<東京怪談ノベル(シングル)>


勇者様ご乱心

 それはエルファリアが昼間に見つけたらしい本だった。
「ねぇ、これ面白そうじゃない?」
 屈託ない笑顔でそう擦り寄ってくるエルファリア。
 ふぅんと唸って覗き込むレピアの目に映ったのはよくある英雄譚だった。
「これって、勇者様がお姫様を助け出すような内容なんでしょ? 今更珍しくもないわ」
 レピアが何百年と見聞きしてきた中で、そういうお話は幾つもあった。
 吟遊詩人の歌うサガであったり、子供を魅了する大人たちの口伝だったり、それこそ本にされたモノもあった。
 この本だって、別段変わったところなどなさそうだ。
 しかし、エルファリアは『ふふふ』と笑ってもう一つ付け足す。
「実はこの本ね、魔本って呼ばれる代物で、物語の内容を自身が体験する事が出来るんですって!」
 魔本。
 その名の通り、魔力を有した本である。
 その能力は様々であり、エンチャントされている魔法如何によってはかなり危険なものもある。
「え、エルファリア! そういう本は気をつけて取り扱いなさいよ!?」
「大丈夫よ。一応鑑定書もついているし、それほど有害な魔法はついていないみたい」
 エルファリアの取り出した鑑定書類によると、確かに信用できる鑑定元だ。
 だとすれば本当に危険はないだろうか。
「……で、その本を私と読んでみたい、と」
「面白そうでしょ?」
 この本を一緒に読む、と言う事は、一緒にその本の中に出てくる登場人物を演じると言う事。
 本に登場する主な人物は救国の勇者、囚われの姫、そして諸悪の根源の魔王と言ったところか。
 この中で誰がどの役に当てられるのか……。
「まぁ、すぐに戻って来れそうならいいかな」
「やった、じゃあすぐに準備するわね」
 そう言ってエルファリアは本についていた鍵を開けた。

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 そこは既に、崩れかけた城だった。
 時刻はどうやら夜。濛々と登る煙の切れ間から、月が見えた。
 そんな中、レピアはひらひらしたドレスを着て、
「……ん、あれ?」
 大きな腕に捕らえられていた。
 周りを良く見ると、レピアを捕らえているのは、どうやら毛むくじゃらの怪物。
 そして、それと対峙しているのはエルファリア。
 白い鎧、輝く剣を携えた、それはもう立派な勇者だった。
「魔王め! レピアを放しなさい!」
 勇敢なエルファリアは剣を構えて毛むくじゃらの怪物、魔王に叫ぶ。
『ぐっふっふ、無能な勇者め。姫は貰っていくぞ!』
「くっ! 卑劣な! 姫を人質にするなんて!」
「いやいや、ちょっと待って」
 シリアスなシーンの所に割って、レピアの冷めた声が響く。
「普通エルファリアがお姫様役でしょ!? って言うか、そもそも姫様なんだから、適役この上ないでしょ!?」
「え? でも、こういう配役になってしまったし。レピアの場合、夜しか動けないんだから、魔王討伐の旅とかには色々不便でしょう?」
「そういう問題!? そこはホラ、お話の中なんだし、融通利かせるとかないわけ!?」
「リアリティ重視なのよ、きっと」
「余計なリアリティ!」
 だが、どんなに喚いても、決まってしまった配役の変更はないようで、レピアとエルファリアの立ち位置が変わったりはしなかった。
 それが確認できたところで、魔王は仕切りなおすように羽を広げる。
『ではな、勇者よ。姫を返して欲しくば我が城まで来るが良い!』
「ま、待ちなさい、魔王!」
 魔王はエルファリアが剣を閃かせる前に羽ばたき、そのまま空へと飛び上がる。
「レピアー!!」
 瞬く間に高度は上昇し、エルファリアは遥か眼下に消え、麦粒のようになった。
「もぅ、折角私がエルファリアを助けられると思ったのに」
 配役にまだ納得がいかないらしいレピアは、そんな風に呟いた。

