<東京怪談ノベル(シングル)>


風の行く先


 風が、新たな旅の始まりを告げようとしていた。

「とうとう行っちゃうのか、シノン。……寂しくなるな」
 少年の言葉に、さらに幼い少女が行かないでとせがむようにぎゅっとシノンにしがみつく。
 よく晴れた空の下。村の中心にある広場で、シノンは幼い子供達に囲まれていた。
 かつて過ごした風景に似た別の風景の中で、しがみついてきた少女の頭を優しくなでてやりながら、シノンは小さくごめんねと笑う。
「シノンは風の子だものね。一つのところに留まらないで、色々な世界を巡るんだわ」
「そんなこと言ってるけど、お前が一番寂しいんだろ?」
 すました顔で呟く別の少女に、また別の少年が突っ込んではたかれたりもしている。
 シノンはそんな子供達を穏やかな眼差しで見つめながら、そっと口を開いた。
「ねえ、みんな。……あたしからの、最後のお願い。聞いてくれる?」
「……お願い? もちろん、いいわよ!」
「俺らで聞けることならな! 他でもないシノンの頼みとあれば、聞かないわけにもいかねえ」
 笑いながら二つ返事で頷く子供達にシノンは嬉しげに目を細めると、深く息を吸い込み、意を決したように続けた。
「……みんなにも、それぞれの『風』を……『想い』を、この世界のどこかにいる、知らない誰かに届けてほしいんだ」





 シノンが聖都エルザードを後にしてから、およそ一年が過ぎた。
 あの時短かった髪は今や背中の中ほどまで伸び、その身に纏う雰囲気も、かつての彼女を知る者からすれば、どことなく大人びた、落ち着いた気配を帯びていることが伝わるだろう。
 シノンは、これまでに様々な場所を渡り歩いてきた。
 その多くは街道沿いに点々と存在する小さな町や村であったが、地方の村は医者や神官が存在しないところがほとんどであるということを知ってからは、進んでそのような場所へ足を運び、簡単な治療や診察などを行うようにもなっていた。
 聖都から遠く離れた辺境では旅人の存在自体が珍しいと言っても過言ではなく、必ずしもすべての場所で好意的に迎えられたわけではなかったが、シノンはその持ち前の明るさで人々の間に溶け込むのも早く、いずれの場所でも、そこを後にする頃にはたくさんの感謝の言葉と笑顔で見送られることとなった。
 そんな風にして各所を巡るうちに、シノンには、神官として目指すべき道が少しずつ見えてくるようになった。

 自分の『風』は、誰かを笑顔にするためのもの。
 自分にできるのは、誰かに『風』を渡し、届けること。

 では、神官としての自分は。
 両親や司祭様、義兄や孤児院の子供達――大切な人達が皆、笑顔で自分を送り出してくれたように。
 今はまだ、見送られるだけではあるけれど、いつかは自分も、笑顔でたくさんの人々を送り出せるようになりたい。
 そして、いつかは自分と同じような『風』を抱いた風の子達を、一人でも多く、世界へと送り出せるようになりたい。
 そうすれば、どれほど時間をかけても一人では回りきれない、風を渡しきれないこの広い世界で、より多くの子供達が、知らない誰かに自分の風を、笑顔を、きっと渡してくれる。
 きっと、知らない誰かを笑顔にしてあげられる。

 例えるならば、小さな風達を導く、大きな風。
 どこへ向かうともわからない風達の手を取って送り出す、ささやかな道標の一つ。
 そんな神官になりたいと、いつしかシノンは思うようになっていた。
 考えるだけで、とても遠い、途方もないことのような気もするけれど。
 ――けれど、それはこの旅を続けていく中でシノンの胸の奥に確かに芽吹いた、願いと決意だった。





「……俺達の『風』を、誰かに届ける?」
 不思議そうに首を傾げる子供達に、シノンはゆっくりと頷いてみせた。
「そう。……今こうして、みんながあたしの側で笑ってくれているようにさ。みんなにも、大切な人や知らない……これから出会うことになる誰かを笑顔にしてあげられるような、そんな大人になってほしいなって、思うんだ」
 穏やかに言葉を紡ぐシノンを見てから、子供達は互いに顔を見合わせる。
 そして、わかったと言わんばかりに、少女の一人が手を挙げた。
「わたし、シノンみたいなすてきな大人になりたいわ!」
「俺も! シノンみたく笑うのは得意だし、それに、風になるって、なんだかかっこよさそうだしな」
 他の子供達も、それに続く。
「いつかシノンが住んでいたっていう、エルザードにも行ってみたいな。……シノンみたいな風になれたら、どんなに遠くても飛んで行けるわよね?」
 子供達の晴れやかな笑顔に、シノンはもう一度、大きくゆっくりと頷いた。

 ――大丈夫。ちゃんと風を渡すことができた。
 ならば自分は、新たな場所に風を届けに行こう。

「よし。それじゃあ……そろそろ行くね。村長さん達にも、挨拶してこなくちゃ」
「……ねえ、シノン」
 少女が、立ち上がったシノンを真っ直ぐに見上げて、そっと首を傾げた。
「また、会える?」
 これが最後の別れになるかもしれない――声色に混ざる微かな不安を、シノンは敏感に感じ取る。
「もちろん、会えるよ。だって、ほら……」
 シノンは何の迷いもなく答えてから少し考えて、そうしてほんの少しばかり照れくさそうに、続けた。
「――風は、巡るものだからね」
 それが、約束。

 これからもたくさんの風を、まだ見ぬ誰かに届けたい。
 こうして誰かに託した風が、別の誰かの手に渡り――そうしてどこまでも風が渡り、伝えられてゆくのなら、きっと、これ以上のことはないだろう。
 だから自分は、まだまだ足を止めるわけにはいかない。
 ここからまた別の場所へと、新たな風を届けに行かなければならない。
 今までそうしてきたように、これからもそんな旅がしばらくは続くのだろうとシノンは思う。
 そして、シノンは世界を吹く風に背中を押され、歩き出す。
 まだ見ぬ世界、まだ見ぬ誰かの元へ、己の風を届けるために。
 そう、自分は『風』なのだから。

 晴れた空の下を吹く風は、どこへ向かうともわからない。
 その先に、何が待っているかもわからない。
 けれども一つだけ、シノンは知っている。

 ――風の行く先には、未来があるのだということを。



Fin.