<東京怪談ノベル(シングル)>


魔本紡ぎし物語〜魔に魅入られし聖なる姫君


窓から差し込む茜色の光が図書室を染め上げたに気づき、エルファリアは手にしていた書物から顔をあげた。
「あらあら、少し読みすぎましたかしら」
西の空に沈みゆく太陽を目にし、おっとりとした口調でつぶやくとエルファリアは書物を戻そうと棚に目をやり―あらと小首を傾げ、顔を輝かせた。
そこにあったのは、革の背表紙に金の文字が刻まれた一冊の本。
わずかばかり魔力の帯びたそれを手にすると、エルファリアは楽しそうに図書室を後にした。

闇のとばりが空を包み、銀色の月と星が彩る頃。
石化の呪縛から解放され、小さく伸びをするレピアにエルファリアは夕方見つけた本を胸に抱いて、にこにこと歩み寄ってきた。
「やけに機嫌がいいのね、エルファリア」
「ええ、レピア。昼間、呪いの解呪について調べていたら、この本を見つけましたの」
不思議そうに尋ねるレピアにエルファリアは上機嫌に本を差し出す。
背表紙と同様、革表紙に銀の文字が刻み込まれた本。そこからわずかながら魔力を感じ、レピアは形の良い眉をしかめた。
「これ、魔本?」
「そう!図書室で見つけましたの。私たちあまり外へは出かけられません……ですから、この魔本で冒険いたしません?」
エルファリアに上目づかいでお願いされ、レピアは小さく肩をすくめるといいわよ、と了承した。
彼女が手にしたそれは冒険に出られない王侯貴族が物語の登場人物となってその世界を楽しむ魔法の本。
危険性もないので、割合人気が高い。
しかも面白いと評判になるものもあるので、一度体験してみたいと思うのは人の常だ。
「では、このお話にしましょう。私が勇者でレピアが聖なる姫君になって魔王を倒すお話ですわ」
エルファリアは楽しげに配役を告げると一瞬、異議を唱えかけたレピアに構わず、魔本を開いたのだった。

―魔本は一つの物語を紡ぐ

純白に輝く光と漆黒の闇が激しくぶつかり、広間を明滅させる。
やがて漆黒の闇が刃となって純白の光を切り裂き―麗しき乙女・レピアが床に倒れ伏す。
その姿に頭にまがまがしい一対の角生やし、暗黒のローブを纏った魔王は苦しげに喘ぐレピアの長い髪を乱雑につかみ、冷酷な笑みを浮かべる。
「残念だったな、無謀なる勇気を持つ姫よ。己が国を救わんとよくぞ……と言いたいが、我に逆らった罪は重い」
「くっ!!」
ぎらりと残忍な光を瞳に走らせ、魔王は左手で己が頭上までレピアを釣り上げると、その無防備になった胸に右手を押し付ける。
青白い光が炸裂した瞬間、レピアの悲鳴が広間にはじけ飛んだ。
翌朝、人々は王都の広場にさらされた一つの石版に目にし、底知れぬ恐怖と果てしなき絶望をまざまざと刻みつけられた。
恐怖におびえた表情をたたえたまま、石版につなぎとめられた物言えぬ石の姫・レピア。
人々は姫の姿に涙し、魔王と魔王が率いる魔物たちに息をひそめて暮らす以外は術がなく、ただひたすら耐えるしかなかった。
だが、それ以上に死よりも勝る苦痛を強いられたのは彼の姫君・レピアその人。
天が闇に包まれる頃、レピアは石化の呪いより解放されるも同時に魔王のもとへと強制召喚され―魔王の夜伽という屈辱が待っていた。
「とっとと相手をしろ、レピア。お前には俺に仕える以外の選択はないのだから」
「いつまでも思い通りなると思わないことね!」
天幕に包まれた寝台に横たわり、にたりと口をゆがませた魔王は目元を赤くはらしたレピアの腕をつかみ、乱暴に腰を抱き寄せる。
抵抗できるものならとっくに抵抗していた。けれども、王都の人々の命を縦にとられたレピアは悔しげに唇をかみしめながら体を自由に弄る魔王の手にたえる。
そうして東の空が暁に染め上がると、ようやくおぞましい行為から解放されたレピアは再び石版へと封じられる。

