<東京怪談ノベル(シングル)>


シュネー・テンツァー

 一体、どれほど歩いただろう。
 見渡す限りの荒廃した風景の中に、やはり、行けども行けども人の気配がしない。
――わたくしの命運も、ここで尽きたかしら。
 一瞬そんな考えがよぎる。
 今エィージャがいるのは、かつて栄えた王宮跡だ。発掘されつくされるにはまだ早いと思い、この地に来たのだが。
「甘かったかもしれない…」
 思わず独り言を言ってしまいながら、もう見つからないものを必死になって探していると、
「あら?」
 エィージャが思わず足を止めたのは、ある石像の前だった。
 おそらく、高名な彫刻家が作ったのだろう。その石像は、あまりにも美しく、均衡も取れていた。
 そして、何より驚くべきなのは、石像にも関わらず、その表情がはっきりとわかるほどのものだ、ということだ。
――穏やかな表情をしているようなのに、何だか、とてつもなく切ない雰囲気になりますわ。
 この石像が、これほどの技術を以て作られたのなら、とっくに持ち去られていてもおかしくはないはずだが、ただその術がなかったのか、それとも、持ち去ることができなかったのか。
 だが、折角見つけた高そうな石像だ。何より、逃亡資金を稼ぐのに、これほど良いものも、他にはなさそうである。
――何とか、持って帰るより他、ないようですわね。
 胸中で自分に言い聞かせるようにして、エィージャは覚悟を決めると、魔術を発動させた。


「さ、さすがに、これは重労働ですわ…」
 どうにかこうにか宿に着いた時には、すっかり日も暮れ、汗もぐっしょりかいていた。
 いくら魔術とはいえ、万能ではない。魔力の消費で疲れも出てくれば、等身大の石像を一つ持ちかえるための労力は、やはり必要だ。
 本当なら、今すぐにでも換金しに行きたいところだが、さすがに体がいうことを聞いてくれそうにない。
「今日のところは、ゆっくり体を休めて、明日に備えるしかないですわね」
 ふうと息を漏らし、エィージャは、お風呂に入るべく、身支度を整えた。
 この宿は、エィージャのいきつけだ。露天風呂が自慢のお風呂、と聞いて、宿泊を決めたのだが、割と融通も利き、今ではすっかり常連だ。
――だからこそ、わたくしは、この場所を、護りたい…。
 平穏な日々を手に入れるために。
 そう思うと、自然と、石像に目が向いていて。
「……」
 暫く、睨みつけるように石像を見た後、エィージャは部屋を後にした。


 夜。
 あれだけの重労働をして、温泉に入り、おいしいご飯も食べ、今日は安眠できるだろうと床についたのもつかの間、
「何なんですの、これは…」
 思わず呟いた自分の言葉が、反響したように響いた。
 目の前に広がる光景。それは、日中、廃墟と化していた小王国の、元の姿だった。
『しかし、良い石像が手に入ったな。これで、陛下も王妃も、王女を亡くしたつらさを乗り越えてくれればいいんだが』
『あぁ。しかし、半世紀近く放置されてたなんて、勿体ないよなぁ。こんな綺麗な石像なのに。おかげで、苔やら何やら、落とすのが大変だったぜ』
「あ…!」
 自分の目の前を男達が笑いながら通り過ぎていくが、エィージャの声は、どうやら届かなかったらしい。
 その男達が荷車に乗せて運んでいたのは、今日、エィージャが持ち帰った、あの石像だった。
――ということは、あの石像は、王国の遺産ではないんですの?
 この光景が事実であるならば、の話だが、一瞬浮かんだ自分の考えに、思わず落胆してしまう。
 刹那、
「ッ…!」
 不意に風が吹き、エィージャを襲う。次に目を開けた時には、
『おぉ、王女よ! 帰ってきてくれたのだな!』
 そう言って、泣き崩れる、豪奢な衣装の姿の男女と、魔女と思しき人物がいて、男女が一人の少女の前に膝まづいていた。
『そうですとも、陛下。あなた方の御息女は、戻られたのです』
 フードで顔を隠した魔女が、そう、囁くように言う。
『泣かないでください、お父様、お母様。私は、この通り、元気ですわ』
 そう言って微笑んだのは、先刻の、石像の少女だった。
――これは…!
 何となく気になって、エィージャが振り返れば、そこには、この国の国王と王妃と思われる2人の間に、微笑む少女の絵が飾られていた。
――記憶操作…。
 不意に、そんな言葉が頭をよぎった。
 お父様、といい、微笑む少女は、あの絵の人物とは違う。加えて、エィージャが見た石像にそっくりの姿。そして、少し前の男達の言葉。
――亡くなった王女の記憶を、石像の少女に植え付けた、というんですの? そして、何より、やはり、あの石像はただの石像ではなかったのですね。
 そこまで確信を得たところで、また、風がエィージャを襲う。
 次に目を開けた時には、国は、赤い炎に包まれていた。
 ここからの事実は、エィージャも知っている。隣接する強国の襲撃に遭い、この国は滅んでしまう。そして、見せしめのため、城をうまく抜け出していた王女を捕え、数十年、この場所で見せしめとして飾られたのだと。
――しかも、強国の国王が代替わりしてから、美術品として価値を高めるために、一度石化を解かれ、また石像にされた、という話は、噂話ではなかったのですね…。
 そして、それからどれほどの月日が流れたのか、偶然にも、王女に仕立て上げられた少女の石像を、エィージャが拾うこととなった。
「ッ……!」
 覚醒の時は、唐突に訪れた。
 反射的に体を起こしたエィージャは、大きく息をつきながら、部屋の片隅に置かれた石像に目をやる。
 一気に情報を流しこまれて困惑はしているが、一つはっきりしていることがある。
――彼女は、人間ですわ!
 そう思うが早いか、エィージャは、石像を抱え、露天風呂へと向かった。
 エィージャがこの宿を気に入っている理由は、他にもある。ここの露天風呂は、その造形の美しさのみならず、効能があらゆる魔術から受けた状態以上にも効果を示す、ということだ。
 この時間なら誰もいないのを確認し、服も脱がずに、エィージャは少女の像を洗い清めた。元に戻る、そう信じながら。
 すると、
「あ…」
 エィージャが声を上げるとほぼ同時、石の肌が、徐々に人間のそれに変わっていく。効果のほどがわかれば、あとは根気の問題で、そのまま丹念に洗い続けていると、
「う…」
「気がつきましたの!?」
 ようやく声をあげた少女に、エィージャも思わず叫んだ。
 次第に、肌にも赤みが増し、彼女の姿がはっきりとしていく。
 石像だった頃は幼く見えたが、本来の人間らしさを取り戻していくと、彼女は、少女というよりは女性の雰囲気を持っていた。
「あんた、自分のことがわかる? 名前は?」
 矢継ぎ早な質問に、女性はぼんやりとエィージャを見、それから、ゆっくりと口を開いた。
「レピア…。咎人…」
「咎人?」
 おそらく、前者は名前だろう。そして、その咎人という言葉にも聞き覚えがあった。
 何の罪もないのに断罪され、石化された人間。だとすれば、やはり、彼女は王女ではないのだ。
「レピア、あんたは…」
 まだまだ聞きたいことがある。不意に口を開きかけたエィージャだったが、不意に、弾かれたように顔を上げたレピアが、叫ぶようにしていった。
「あたしを、聖都エルザードへ連れて行って!」
「え…?」
 唐突な言葉に、思わず聞き返すエィージャだったが、真っ直ぐに向けられたレピアの瞳は、石像にされていた頃と変わらず、力強かった。