<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
〜ほどけた過去の糸〜
松浪静四郎(まつなみ・せいしろう)は、一度口を開いて、ためらうようにまた閉じた。
義弟の松浪心語(まつなみ・しんご)のまっすぐな目を見ていたら、何から話せばいいのかわからなくなってしまったのである。
本当は、すべて正直に話してしまうのが一番良い。
だが、それでは確実に心語は傷つくだろう。
いや、傷つくだけならまだましなほうだ。
下手をすれば、この先、心語と彼が大事にしているもうひとりの義兄の関係に、修復しがたい亀裂が入ってしまう。
静四郎としては、それだけはどうしても避けたかった。
「長いお話になります。何か飲み物を買って来ましょうか」
一呼吸入れるために、静四郎はあえて席を立った。
冷静さが必要なのは自分の方だ。
どれを話し、どれを心の奥に秘するか、もう少し考える時間がほしかった。
「そうだな…」
心語は静四郎の申し出を否定しなかった。
その提案はもっともだと思ったのかもしれない。
ベンチから程近い茶屋で、静四郎は甘みのない花茶を、心語は氷がたくさん入った冷たい果汁を買った。
そこへ行くまでも、そこから元のベンチに戻って来るまでも、ふたりは言葉を交わさなかった。
一口、ふた口、水分を取ったところで、静四郎は自分から話を切り出した。
準備は、整ったのだ。
「心語、それではわたくしの話を聞いてくださいますか?」
心を落ち着かせ、静四郎はことさらゆっくりと、言葉を紡いだ。
真剣に、深く深く心語はうなずく。
言葉よりもよほど明瞭に、彼の瞳は「俺を信用しろ」と言っていた。
静四郎は話し出した――ルクエンドであった、「彼」との一件を。
言葉を選び、要所を見極めて、ただ自分がルクエンドで見聞きした事実のみを延々となぞる。
そこにあった感情や激情のやり取りは、きれいに省いた。
だが、心語は気付いていた。
淡々と話す静四郎の言葉の影に、不安やおびえが隠れていたことに。
いつもならそういう人の心の機微には疎いのだが、今までの経緯が心語に教えてくれていた。
(何が…あった…?)
そうは思うものの、問うてはいけない雰囲気がその場には流れている。
静四郎は、その不安やおびえの正体をあえて自分に隠したいのだ。
何事にも誠実に対応しようとする義兄だから、故意にそんなことをするだけの理由がそこには存在するのだろう。
人の心や表情を読むのが苦手な自分には、その理由が何なのかは皆目見当もつかないが、今聞いていいことでないのはわかる。
今は静四郎が話してくれることだけに、集中しなくてはならない。
心語は心の中でその件については目をつぶり、耳から入って来る静四郎の言葉をしっかりと受け取った。
一刻ほど経った頃、静四郎の長い話は終わりを告げた。
ずっと話し通しだったからか、少々かすれた声になっていた静四郎は、ぬるくなってしまった花茶で口の中を湿らせる。
改めて今までこの話をしなかったことを謝ろうと顔を上げた時、穏やかな、どこか安心したような表情の心語が自分をいたわるように見つめ返していることに気がついた。
「よく…話して…くれたな…」
静四郎は目を見開いた。
なじられこそすれ、まさかねぎらわれるとは思ってもみなかったのだ。
しかも心語はさらに驚くような台詞を口にした。
「種族間の問題は…時間を…かけるしかない…いっしょに…解決していこう。…俺はいつでも…兄上を…信じている…これからも…変わりなく…弟でいさせてほしい…」
「心語…」
静四郎はそれ以上続けることができなかった。
温かい心語の言葉に、隠し事をしているという罪悪感が痛みとなって胸を刺した。
つい、言ってしまった方がいいのだろうかと、一瞬考える。
すぐにその考えに首を振り、静四郎は心語を見つめた。
このことは、ずっと考えていたではないか。
心語に、話すべきではないと。
時間をかけて出した答えだ、まちがいはないはずだ。
ひとり葛藤を続ける静四郎を前に、心語は黙ってしまった義兄の胸の内を思い、自分から話を始めた。
「俺が…松浪家から…出て行ったのはな…」
ぽつりと空間に流れ出た重大な話の始まりに、静四郎は急に意識を現実世界へと戻された。
それは静四郎が一番知りたかったことだった。