変わることを望みつつも、変わらぬ日々。
時は流れ―120年の月日が過ぎ去った頃、国も民も荒れ果てたこの地に一人の勇者が現れる。
気高くも美しいその勇者の名はエルファリア。数々の苦難を打ち破り、彼女は雄々しく魔王の前に立ちはだかった。
「魔王よ!長きにわたりこの大地を支配し、人々を苦しめてきた報いを今こそ受けるのですっ!!」
清められた聖なる剣の切っ先を魔王に突き付け、凛とした声で言い放つ。
立ち上る白き波動に遠巻きに取り囲んでいた魔物たちは一様に怯え、影に隠れて息を詰める。
人々の嘆き、苦しみを悲しんだ神々に遣わされし聖なる使者・救世主の到来は闇に属する悪しき者たちにとっては最大の脅威。
事実、魔王に従う最強の猛者たちはことごとくエルファリアに倒されたのだ。
いかに絶対的な力を持つ魔王といえど、エルファリアが相手では苦戦は必須だと思い、怯えていた。
繰り出される鋭き剣技は確実に魔王をとらえ、玉座へと追い詰める。
「覚悟っ!!」
最後の一撃と、魔王の心臓目がけて、剣を突き刺した―かに見えた瞬間、魔王は口元に残忍な笑みを浮かべ、姿をかき消す。
漆黒のマントのみがむなしく空を舞い、エルファリアが呆然と化したその時。
激しい電撃がエルファリアの全身を貫いた。
「きゃぁぁぁぁぁっぁぁぁぁっ!!」
「愚かな女めっ!!その程度の力で俺を倒そうなど笑止千万」
悲鳴を上げ、床に倒れるエルファリアの長い金髪をつかみあげ、魔王は綱のように引きずり回す。
「忌々しい神々も分からなかったようだなぁ。俺は昔―そう、120年前とは違うんだよっ!やつらの大事な大事な女から力を奪ってやったからな!!」
ゲラゲラと笑いあげながら、魔王は髪をつかんだまま、エルファリアを殴り、蹴り上げる。
苦痛に歪む表情がたまらないと悦に入った真紅の目をぎらつかせ、面白いことを思いつき―抵抗もできなくなったエルファリアの頭をつかみあげた。
「哀れな神の人形。心配するな、今日からは俺の忠実なる手下に変えてやろう……獣の心を持った人形になぁっ!!」
「やぁぁっぁぁぁっぁぁっぁ!!!」
魔王の手より生み出された青い炎がエルファリアの全身を包み、その灼熱と極寒を併せ持った力に肉体よりも精神がめちゃくちゃに切り裂かれた。
悲痛な悲鳴を上げ、苦しむエルファリアの瞳が最後にとらえたのは闇に浮かぶ白き花。
なぜかは分からないが、それに手を伸ばし―届かず、エルファリアの意識は暗黒の淵に沈んだ。

闇がさらに増す。
姫の呪いを糧に力を増した魔王の威光をほめたたえる魔物たち。
その影で城を獣がごとく駆け回る金髪の娘―エルファリアの姿があった。
かつてその瞳にあった知性の光は砕かれ、宿るのは森を駆け回る野獣そのもの。
魔王によってエルファリアは精神を壊され、今や魔王の城を守る忠実なる番犬と化していた。
人ならざる遠吠えを上げて、四足で走りまわす姿を見るたびに魔王は愉悦の笑みを浮かべ、魔物たちは下卑た声ではやし立てる。
「かつての勇者様も無様なもんだぜ」
「番犬というよりも飼い犬以下。笑えるなぁ、おい」
「こないだなんて餌投げてやったら喜んで取りに行ってたもんな」
魔物たちの下らぬ会話をしたレピアは魔王の伽が終わった重い体を引きずりながら、その『番犬』と呼ばれる勇者を探しに城内を歩く。
『番犬』に変えられたとはいえ、神々に選ばれし者。
己が配下にしているとはいえ魔王が彼女を―そして、自分の持つ聖なる力を恐れていることにレピアは気づいていた。
だからこそ、魔王は彼の番犬とレピアを引き合わせぬように、一方を手元で監視し、耳に入らぬように注意を払っていたほどだ。

