<東京怪談ノベル(シングル)>


蒼の魔本と騎士姫の誓い


 そこは見渡す限りの薄暗い石廊だった。靴も履かずに全速力で駆けた足は、黒く汚れて所々に小さな傷を作っている。
 しんと静まり返ったその空間は、外で起こっているだろう喧騒を思えば返って不気味だった。
 ときおり等間隔で据えられた燭台は、僅か一寸先の道しか照らしてくれない。王族の抜け道と称された緊急時の避難経路は、今やレピアの不規則な呼吸と静かな足音だけが聞こえるばかりだった。
 ただ冷たい足の裏の痛みをぐっとこらえて、彼女は走る。びらびらと裾を引きずるドレスではなかったことは不幸中の幸いだったけれど、レピアは今の現状がどうしても腑に落ちなかった。
「普通、囚われの姫っていうのは、本物の王女さまの役割なんじゃない!?」
 息も絶え絶えに、水音の近付いてきた通路に向かって独りごちる。ほんの目と鼻の先に見えた階段を降りると、ほどなく地下を流れる水路の端に出た。
 ここを右に曲がって真っ直ぐ進めば、じきに城の外に出られるだろう。少しの緊張の緩みと共に、レピアはほんの半時前のことを思い返す。
 今現在、見知らぬ城内を必死になって逃げ回っているその原因となる出来事を――。

 ◇ ◆ ◇

「……それで、これをどうするって?」
 しげしげとエルファリアの持って来た本を見下ろしながら、レピアは首を傾げた。
 窓の外にうっすらと月の輪郭が現れる頃、彼女は安置されていたエルファリアの部屋で石化の眠りから一時的に目覚めたのだ。昼は石の、夜は人の顔として、不老不死の呪縛を掛けられたまま数世紀をさすらったレピアは、今現在、聖王国の王女の私物として手厚い保護を受けていた。
 私物とは言っても、そこは心優しき次期一国の主。レピアが呪いを受けていると知るや、エルファリアは彼女を人として待遇し、呪いを解く術を必ず見つけ出すと約束してくれたのだ。
 二人で過ごす時間を積み重ねる内、彼女達は互いを親友と呼べるまでの間柄になっていた。
 さて、私室の中に姿が見当たらないということは、今日もまた遅くまで図書室に籠もっているのだろう。レピアがこの部屋の主を探そうかと扉を開こうとした瞬間、息せき切って部屋に飛び込んできたのはまさしく目当ての人物その人だった。
 まるで新しい玩具を与えられた子供のように、きらきらとした瞳で差し出されたのがこの蒼い表紙の魔本だ。
 魔本――中に書き綴られた物語を、登場人物となって擬似体験することができる魔法。それを掛けられた、魔力を帯びた本を人々はそう呼んだ。元は城や邸の外を易々と出歩けない王侯貴族たちが、自分たち、或いは子息子女の道楽のために作った本だと言う。
 表紙そのものが魔法を維持する鍵になっているのか、薄くカットされた鉱石の板が埋め込まれていた。表題の下に書かれた魔法文字も、魔法の一端を担っているのだろう。
 エルファリアは、どうやら呪いの解呪法を探す傍ら、図書室でこの本を見付けたようだった。
「ですから、私と一緒にこの本を読んでほしいのです。お願い、レピア」
 普段通りのおっとりとした物言いながらも、エルファリアはしっかりとレピアの問いに答えた。近頃は時間の許す限りずっと書庫にこもりきりのようだったから、彼女も退屈していたのかもしれない。
 ぱらぱらと軽くページを捲ってみれば、石にされた姫を助けた騎士が、姫の特別な力を得て魔王を倒すというありふれた童話のようだった。
「読むってことは、つまり……」
「ええ。ほんの束の間、冒険をしてみたいのです。……駄目かしら?」
 念を押すように尋ねられて、レピアはうっ、と言葉に詰まった。寂しげな金の瞳が一心に見つめてくる。父王に可愛がられた箱入り娘の彼女であるから、冒険などという危険とは一切無縁なのだろう。
 遠ざけられれば、余計気になるのもまた道理。何より、彼女のこの無垢な瞳でお願いされてしまえば、たとえ彼女を溺愛する父王でなくとも抗えないものを感じるのは事実だった。
「そんな風にお願いされたらあたしが嫌だなんて言えないの、わかってるでしょ?」
 如何にも仕方なさげな笑みを装って、エルファリアの手を握ったレピアは本の表紙に手を掛ける。途端に、エルファリアの表情がパッと華やいだ。
「準備はいい? 石版に触れるわよ」
 鷹揚に頷いたエルファリアを見届けてから、レピアは分厚い表紙に埋め込まれた石版へ手を触れた。