このソーンにやって来て心語に会い、再会を喜んでともに暮らし続けて来た今でも、心語が消えてしまった理由は話してもらえていなかった。
そこには心語なりに話せない理由があり、いつか時期が来たらきっと話してもらえるだろうと、静四郎は楽観視していた。
なぜなら、再会した心語は、多少世間にもまれて鋭い視線を放つようになった以外は、相変わらずの身長と――無論、そう思っていることは、本人には秘密にしている――感情表現のほとんどない表情で、そこに立っていたからだった。
要するに、彼は何も変わっていなかったのだ、あの当時と。
だから別れた理由など、今すぐに聞かなくても全然困らなかったのだ。
しかしどうやら、その「時期」がやって来たようだ。
静四郎は自然と居住まいを正した。
それを見て、心語はもう一度、先ほどの台詞をくり返した。
「俺が…松浪家から…出て行ったのは…兄上の心に…報いるためだった…」
「わたくしの、心…?」
「兄上は…周りの人間たちから…どう思われようと…俺を…『戦飼族』の俺を…かばってくれた…俺は…『人』として…扱われたことは…それまで…一度もなかった…なのに兄上はずっと…俺を兄上と同じ…『人』として扱ってくれた…そんな兄上が…大事な家族や友人や…使用人にまで…蔑まれ…馬鹿にされるのを…俺は…見ていられなかった…」
心語の表情は変わらなかった。
つらそうな色も、悲しそうな気配も、そんなものは何ひとつなかった。
心語はそれらを、既に乗り越えてしまったのだろうか。
それとも、これ以上自分が傷つかないように、心の奥底にしまい込んでいるのだろうか。
静四郎の目が、心配そうに細められた。
「…俺が屋敷に入り込んだ賊を倒した晩…兄上は初めて俺を詰った…憎んでくれれば…出て行く口実ができる…周囲は…常々俺が何か厄介を起こすと…言っていた…好機と思った…俺がいなくなれば…兄上も白眼視されずに済む…」
「そんなことは…!」
心語は大きく首を振った。
それを見て、静四郎は言葉を飲み込む。
「もう二度と…兄上に会えなくなるのだけが…つらかった…それでも…俺は…出て行かなければと…だが…」
いったん言葉を途切れさせ、心語は静四郎をじっと見た。
それから、口元に軽い苦笑をにじませると、こう言った。
「まさか兄上が…俺を追って…家を捨てるとは…思ってもみなかった…」
静四郎は、その言葉の語尾に、大きな大きな喜びがひそんでいるのを感じ取った。
心語が賊を斬った時も、周囲が思ったように「やはりあの子は…」などとは微塵も思わなかった。
何か理由があるはずだと、自分はずっと思っていたのだ。
その原因が自分にあったことを、静四郎は今知った。
後悔の念が、自分の心の中にうずまく。
なぜもっと早く気付いてやれなかったのだろう。
そうすれば何年も失わずに、済んだだろうに。
静四郎は心語の手を取った。
ぎゅっとにぎり、いろいろな思いを込めて、言葉に変える。
「心語…頼りないわたくしですが…これからもどうか、兄と呼んでもらえますか?」
心語は迷いなくうなずいた。
力強い肯定だった。
(兄上は…もう大丈夫だ…)
何かを振り切った清々しさが、静四郎の表情にはあった。
まだ聞きたいことは残っているが、今日のところはこれで十分だと心語は思った。
「そろそろ…最終の馬車が出るな…聖都に…戻ろう」
立ち上がり、心語はためらいがちに自分から右手を差し出した。
子供だと思われはしないかと一瞬迷った末の行動だった。
だが静四郎はにっこり笑って、心語の右手を取った。
「では、帰りましょうか」
ふたりは手をつないだまま、宵闇に染まる大通りを歩いて行く。
聖都に戻る頃にはきっと、ふたりの間は元通りになっているはずだ。
それを信じて疑わず、彼らはハルフ村を後にした。
〜END〜
〜ライターより〜
いつもご依頼ありがとうございます!
ライターの藤沢麗です。
このおふたりは本当に固い絆で結ばれていますね…。
難しい問題にも真正面から向き合う強さが、
おふたりともにあると思います!
それではまた未来のお話をつづる機会がありましたら、
とても光栄です!
このたびはご依頼、本当にありがとうございました!
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