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 成す術もなくつれて来られた魔王の城。
 いかにもと言う趣の、トゲトゲした、真っ黒の城だった。
 その玉座の間に、レピアは降ろされる。
『さて、姫よ』
「……何よ」
 魔王の声音からするに、ヤツは男性……と言うかオスなのだろう。
 そういう所に、無意識的に嫌悪感を覚え、レピアは睨むように見かえす。
『お前はどうやら、特殊な呪いにかかっておるな?』
「へぇ、お話の中とは言え、流石は魔本の作り出した魔王ってところかしら」
 魔王はレピアにかかっている特殊な呪い、石化の神罰<ギアス>を看破した。
 伊達に魔王を名乗ってはいない、ということだろう。
『なるほど、特殊呪術の影響か……魔本の魔力に乱れが出ておるな。我が力もそれほど制限されてはおらんようだな』
「どういうこと? 何を言ってるの?」
 雲行きがだんだんと怪しくなる。
 魔王の目には怪しげな光が揺らめき、それが嫌な予感を煽った。
『お前は知らんかもな。我はその昔、とある国を襲った強大な魔法使いをモデルに作られておる』
「お話のモデルになった英雄譚って事?」
 巷に出回っている物語とは、その元となるお話と言うのがあるものだ。
 例えば、山に巣食う猛獣を狩った話が、勇敢な戦士がドラゴンを倒した話になるように。
 例えば、実際の戦争で活躍した一兵士のお話が、救国の英雄の話に仕立て上げられるように。
 この魔本に書かれている話も、どうやらその類らしい。
「貴方は何者なの?」
『ククッ、この芝居の中では魔王だよ。しかし、本の中に他者の意識が存在している限りは、我にとってここは現実と相違ない』
「まさか……私たちをここに閉じ込めるつもり!? そんな事、出来るわけが……!」
『お前の呪いのお陰で、魔本に異常が出ているらしいからな。我が力もいつもの何倍も増している。その様な事は造作もない』
 魔王の溢れる自信が、レピアの嫌な予感を最高潮にさせた。
 本当に、魔王は強力な魔力を有しているのだろう。
 レピアもシャーマンの端くれであった。それなりに魔力を感じる事はできる。
 魔王から溢れる魔力が、威圧感となってレピアを襲う。
「さ、させないわ! 私がどうなろうと、エルファリアだけは助けてみせる!」
『出来るかな? お前は気付いていないようだが、その足、既に石化が始まっておるぞ?』
「なっ!?」
 驚いて確認すると、確かにレピアの足は硬く、石化を始めていた。
「そんなっ! まだ日の出までは時間があるはず!」
『ふははは! 少し呪いを弄くらせてもらったぞ! お前は既に、昼夜を問わず、石の体になるッ!』
「なんてこと……!」
 そうこうしている間にも石化は進み、膝、腰、胸、肩、首とドンドン石化していく。
「いや……もう、戻れないなんて……ッ! エルファリア……ッ!!」
 レピアの叫びも虚しく、頭のてっぺんまで石化が完了してしまった。
『ふははははは! 愉快かな! これで我が計画も第一歩というわけか! 愉快かな!!』
 魔王の笑い声が木霊した。

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 その後、見せしめとして魔王の城の門に飾られる事となったレピア。
 彼女の横を通る魔物たちは、エルファリアを倒すために、間断なく出撃していく。
 どうやら魔王がかけた石化の呪いは、レピアの意識を奪うほどの物でもなかったらしい。
 昼はいつも通り、意識も記憶も飛んでいるが、夜の間は辺りの様子を窺う事もできる。
 石のまま動けない、と言うのはこれほどまでに辛い物か。
 意識も記憶も飛ぶ昼の間も辛いが、身動きが一切取れずに辺りを眺めているしかない夜も、それはそれで辛い。
(ああ、このまま私もエルファリアも、この魔本に囚われたままになってしまうのだろうか?)
 ため息を零そうとしても、口は動かず、肺も空気を送り出しもしない。
 石のまま、レピアは門の飾りとして、数年そこに居続けたのだった。

 そしてある日。
 門から見える丘の上に、月に照らされて白く輝く鎧を見る。
 どこかで見た事のあるその鎧姿は、勇者の姿だった。
(エルファリア!)
 気が付くと同時に、叫びたい気持ちがこみ上げる。
 しかし声は愚か、口から吐息すら零れもしない。
 出来るなら駆け出して抱きしめたいところだが、まず叶わない願いだった。
 エルファリアはそのまま丘を駆け下り、城の前までやってくる。
 レピアを確認してすぐ、駆け寄ってきた。
「レピア! そんな!」
 時刻は夜。
 それなのに何故、レピアは石像と化しているのか、エルファリアにはわからなかっただろう。
(エルファリア! 気をつけて! 魔王はすごい力を持ってるわ!)
 助言をしようにも声は出ず、エルファリアはレピアの顔を悲痛そうに見るばかり。
「待っていて、レピア。私が今、魔王を倒してきてあげるから」
 エルファリアは輝く剣を携えて、魔王の城へと入っていった。
 レピアの心中には暗い予感が息づいているが、しかし、ここはエルファリアに任せるしかなかった。