けれども、人の―魔物の口に戸口を立てることなど不可能。
石版に封じられているとはいえども、町の人々がこぼす話は聞くことはできる上、魔物の中にはレピアをさらに絶望させようと好んで教える輩までいた。
120年間待ちわびた希望の到来にレピアの心は歓喜に震えたが、そんなことは毛筋ほども見せずに、ただただ怯えたふりを通した。
そして、手にした情報を頼りに今夜『番犬』の現れる庭園へと踏み入れ―レピアは息を飲んだ。
長く伸びた美しき金の髪に知性を消されながらも気高さを失わぬ瞳を持つ麗しき乙女が四肢をつき、低く唸り声をあげている。
「待っていたわ、貴方を」
魔王の呪いに胸を突かれながらも、レピアはエルファリアへとそっと手を伸ばす。
恐れることもなく触れようとするレピアにびくりと身を震わせたエルファリアだったが、何かに引き寄せられるように身を任せた。
白く輝く光がレピアの手のひらから零れ落ち、エルファリアの全身を優しく包み込んだ。

銀の雷光が天より魔王の城を裁きとなって貫く。
それを見た瞬間、玉座で惰眠をむさぼっていた魔王の表情が驚愕に彩られる。
「馬鹿なっ!!」
魔が支配する領域においての銀の雷光は神の力―すなわち聖なる力を示すもの。そして己を撃ち滅ぼす大いなる力の具現だ。
だが、聖なる力を持つ姫は120年前より己の奴隷であり、遣わされし勇者は番犬に貶めた。
―あの二人が出会うことがないように絶対にないっ!
そう確信していた魔王の思惑は玉座の扉が打ち壊され、その奥から現れた二つの影に凍りついた。
「お久しぶりですわ、魔王」
「正義の前では悪しき力は無力と知ることねっ!」
優雅ににこりと微笑みながら剣を構えるエルファリアと凛とした姿でその隣に立つレピア。
ぶわりと沸き立つ白亜の波動に魔王は言い知れぬ恐怖を覚え、玉座を蹴り飛ばして立ち上がると二人目がけて黒き炎を無数に放つ。
だが、胸の間で両手を広げたレピアから放たれた白亜のベールが盾となり、その力を無へと帰す。
「おのれぇぇぇぇぇぇっぇぇぇえ!!」
己を蝕む聖なる力に怒声を上げ、魔王は本性である野獣の姿を表し、鋭き爪を振りかざしてエルファリアに襲い掛かる。
白銀の一閃が唸りをあげた次の瞬間、魔王の腕は薙ぎ払われ、一握の砂と化す。
エルファリアのふるう神より授かり聖剣がレピアの聖なる力を受け、秘められし力を解き放ち、魔王の力をはるかに凌駕したのである。
絶叫し、狂ったように暴れだす魔王の攻撃を滑るように避けるとエルファリアはその胸に刃を突き立てた。
「滅びなさいっ!!」
エルファリアとレピアの声が重なり、魔王の体を白き光が内から貫き―爆発する。
その大いなる光は魔王と名のつくすべてのものを鮮やかに照らし出し、この地上より打ち消していった。

ふわりと柔らかな白が降り注いできたのに気づき、エルファリアとレピアは固く閉ざしていた瞳をゆっくりと開け―微笑みをこぼす。
無数に降り注ぐそれは美しき銀の羽。そして、まばゆく光り輝く天の恵み―太陽。
その姿に王都中の、いや、国中の人々は歓喜の叫びをあげて抱き合った。
こうして120年の長きにわたる呪いより聖なる姫とその王国は解放され、平和な日々を取り戻したのであった。


「魔王の支配から解き放たれた王国は聖なる姫と勇者によって末永く平和におさめられたのでした。めでたしめでたし」
ほうとため息をこぼし、エルファリアは手にしていた魔本を閉じ、うっとりとした表情で胸に抱き、その隣でレピアはやや疲れた表情で座り、息をついた。
さすが王侯貴族が手軽に楽しむ魔法の品だけあって、臨場感たっぷりだったが、やはり作り物は作り物。
魔王を倒しただけで呪いが解けるなど、そう単純なことではないことをレピアは身を以て知っていたが、口にはしなかった。
なぜか、と問われれば、レピアは笑ってこう答える。
―私の呪いを解くために必死になってくれているエルファリアに悪いでしょ?お話の中とはいっても、呪いはいつか解けるんだって思ってくれているんだから、と。

魔本の紡いだ物語のように、いつか呪いから解き放たれるもの。
だからそれを信じ、レピアもエルファリアもまた新しい日が始めるのだ。

FIN