 ◇ ◆ ◇

 真っ白な光が視界を満たした次の瞬間、レピアは見知らぬ部屋で、見知らぬ女から揺すり起こされながら目を覚ました。天蓋付きの寝台の外から、必死の形相の女性が自分の顔を覗き込んでいる。
 彼女はレピアを姫と呼び、隠し通路を使って城の外へお逃げ下さい、とレピアを急かした。簡素なウェストアップの旅装の上に、軽く二の腕で留めたマントを羽織らされる。通路の入り口へ招かれる頃には、それが魔本の中の物語だということを何とか思い出した。
 城内は騒がしく、魔王が《姫》の聖なる力を恐れて王都へ進軍してきたようだ。あちらこちらで交戦する剣戟と攻撃魔法の轟音が聞こえる中、侍女らしき女に後押しされて、レピアは城の隠し通路へ身を滑り込ませたのだった。
 別れ際に聞いた侍女の言葉を、頭の奥で反芻する。
『姫様さえ生き延びてくだされば、たとえ城が落ちても、きっと国を取り戻す手立てが見付かりましょう。あなたさまの身体に流れる血と清らかなる光の力が、魔王を倒す切り札となる筈です』
 その言葉を信じて、レピアはただひたすら教えられた通りの道順をなぞった。
 そして物語は、冒頭の場面へと繋がる。
 もうどれだけそうして足を動かしていたかわからなくなった頃、レピアはエルファリアの身を案じた。彼女は一体どこにいるのだろう。侍女ではないならば、彼女はもっと重要な役割を宛がわれているのではないか。
 とにかくこの地下水道を出たらエルファリアを探そう。レピアが、そう心に固く誓った時だった。
「姿が見えぬと思うたら、このような所に居たか。小娘」
 まるで闇から生まれたような、静かな声が背後で聞こえた。咄嗟に止めかけた足を叱咤して、迫る警笛に従い走り続ける。それでも声の主が気になったレピアは、肩越しに振り返ってしまった。
(まさか。まさか、まさかまさか!)
 恐怖と焦りで早鐘を打つ心臓が痛い。走りながら背後を顧みたレピアが最後に見たのは、黒い髪、黒い瞳、そして死人のように白を通り越して青ざめた顔を持った、男とも女ともつかぬモノだった。
 レピアの顔が悲愴に凍りつく。その唇が大きく開かれ、悲鳴が上がる前に、姫であった女性は黒灰色の石像へと姿を変えられてしまったのだ。
「余計な手間を掛けさせてくれるわ。しかし……ふふふ、ハハハハ!! 聖なる姫は我が力をもってただの石塊と化した! これでもう何も恐れるものはない。天下は我が掌中に得たも同然よの」
 キン、と耳に響く声が、高笑いを響かせてレピアを見遣る。石化した彼女の瞳に、あの輝く海のような色はなかった。
「魔王様、この娘、如何いたしますか」
 キィキィと小うるさい耳鳴りのような声が、魔王と呼ばれたモノの背後で聞こえる。目的であった聖なる姫の力を封じたことで、魔王は高揚していたようだった。
「よい、捨て置け。どうせ助けがやってこようと、このようなところに姫が居るとも思うまい。それよりも、早う宴の準備を始めよ。今宵は城を落とした祝い酒で無礼講だ」
 魔王の命令に、魔王の背後に控えていた人外の姿を持つ魔物は神戸を垂れて元来た道を戻って行った。暫く満足そうにレピアの姿を眺めていた魔王も、やがて鼻を鳴らして踵を返す。
 悠然と靴音を響かせて去って行く魔王の姿を、見送る者は意識の無いレピアを除いて誰も居なかった。


