<東京怪談ノベル(シングル)>
帰って来た踊り子
1.メイドを追う者は
ある昼下がりのエルザード。
エルファリアが出会ったのは、メイド。踊り子ではなかった。
買い物の紙袋を手にしたレピアの姿は、エルファリアが知っている踊り子では無かった。
「私の顔に何か付いていますか?」
メイドのレピアは、不思議そうに首を傾げた。
演技ではなく、本当にエルファリアの事を覚えていないようだ。
…レピアが私を忘れるなんて事があるの?
エルファリアは、考えた事が無い出来事を目の前にして、しばらく何も言えずにレピアを見つめた。
驚きと恐怖が入り混じったエルファリアの顔を、しかし、レピアは不思議そうに見返すだけだった。
やがて、エルファリアは口を開いた。
「レピアさん、あなたのご主人様に会わせてくれる?
私、あなたのご主人様に会いたいの」
エルファリアは、声を絞り出すようにしてレピアに言った。
「かしこまりました。それでは、ご案内しますね」
レピアは、にっこりと微笑んで、エルファリアに言葉を返す。
その仕草は、正にメイドだった。
2.心が犬になり
エルザードの片隅にある、魔女の塔。
最近、街で頻発している若い女性の誘拐事件に関わっているという噂で、黒山羊亭でも調査依頼が出されている場所だ。
踊り子のレピアも、調査依頼に出かけていたのだが、全てを忘れたメイドに成り果ててしまった。
エルファリアは、レピアに連れられて魔女の塔へと足を踏み入れた。
各階に設置された、美しい娘の石像が目を引く以外は、ごく質素な塔だ。
しばらく無言で階段を上った後、レピアが口を開いた。
「ご主人様は、この上の階でございます」
にっこりと微笑み、メイド服の裾を摘まんだ姿勢で、エルファリアにお辞儀をした。
「はい、ありがとうございます」
エルファリアは笑顔を返すが、目は真剣だった。
レピアに連れられたエルファリアは、魔女が住まう階へと登る。
黒い三角帽子を被った少女が、そこで待っていた。
「お帰りなさい、レピア。お友達連れてきたの?」
無邪気に微笑む様子は、ごく普通の少女のようにエルファリアには見えた。
だが、見かけにだまされてはいけない事は理解している。
「はい、ご主人様」
レピアは彼女のご主人様に、丁寧にお辞儀をした。
「買い物ごくろーさま。
それじゃ、今日もワンちゃんになって、ゆっくり休んでね」
魔女が言うと、レピアはもう一度お辞儀をしてから、メイド服を脱ぎ始めた。
エルファリアが声も無く呆然としてる間に、レピアは全裸になり、床に両手と両足をついた。
「さ、こっちいらしゃい、ワンちゃん…」
魔女は言いながら、ベットに腰を降ろした。
レピアは嬉しそうに、四つん這いのまま魔女へと駆け寄った。
「カワイイでしょ? 私のレピアちゃん」
部屋の入り口で呆然としているエルファリアに、レピアの様子を見せつけるようにしながら言った。
魔女のブーツを履いた足が、顔を上げたレピアの首の辺りに押しつけられ、レピアは犬が前足で絡むように、ブーツにじゃれついている。
「さ、脱がしてね、レピア。舐めさせてあげるから」
魔女が言うと、レピアは両手を不器用に使って、魔女のブーツを脱がせようとする。
足を組んでベットに座った魔女。
彼女が組んでいる足に、不器用な手…いや、前足でしがみつくようにして、そのブーツを脱がそうとする姿は、犬そのものだった。
「このワンちゃん、あたしの足を舐めるのが好きなの。カワイイでしょ?」
「レピアは犬じゃない…です」
異様な光景に気おされしながらも、かろうじてエルファリアは口を開いた。
だが、魔女は動じずに言い返す。
「そうかな?
そこからだったら、よく見えるでしょ?
レピア、尻尾が無い代わりにね、嬉しいと、お尻をたくさん振ってくれるの」
確かに魔女が言う通り、レピアの嬉しさを表す仕草は犬のようだった。
エルファリアは、怒るよりも悲しくて涙が出てきた。
どうすればいいの?
犬にされたレピアの姿は、魔女の圧倒的な力の現れでもあった。
その力に、自分が抗えるとは思えない。
「くすん…お願い、何でもするから、レピアを返して下さい」
エルファリアは、泣きながら魔女に懇願するしかなかった。
それを聞くと、魔女は少し動きを止めてエルファリアの方を見つめた。
「お姉ちゃん、レピアちゃんと仲良しなの?」
魔女の言葉に、エルファリアは泣きながら頷く。
「じゃ、お姉ちゃんもレピアの仲間にしてあげるね」
魔女は微笑むと、人差し指を立ててエルファリアに向けた。
「い、いや、やめて!」
エルファリアは思わず逃げ出そうとして、階段を振り向いたが、その身体から力が抜けた。
倒れそうになって、床に手をつく。立ち上がろうと一瞬思ったが、身体が動かなかった。
「さあ、こっちにいらっしゃい、メス犬ちゃん」
魔女の言葉は、まるで体の中から聞こえてくるようだ。
言われるままに、エルファリアは四つん這いのまま、魔女へと近づく。
「うふふ、良かったね。お友達増えたよ、レピアちゃん」
もう、王女のエルファリアは、居なかった。
部屋には魔女と2匹の犬が居た。
魔女がブーツを履いた足を、2匹の犬は不器用な前足で奪い合っている。
「ほら、ケンカしないの。私の足、もう一本あるんだから、仲良くね?」
魔女は足を組むのをやめ、両足を2匹のメス犬達に差し出した。
2匹のメス犬達は、仲良く顔を寄せ合いながら、魔女の足にじゃれついていた。
3.身体が魔物になる
それから、しばらく後の魔女の塔。
数人の戦士達が、調査に訪れていた。
塔の入り口をこじあけた最初の部屋で、彼らは2体の女の姿をした魔物の像を見た。
レピアとエルファリアに、よく似た、背中に翼を生やした像だった。
…魔物か?
