ですよね……」
言葉に視線を落とした彼女を見て、フィールの手が揺れた。
今の今まで持っていたブーケ。それをコンビに向かって放ったのだ。
これには彼女も慌てたように顔を上げて手を伸ばす。
「ふぃ、フィール様、なんてことを――っ!」
ブーケをキャッチし、それを胸に叫ぼうとした彼女の目が見開かれた。
ステンドグラスの光を浴びて首を傾げる人。
その人が浮かべる微かな笑みに、コンビの頬が少しだけ赤く染まった。
「ブーケトス……どう?」
くすりと笑って問いかける。
確か、結婚式ではブーケを放ち、それを受け取った人が次の花嫁になるという話があったはず。
それを試してみたと口にするフィールに、コンビは思わず笑い声を零した。
「ブーケトスは、結婚式の後でするものですよ。誓いを終えた花嫁さんが放つんです」
「あら、そうなの?」
そうです。と笑顔で頷くコンビに、しれっとして肩を竦める。
そんな事などは知っている。
知っているが、こうした茶番が笑顔を生むなら悪くない。
フィールは笑顔になったコンビの頭を撫でると、ドレスの裾を摘まんで歩き出した。
「さあ、折角だもの。どんどん着るわよ」
「あ、はい!」
この返事以降、コンビには笑顔が戻った。
次々と写真に納められるドレス姿。
黒のマーメイドドレスに身を包んだフィールと、対になる赤のデザインのドレスを着込んだコンビ。
髪に飾った花は、互いの色を交換したもので、手には小さなブーケを持っている。
ドレスの裾には花が散りばめられており、一見シンプルなのに華やかさが残るのは流石といったところだろうか。
そしてその次に着たのが、プリンスセルドレスだ。
正直、ひらひらふりふりとした服は似合わない。そう考えていたのだが、コンビが半ば無理矢理着せた。
そのコンビが着るのは、淡いグリーンの可愛らしいプリンセスドレス。
ふわふわひらひらと歩く度に広がる裾と、散りばめられたリボンが可愛らしいドレスだ。
対するフィールはロイヤルブルーのプリンセスドレスを着ている。
ウエスト部分に巻かれた黒のリボンが目を引く、上品な雰囲気のドレスは彼女に良く似合っていた。
「フィール様、よくお似合いです!」
フィールはスタイルが良い。
だかただろうか、どんなドレスも綺麗に着こなしてしまう。
それがコンビには羨ましいのだろう。
だがフィールからすれば、それは同じ想いだった。
「その言葉、そのまま返すわ」
幼い容姿にふりふりのドレス。
これを着てコンビが似合わないはずはない。そう思っていたが、実際に着ているのを見て確信した。
「似合ってるわよ、そのドレス」
「!!!」
直に言われた褒め言葉に、コンビの顔が一気に赤くなると、フィールは笑顔を零してカメラの中にその身を納めたのだった。
◆ ◇ ◆
全ての撮影が終了し、報酬を受け取る頃。
コンビは名残惜しげにウェディングドレスたちを見ていた。
「そろそろ行くわよ」
お土産に貰ったブーケを差し出しながら声を掛ける。
これにコンビの目が向いた。
「もう、行くのですか?」
来た時とはまるで違う、名残惜しげな視線に、思わず笑みが零れる。
それでもそろそろ行かなければいけないのは確かだ。
「あなたを帰す方法、考えないといけないでしょ。失敗を戻すのは結構大変なのよ」
言って、頭の中にある情報を振り返る。
どんな状態にせよ、呼びだしたからには帰す方法があるはず。
それを探し出して戻してあげるのはフィールの仕事だ。
「まあいいわ。折角だもの、夕飯くらいは一緒に食べましょう……料理、できるでしょ?」
言って、報酬の入った封筒をヒラつかせる。
もう少しだけ、この奇妙な少女と一緒にいるのも良いのかもしれない。
フィールは目を輝かせて駆け寄ってくるコンビを見ると、彼女に封筒を差し出した。
「は、はい! 腕によりをかけて作らせて頂きます!!」
コンビはそう言って封筒を受け取ると、言葉に違わぬ料理を披露してくれた。
そしてお互いに楽しい夜を過ごした翌日――
目を覚ましたフィールは、銀の綺麗な髪をかき上げると、部屋の中を見回した。
「……帰ったのね」
ガランとした室内。
昨夜までの名残は全て消えている。
きっと、フィールが寝付いた後、コンビが片付けたのだろう。
「戻す方法を考える必要はなかったわね……まあ、良いけど――ん?」
もうひと眠りしよう。
そう思いベッドに倒れた時だ。
テーブルの上に置かれたブーケに気付いた。
確か、撮影が終わった後に持たされたそれは、コンビが大事そうに抱えていたはず。
「とんだマヌケね……持って行けば良かったのに」
彼女はそう呟くと、ブーケを見詰めふと笑みを零したのだった。
―――END...
登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 聖獣界ソーン / 3783 / フィール・シャンブロー / 女 / 20歳(実年齢120歳) / 異界職 】
登場NPC
【 マギラギ / コンビ・ニーア / 女 / 1025歳 / 平行世界アトラス 観光案内人 】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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こんにちは、朝臣あむです。
このたびは『水無月・祝福のドリームノベル』のご発注、有難うございました。
かなり自由に動かさせて頂きましたので、イメージと違ったり、フィールさんはこんなこと言わない。
とかありましたら、遠慮なく仰ってください。
この度は、ご発注ありがとうございました!
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