 人の時は止まれども、世界の時間は動きを止めぬ。
 流れ流れて半世紀。聖王国が魔王の手に落ち、阿鼻叫喚の渦に飲まれてから、人々はいたるところで様々な紛争に巻き込まれた。
 始めは魔王を倒そうと奮起していた国民だったが、倒した端から湯水のように湧き出る魔物や使い魔たちに、彼らは成す術もなく地へ伏した。まるで喪に服したような時間が何十年と続いた頃、嘗て聖王国と呼ばれた魔都に一人の女騎士が流れ着いた。
 波打つような金の髪に、琥珀を溶かしたような金の瞳。身軽なデザインの白銀の甲冑を纏ったエルファリアは、一国を乗っ取ったという魔王の噂を聞きつけてこの国へとやって来たのだ。
「ここが、聖王国を掌握した魔王の城なのですね。嘗ては聖女と呼ばれる姫に守られていた城――」
 曇りなき剣を携えたエルファリアは、城下町の片隅から高々と聳え立つ魔王城を見上げていた。自由騎士の名の下、魔王を倒さんと立ち上がった彼女は、今まさに、その城へと足を踏み入れようとしていたのだ。
 勿論、正面からかかって真っ当に勝てるとは思えない。エルファリアは先日、城の重鎮の生き残りから貰い受けた地図を広げた。
 この地図によると、城には数箇所に分けて隠し通路のようなものが巡らされている。一つは城の裏手から伸び、二つは城壁から見張り台へ通じ、あとの三つは地下から通じている。その内の何本が魔王に網羅されていて、何本が看過されているのかも、エルファリアにはわからなかったが――。
「ここで考えていても仕方がありませんね。知る手立てがないのなら、一つ一つ虱潰しに調べて行けばいいだけのこと。必ずやこの剣に賭けて、この国を救ってみせましょう」
 聖王国、と呼ばれるこの国を、エルファリア自身、どこか自国と重ねて見ていたのかもしれない。兎角、美しいさすらいの騎士は、並々ならぬ決意と威勢を掲げて町の隅の下水道へ足を踏み入れた。
 始めは地下水道特有の、カビと湿気と何かが腐ったような異臭に吐き気を覚えた彼女だったが、道を暫く進む内に何とか上手く呼吸することができるようになった。
 片手は地図を握り締め、もう片方の手は絶えず剣の柄に掛かる。緊張状態が極限に高まった頃、果たしてそれは姿を現した。
 薄暗がりの中、ぼんやりと道の真ん中に影が浮かび上がる。咄嗟に剣を構えたエルファリアだったが、影が微動だにしないと知るや、彼女は影に忍び足で近寄った。
 やっと影の全体像が視界に収まった時、エルファリアは驚嘆の声を上げたものだ。
「この石像は……」
 息を呑み、まじまじと道の中央に据えられた石像を見つめる。恐怖に引きつる表情、見開かれた双眸からは、今にも涙が浮かび上がってくるのではないかという、生々しい造形の女性の顔。
 エルファリアは、彼女の顔に嫌というほど見覚えがあった。
 できれば、彼女のこのような顔は見たくもないとさえ常々思っていたのだが。
「レピア……。あなた、こんな姿でずっとこんな場所に捨て置かれていたというの?」
 触れた石の肌は、非常に長い間そこに居たことを物語るように、ぬめり、苔生し、下水の鼻を刺激する匂いが染み付いていた。くしゃりと顔を悲しみに歪めて、「かわいそうに」とエルファリアがこぼす。
 たった一言、搾り出すように告げた後で、彼女はレピアの何も履いていない足に気付いた。傷付いたまま石化した裸足は、エルファリアの中の憐憫と悔恨をますます煽った。
「私がもっと早くここに辿り着けていたなら、あなたにこんな怖い思いをさせなくても済んだでしょうに」
 唇を噛みながら呟きをこぼしたエルファリアは、せめてもの罪滅ぼしとばかりに腰のポーチからハンカチと携帯用の水筒を取り出す。ハンカチにたっぷり綺麗な水を染み込ませてから、苔や水垢などの汚れを丹念に拭き上げ、残りの水を使って頭の天辺からつま先までを洗い流した。
 完璧とは言い難いまでも、ある程度の清潔さを取り戻したレピアを、エルファリアはまじまじと見つめる。
 彼女をこのような処遇へ追いやった魔王を、これ以上野放しにはしておけない。改めて強く心に焼き付けたエルファリアは、冷たいレピアの頬に触れて噛み締めるように言葉を落とした。
「必ず、私があなたをこの呪縛から助けてみせるわ。魔王を倒して……そして、二人で元の世界へ帰りましょう」
 気を緩めれば自分の方が泣いてしまいそうな悲痛の表情で、エルファリアが誓いと共にそっとレピアの唇の端に口付けを落とした時だった。
 目を焼くような目映い閃光が地下水道を埋め尽くし、エルファリアは咄嗟に目を覆った。悲鳴を上げる間もなく止んだ溢れ出るような光は、しかし、暫くエルファリアの視界を不自由なものにする。