 エルファリアが得た勇者の力というのは大した物のようで。
 押し寄せる魔物の群れを難なく打ち倒し、魔王の城を半ば制圧するほどに至っていた。
 勢いのまま、エルファリアは魔王の玉座へと辿り着く。
「魔王! 覚悟しなさい!」
『ようやく来たか、勇者よ』
 そこに居たのは、いつもどおり毛むくじゃらの魔王。
 玉座に肘をついて、リラックスした体勢でエルファリアを迎えていた。
『門にあったオブジェは見てくれたかな? 我の最高傑作として飾っておいたのだが……』
「姫に対して、なんて卑劣な真似を! すぐに元に戻しなさい!」
『貴様が我を倒せたなら、それも叶おう』
「ならば、すぐに決着をつけてあげるわ!」
 剣を構えたエルファリアは、一直線に魔王へと駆け出した。
 しかし、迎え撃つ魔王は動かず、微笑を湛えるのみ。
『勇者よ、魔法使いの城に入るときは、もう少し用心をするべきだったな』
「なんですって……? ぐぅっ!?」
 エルファリアの足元に魔法陣が浮き上がる。
 それは体を拘束する魔法だった。
「そんな……! この鎧は神の祝福を受け、どんな魔法でも弾き返すはずじゃ……!?」
『その神とやらも我の力には及ばなかったと言う事よ。装備の性能に驕ったな』
「……貴方、魔本の登場人物じゃないの!?」
『いいや、間違いなく、我はこの物語の登場人物であり、最大の力を持つ魔王だ。だが、今回は少し予定外の事が起きてな。好き勝手やらせてもらっておる』
 魔王は楽しげに笑い、初めて玉座から立ち上がる。
 そのままエルファリアの目の前まで歩き、その顔をよくよく見た。
『ククク、この手で勇者を葬る瞬間を、どれだけ待ち焦がれた事か』
「くっ……身体が、動かない……ッ!」
 どんなにもがいても、強力な結界はエルファリアの自由を許さなかった。
 驚くべき魔力を持って、魔王は今正に、魔本の世界を手に入れようとしていたのだった。
 しかし、そこで妙案を思いつく。
『そうだ、勇者よ。我が手駒とならんか? そうすれば生かしてやらん事もないぞ?』
「だ、誰が貴方なんかの手下になるものですか!」
『……そうか、残念だな。しかしその力をみすみす失うのは心苦しい。自我を奪い、我の良い様に使わせてもらうとしよう』
 魔王の指がエルファリアの額に触れると、エルファリアはがっくりとうなだれ、気を失った。
『次に目覚めた時は、我が娘として戦場に立つ事となろう。この世を全て、我が物とする時は近いぞ、くははは!』

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 それから半世紀ほど経っただろうか。
 今や魔王を倒せる力などはあるはずもなく、世界は既に彼の物となってしまった。
 魔王の娘として洗脳されたエルファリアは勇者の力を以って近隣諸国を攻め滅ぼし、魔姫として恐怖の対象となっていた。
 その身に纏っていた純白の鎧は、魔王の力によって黒く染め上げられ、さらには輝く剣すらも黒く淀んでしまった。
 エルファリアの出撃の度に、それを眺めるしかなかったレピアは、心の痛みを日に日に募らせていった。
 最早、エルファリアはレピアに目もくれる事はなく、毎日毎日侵略戦争ばかり繰り返していたのだ。
 変わり果てた最愛の親友の姿に、零れもしない涙を、心中で流すのみだった。

 そして、全ての国は魔王に屈し、全土を我が物とした魔王は、城で宴を開いていた。
 城の中では魔物たちが狂喜乱舞し、酒をあおって歌い踊る。
 この世の暗黒時代の幕開けとなるその日、魔王の隣には魔姫としてエルファリアが立っていた。
「お父様、これで世界は貴方の物ですわ」
『くくく、容易い物だな。ひとつ歯車が狂っただけで、我がこの世を統べるとは……人生とはどう転ぶかわからぬものよ』
 元はと言えば、ギアスを受けていたレピアが発端で起こったボタンの掛け違い。
 本来ならば打ち倒されるはずの魔王が、世界の頂点に君臨してしまったのだ。
 些細な出来事で全てが変わってしまう。
 原因を担ったレピアは悔やんでも悔やみきれない。
「お父様、私、少し風に当たって来ますわ」
『酒に酔ったか? 此度の戦の最大功労者がそれではいかんぞ』
「いずれお酒にも慣れましょう。失礼したします」
 そう言って、エルファリアは宴席から静かに外へ出た。