剣を抜き、警戒する戦士達に向かって、2体の魔物の像…ガーゴイルと化したレピアとエルファリアは襲いかかった。
石のような身体からは想像出来ない速さとしなやかさで、2体のガーゴイルは戦士たちに襲いかかる。
彼女達の重く硬い体は全身が武器だった。ハンマーで殴るかのような衝撃で、鎧の上から戦士達を打ち据えた。
そして、何よりもお互いを庇い合う連携が、侵入者たちを寄せ付けなかった。
すぐに彼女達は戦士たちを追い払ってしまう。
塔の入り口を守る2体の女ガーゴイルは、黒山羊亭でも評判になりつつあった。
時には、2人は外へ出る事もあった。
メイドのレピアは街へ買い物に。魔物のエルファリアは、新しい仲間を増やす為に美少女と美女をさらいに。
2体の下僕は、よく魔女に仕えていた。
…そろそろ心が抜けそうね。
ある日、魔女は塔の入り口で眠るエルファリアに近づいた。
…眩しいお姫様。うらやましくて、悔しいの。
魔女が女ガーゴイル…エルファリアに触れると、その手が石のような身体に吸い込まれた。
…貴方の純真な心、もらっちゃうね。私は要らないけど、ずっと飾っておいてあげる。
魔女が手にしたのは、エルファリアに残った最後の人間らしさ、彼女の純真な心の結晶だった。
そうして、エルファリアは文字通り、人間では無くなった。
4.そうした夢の終わり
それは偶然の出来事に思えた。
メイドのレピアは、魔女の研究室を掃除していた。
そこで手にしたのは、棚に無造作に置いてあった結晶。
手のひらに乗る、小さな塊が、やけに温かかった。
…これは、あの子…エルファリア。
エルファリアから抜き取られた、純真な心の結晶。
…これは…この中に居るのは、あたし。
心がレピアの中に流れ込んできた。エルファリアの心から流れ込んできたのは、レピア。
…そうだ、あたしはレピア。
レピアは、全てを思い出した。
…私はメイドじゃない。踊り子。
迷わず、レピアは駆けだした。行き先は、塔の入り口。エルファリアが眠る場所だ。
「さ、起きて、エルファリア。迎えに来たわよ」
レピアは女ガーゴイルに話しかける。
女ガーゴイルの目だけが動いた。
次に、その硬くて重い体が動き始める。
レピアを魔女の意にそぐわない者…敵と認識したのだ。
狭い部屋の中で、女ガーゴイルは硬い羽根を舞わせてレピアに襲いかかる。
…どんな姿になっても、エルファリアね。
女ガーゴイルの動きは、全てレピアには理解できる。その仕草、動きの癖はエルファリアだ。
とはいえ、レピアには武器が無い。彼女が手にしているのは、エルファリアの純真な心の結晶のみ。
それを、レピアは口に含んだ。
それから、無防備に体を女ガーゴイルに任せる。
…次に、噛みついて来るんでしょ?
エルファリアは、硬い牙のような歯をレピアの顔に近づけた。
レピアは逃げずに、その口に自分の唇を押し付ける。
…返してあげる、あなたの心。
レピアは口に含んでいたエルファリアの心を、彼女の口へと押し込んだ。
すると、女ガーゴイルは、苦しむように飛び跳ね、やがて動かなくなった。
「…あれ?
私どうしたの」
弱々しく、その唇から漏れるのは、エルファリアの声だった。
女ガーゴイルは、エルファリアへと戻っていた。
レピアは安心して、力が抜ける。
だが、まだ何も終わってはいなかった。
「わー、これが友情ってやつ?
すごいね、私、感動しちゃった」
声は階段の上から聞こえた。
小馬鹿にするように笑いながら、魔女が階段を降りてきた。
「面白かった? 友情ゲーム」
魔女は弱々しく倒れるエルファリアと、レピアの事を嘲笑っている。
「あんたの掌の上ってわけ?」
「うん、そうだよ」
睨みつけるレピアの視線にも、魔女は全く動じる事は無かった。
「また、私達を犬に戻すの?」
…どうすればいい?
倒れるエルファリアを支えながらレピアは考えるが、良い知恵は浮かばない。
「んーん、お姉ちゃんたち、もう帰っていいよ」
「…は?」
魔女は首を振りながら続けた。
「エルファリアちゃんの心、怖いね。
私、おかしくなっちゃいそうなの。
早く帰ってくれないと、今度はアリさんにして、踏みつぶしちゃうよ?」
嘲笑う顔を崩さないままの、魔女。
そういえば、こんな風に素直に感情を表現する魔女の様子は初めて見た。
少し、魔女は心を侵されている。
どうやら、エルファリアの純真な心の結晶が影響を与えたのは、レピアだけではなかったようだ。
…今のうちに逃げた方が良さそうね。
レピアは、弱々しく倒れるエルファリアを背負って、塔を離れる事にする。
「遊んで欲しくなったら、また来てね。
ワンちゃんにして、可愛がってあげるから」
塔から手を振る魔女の姿を苦々しげに見つめながら、それでも逃げ帰れた事をレピアは喜ぶしかなかった。
(完)
毎度ありがとうございます。
また、気が向いたら宜しくお願い致します。
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