 ちかちかと明滅する視界を凝らす前に、耳に入って来たのは懐かしいような、ついさっき聞いたばかりのような、彼女の大好きな声だった。
「……ファリア。…エルファリア!」
「その声……レピア?」
 何度か目を瞬かせて漸く、肩を掴んで揺さぶる目の前の人物の姿が見て取れた。
 海の色をガラス球に注ぎ込んで固めたような、青の双眸。同色の艶めく長い髪は、清涼に流れる川の清水のようだ。
「ああ、よかった! エルファリアは無事だったんだね。あたしは……どうなっていたのかわからないけど、とにかくこうして動いてるのなら大丈夫なんでしょう」
「あなた、今まで石化させられていたのよ。恐らくは、魔王に。私があなたに口付けた瞬間、魔法が解けたようでした」
「え、……え、ちょっと待って。口付け? 一体どういう――」
 どういうことなの、というレピアの問いは、最後まで声として紡がれることはなかった。
 わざとらしく地を打つ足音が、通路の向こう側から聞こえる。二人手を取りあって振り返った先には、魔物の一軍を引き連れて現れた魔王の姿があった。
「くっ……。怪しい光が地下道を満たしていたと報告を受けて来てみれば……。我が石化の術を解くとはつくづく小癪な小娘よ」
 苛立ちを隠せない声で、魔王がキンキンと喚く。実際にはさほど声を荒げてはいないのだが、ただでさえ高い魔王の声が地下の空洞に反響しているのだ。眉をひそめたレピアは、エルファリアの手を守るように握り込んで魔王に対峙した。
 エルファリアが一歩前に踏み出した時、魔王が杖を持った右手で頭上を仰いだ。
「みなの者、嘗ての城の主と闖入者を丁重にもてなしてやるがいい!!」
 張り上げられた魔王の声を合図に、背後に控えていた有翼の魔物たちが一斉にこちらへ向かって飛び掛かってきた。咄嗟にエルファリアの手を引いて踵を返したレピアは、驚く彼女を横目に出口への道を辿る。
「あたし、石になって眠ってる間……だと思うんだけど、夢を見たの。多分、この国の建国の歴史みたいなものなんだろうけど。代々の姫は聖なる光の力を持ってて、国が危機に陥った時、勇者にその力を分け与えて敵襲を討ち払ったんだって」
「では、私があなたの力を分け与えてもらえば魔王を倒せるのですね?」
「うん、多分ね」
 慎重に切り出されたレピアの話で、エルファリアの中にも希望が生まれた。しかし、一瞬輝きの増した騎士姫の表情はすぐに曇りを帯びる。
「方法はわかっているのですか?」
「それもバッチリ。だけど、追っ手が背後に迫ってきてるのよね。足を止めた一瞬が勝負になると思う」
 一段低く潜められた声に、エルファリアはそれが一か八かの賭けだと知る。それでもいい。可能性があるのなら。
 二人揃って帰ろうと言った言葉は真実、エルファリアの願いであったから、彼女は如何を問うレピアの視線に瞳だけで是の合図を送った。
「三、二、一で足を止めて左手を貸して。いい?」
 わかりました、と力強く頷いたエルファリアへ、レピアは一呼吸置いてからカウントを始めた。ほんの三秒のカウントダウンが尽きた時、高い音を立てて駆けていた足を止める。
 差し出されたエルファリアの左手を取ったレピアは彼女の滑らかな手の甲に恭しく唇を寄せた。青の口紅が薬指の付け根に痕を残す。あたかも指輪のように輝いた青の光は、徐々に白く目映く二人の――否、魔物たちや魔王の視界までもを染め上げる。
 左手から湧き溢れた力の本流が、エルファリアの身体を駆け抜けて心臓へと至る。漲るぬくもりは彼女の全身を包み、気付けばエルファリアが手にしていた剣は白光をたたえて輝いていた。
「さあ、剣を振るって。エルファリア! あらゆる魔を切り裂く聖なる力を!」
「ええ! どうかせめてもの慈悲に、闇の眷属へ安らかなる眠りを……ハァアアアアッ!」
 腹の底から押し出した掛け声で、止まることなく向かってくる魔物たちへ剣を一閃。続いて後続の魔物たちへもう一閃を振るうと、エルファリアは駆ける足を止めることなく魔王へ向かって聖なる白刃を突き出した。
 同時に振りかぶった杖を、エルファリアの頭上に叩き落した魔王だったが、その杖がサークレットの先へ触れる僅か前に、魔王の身体は動きを止めた。
「がっ……ハ……ゥ」
 喉を詰めたようなくぐもった声を上げて、魔王がぐらりと身体を傾がせる。エルファリアとレピアよりも少し高い背の痩身が音を立てて石床に伏す直前、今度はエルファリアの剣から溢れた数多の白い光の奔流が二人の女性を包んだ。
 互いに声を上げたけれど、その音も耳に届かない。せめてと伸ばした手をしっかりと掴んで、二人はとめどない光の波に身を委ねた。