 ドンチャン騒ぎの庭を抜け、辿り着いたのは門。
 エルファリアは兜を脱いで、長い髪を風に遊ばせる。
「ふぅ……」
 心地良い涼風が吹きぬけるそこは、誰もいない場所だった。
 目の前に広がるのは戦に疲れた、荒れた大地。
 それがエルファリアの手に入れた物だ。
 眺める景色が棘となって心に刺さる。
「……魔王の娘とあろう者が、感傷にふけるなんてね……」
 自嘲気味に笑ったエルファリアは踵を返して城に戻ろうとする、が、その時。
 眼に入ったのは一体の石像。
 こんな物があったのか、とエルファリアはその石像に近づいた。
 良く出来た石像で、美しい女性が彫られた物だった。
 まるで生きているような表情。躍動感。
 それに目を奪われ、エルファリアは石像の頬に手を触れた。
「……なぜか懐かしいわ。貴女、どこかで会った事があるのかしら?」
 石像に喋りかけても、当然返事はなく、エルファリアはまた笑う。
 自分は何をやっているのか、と。
 しかし、掌に触れる物があった。
「これは……」
 雫が石像の目から零れている。
 これは涙だろうか? そんな仕掛けがあるとは思わなかった。
「泣いているの?」
 とめどなく零れる涙を拭き取り、エルファリアは自分の手を見る。
 石像の涙は、荒れた世界の風景よりも自分の心を痛めるようだった。
「この気持ち……どうして?」
 もう一度石像を見ると、やはり泣いている。
 その気持ちがわからず、エルファリアは自分の胸に手を置いた。
「痛い、胸が……苦しい……」
 自分の中で何かが抗い、解放されようともがく。
 何かを忘れていたような気がする。
 それが今、記憶の引き出しの中から溢れるように出てくる。
「私は……レピアを……助けないとッ!」
 一際眩い閃光が城門を埋め尽くした。

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『な、何事だ!?』
 異変に気付いた魔王。
 庭にいたすべての魔物を打ち倒していたその姿を見て、驚愕する。
 真っ黒に染まっていた鎧はまた純白を取り戻し、手に持つ剣は溢れんばかりの光を放っている。
 その姿は紛れもなく勇者。
『エルファリア……我が魔法を破ったと言うのか!?』
「よくも私をいいように使ってくれましたね! それにレピアもあのまま放置するなんて、許せない!」
『ククッ、だったらどうすると言うのだ!? お前は一度、我が魔法の前に膝を折っているのだぞ!? まだ我に勝てるとでも思っているのか!?』
 言いながら、魔王は魔法を操り、またエルファリアの周りに魔法陣が浮く。
 身動きを封じる魔法陣。いつぞや見た、あの魔法である。
 しかし、今度こそ、純白の鎧はその魔法を寄せ付けず、魔法陣を粉々に打ち砕いた。
『な、なにぃ!?』
「もうそんな魔法は効かないわ!」
『ど、どういうことだ!? 我は確かに、神の力を上回ったと言うのに!』
「どんな物でも、人を想う絆には敵わないと言う事よ! 観念なさい、魔王!」
『くそぉぉぉぉぉおお!!』
 魔王の叫び声もろとも、エルファリアの剣が身体を切り裂いた。
 一刀の元に両断された魔王は、そのまま土塊となって崩れ去り、魔物たちも消えていった。
 魔王は敗れたのだ。

 その後、エルファリアは急いで城門へと駆けつける。
 そこには魔王の呪いが解け、生身となったレピアがいた。
「レピア!」
 エルファリアは勢いのまま、レピアに抱きつく。
「ちょ、ちょっとエルファリア!?」
「よかった! ちゃんと治ってるわよね?」
「え、ええ。魔王の呪いは解けたみたいね」
 涙を零しながら抱きついてくるエルファリアをなだめながら、自分の身体を確認する。
 確かにどこも異常はない。
 夜の間はまた、普通に動けるようになったようだ。
「ありがとうね、エルファリア。私を助けてくれて」
「何言ってるのよ、私のせいでレピアが大変な目にあったんだもの。むしろ私が謝るべきだわ」
「ううん、例え魔本の中だったとしても、エルファリアが命を懸けて私を助けてくれた事が嬉しいの。ありがとう」
 一歩間違えば、確かに魔本の中で命を落としていたかもしれない。
 魔王は魔本のルールから外れた存在となっていたのだ。勇者だって危険だったに違いないのだ。
 だが、エルファリアは微塵も臆せず、魔王に立ち向かった。
 レピアにとってそれが嬉しかったのだ。
「でも、これに懲りたら、魔本に誘うのはもう少し考えてからにしてよね」
「は、はぁい」
 ちょっと反省したようなエルファリアを見て、レピアは笑みを零す。
 それに釣られてエルファリアも笑う。
 二人の笑い声が、平和になった台地に響いた。

 その内、魔本からも出る事が出来、こうしてこのお話はハッピーエンドを迎えたのだった。