 ◇ ◆ ◇

 二人が目を覚ました時、ちょうど窓の外で日が落ち切るところだった。
 時間にすればおよそ五分程度だろうか。本当に絵本を読み終わるくらいの間、二人は本の中の物語をなぞっていたのだろう。
 エルファリアやレピアにとっては、その何十倍もの時間に感じられたのだが、魔本の内と外では時間の流れも異なるのだろうか。
「つ、っかれたー……」
「ふふ、久しぶりにあんなにたくさん走ったわ」
 レピアとエルファリアは口々に感想を言い合うと、お互いの顔を見つめて笑い合った。実際には精神だけが本の中に招かれ、身体は魔本のすぐ側で眠っていたのだから、身体的疲労はないのだが。
 ……そこは、精神的な疲労に置き換えての感想としておこう。
「まぁ、でも、たまにはこういうのもいいかもしれないね」
「ええ。とても楽しくて……少しだけ、悲しい話でした」
 レピアが魔本の感想を求めると、エルファリアは少しだけ瞼を伏せて寂しそうに微笑む。どうしてそんな顔をするの、とレピアが問うと、エルファリアは小さな、本当に小さな掠れるような声音で答えを返した。
「あの魔本の中の世界は、魔の者と人間とが共存しえない世界のようだったから。聖都エルザードには、たくさんの種族が行き交っています。住まう者、一時の宿を求める者、どこからか流れ着く者。みな様々です。それこそ数えきれないくらいの、人や亜人、精霊や、闇に住まう方々も」
 聖都と名を冠していても、誰かが手を差し伸べ、繋ぐことのできる手を広げている。そうしてあらゆる種族の共存できるこの国が、どれほど尊いものかを、エルファリアはこの日学んだようだった。
 中には、魔本の中の物語のように、反乱や罪を犯して討伐される者も居る。しかし願わくば、それが“種”という大掛かりな枠にならないようにと、聖獣王の娘は切に願った。
 さて、この魔本を厳重に保管しておかなければ、と部屋を出て行こうとしたエルファリアを、レピアはふと物語の記憶を思い出しながら呼び止めた。
「そう言えば、エルファリア。あなた、あたしにキスしたって言ってなかった? どうしていきなり……って、聞いてもいい?」
 躊躇うように青い睫毛で縁取られた顔を上げると、振り返ったエルファリアがきょとんと瞬く。腕に魔本を抱えたままのエルファリアは、すぐににっこりと満面の笑みを浮かべてから唇に人差し指を当てた。
「だって、物語のお姫様は王子様のキスで目を覚ますもの、と相場は決まっているのでしょう? キスにはどんな呪いも敵わない、強い力があるんですよ」
 茶目っ気を瞳の中に織り交ぜて、上機嫌に部屋を出て行くエルファリアへ、レピアはぽかんと開いたままの口から反論を紡ぐことも問いを重ねることもできなかった。
 彼女があまりに楽しそうに告げるものだから、レピアは知らない。
 騎士姫が口付けに込めた、親愛とは別の、決意を乗せた誓いの強さを。

◇ Fine ◇



◇ ライター通信 ◇

レピア・浮桜様。
初めまして。
この度は、シチュエーションノベルのご発注ありがとうございます。
魔法の本の中で繰り広げられる、王道ヒロイックファンタジーということで楽しんで書かせて頂きました。
美人なお姉さんは大好きですか? なんて聞かれたら全力で大好きです!!と答えてしまうくらいの女の子好きですので、レピアPC様とエルファリアNPCの束の間の冒険に一緒にのめりこみながら執筆させて頂きました次第です(そのような裏事情で文字数が結構なオーバーとなってしまいました。ご了承くださいませ^^;)
本当はもっとあんなシーンもこんなシーンも書きたいシーンは色々と尽きませんが、軽く短編サイズの物語になりかねませんのでこの辺りで〆とさせて頂きます(苦笑)
それでは、ここまでの読了ありがとうございました。
また、再びのご縁があることを願いつつ、締めとさせて頂きます。
今一度、ご発注ありがとうございました。